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├計量計測データバンク ニュースの窓-451-モスクワの粛清とコミンテルンの影――加藤哲郎の実証研究にみる日本共産党・国崎定洞・山本懸蔵の悲劇と、コミンテルン指導下の党活動の歴史的検証
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モスクワの粛清とコミンテルンの影
――加藤哲郎の実証研究にみる日本共産党・国崎定洞・山本懸蔵の悲劇と、コミンテルン指導下の党活動の歴史的検証
2026年9月21日 執筆 夏森龍之介
要旨
本稿は、政治学者・加藤哲郎の一連の研究、とりわけ『モスクワで粛清された日本人――30年代日本共産党と国崎定洞・山本懸蔵の悲劇』(青木書店、1994年)を手がかりに、戦前日本共産党とコミンテルン(共産主義インターナショナル)との関係を再検討するものである。加藤の実証研究が明らかにした国崎定洞・山本懸蔵の粛清の経緯を軸に、コミンテルンの組織原則と路線指導が日本共産党の党活動にもたらした構造的な問題――天皇制打倒方針をめぐる評価の分岐、スパイ査問(リンチ致死)事件、戦後の武装闘争路線、野坂参三の密告問題の長期隠蔽――を今日的視座から検証し、一国の社会運動が国際組織の指導を受けることの功罪について歴史的教訓を導き出すことを試みる。
一 はじめに――問題の所在
日本共産党は1922年の結成直後からコミンテルンの「日本支部」として位置づけられ、以後1943年のコミンテルン解散に至るまで、その綱領・戦術の根幹を国際組織からの指導のもとに形成してきた。この関係は、一方では国際的な連帯と理論的枠組みを日本の運動にもたらしたが、他方ではスターリン体制下のソ連の内政・外交上の都合や、大粛清期の疑心暗鬼の政治文化を、そのまま日本人共産主義者の共同体に持ち込む結果ともなった。
この二面性を、抽象的な党史叙述としてではなく、旧ソ連秘密文書の公開後に得られた一次資料に基づいて実証的に描き出したのが、政治学者・加藤哲郎(1947年生、一橋大学名誉教授)の仕事である。本稿では、加藤の主著の一つである『モスクワで粛清された日本人』を中心に据えつつ、日本共産党とコミンテルンの関係史を概観し、コミンテルンの指導に起因すると考えられる党活動上の「誤り」を、今日の視点から批判的に検証する。
なお、本稿で参照する事実関係の多くは、加藤自身の著作に加え、公開情報源(Wikipedia等)、国立国会図書館サーチ、CiNii等の書誌情報、および先行研究(和田春樹らによる密告関係の研究)に基づく。学術的な厳密性を期すためには、加藤の原著および一次史料への直接的な参照が不可欠であり、本稿はあくまでその見取り図を提供するものである。
二 加藤哲郎の研究とその位置づけ
2.1 略歴と主要業績
加藤哲郎は1947年岩手県盛岡市生まれ。1970年東京大学法学部卒業後、大月書店勤務を経て名古屋大学法学部助手、1980年に一橋大学社会学部専任講師となり、以後同大学で教授を務め、2010年に定年退職、名誉教授となった。専門は政治学・比較政治学・現代史であり、研究領域は国際共産主義運動史(コミンテルン史)、ゾルゲ事件、旧731部隊史、象徴天皇制の起源、原子力政策史など多岐にわたる。
主要著書には、『社会衛生学から革命へ――国崎定洞の手紙と論文』(共編、勁草書房、1977年)、『コミンテルンの世界像――世界政党の政治学的研究』(青木書店、1991年)、そして本稿の中心的対象である『モスクワで粛清された日本人』(青木書店、1994年)がある。その後も『20世紀を超えて――再審される社会主義』(花伝社、2001年)、『日本の社会主義――原爆反対・原発推進の論理』(岩波現代全書、2013年)、『ゾルゲ事件――覆された神話』(平凡社新書、2014年)など、社会主義運動史・情報戦史を横断する研究を継続的に発表している。
