「計量計測データバンク」サイトマップ measure and measurement data bank of saite map
計量計測データバンク ニュースの窓-483-
|
計量計測データバンク ニュースの窓-483-
├
├計量計測データバンク ニュースの窓-483-スターリンとコミンテルンの時代にモスクワに滞在した日本共産党の人々の粛清に関する資料の所在 2026年10月4日
· @横田俊英
国崎定洞(1894〜1937)


国崎定洞(1894〜1937)は、東京帝国大学医学部の衛生学助教授から革命家に転じ、モスクワで「日本のスパイ」として銃殺された。社会衛生学の先駆者として将来を嘱望された人物である。『人間 国崎定洞』より。
国崎定洞(1894年〜1937年)は、東京帝国大学医学部の衛生学助教授であり、日本の社会衛生学の創始者です。
人物像と経歴
• 生没年:1894年10月5日生まれ、1937年12月10日没(熊本市出身)。
• 学問・業績:東京帝国大学医学部を首席で卒業後、同大の助手・助教授となり、ドイツの社会医学を日本に導入した。
• 政治活動:1926年にドイツへ派遣された後、現地でドイツ共産党に入党。ドイツ共産党日本語部を結成し、責任者を務めた。
• 最期:1932年にソビエト連邦へ移住したが、1937年の大粛清の最中に日本スパイ容疑で逮捕され、銃殺刑に処された(1959年に名誉回復)。
· @横田俊英
本稿は、「ニュースの窓」477〜482号の続きの調査のために、資料がどこにあり、どうすれば見られるかをまとめたものである。対象は、1920〜30年代にソ連にいた日本人共産主義者とその周りの人々である。
これまでの連作は、主に加藤哲郎の研究と、そこに引かれた「国崎定洞ファイル」に拠ってきた。ロシアでの文書の閲覧が再び制限された今、次の手がかりは、既に電子化や複製された文書、ドイツと日本の文書館、そして公刊された回想にある。
各項の「確認の程度」は、次のように記す。
コミンテルンの文書は、モスクワのロシア国立社会政治史文書館(RGASPI)にある。現地での閲覧は難しいが、一部は複製や電子化を通じて国外から見られる。
加藤は『人間 国崎定洞』の「まえがき」で、次のように書いている。粛清に関わる個人ファイルは、ソ連共産党が崩壊しKGBが無政府状態に陥った1990〜93年に、各国の記者や犠牲者、遺族、歴史学者の手で秘密文書館から発掘された。その後、エリツィン政権は再び閲覧を制限し、直接の犠牲者や家族以外はほとんど見られなくなった。本稿の調査が、複製や電子化された文書とロシア以外の文書館を中心にするのは、このためである。
|
資料 |
内容 |
見られる場所・方法 |
確認の程度 |
|---|---|---|---|
|
コミンテルン文書「日本共産党ファイル」(Fond 495, opis' 127、616ファイル) |
日本共産党幹部からコミンテルンへの報告や書簡、コミンテルンからの指示など。1920〜41年が中心 |
国立国会図書館憲政資料室。マイクロフィルム132巻(IDC Publishers、2003年)、日本語訳目録あり。請求記号YF-A22 |
確認済み |
|
コミンテルン文書の電子版(INCOMKA事業) |
指導機関、各部局、地域書記局などの文書。約24万件の目録と約160万枚の画像。全体の約10分の1 |
2015年からロシアのサイト「ソビエト時代の文書」で公開 |
文献による。個人ファイルが含まれるかは要確認 |
|
「国崎定洞ファイル」(495/280/168) |
国崎の個人ファイル。履歴書、会談記録、名誉回復関係文書 |
加藤らの訳文が『人間 国崎定洞』付録にある。1993年に娘タツコと国崎家に届けられた |
文献による |
|
日本人の個人ファイル(同じ系列) |
山本懸蔵、伊藤政之助、アメ亡組などの個人ファイルがあると推定される |
現地の閲覧は本人・家族以外、ほぼ不可能と加藤は書いている |
要確認 |
|
「弾圧の記憶」検索システム(memsearch.org) |
メモリアルと各地の団体による、ソ連の弾圧犠牲者の複数のデータベースの横断検索。300万件以上 |
