紀州犬物語(83) 紀州犬 ウメの出産と育児(その1)。 執筆 横田俊英。
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紀州犬物語(83) 紀州犬 ウメの出産と育児(その1)。 執筆 横田俊英。

(タイトル)
紀州犬 ウメの出産と育児(その1)
(犬の交尾とメス犬の妊娠のこと(紀州犬の妊娠とその事情))

第83章 紀州犬物語。紀州犬 ウメの出産と育児(その1)。 執筆 横田俊英

 
 

紀州犬物語(83) 紀州犬 ウメの出産と育児(その1)。 執筆 横田俊英。

(タイトル)
紀州犬 ウメの出産と育児。(その1)

(犬の交尾とメス犬の妊娠のこと(紀州犬の妊娠とその事情))

第83章 紀州犬物語。紀州犬 ウメの出産と育児(その1)。 執筆 横田俊英


 
 
 

紀州犬の子犬たちの体重の変化。
(生後34日の紀州犬の子犬とその母親のようす。)
【写真】
○下は生後34日の子犬たち。すでに乾燥ドッグフードをバクバク食べております。
○夕方に母親と一緒になると乳首に吸い付いて乳を吸います。
○子犬は乳首に強烈に吸い付いて、腕で乳房を押して、乳を吸います。
○これが子犬の行動であり、生きるための自然な姿なのですが、母親はやがて嫌がるようになります。
○生後第34日の子犬の体重は次のとおりです。
  オス(その1) 2,520グラム
  メス(その1) 1,960グラム
  メス(その2) 2,190グラム
  メス(その3) 2,030グラム


  第1日
  オス(その1) 362グラム(誕生直後)
  メス(その1) 285グラム(誕生直後)
  メス(その2) 370グラム(誕生直後)
  メス(その3) 322グラム(誕生直後)

  第2日
  オス(その1) 360グラム
  メス(その1) 290グラム
  メス(その2) 345グラム
  メス(その3) 321グラム

  第3日     午前6時   午後6時
  オス(その1) 365グラム  385グラム
  メス(その1) 305グラム  328グラム
  メス(その2) 358グラム  370グラム
  メス(その3) 325グラム  330グラム

  第4日
  オス(その1) 420グラム
  メス(その1) 350グラム
  メス(その2) 415グラム
  メス(その3) 385グラム

  第5日
  オス(その1) 450グラム
  メス(その1) 370グラム
  メス(その2) 450グラム
  メス(その3) 400グラム

  第6日
  オス(その1) 530グラム
  メス(その1) 435グラム
  メス(その2) 495グラム
  メス(その3) 468グラム

  第7日
  オス(その1) 548グラム
  メス(その1) 485グラム
  メス(その2) 525グラム
  メス(その3) 485グラム

  第8日
  オス(その1) 600グラム
  メス(その1) 530グラム
  メス(その2) 580グラム
  メス(その3) 560グラム

  第9日
  オス(その1) 680グラム
  メス(その1) 560グラム
  メス(その2) 640グラム
  メス(その3) 610グラム

  第10日
  オス(その1) 730グラム
  メス(その1) 650グラム
  メス(その2) 730グラム
  メス(その3) 680グラム

  第11日
  オス(その1) 830グラム
  メス(その1) 700グラム
  メス(その2) 750グラム
  メス(その3) 740グラム

  第12日
  オス(その1) 880グラム
  メス(その1) 740グラム
  メス(その2) 840グラム
  メス(その3) 790グラム

  第13日
  オス(その1) 910グラム
  メス(その1) 780グラム
  メス(その2) 860グラム
  メス(その3) 820グラム

  第14日  この日1頭のメスの眼が開きました。
  オス(その1) 1,000グラム
  メス(その1) 860グラム
  メス(その2) 930グラム
  メス(その3) 880グラム

  第15日 眼が開いたのはまだメスの1頭だけです。
  オス(その1) 1,040グラム
  メス(その1) 880グラム
  メス(その2) 980グラム
  メス(その3) 930グラム

  第15日 オスの眼が開きました。メスの1頭はすでに眼が開いております。
  オス(その1) 1,040グラム
  メス(その1) 880グラム
  メス(その2) 980グラム
  メス(その3) 930グラム

