旅行家 甲斐鐵太郎の自然博物誌 №24
(タイトル)
霧ヶ峰高原で野鳥を撮影している人を羨ましく思っておりました。
(サブタイトル)
旅行と山野と野鳥とカメラと写真。
(
文章と写真 甲斐鐵太郎(旅行家)
6月15日撮影。
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旅行家 甲斐鐵太郎の自然博物誌 №24
(タイトル)
霧ヶ峰高原で野鳥を撮影している人を羨ましく思っておりました。
(サブタイトル)
旅行と山野と野鳥とカメラと写真。
(文章と写真は 旅行家 甲斐鐵太郎 6月15日撮影。)
写真は6月15日に車山高原に撮影したホオアカ。夏鳥のホオアカがやってきていたのでした。
写真は6月15日に車山高原に撮影したノビタキ。車山高原の夏を象徴する夏鳥です。
近くの八島湿原の周辺はこの時期、ノリウツギの白い花が一面に咲き乱れます。
赤い花のレンゲツツジ、そして黄色い花のニッコウキスゲの前奏曲のようにノリウツギが野を彩ります。
(本文)
野鳥を撮影する方法を考えておりました。
野鳥撮影に関しては、フィルムカメラでの撮影はデジタルカメラでの撮影に及ばないことを確認することができました。
留まっている野鳥はじっとしていることもありますが、動いていることが多く、また動かない状態でも撮影に都合のよい姿勢でないことがあります。
フィルムカメラでは36枚という制限があるので、野鳥がみせる一瞬のよいポーズを撮るには、前後で予備の撮影をすると、フィルムは直ぐになくなってしまいます。
デジタルカメラは撮影枚数は無制限といってよいほどですから、ワンカットのつもりで軽々と10回のシャッターを切ることができます。
決定的なポーズを押さえて「いただき」と満足するためには50枚ほどの写真を撮る野鳥撮影にはデジタルカメラが好都合です。
同じことをフィルムカメラですることはできません。フィルム代、現像代のことがありますから、ワンカットを大事に、それは我慢強く撮ることになります。
フィルムカメラでこれまでしてきた野鳥撮影は、デジタルカメラに代わってしまいました。フィルムカメラの優位性を見いだすことはできません。
デジタルカメラの優位性は次のようなことにもあります。
望遠レンズに関してもフィルムカメラは野鳥撮影用に焦点距離600ミリメートルほどにレンズを用意するのは普通の人にはできないことです。新品の場合には100万円ほどするのですから。
デジカメの場合にはレンズとカメラとの組み合わせで400ミリ(メートル)のレンズを600ミリ(メートル)として使うことができます。
またフィルム感度についてもデジタルカメラは感度を限りなく上げて撮影することができます。これによって高速度撮影が楽々とできます。明るいレンズを使ったのと同じ効果がでます。画像の荒れ方は多少はありますが、フィルムを増感現像して使うのに比べれば画質の低下は小さいのです。
そのようなことで野鳥撮影にはデジタルカメラが向いております。
野鳥撮影に限らず、じっくりと撮影対象と向き合うという意味では、我慢のカメラともいえるフィルムカメラを使うという選択はあります。
対象をじっくり見つめて、その対象のことを考えて、その本質を見抜くような積もりで撮影するのにはフィルムカメラが向いております。
デジカメの場合にはシャッターボタンを押せば撮影が終了ですし、撮影を何枚でもできるので、何も考えずにシャッターボタンを押している、という現象が生じます。
もっとも旅行していたり、山登りをしているときには、風景をあれこれ理屈をつけて考えることなどしていられませんし、そのような野暮はしてはいけません。だから何かを感じたら迷わずにカメラを向けてパチリと撮影するのがよいのです。そのようにしていても旅行中や登山中の写真は思ったほど多くは撮れていないことが多いのです。
フィルムカメラでの撮影の癖といいますが、撮影枚数を抑えるという意識が染みついているいるから、そのようになるのかも知れません。
写真を撮るということは、フィルムに映像を記録することだと、脳が規定しているところがあります。フィルムということを再度述べて、デジカメの画像素子と記録媒体のことではないことを確認しておきます。