これらの仕事に一貫しているのは、旧ソ連崩壊後に公開された秘密文書――コミンテルン文書館、NKVD関係文書など――を用いて、従来「英雄的犠牲者」「弾圧の犠牲者」として単純化されがちであった日本人共産主義者たちの実像を、密告・査問・粛清という「人間劇」の複雑さとともに描き直す姿勢である。
2.2 『モスクワで粛清された日本人』の方法と意義
本書は、対照的な経歴を持つ二人の人物――東京帝国大学医学部出身の社会衛生学者・国崎定洞と、労働運動出身の党活動家・山本懸蔵――を軸に、1930年代のスターリン体制下のモスクワで、在留日本人共産主義者の間に生じた相互監視・密告・粛清の実態を跡づけた労作である。
本書の学問的意義は、党史を「弾圧する権力(日本の官憲)対抵抗する党」という単純な二項対立で語るのではなく、コミンテルン内部、すなわち「味方」であるはずの国際組織の内側で進行した粛清のメカニズムに焦点を当てた点にある。これにより、日本共産党史の理解に、ソ連の国内政治(大粛清)という新たな座標軸が導入されることになった。
三 国崎定洞・山本懸蔵の悲劇――実証研究が明らかにしたこと
3.1 国崎定洞
国崎定洞(1894–1937)は東京帝国大学医学部を卒業した社会衛生学者で、東大医学部助教授を務めた後、1926年に文部省派遣でドイツに留学。1928年にドイツ共産党に入党し、翌1929年にはベルリンで「ドイツ共産党日本語部」を組織してその責任者となった。同年、東大を依願免官している。
1932年、片山潜の勧めによりソ連へ移住し、東方勤労者共産大学大学院で学んだ後、外国労働者出版所日本語部門に勤務した。しかし、モスクワ在住の山本懸蔵から「日本のスパイと結びついている」との密告を受け、役職を解かれてNKVDの監視下に置かれる。1937年8月に「日本のスパイ」容疑で逮捕され、同年12月10日に銃殺刑に処された。1959年、スターリン批判後のソ連当局により名誉回復がなされている。
3.2 山本懸蔵
山本懸蔵(1895–1939)は茨城県出身の労働運動家で、1922年の第一次共産党結成に参加した後、ソ連に渡り赤色労働組合インターナショナル(プロフィンテルン)の大会に参加した。三・一五事件(1928年)後、再びソ連に渡ってモスクワで日本共産党代表を務め、1932年テーゼの策定にも片山潜・野坂参三とともに関与した。
その山本自身が、国崎定洞をはじめとする複数の在モスクワ日本人(勝野金政、根本辰、伊藤政之助ら)を「スパイ」として密告・告発する側に回っていたことが、加藤の実証研究によって明らかにされている。だが、密告する側であった山本もまた、1937年11月に「大日本帝国陸軍のスパイ」の容疑でNKVDに逮捕され、1939年3月10日に銃殺刑に処された。1992年のソ連機密文書公開により、この逮捕が野坂参三の密告に基づくものであったことが判明している。
3.3 野坂参三問題との関連
山本を密告したとされる野坂参三は、戦後長らく日本共産党の重鎮(名誉議長)として活動を続けたが、ソ連崩壊後の公文書公開によって密告の事実が明るみに出た結果、1992年9月に名誉議長を解任され、同年12月に除名処分を受けた。密告する者とされる者との立場が幾重にも反転するこの構造――国崎を密告した山本が、後に野坂によって密告される――は、コミンテルンという組織の内部に、疑心暗鬼と自己保身が制度化されていたことを象徴的に示している。なお、山本自身もほぼ同時期に野坂を告発する準備を進めていたとする調査(和田春樹ら)もあり、密告の応酬という構図自体は、なお検証が続く論点である。
四 日本共産党とコミンテルンの関係史
4.1 創立とコミンテルン日本支部化
日本共産党は1922年7月15日に結成され、同年末のコミンテルン第4回大会において、その日本支部として正式に承認された。これにより日本共産党は、当初から一国の自律的な政党としてではなく、「世界共産党」を志向するコミンテルンの統一組織原則――各国支部が国際執行委員会の指導・決定に従うという、いわば国際版の民主集中制――に組み込まれた存在として出発した。
4.2 27年テーゼ・32年テーゼ