2024年1月に公開。メモリアルは2021年にロシアで解散を命じられたが、事業は続いている |
確認済み。日本人の登録の有無は要確認 |
ロシア語の犠牲者名簿では、日本人の名はロシア文字で表記され、党名(コン、タナカ、タケウチなど)で登録されている場合がある。『人間 国崎定洞』付録の加藤の編者注にある党名と本名の対照が、検索の手がかりになる。
国崎定洞の党籍は最後までドイツ共産党(KPD)であった。そのため、ドイツの文書にも国崎とベルリンの日本人グループの記録が残っている。ドイツの文書館は、ロシアと違って外国人研究者にも開かれている。
|
資料 |
内容 |
見られる場所・方法 |
確認の程度 |
|---|---|---|---|
|
旧東ドイツの政党・大衆団体文書(SAPMO) |
KPDの文書。加藤は1991年、旧マルクス・レーニン主義研究所で、国崎のKPD除名指令書(1937年8月22日付)を発見した |
ドイツ連邦文書館(ベルリン)。目録は「archivportal-D」で検索できる |
確認済み(目録の存在)。国崎関係文書の記号は要確認 |
|
在モスクワKPDの人事文書 |
国崎の逮捕後にKPD書記ミュラーがコミンテルンに送った追加情報、KPD員ライトネル・マックスの供述(1937年9月11日付)など |
「国崎定洞ファイル」に写しがある。ドイツ側の原本は要確認 |
文献による |
|
ドイツ人粛清犠牲者名簿(ディーツ書店、1991年) |
ソ連で粛清されたKPD関係者1136人の略歴。加藤によれば、その中に日本人がただ一人(国崎)含まれる |
ドイツの図書館 |
文献による。書名の原語表記は要確認 |
|
ベルリン警視庁の記録 |
1932年の国崎へのプロイセン退去命令、反帝同盟本部での逮捕(1931年)など |
ベルリン州立文書館などと推定 |
要確認 |
ドイツ側の資料は、日本共産党の内部の人間関係とは別の経路から国崎を見た記録である。山本懸蔵の告発と並べることで、国崎の粛清の理由を別の角度から確かめられる。
特高警察や外務省は、当時ソ連にいた日本人を監視し、記録を残している。粛清を行った側とは別の、もう一つの権力の側の記録である。その限界を踏まえたうえで、人の出入りや所在を確かめるのに役立つ。
|
資料 |
内容 |
見られる場所・方法 |
確認の程度 |
|---|---|---|---|
|
アジア歴史資料センター(JACAR) |
外務省外交史料館、国立公文書館、防衛省の戦前の公文書の画像 |
インターネットで無料に検索・閲覧。人名や「在露邦人」「共産主義者」「労農露西亞」などで検索する |
確認済み(仕組み)。該当文書の有無は要確認 |
|
外務省外交史料館 |
在モスクワ日本大使館の記録。勝野金政の保護と帰国(1934年)、クートベの学生の大使館への逃れ込みなどに関する文書がある可能性 |
東京・麻布台の閲覧室。一部はJACARで公開 |
要確認 |
|
『特高警察関係資料集成』第17巻(不二出版、1992年) |
「極秘・昭和八年中に於ける外事警察概要・欧米関係」を収録。国崎に言及がある |
大学図書館、国立国会図書館 |
文献による(加藤の文献目録) |
|
内務省警保局『社会運動の状況』昭和10年 |
「在露邦人共産主義者調」を収録 |
復刻版があると推定。国立国会図書館 |
文献による |
|
内務省警保局『極秘外事警察概況』昭和12年 |
「在露中の日本人共産主義者一覧表」を収録 |
同上 |
文献による |
|
司法省刑事局『思想月報』第33号(1937年3月) |
「日本共産党入露者調」を収録 |
同上 |
文献による |
|
司法省刑事局「コミンテルン対日謀略の一断面」(1939年7月) |
クートベ出身者伊藤利三郎の供述 |
同上 |
文献による |
|
国立国会図書館「マーフィー・コレクション」 |
米国の研究者が集めた国際共産主義の資料のうち日本関係(1928〜56年、約3000頁) |
国立国会図書館憲政資料室。複製本19冊 |
確認済み。モスクワの日本人への言及の有無は要確認 |