  第16日 オスの眼が開きました。メスの1頭はすでに眼が開いております。
  オス(その1) 1,040グラム
  メス(その1) 930グラム
  メス(その2) 1,000グラム
  メス(その3) 950グラム

  第17日 オスの眼が開きました。遅れていたメスの2頭も眼が開きました。
  オス(その1) 1,120グラム
  メス(その1) 970グラム
  メス(その2) 1,080グラム
  メス(その3) 1,020グラム

  第18日
  オス(その1) 1,200グラム
  メス(その1) 1,020グラム
  メス(その2) 1,130グラム
  メス(その3) 1,080グラム

  第19日
  オス(その1) 1,310グラム
  メス(その1) 1,100グラム
  メス(その2) 1,220グラム
  メス(その3) 1,170グラム

  第20日
  オス(その1) 1,300グラム
  メス(その1) 1,130グラム
  メス(その2) 1,230グラム
  メス(その3) 1,180グラム

  第21日
  オス(その1) 1,340グラム
  メス(その1) 1,170グラム
  メス(その2) 1,250グラム
  メス(その3) 1,210グラム

  第22日
  オス(その1) 1,360グラム
  メス(その1) 1,230グラム
  メス(その2) 1,290グラム
  メス(その3) 1,240グラム

  第23日
  オス(その1) 1,430グラム
  メス(その1) 1,260グラム
  メス(その2) 1,300グラム
  メス(その3) 1,290グラム

  第24日 子犬用のドロッとした缶詰の食事を与え始めました。
  オス(その1) 1,520グラム
  メス(その1) 1,320グラム
  メス(その2) 1,390グラム
  メス(その3) 1,370グラム

  第25日      食前     食後
  オス(その1) 1,700グラム 1,750グラム
  メス(その1) 1,410グラム 1,480グラム
  メス(その2) 1,480グラム 1,530グラム
  メス(その3) 1,450グラム 1,500グラム

  第26日
  オス(その1) 1,810グラム
  メス(その1) 1,530グラム
  メス(その2) 1,590グラム
  メス(その3) 1,560グラム

  第27日
  オス(その1) 1,840グラム
  メス(その1) 1,540グラム
  メス(その2) 1,610グラム
  メス(その3) 1,570グラム

  第28日
  オス(その1) 1,900グラム
  メス(その1) 1,650グラム
  メス(その2) 1,750グラム
  メス(その3) 1,700グラム

  第29日
  オス(その1) 2,090グラム
  メス(その1) 1,780グラム
  メス(その2) 1,840グラム
  メス(その3) 1,830グラム

  第30日
  オス(その1) 2,140グラム
  メス(その1) 1,760グラム
  メス(その2) 1,830グラム
  メス(その3) 1,810グラム

  第31日
  オス(その1) 2,290グラム
  メス(その1) 1,820グラム
  メス(その2) 1,960グラム
  メス(その3) 1,920グラム

  第32日
  オス(その1) 2,350グラム
  メス(その1) 1,880グラム
  メス(その2) 1,980グラム
  メス(その3) 1,950グラム

  第33日
  オス(その1) 2,450グラム
  メス(その1) 1,910グラム
  メス(その2) 2,110グラム
  メス(その3) 1,980グラム

  第34日
  オス(その1) 2,520グラム
  メス(その1) 1,960グラム
  メス(その2) 2,190グラム
  メス(その3) 2,030グラム

  第35日
  オス(その1) 2,710グラム
  メス(その1) 2,130グラム
  メス(その2) 2,340グラム
  メス(その3) 2,220グラム

  第36日
  オス(その1) 2,900グラム
  メス(その1) 2,200グラム
  メス(その2) 2,430グラム
  メス(その3) 2,260グラム

  第37日
  オス(その1) 3,020グラム
  メス(その1) 2,260グラム
  メス(その2) 2,540グラム
  メス(その3) 2,350グラム

  第38日
  オス(その1) 3,210グラム
  メス(その1) 2,500グラム
  メス(その2) 2,890グラム
  メス(その3) 2,750グラム

  第39日
  オス(その1) 3,300グラム
  メス(その1) 2,550グラム
  メス(その2) 2,890グラム
  メス(その3) 2,700グラム

  第40日
  オス(その1) 3,440グラム
  メス(その1) 2,620グラム
  メス(その2) 2,890グラム
  メス(その3) 2,640グラム

  第41日
  オス(その1) 3,560グラム
  メス(その1) 2,660グラム
  メス(その2) 2,900グラム
  メス(その3) 2,760グラム


 
 