1927年、ブハーリン主導のもとで採択された「27年テーゼ」は、日本を「半封建的」な国家と規定し、君主制(天皇制)の廃止を提起した。続いて1932年5月に決定され、同年7月2日付の党機関紙「赤旗」特別号で発表された「32年テーゼ」は、戦前日本の支配体制を「絶対主義的天皇制・地主的土地所有・独占資本主義」の三者の結合と規定し、当面の革命をブルジョア民主主義革命(社会主義革命への急速な転化の可能性を含む)とする二段階革命論を採用した。天皇制打倒、寄生地主制廃止、七時間労働制などが当面の主要任務として掲げられた。
32年テーゼは、戦前には野呂栄太郎らの「講座派」に支持され、「労農派」との間で日本資本主義論争(講座派・労農派論争)という、日本のマルクス主義史上重要な理論闘争を生んだ。戦後も徳田球一・志賀義雄ら「所感派」がその発想を継承したとされ、1947年の二・一ゼネスト中止をめぐる方針などとあわせて、吉本隆明ら新左翼論者からの批判の対象ともなった。
4.3 コミンテルンの組織原則と「一支部」統制
コミンテルンは、加盟各党を単なる連合体の構成員としてではなく、単一の「世界党」の各国支部として厳格に統制する組織原則を採っていた。この原則のもとでは、各国の具体的な社会条件よりも、モスクワにおける国際情勢判断とソ連の国益(あるいは指導部内の権力闘争)が優先される傾向があり、日本共産党の路線もまた、しばしば日本国内の実情から遊離した形で決定・修正された。
4.4 コミンテルン解散とその後
コミンテルンは、独ソ戦下での対英米協調を背景に、1943年5月5日に解散した。これにより日本共産党への直接の組織的指導は形式上終了したが、戦後も「民族的民主革命」路線や統一戦線志向、あるいは「モスクワの一支部」であったという歴史的刻印は、長く党の自己規定と外部からの評価の双方に影響を与え続けた。
五 コミンテルンに影響された党活動の「誤り」の検証
5.1 天皇制打倒方針と弾圧の招来
27年テーゼ・32年テーゼによる天皇制打倒方針は、今日の視点からは、絶対主義的天皇制を近代日本の支配構造の要として的確に把握した先駆的分析であったという評価がある一方で、当時の治安維持法体制下において、党が壊滅的な弾圧(特高警察による大量検挙・拷問・転向強要)を招く直接の要因となったことも事実である。国際組織が定めた「正しい」路線が、実行主体である一国の党の存続可能性を十分に考慮していたかという点については、今日なお評価が分かれる。
5.2 スパイ査問(リンチ致死)事件――モスクワ型粛清の国内移植
1933年12月に発生したスパイ査問事件(リンチ致死事件)は、宮本顕治・袴田里見らが党中央委員の大泉兼蔵・小畑達夫をスパイ容疑で査問し、小畑が査問中に外傷性ショックで死亡した事件である。この事件は、モスクワにおける国崎定洞・山本懸蔵らへの「スパイ」容疑による査問・粛清と、時期的にも論理構造的にも著しい類似性を持つ。すなわち、外部権力(特高警察やゲシュタポ)への恐怖と、組織内部における「裏切り者」摘発の論理とが結びつき、疑わしきは罰するという査問文化を生み出した点で、両者は同根の現象と見ることができる。この構造的類似性を指摘しうることこそ、加藤の実証研究がコミンテルン史研究と日本共産党史研究とを架橋する意義の一つである。
5.3 戦後の武装闘争路線と「極左冒険主義」
1950年代前半、朝鮮戦争を背景としたコミンフォルムによる日本共産党の平和革命路線批判を受け、日本共産党は山村工作隊・中核自衛隊などによる武装闘争路線に転じた。この路線は国民からの支持を大きく失う結果を招き、1955年の第六回全国協議会(六全協)において「極左冒険主義」として公式に自己批判されるに至った。これは、外部(コミンテルンの後継的機関であるコミンフォルム)の指導に安易に追随したことが、党の組織的・政治的基盤を著しく損なった典型例である。
5.4 野坂参三密告問題の戦後長期隠蔽
野坂参三による山本懸蔵らの密告は、1939年の出来事でありながら、日本共産党によって戦後半世紀近くにわたって隠蔽され、1992年のソ連公文書公開によって初めて明らかになった。この長期にわたる隠蔽は、単に一個人の過去の行為の問題にとどまらず、政党が自らの歴史とどう向き合うか、すなわち組織としての自己検証能力そのものが問われる事例である。コミンテルンという「外部」の粛清の記憶を、党自身がどこまで内在化し、批判的に総括してきたかという点で、この問題は今日においてもなお重い問いを投げかけている。
