旅行家 甲斐鐵太郎の自然博物誌 18
霧ヶ峰高原の最高峰、車山山頂と気象レーダードーム

(サブタイトル)
1月4日に雪の車山にも登った。

文章と写真 甲斐鐵太郎(旅行家)1月4日に撮影) 
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写真(下)は、車山山頂の気象レーダードーム。
 
 
写真(下)は、雪の霧ヶ峰高原道路。
 
(タイトル)

自然博物誌 18 霧ヶ峰高原の最高峰、車山山頂と気象レーダードーム (文章と写真は旅行家 甲斐鐵太郎)


(サブタイトル)
車山の気象観測レーダードームは富士山頂の気象観測レーダードームと同じようにいずれは撤去されることになる。
 
(本文)

 霧ヶ峰高原(あるいは車山高原ともいう)の最高峰、車山の気象レーダードームは、この高原を象徴するようになった。その昔には車山には当然のことながらこのドームはなかった。諏訪市生まれの画家、原田泰治氏の車山の絵にはドームの姿はない。

 人工物が時代を現すのはいいことか悪いことか。デジカメを腕を伸ばして構えている人が写っている写真は時代を証明する。ある時代と次の時代を区別している。車山の気象観測レーダードームは富士山頂の気象観測レーダードームと同じようにいずれは撤去されることになる。そのときに原田泰治氏の車山の絵の状態に戻るのである。

 冬でも手軽に山に登って雪景色を楽しみたいという希望を満たしてくれる車山(標高1925m)。

 霧ヶ峰高原と区別して車山高原と呼ばれているが、連続する高原であり、名前を分けたのは地域同士の縄張り意識の表れようにも思える。2011年1月3日にこの地を訪れて、4日に雪の高原道路を散策し、そのついでに車山にも登った。

 繰り返しになるが山の人工物は時代を物語る。車山山頂のドームは、気象庁所管の気象レーダー観測施設で、1999年(平成11年)11月1日に運用が開始された。車山を題材にした絵画や写真を見ると、ドームが写っているかどうかで時代が区分できる。

 このレーダーは、「レドーム」と呼ばれるドームのなかに設置されていて、直径4mのパラボラアンテナが1分間に4回転しながら1秒間に260回、パルス状の電波を発射し、雨や雪により反射され、戻ってきた電波(エコー)を受信するという動作を繰り返す。無人による自動運転であり、月1回の点検時以外は止まることなく、1年中観測を続けている。観測所の施設公開は1年に1度行われている。(写真と文章 甲斐鐵太郎)




(写真と文章は旅行家 甲斐鐵太郎) (書き殴って読み返しておりません。誤字、表現の不適切さなどについてはご容赦を)

旅行家 甲斐鐵太郎の自然博物誌 26
(タイトル)
白い天空の世界、霧ヶ峰高原の八島湿原で朝日が昇るのを眺める。
(サブタイトル)
北アルプスの常念岳、槍ヶ岳、穂高岳、乗鞍岳が白い雪原の上にちょ
こんと顔をだしておりました。

(文章と写真は 旅行家 甲斐鐵太郎 3月9日撮影。)




旅行家 甲斐鐵太郎の自然博物誌 25
(タイトル)
絵を描くつもりでフィルムカメラを使う、という方法で写真を楽しもうと思います。
(サブタイトル)
撮影フィルムからの印画には特別の雰囲気を感じる。

(文章と写真は 旅行家 甲斐鐵太郎 6月30日撮影。)




旅行家 甲斐鐵太郎の自然博物誌 24
(タイトル)
霧ヶ峰高原で野鳥を撮影している人を羨ましく思っておりました。
(サブタイトル)
旅行と山野と野鳥とカメラと写真。

(文章と写真は 旅行家 甲斐鐵太郎 6月15日撮影。)




旅行家 甲斐鐵太郎の自然博物誌 23
(タイトル)
日曜日の夕暮れは富士山のサンセットショーの見物でした。
(サブタイトル)
夕日の光線が横から差していて、富士山にその筋がでて太陽の位置を示します。

(文章と写真は 旅行家 甲斐鐵太郎 1月27日撮影。)




旅行家 甲斐鐵太郎の自然博物誌 22
(タイトル)
雪景色の霧ヶ峰高原と車山高原の白い世界に身を置く。
(サブタイトル)
霧ヶ峰高原と車山高原に魅了されていて、機会をつくってここに足を運んでおります。

(文章と写真は 旅行家 甲斐鐵太郎 1月12日撮影。)

 
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