ビデオカメラの前には8ミリ映写機がありました。ムービーということでスチールでない写真でも、旅行中や登山中のすべてを記録するということは普通の場合にはしません。
要所を記録する撮影になり、1回の旅行で36枚のフィルムを使っていれば上等な部類です。
選んで撮った、考えて撮った、意味を付けて撮った、というのがフィルムカメラでの普通の撮影です。
フィルムカメラによる野鳥撮影をする場合には普通の人は撮影枚数を制限して取り組むのです。余程のことや業務用の撮影であれば別ですが。
そのようなことを考えながら、私はフィルムカメラ用の焦点距離300ミリメートルの望遠レンズをキャノン用とミノルタ用の2本を調達したのでした。これは自動焦点用のカメラに付けるのではなくて、手動による焦点あわせをするカメラに付けて使うたために用意したレンズです。
このレンズにテレコンバーターという焦点距離を1.4倍や2倍に増やすレンズを付ければある程度は用が足ります。
よし、このようなことで撮影するぞ、と意気込んだ後でよく考えたら、私はデジタルカメラ用の長焦点レンズは保有していたのでした。
長い休暇があって家にいて野原のことと野鳥のことと、その撮影のことを考えたら、妄想が広がったのでした。
野に出たらじっくりと撮影対象に向き合うという行動を私はしません。
三脚など使いません。車には念のために載せてありますが外に出したことはありません。
霧ヶ峰高原で大きな目玉をしたレンズを三脚に据えて、カチャカチャと野鳥を連射撮影している人の姿をあるいは羨ましく思っていたのかも知れません。心に沈殿した思いが、野鳥撮影用のレンズのことへ向かったのでしょう。人の心の奥底にある物事はいろいろと作用するものです。
野鳥撮影に気張った心はいりません。
持っているレンズ写せるところに野鳥がいるときだけ、シャッターを切ればよいのです。
野鳥を撮影しても私はその写真を売ってお金を稼ぐことはできません。売れるわけなどないからです。
野鳥がいればそれを眺めて楽しい気持ちになることで十分です。それを楽しみにすればよいのです。
そのついでに余裕があれば1枚お願いしますと写真を写すことができればいいのです。
山野にいると気持ちがよい、と感じる。
旅行をすると楽しい。
野鳥を見ると嬉しくなる。
そのような場面で写真を撮るだけのことです。
嬉しいこと、楽しいこと、気持ちがよいことと、カメラと写真を連想させたときに、夢を見たのでした。
(文章の綴りや文法そして表現など十分でないところがありますので、ご容赦ください。)
(写真と文章 甲斐鐵太郎)
旅行家 甲斐鐵太郎の自然博物誌 №26
(タイトル)
白い天空の世界、霧ヶ峰高原の八島湿原で朝日が昇るのを眺める。
(サブタイトル)
北アルプスの常念岳、槍ヶ岳、穂高岳、乗鞍岳が白い雪原の上にちょ
こんと顔をだしておりました。
(文章と写真は 旅行家 甲斐鐵太郎 3月9日撮影。)
旅行家 甲斐鐵太郎の自然博物誌 №25
(タイトル)
絵を描くつもりでフィルムカメラを使う、という方法で写真を楽しもうと思います。
(サブタイトル)
撮影フィルムからの印画には特別の雰囲気を感じる。
(文章と写真は 旅行家 甲斐鐵太郎 6月30日撮影。)
旅行家 甲斐鐵太郎の自然博物誌 №24
(タイトル)
霧ヶ峰高原で野鳥を撮影している人を羨ましく思っておりました。
(サブタイトル)
旅行と山野と野鳥とカメラと写真。
(文章と写真は 旅行家 甲斐鐵太郎 6月15日撮影。)
旅行家 甲斐鐵太郎の自然博物誌 №23
(タイトル)
日曜日の夕暮れは富士山のサンセットショーの見物でした。
(サブタイトル)
夕日の光線が横から差していて、富士山にその筋がでて太陽の位置を示します。
(文章と写真は 旅行家 甲斐鐵太郎 1月27日撮影。)
旅行家 甲斐鐵太郎の自然博物誌 №22
(タイトル)
雪景色の霧ヶ峰高原と車山高原の白い世界に身を置く。
(サブタイトル)
霧ヶ峰高原と車山高原に魅了されていて、機会をつくってここに足を運んでおります。
(文章と写真は 旅行家 甲斐鐵太郎 1月12日撮影。)
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