生後45日前後に子犬を向かい入れるにあたっての心得事項。
(子犬が生後34日になったところでミリべマイシンを投与しました。)


生後34日、子犬は自分で食事を摂りますが、離してある母親と一緒になると乳首に飛び付きます。


 フィラリア予防とその対応薬の口径投与。

 毎月15日はこの家の飼い犬にフィラリア予防薬のミリベマイシンを投与することが、このところの決まりごとになっております。

 子犬たちはこの日に生後34日になっておりましたので回虫駆除を兼ねて、フィラリア予防薬のミリベマイシンを投与しました。

フィラリア予防薬は毎月投与することが決まりごとのようになっております。

 かつては犬の死亡原因はこのフィラリアでありました。

 忠犬ハチ公が死んだので解剖したところフィラリアが原因でおなかに4.5リットルの水がたまっていたといいます。

 フィラリアは巡り巡って回虫のような姿になって、心臓に何十匹と寄生して犬の命を奪うのです。

 犬の体内にある小さな虫のフィラリアは、蚊が犬の地を吸うときに蚊の体内に移って、成長して、またその蚊が犬の血を吸うときに犬の体内に戻って、成長して回虫状の大人の虫になるのです。

 その虫が心臓にたまると犬が死ぬ原因になります。

 高層階に住んでいるから蚊がいない、という人がおりますが、その人の犬は散歩をしているときにブンブント飛んできた蚊の餌食になっているのです。

 フィラリア予防薬のミルベマイシンは、大人になる前の体調ミリメートルかそれ以下のミクロフィラリアを駆除するために投与するのです。ミクロフィラリアを徹底して駆虫することによって、フィラリアが犬の体内で成長し蔓延(まんえん)しないようにしているのです。

 ミクロフィラリアを駆虫するために毎月ミルベマイシンを口径投与するのですが、その薬効が完全であるとは限らないので、蚊のいない季節にも投与して犬の体内にいるこの虫を駆除するという考え方をとります。

 だからミルベマイシンは1年12カ月投与するのです。

 フィラリア予防薬としてミルベマイシンのほかにも幾つかの薬がありますが、私はミルベマイシンの薬効の安定性を信じております。

 そのようなことでフィラリア予防薬のミルベマイシンは毎月決まった日に投与します。

 感染症予防ワクチンの接種のことなど。

 犬の病気予防ということでは、ジステンバーやパルボといった感染症の予防薬を年に一度皮下注射します。

 子犬の場合には生後28日以降に2度か、3度感染症予防薬を接種します。

 私の場合には生後28日ころに2種混合ワクチンを接種し、生後42日ころに8種混合ワクチンを接種して、その次には生後90日ころに追加ということで3度目のワクチンを接種します。3度目は8種混合ワクチンを用いることになります。これが9種だったりすることがありますが、このへんは獣医師の思い入れに従うことになります。

感染症予防ワクチンは2度、あるいは3度接種したからといって、免疫が完全にできているとは限りません。4度接種しても免疫ができない犬もおります。一般的には接種回数が増えると、免疫ができる確度が高まります。

 心配しすぎは身体の毒ですから、3度の接種でよいのだと決めて、後は大らかに犬の様子をみて過ごすことが寛容であると思います。

 ワクチンの接種は毒を身体に入れることですから、恐いことなのです。毒をもって毒を制す、ということなのですから、予防接種をしたらとくに子犬の場合には注意深く様子を観察していなくてはなりません。

 感染症予防ワクチンを早くに済ませて、外に早くに出して、世の中が発する物音やその動きなどを体験させるのが良いと思います。

 このことについては神経質な犬の場合には、その犬に併せて慎重を期さなくてはなりません。

(狂犬病予防のワクチンの接種と役所へ犬の登録。)

感染症予防ということでは、狂犬病予防のワクチンを毎年一度、接種することが飼い主の義務となっております。この義務とは法律によって強制されていることであります。

 動物病院に出向いて狂犬病予防のワクチンを接種したあとで、役所に犬の登録をするのです。犬の登録がそれ自体義務であり、その犬に年一度の狂犬病予防ワクチンを接種することが飼い主の義務であるのです。