官憲資料は、特高が日本共産党を追うために作ったものである。そこに書かれた人物評や「自白」も、NKVDの文書と同じく、そのまま事実とはしない。
|
資料 |
内容 |
確認の程度 |
|---|---|---|
|
科学研究費「スターリン主義テロルの旧ソ連日本人犠牲者の規模と機構」(1995〜97年度) |
ロシアの秘密文書に基づき、粛清された日本人を約86人と推定。成果に『人間 国崎定洞』『近代日本社会運動史人物大事典』(1997年)など |
確認済み(科研費データベース) |
|
「旧ソ連日本人粛清犠牲者」の一覧(ウェブ公開) |
加藤のウェブサイト「ネチズンカレッジ」に掲載されていた。旧アドレスは ff.iij4u.or.jp/~katote/SPurge.html |
旧アドレスは確認。現在の所在は要確認 |
|
『モスクワで粛清された日本人』(青木書店、1994年) |
国崎と山本を中心とする実証研究。勝野と根本の告発の経緯を詳述 |
文献による。連作では全文未読 |
|
『国民国家のエルゴロジー』(平凡社、1994年) |
勝野、根本らのその後を論じる |
文献による。未読 |
|
「歴史における善意と粛清」(『季刊 窓』) |
コテリニコフの会談記録の全訳(藤井一行訳) |
文献による。号数(18号か19号か)は要確認 |
|
「密告と粛清――モスクワの日本共産党」(小林峻一との共著、『諸君』1994年8月) |
密告の文書の紹介 |
文献による |
|
「スドー・マサオを追う」(『毎日新聞』1994年6月7日) |
須藤政尾の追跡 |
文献による |
|
資料 |
内容 |
確認の程度 |
|---|---|---|
|
小林峻一、加藤昭『闇の男――野坂参三の百年』(文藝春秋、1993年) |
巻末資料に関マツの供述、野坂のディミトロフ宛書簡、名誉回復決定書など。第25回大宅壮一ノンフィクション賞 |
文献による |
|
和田春樹「歴史としての野坂参三」(『思想』1994年3〜5月号) |
旧ソ連の秘密文書に基づく野坂研究。のちに単行本化されたとされる |
文献による。単行本の書誌は要確認 |
|
名越健郎『クレムリン秘密文書は語る』(中公新書、1994年) |
ソ連崩壊後に公開された文書の紹介 |
文献による |
|
社会運動資料センター編『野坂参三と伊藤律』(五月書房、1994年) |
野坂と伊藤律の関係 |
文献による |
|
メドヴェーデフ『共産主義とは何か』(石堂清倫訳、三一書房、1973年) |
大テロル全体の古典的研究。「日本人はみなスパイ」の引用元 |
文献による |
告発された側、生き延びた側、周りにいた人々の回想である。書いた人の立場を添えて並べる。
|
書いた人(立場) |
資料 |
確認の程度 |
|---|---|---|
|
勝野金政(告発された当事者、ラーゲリから帰国) |
『赤露脱出記』日本評論社、1934年、『ソヴェート滞在記』千倉書房、1937年、「ラーゲリを逃れて」『中央公論・歴史と人物』1973〜74年、『凍土地帯』吾妻書房、1977年 |
文献による |
|
フリーダ・レートリヒ(国崎の妻) |
鈴木東民への手紙(1974年11月21日付など)。『人間 国崎定洞』付録に収録 |
文献による |
|
鈴木東民をめぐって |
鎌田慧『反骨――鈴木東民の生涯』講談社、1989年。1974年のフリーダとの再会に関わる |
文献による |
|
野坂参三(告発した当事者) |
『風雪のあゆみ』第8巻、新日本出版社、1989年 |
文献による |
|
土方梅子(国外追放された土方与志の妻) |
『土方梅子自伝』早川書房、1976年。加藤はここから「ビリチ」を特定した |
文献による |
|
馬島僴(片山潜に呼ばれて入ソ) |
「山本懸蔵は何処へ行ったか」『特集文藝春秋』1956年2月、『激流を生きた男』日本家族計画協会、1971年 |
文献による |
|
山本正美(クートベで学んだ元党委員長) |
『激動の時代に生きて』マルジュ社、1985年 |
文献による |
|
風間丈吉(クートベで学んだ元党委員長) |
『モスコー共産主義大学の思ひ出』1949年、『雑草の如く』1968年など |
