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1月3日には太陽が富士山(標高3,776m)の右肩を転がるように沈むサンセットショーが圧巻だ (1月3日 執筆 横田俊英)
(副題)国道20号線の東京と神奈川の境界線の大垂水峠の富士屋からの1月3日のサンセットショーは太陽が富士山の右肩を転がるように沈む
(副副題)雲が消えたり出現したりするという気象マジックが出現する。茜空と白熱電灯のように白く輝く雲とのサンセットショーだ。
1月3日には太陽が富士山(標高3,776m)の右肩を転がるように沈むサンセットショーが圧巻だ (1月3日 横田俊英 撮影)
(写真は日没後の富士山上空が赤や紫に変わる3変化・7変化のショーのもよう)
(タイトル)
1月3日には太陽が富士山(標高3,776m)の右肩を転がるように沈むサンセットショーが圧巻だ (1月3日 執筆 横田俊英)
(本文)
富士山はどこからでも見える。西の方では大台ヶ原からも見える。
大台ヶ原からは大気の状態で見えたり見えなかったりする。この大台ヶ原からの富士山撮影に情熱を燃やしている人がいる。
私も富士山が見える立地の場所に東屋(あずまや)で暮らす夢をもっている。
富士山を見るという夢であれば駅へ行く途中の国道20号線の桂北小学校付近でそれが実現する。
富士山を全部見るということであれば陣馬山に登ればよい。ここからは邪魔なものは何もない。
一番手近な富士山のビュースポットは国道20号線の東京と神奈川の境界線の大垂水峠の富士屋だ。
冬至のころには太陽が富士山山頂に沈む。
1月3日頃には太陽は山頂から右の肩を転がるように落ちて沈む。
日が沈んだ後の残照は立地によって様々である。富士山より西の方面では日が西の山の端に落ちた後にも富士山には日が射していて赤富士を演出することがある。
東の側からの日没後の風景は茜空(あかねぞら)を楽しむのに好都合だ。
国道20号線大垂水峠の富士屋からは冬至のころ太陽は山頂の向こうに沈み1月の初めには似たような状況があって、背後から富士山頂を照らすお日様は水の群がりの雲を数秒ごとに様々に写し出す。
同じ場所にある雲が消えたり出現したりするという気象マジックが出現する。茜空と白熱電灯のように白く輝く雲とのサンセットショーだ。
1月1日は午後4時には大垂水峠の富士屋に陣取って午後5時半までの富士山が踊る夕暮れを楽しむのは贅沢の一つである。
1月3日には太陽が富士山の右肩を転がるように沈むサンセットショーが圧巻だ。
(写真と文章は横田俊英)
(書き殴って読み返しておりません。誤字、表現の不適切さなどについてはご容赦を)
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「富士山や月は東に日は西に」2017年3月11日午後6時。(旅行家 甲斐鐵太郎の自然博物誌 №31)
(副題)蕪村の「菜の花や月は東に日は西に」の富士山版で「富士山や月は東に日は西に」。
(副副題)撮影カメラはEOS 5D。35mmフィルムカメラの画面と同じ大きさの撮像素子のカメラだ。
コーヒーを飲み一息吐いて窓を開けると白い世界が広がっていた、雪の朝だ。(旅行家 甲斐鐵太郎の自然博物誌 №28)
(副題)2017年1月10日夕刻に雪が降りだした。積もりそうな気配があったので雪への準備をしていると月が出てきた。
(副副題)5センチメートルほどの積雪ではあっても樹木は雪に覆われて土色の冬景色が白一色になっていた。
フィルムカメラのミノルタXG-SとMDロッコール50mmf1.7
(副題)ミノルタ「XG-S」は1979年に発売された絞り優先EEの横走り布幕フォーカルプレーンシャツターのカメラ。
(副副題)シャッターボタンを押すとシャッター膜がパーンと走るXG-Sに対してもたつくXDです。
オリンパスペンEED(1967年発売)というハーフサイズのフィルムカメラです。
(副題)画質はフィルム面積相当比、つまり2倍荒れてしまいます。これがハーフサイズカメラがもっている宿命です。
(副副題)オリンパスペンEEDはプログラムオートの露光をセレン光電池を使わずにHDタイプの電池を用いております。
JR草津駅の周辺は中山道草津宿であった。
(副題)向かい風が吹くと渡し船(矢橋渡し)を使より歩くのが速い。
(副副題)余程の感銘があったのだろう「急がば回れ」の言葉が生まれた。
山の向こうに五箇山を感じる5月5日の城端曳山祭。
(副題)春は遅い。街の向こうに壁のようにそびえる山の先は五箇山なのだ。
(副副題)五箇山は絹織物で栄えた町であるが今はその工場跡をわずかに確認できる。
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