 子犬のころの食事は「パピー」(小粒、子犬と母犬用)を与えます。

子犬の食事は小さなころは、ヒルズのサイエンスダイエットの「パピー」(小粒、子犬と母犬用)を与えます。

一日に何度、子犬に餌を与えることができるかによって、回数が決まります。

 普通の家庭の場合には、1日に2度食事を与えることができるでしょうから、規定量を2度に分けて与えます。

 それが3度か、4度与えることができるようであれば、小分けして与えます。

 家をするにしなければならないときには十分な水を犬舎に入れておいて、2日分ほどの餌を器に入れておくことになります。

 それ以上のことができないからそうするのですが、私の場合にはやむを得ない場合にはこのようにします。

 それによって子犬の成長が遅れたり、病気になったり、死んだという事例はありません。

 本には1日に4度とか書いてありますが、そのようなことが絶対であれば今の社会では子犬を育てることができる人はごく少数しかいないことになります。

 大丈夫なんですよ。子犬は1日に2度の食事でも、餌を入れ放しにしてあっても。

 小鳥の場合には餌が切れたり、水が切れたりすると、その命は2日ともちませんが、犬は水を入れてあれば子犬であっても2日は平気で過ごしております。

このように言うことはある種の問題を含むかも知れませんが、子犬のために遠くから飛行機代をかけて無理して家に帰ることはありません。

 子犬を育てるのに注意深くあることはよいことですが、神経質になることはありません。

 生後8カ月ころには日清ペットフーズの「ラン・ミール」などに切り換える。

 子犬が生後6カ月ころまでは、ヒルズのサイエンスダイエットの「パピー」(小粒、子犬と母犬用)を与えます。ほかのメーカーの類似のドッグフードでもよいのです。

 また別の安い値段のドッグフードでは駄目だということはいえませんが、子犬を育てる紀州犬の愛犬家の多くは「パピー」(小粒、子犬と母犬用)を与えております。

「パピー」(小粒、子犬と母犬用)に混ぜものをすることもいたします。

 豚肉などの挽肉(ひきにく)を茹でて汁ごとドッグフードにかけてやるのも良いことです。

 キャベツをみじん切りにして挽肉と一緒に煮て、これをかけてやるのも良いでしょう。

 お米と混ぜて与えても良いのです。

生後6カ月過ぎか、生後8カ月ころになりましたら、日清ペットフーズの「ラン・ミール」など、「パピー」よりも脂肪分ほかの低いドッグフードを混ぜたりして、その後は「ラン・ミール」などを主体にした食事にします。

ここで紹介した事例は一般的なことであり、それが絶対ということではありません。

 この後に良いドッグフードがでてくるかも知れません。

 また「パピー」や「ラン・ミール」が、体質に合わない犬もいると想定されます。そうした場合には色々と試みて、相性を見ていきます。

(子犬などの食事の量など。)

 食事の量は、せいぜい10分(時間のことです)ほど犬の前に出して、それを食べ尽くすかどうか、が目安です。

 その10分で食べきることがないか、あるいは殆ど口をつけない場合もあります。そのときはそのときであり、食べさせるためにあまりムキにならないことです。

 お腹が空けば犬は必ず食事を摂ります。

 食べないからといって食事の内容を変えて、食べさせようとすることは、愚の骨頂といいますか、してはならないことです。

 多くの犬は10分の時間で食べたい量を食べさせようとすると、腹一杯に食べて、お腹がガマ・ガエルのように膨らんでしまいます。

 加減をみて、あんばい良く食事を与えます。

 犬は絶対に鎖につないで飼ってはなりません。

 私のところでは冬でも夏でも、新しい飼い主のところに子犬が渡るころには、戸外で子犬を飼育しております。

 冬場の北海道であっても戸外の寒さに凍え死ぬ、ということはありません。

 三方を板で囲ってある犬舎に入れて飼うことが前提です。

 望ましい犬舎ということでは、子犬を紹介している欄に写真を載せているのがそうです。この犬舎と遊び場とを組み合わせれば非常に好都合です。

 犬は絶対に鎖につないで飼ってはなりません。

 これと組み合わせた戸口の開いた犬小屋などもってのほかです。

 犬を飼って、ある程度のシツケとその取り扱い方の知恵を得るために、藤井聡さんの『しつけの仕方で犬はどんどん賢くなる』(青春出版社刊、税抜き価格1,200円)を是非とも読んでください。