文献による |
|
寺島儀蔵(ラーゲリを生き延び、ウクライナに在住した) |
回想記と、NHK衛星放送「ZEK――ソビエト強制労働秘史」(1995年1月15日)への出演 |
回想記の書名と版元は要確認 |
|
岡田嘉子(杉本良吉と越境、ラーゲリから生還) |
自伝やインタビューがあると推定 |
要確認 |
|
千田是也、小林義雄(ベルリン・グループの仲間) |
『人間 国崎定洞』の成立に関わった証言。「小林義雄教授古稀記念論集」(西田書店、1983年)など |
文献による |
回想は、書いた人の立場と書いた時期に左右される。勝野の1934年の本は帰国直後の日本で、野坂の1989年の本は党の幹部として書かれた。双方を文書館の文書と照らし合わせて読む。
手間が少なく、新しい事実につながりやすいものから並べる。
このうち2、4、5は、インターネット上ですぐに試せる。結果を本稿に書き足していく。
六節の2、4、5を行った結果である。ウェブページの内容は自動で読み取った要約に拠るため、日付や人数は引用する前に原ページで確かめる必要がある。
連作と一覧の食い違い・新しい情報(いずれも原ページで要確認)
|
人 |
連作の記述 |
一覧の記述(要約) |
|---|---|---|
|
山本懸蔵の名誉回復 |
1956年5月23日(1992年の日本共産党の発表に拠る) |
1991年12月 |
|
伊藤政之助の名誉回復 |
1990年8月13日の大統領令(『人間 国崎定洞』に拠る) |
1992年4月2日 |
|
前島武夫 |
「逮捕後の供述が山本の逮捕の根拠の一つ」とのみ記述 |
1937年6月8日逮捕、11月28日銃殺、1991年12月名誉回復 |
|
須藤政尾 |
「1937年銃殺」とのみ記述 |
1937年4月29日逮捕、12月4日銃殺、1956年名誉回復 |
|
勝野金政 |
名誉回復には触れていない |
1996年名誉回復 |
名誉回復の日付は、「法的名誉回復の決定」と「1990年以降の一括名誉回復」を資料によって使い分けている可能性がある。
├
資料:「スターリンとコミンテルンの時代にモスクワに滞在した日本共産党の人々の粛清に関する資料の所在」(2026年10月4日)
├
├加藤哲郎の実証研究にみる日本共産党・国崎定洞・山本懸蔵の悲劇と、コミンテルン指導下の党活動の歴史的検証2026年10月2日 · @横田俊英
├測った数字が裁かれるとき――1937年ソ連国勢調査の抹殺と統計家の粛清、国崎定洞の社会衛生学にみる計量と政治(日本計量史学会向け論考)2026年10月2日
· @横田俊英
├[第一次推敲]モスクワ在住日本人共産主義者における相互告発と粛清の連鎖――「置かれた状況」と二つの事件にみる人物相関の確認作業
├[第二次推敲]モスクワ在住日本人共産主義者における相互告発と粛清の連鎖――「置かれた状況」と二つの事件にみる人物相関の確認作業
├『人間の條件』に照らす――スターリンとコミンテルンの時代、モスクワ在住の日本人共産主義者(片山潜・山本懸蔵・野坂参三・国崎定洞ら)の行動の記録――2026年10月4日
├昆虫の行動原理に対比する――スターリンとコミンテルンの時代、モスクワ在住の日本人共産主義者(片山潜、山本懸蔵、野坂参三、国崎定洞ら)の行動の記録から考えること――2026年10月4日
├告発しなかった人としての国崎定洞――スターリンとコミンテルンの時代、モスクワ在住の日本人共産主義者の告発の記録と国崎定洞――2026年10月4日
├スターリンとコミンテルンの時代、粛清の嵐のなかでのモスクワ在住の日本人共産主義者の行動から浮かび上がる姿 2026年10月4日
├
├
├関連資料:「スターリンとコミンテルンの時代にモスクワに滞在した日本共産党の人々の粛清に関する資料の所在」(2026年10月4日)
TOPへ
├
├
├計量計測データバンク ニュースの窓 目次
├
2026-10-02-news-483-materia-content-collection-483-
「計量計測データバンク」サイトマップ
measure and measurement data bank of saite map