紀州犬物語(125)「沈着怜悧にして大人しくあって猪猟では勇猛果敢」な紀州犬。(横田俊英)
(タイトル)
「沈着怜悧にして大人しくあって猪猟では勇猛果敢」な紀州犬。
和歌山県日高郡旧美山村村長の有色紀州犬復活のための取り組み。
(サブタイトル)
「姿芸両全」(しげいりょうぜん)の紀州犬を育てるために狩猟を始める。このときに鉄砲を持つようになった。狩猟に出かけるのは犬を鍛錬するためである。
第125章 「沈着怜悧にして大人しくあって猪猟では勇猛果敢」な紀州犬。 執筆 横田俊英
(タイトル)
「沈着怜悧にして大人しくあって猪猟では勇猛果敢」な紀州犬
(本文)
「紀州犬の特色は沈着怜悧。普段は非常におとなしいが、猪猟につれていくと勇猛果敢、絶対に後ろに引かない烈しい性質を持っている」と述べるのは和歌山県日高郡旧美山村長であった池本功氏だ。
当時の美山村(みやまむら)の人口は2,165人。和歌山県のほぼ中央の山間部に位置する。村のほとんどが山地であり、林業や備長炭の生産が行われている。少ない耕地が日高川本流および各支流に点在する。美山村は2005年5月1日に川辺町、中津村と合併して、日高川町となった。
池本功氏は平成15年から三十数年前に、中津村の井原由蔵氏に「これは血統の良い犬だ。この犬を基礎として、紀州犬の原産地として血統を守ってくれ」と一頭のメス犬を託される。
井原氏は日本犬保存会審査員、紀州犬保存会の審査部長として活躍した。紀州犬の「作出」でも全国に名を知られた人だ。池本氏はこの言葉を受けとめて「より良い紀州犬を育てようと決心する」。
「姿芸両全」(しげいりょうぜん)の紀州犬を育てるのに必要と狩猟を始める。狩猟に出かけるために鉄砲を持つようになった。猟は犬を鍛錬するためだ。
井原氏に託されたのがメス犬の「雪姫号」(ゆきひめごう)だ。「紀伊号」(きいごう)というオス犬を交配して誕生したのが白毛のオス犬「大力号」(だいりきごう・紀州美山荘)である。池本氏は「寒の一つ子」(かんのひとつご)であったこの犬を大事に育てた。
「大力号」にまつわる伝説は多い。次がその中の一つだ。
生後8カ月になった大力号は運動中に飼い主の制止を振り切って山の中に駆け込んだ。イノシシの臭いに大力号の本能が炸裂した。そうした能力が動き始めるころだった。
日本犬がイノシシを追うときの闘争心はすさまじい。西郷隆盛が伊豆でイノシシ狩りをしたときに連れて行った薩摩犬は腹を割かれて腸が飛び出す。走るのに邪魔になる飛び出た腸を食いちぎってこの犬はイノシシを追った。直木賞作家の戸川幸夫氏が小説に取り上げている。
自己の命を初めから考慮しない紀州犬の行動が大力号に出現した。もののふ(士)の命を知らない精神が紀州犬にはある。紀州犬は「沈着怜悧。普段は非常におとなしいが、猪猟につれていくと勇猛果敢、絶対に後ろに引かない烈しい性質を持つ」と池本功氏は述べる。
沈着(ちんちゃく)とは、「落ち着いていて物事に動じないこと、またそのさま」の意。怜悧(れいり)とは、「賢いこと。利口なこと。また、そのさま」の意。「おとなしい」は大人しい、とも書く。そして温和(おとな)しい、とも書く。
すべての紀州犬がイノシシを追うのではない。井原由蔵氏が述べたに「これは血統の良い犬だ。この犬を基礎として、紀州犬の原産地として血統を守ってくれ」という言葉にあるように、その本能は血筋の確かな紀州犬には宿っており、訓練によって狩猟の能力は開発される。池本氏は紀州犬の猟の訓練のために鉄砲を持ちイノシシを追って山に入る。
本能に任せてイノシシに突撃する犬は反撃の牙に倒される。生後8カ月の大力号がそうであった。イノシシを追う訓練を積んだ犬はイノシシに噛みついては離れ、吠えてイノシシを留めては主人が駆けつけるのを待つ。これを吠え留めという。犬の牙でイノシシを倒すこともできないことではないが、犬の側の損耗が大きくなる。犬の性質によっては咬みに行くのや、吠えて咬みつかないのやらがいる。周りの先輩犬の行動は若い犬に影響し、これが訓練になる。どのような追い方をさせるかは考え方にもよる。
大力号はイノシシに突撃して牙で腹を割かれる。池本氏は帰って大力号の治療をしたい。大力号は本能のままにイノシシを追い掛けて山の奥深く駈け入ったままだ。
戻ってきた大力号は縁の下に潜り込んだ。大力号はそのまま1週間を過ごして傷を治してしまった。体力の消耗を極力防ぐことによって自然治癒力の働きを最大にして傷を治したのだ。池本氏は「原始の犬と言われる紀州犬のたくましさに驚いた」。
大力号はその後、日本犬保存会の本部展覧会において、最高の内閣総理大臣賞を受賞(昭和49年11月23日、第61回本部展)する。そして多くの優秀な子孫を残す。
紀州犬は白毛という印象が強い。紀州犬の9割以上が白毛になっていることによる。池本氏は有色紀州犬に優秀なのが多くいたことから、(平成15年時点から)十数年前に「昔のような獣猟にも展覧会にもいく紀州犬の復活」に取り組む。
先祖に有色の血を引く池本氏の飼い犬の白毛の紀州犬のメス犬を基礎にして繁殖を始める。最初は白色、有色、斑(はん)の子犬が生まれた。何代かの交配を重ね平成15年には有色犬の出産に変わった。赤、赤胡麻、黒胡麻、ぬた毛などの毛色であり、池本氏の犬は昔の紀州犬の毛色であると評価される。
池本氏は「今後、私だけでなく、紀州犬愛好家の方々に有色の血統と毛並みを守り、今少し有色紀州犬を見直していただきたいと願うところである」と述べる。そして「白色、有色を問わず、生きた文化遺産の天然記念物紀州犬の正しい血統の保存に向けて、なお一層の心配りを念じながら、山村生活に生きがいを求めている」。
「一部猟師に使用されている有色紀州犬以外は白毛の展覧会オンリーの風潮に影響されて、白一辺倒になっている。さらに、喧騒(けんそう)な点も気にかかる。昔は有色の紀州犬がたくさんいた。むしろ、有色紀州犬に優秀な犬が多くいた」ことが池本氏をして有色紀州犬の「作出」に取り組ませた。
「作出」とは「新しい品種を作り出すこと」などの意味があるが、犬の世界では単純には繁殖の意味であり、日本犬の世界では望ましい状態を求めた保存することの意味が加わる。解釈は単純ではないから、大まかな意味として理解しておきたい。
以上は、池本功氏の「原産地紀州犬とともに」と題して全国町村会の会報に掲載した町村長随想を題材にして、本稿の紀州犬物語にした。
紀州犬のことを一言でどのように表現するか。池本功氏の言葉は経験が裏打ちする。
すなわち
「紀州犬の特色は沈着怜悧。普段は非常におとなしいが、猪猟につれていくと勇猛果敢、絶対に後ろに引かない烈しい性質を持っている」
(誤字、脱字、変換ミスなどを含めて表現に不十分なことがある場合はご判読ください。)
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