 この本を通じて犬の性質を理解することで、飼い主の犬への対処の基本を理解することができるでしょう。

 私は紀州犬を飼い、仕付けるのに、藤井聡さんの考えがそのままで良いとは思っておりません。

 実際に藤井聡さんのこの本を紹介し、ほかの本を読んで「もらって」も、シツケがまともにできた人を知りません。

 日本人には、まして犬を飼うことに馴れていない人には、藤井聡さんが求めるような、犬のシツケはできないようです。

 子犬との対処の仕方を大まかに書きだしましたが、言い尽くせてはおりません。

 私が「紀州犬物語」に連載している体験談を参考にして、お考えいただくようにお願いいたします。


(読み返しておりません。分別の足りない表現や誤字、脱字、誤変換などがありますことをお断りして、お詫びも申し上げます。)

(同じ項目でありながら、ですます体、である体が混同していることをお断り申しあげます。)


 
 
 

紀州犬の子犬、生後30日からは乾燥ドッグフードを与えております。
(生後30日にこの食事が始まり、31日もつづけて食べて、元気に育っております。)
(子犬が食事をする姿を見ることは飼い主には嬉しいことなのです。)

写真 下は生後31日に撮影。サイエンスダイエットの「パピー」(小粒状の乾燥ドッグフード)を、
元気よく食べます。一つの段階を超えたので、ほっとしております。

写真下は子犬の一頭。どの子かは不明ですが、みなこのような顔をしております。

写真下は産室の様子。左にある壺は蚊取り線香を安全に燃やすための工夫の一つで、植木鉢を
かぶせてあります。安全な線香焚きにいれて、その上に重い鉢をかぶせます。


 紀州犬の子犬は生後30日になると小粒の乾燥ドッグフードを自分で食べることができるようになります。

 練り物にしたドッグフードを与えておりましたが、もう大丈夫だ何となく感じて生後30日から親が食べているサイエンスダイエットの「パピー」(小粒状の乾燥ドッグフード)を食べさせることにして、注意深くこれを与えました。

 気管につまらせると窒息死するからです。

 恐る恐る、そして早くに手間が掛からないような状態にして、食事の面での独り立ちをさせたいからです。

 母親は別の犬舎に移して、子犬に二つに分けた餌入れにサイエンスダイエットの「パピー」(小粒状の乾燥ドッグフード)を入れたのです。

 子犬は直ぐによってきて、この餌をポリポリという音を立てて食べました。

 ポリポリ音を立ててもかみ砕いているのではありません。固い粒をかじるときの音であり、こなれてはおりません。

 この食事を一日に2回ほど与えます。休日に飼い主が家に居るときには4回ほどに分けて与えます。

 子犬が食事をする姿を見ることは飼い主には嬉しいことなのです。

 生後30日にこの食事が始まり、31日もつづけて食べて、元気に育っております。

 食事が喉に詰まったり、とくに気管にはいってこれを詰まらせないようにするためには、小粒のドッグフードをさらに小さくして与えるのもよいかも知れません。

 この4匹の子犬たちは母親が食べている妊娠と子育て中の母親食で子犬食を兼ねるサイエンスダイエットの「パピー」(小粒状の乾燥ドッグフード)を食べております。

 とりあえず食事の間中は飼い主はその様子を見守っております。

 そのような事情ではありますが、敷き藁に落ちている粒を食べることもあるのですから、心配しすぎは身体に毒であるということもできます。

 子犬が自分でサイエンスダイエットの「パピー」(小粒状の乾燥ドッグフード)などを食べるようになりますと、身体の成長はグングンと進みます。

 そのような子犬でも夜になって母親と一緒にすると4匹そろって乳首に吸い付きます。立っている母犬の乳首に吸い付くその姿はローマ帝国の創始者が狼に育てられたという言い伝えを元にした彫像とそっくりであると思いました。