六 今日から見た歴史的検証――何が教訓として残るか
6.1 「世界革命」信仰と一国的現実の乖離
コミンテルンの歴史が示すのは、国際的な理論的枠組みや連帯の意義を認めつつも、それが一国の具体的な社会条件を軽視した画一的な指導原理と結びつくとき、深刻な弊害を生むという教訓である。今日、国際的な運動や組織のガバナンスを論じる際にも、中央集権的な統制と現場の自律性のバランスという、同型の問題が繰り返し現れる。
6.2 密告・査問文化の構造的類似性
モスクワでの粛清と国内でのリンチ致死事件との構造的な相似は、閉鎖的な組織における「敵か味方か」の二分法的思考が、いかに容易に暴力へと転化しうるかを示している。これは特定の政党史上の逸話にとどまらず、あらゆる閉鎖的組織のガバナンスを考える上での一般的教訓として読み直すことができる。
6.3 歴史の隠蔽と政党の自己変革能力
野坂参三問題に象徴されるように、都合の悪い歴史的事実を長期間隠蔽することは、短期的には組織の権威を守るように見えても、長期的には組織の自己変革能力と社会的信頼を損なう。加藤らの実証研究のような、一次資料に基づく批判的な党史の再検証作業は、当事者にとって不都合であっても、組織が過去と誠実に向き合うための不可欠な営みであるといえる。
七 結論
加藤哲郎の『モスクワで粛清された日本人』を中心とする一連の実証研究は、日本共産党とコミンテルンとの関係を、単なる「指導と被指導」という制度的関係としてではなく、密告と粛清という具体的な人間ドラマのレベルにまで掘り下げて描き出した点で、大きな学術的意義を持つ。そこから浮かび上がるのは、国際組織による画一的な路線指導が、天皇制打倒方針をめぐる評価の分岐、国内でのスパイ査問事件、戦後の武装闘争路線、そして密告問題の長期隠蔽といった、一連の党活動上の「誤り」と密接に結びついていたという歴史的事実である。
今日の視点からこれらを再検証する意義は、特定の政党や運動を断罪することにあるのではなく、閉鎖的な組織における中央集権的統制、密告・査問文化、そして不都合な過去の隠蔽が、いかにして組織そのものを蝕んでいくかという、より普遍的な教訓を導き出すことにある。加藤の実証研究は、その意味で、単なる党史研究の枠を超えた、組織論・政治文化論としての現代的射程を持つものと評価できよう。
注記および参考文献
加藤哲郎『モスクワで粛清された日本人――30年代共産党と国崎定洞・山本懸蔵の悲劇』青木書店、1994年。
加藤哲郎『コミンテルンの世界像――世界政党の政治学的研究』青木書店、1991年。
加藤哲郎・川上武・松井巻之助編『社会衛生学から革命へ――国崎定洞の手紙と論文』勁草書房、1977年。
加藤哲郎『20世紀を超えて――再審される社会主義』花伝社、2001年。
加藤哲郎『日本の社会主義――原爆反対・原発推進の論理』岩波現代全書、2013年。
加藤哲郎『ゾルゲ事件――覆された神話』平凡社新書、2014年。
Wikipedia日本語版「加藤哲郎(政治学者)」「国崎定洞」「山本懸蔵」「野坂参三」「32年テーゼ」「日本共産党スパイ査問事件」の各項目。
日本共産党公式サイト「コミンテルンとの関係」に関するFAQ(しんぶん赤旗掲載)。
researchmap、みすず書房・花伝社等の著者紹介ページ、国立国会図書館サーチ、CiNii、KAKEN(科学研究費助成事業データベース)の各書誌・研究課題情報。
※本稿は上記の公開情報源に基づく調査と考察をまとめた論考であり、加藤哲郎氏本人の見解を代弁するものではない。また、事件の細部(密告の応酬関係、スパイ容疑の真偽など)については研究者間でなお見解の相違があり、より厳密な学術的検証のためには、加藤氏の原著および関連する一次史料への直接の参照が必要であることを付記する。
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