 10月の中旬になっても摂氏30度を超える気温に対処するために犬舎に向けて扇風機を回しており、蚊取り線香を安全な線香焚きにいれ、その上に重い植木鉢を逆さまにしてかぶせて対処しております。香取線香は植木鉢の水抜きからそぼそぼと煙をだします。


(読み返しておりません。分別の足りない表現や誤字、脱字、誤変換などがありますことをお断りして、お詫びも申し上げます。)

(同じ項目でありながら、ですます体、である体が混同していることをお断り申しあげます。)




生後28日に感染症予防ワクチンを接種しました。
(生後42日前後に2度目の接種をします。その後は生後3カ月ころにもう一度接種します。)(生後8カ月未満の紀州犬の食事と運動の在り方など。)です



写真は生後28日にジステンパーとパルボ対応2種混合ワクチンを接種したあとの子犬たち。



 生後28日になったので、感染症予防ワクチンを接種しました。

 2種混合ワクチンで、ジステンパーとパルボ対応です。

 このころに接種できるのはこの2種混合ワクチンです。

 このあと生後42日前後に2度目の接種をします。8週混合ワクチンです。その後は生後3カ月ころにもう一度接種します。これも8種混合ワクチンです。

 感染症予防ワクチンの接種はそれ自体が恐いことです。異常な生体反応があるためです。ハラハラしながらの接種となります。

 幸いにして子犬は元気に過ごしております。

 やれやれということです。

 感染症予防ワクチンを接種したその日は非常に心配です。

 遊んでいる子犬のその横で1匹が仰向けになっていると、死んだのではないと揺すって生きていることを確かめるのです。

 揺すられた子犬は両手足を上に向けてすやすやと眠っていたのに、と迷惑がります。

 感染症予防ワクチンを生後28日に接種して、生後42日前後に2度目を接種するのは、子犬のこの方面への病気の心配があるからですが、できるだけ早めに外に出せるようにするためでもあります。

 獣医師や動物病院は感染症予防ワクチンを接種してこの効力がでるまでは外に出すな、ということを指示します。

 これを生後60日を基点にしてやると3回目の予防接種を終えて免疫ができたとされるのは、早くても生後90日を過ぎてしまいます。

 この関係のことは考え方ですから私がどうのこうのと言ってもどうでもよいことです。しかし私はそのような方法を採りたいのです。

犬が人と暮らして、人も犬も嬉しいし、よい関係でいられるためには、次の事が備わっていると良いと思います。

 健康であること、性格が良いこと、紀州犬であればそれなりにといいますか、如何にも紀州犬らしいこと、そしてもう一つ欲をだすとよい子を産み育てることができること。オス犬であれば、よい子を生ませることができること、ですが、オス犬は選ばれる立場にありますから、普通に飼っているオス犬にその種(たね)を欲しいと要望されることは滅多にありません。

子犬は小さなころは食べるだけ食べさせていればよいのです。

 一度にどかっと食物をだしてやるとそれを食べますが、沢山食べたために次に似たような量を食べることができません。

 大体は一日に食べることができる量がきまっておりますから、それを飼い主の都合で何度かに分けて与えます。どうしても都合がつかないときには一日に一度にします。私は一日に一度ということをやむを得ず、ときどきします。

 悪い風邪をひいて足も腰も立たず、頭も朦朧(もうろう)としているときには、子犬に食事を与えないでしまうこともあります。このときには、すまない、悪いね、ごめんね、とつぶやいております。

 飲み水は器に入れておけばよいのですから、これは何時でも飲めるように子犬の住まいに入れておきます。子犬によってはこの水を器から掻き出して遊ぶのがおります。困ったことですが、このような子犬用にはペロペロなめて飲む給水器などを用意して対応します。

 紀州犬の子犬は生後8ヶ月ころまでは、あるいは生後10カ月ころまでは、体重のことなど考えずに食べたいだけ食べさせても構いません。やりすぎはよくありませんが、このころの月齢の犬に、大人の犬と同じような体型を求めて、食事を制限することはありません。

 食事を少しずつ減らせばやがて体重は落ちます。

 紀州犬の体型といいますか、その肉の付き方は、岩肌に和紙を貼ったような状態という言い方があります。矢鱈にぶよぶよしていてはよくないのです。しかしこの状態を求めるのは生後1年(あるいは8カ月)以上になってからと考えるとよいと思います

紀州犬の子犬は生後8カ月ころに大体は大人の体高に近くなります。

 その後の成長はゆっくりですが、私の飼い犬のオス犬の「ハナキズ」は、生後8カ月から1年経過したら体高が2センチメートル伸びました。同じオス犬の「小五郎」は生後8カ月から11カ月の間に3センチメートルほど伸びました。

 メス犬の「チビ」はやがて三歳になり、これまでに二度子犬を生み育てております。小さな身体だったので「チビ」と呼んでいるのですが、三歳になるころに背丈を測ったところ生後10カ月ころから3センチメートルほど伸びていて、普通の紀州犬のメス犬の体高になりました。

 自分の飼い犬をほかの犬とまともな形で比較できないと、これで良いのかどうか判断がつかなくなります。ある人はとても大きなデブデブの紀州犬と自分の犬を比較して、小さい、細いと思って、食べない食事を食べさせるために特別仕立ての食事を用意しているのでした。ドッグフードにキャベツと豚肉を煮たのをかけてやればそれで十分なのですが、タンパク質の固まりのような犬用の缶詰を与えると、ドッグフードを食べなくなるのです。悪循環といいますか、当たり前の循環がそこには生じます。

平岩米吉氏は戦時中に山形に疎開して、タンパク質などない粗末な食事を摂っているシェパードが体型の変化もなく過ごしている事実から、犬は接種する食物の栄養素が身体を構成する養分と違っていてもよいようだ、と考えたのです。

 人のためにつくられた栄養学は、そのまま犬のための栄養学にはならないのです。像(ゾウ)は草食ですがあれだけの身体をつくります。

 人はその犬がいれば嬉しいと思うのであればそれでいいのです。そして人はその犬を散歩のお伴に連れて歩くことが嬉しいのであればいいのです。

 散歩の時間はその人が取れる時間でよいのです。その時間が5分では犬は排泄をするだけですから、平均すれば1日に1時間ほどは犬を連れての散歩の時間をとりたいと考えます。散歩にでるためにもたもたして、糞を拾うための作業をしていると簡単に30分は過ぎてしまいます。

 散歩の時間は2時間であったり、5分であることがあってもよいのです。

 犬の仕合わせよりも人の仕合わせのことを考えてください。犬は人が仕合わせでないと、仕合わせではいられません。

 ムシャクシャした気分で犬との散歩にでて、その犬の行動が気にくわないといってせっかんをする人がおります。そのようなときには散歩などしなくてよいのです。

 生後1歳半を過ぎて、3歳にもなれば、犬は1日1時間の散歩とほどほどの食事を与えていれば、格好いい姿になります。

 食事の目安は与えれば喜んで直ぐに食べてしまう程度です。

 岩肌に和紙を貼ったような、ということでは大きく呼吸をするとあばら骨が見えるような状態でもあります。

 ある人の犬は岩肌に分厚い脂身を貼りつけたようになっておりました。参考にしてはならない犬を見て、大きくしたい、太らせたい、と思い込んで、食べたがらない食事をもっと食べろと、いうことでやきもきしているのです。犬は食事の量は十分すぎるのでもう要らないといっているのに、飼い主はそれでは足りないからもっと食べろ、もっと食べろと誤った考えで行動していたのです。

 犬を飼ったら気分のよいことだけをして欲しいと思います。

 犬のためなどとは決して思ってはならないのです。自分が気持ちのよいことと、犬を飼うこととが連動し、重なり合っていて欲しいのです。

 犬は食事や運動のことでムキになっても、その分だけよい犬になるとは限りません。

 「犬の仕合わせは飼い主との散歩」そして「散歩させられないなら犬を殺してしまえ」(近藤啓太郎氏)というのは、犬を鎖に繋いで飼っていたり、庭に放しておけばそれでよい、という日本人の犬の飼い方への警句として意図して発しているのです。

 飼い主がこの犬がいれば嬉しい、この犬を連れて日に一度か二度散歩することが嬉しい、ということであればいいのです。犬がオシッコをしたいという生理作用のためには日に二度の散歩ができればそれは好ましいことです。

人の仕合わせこそ犬の仕合わせといいました。

 ある人は意に反して重病になりました。犬を世話することなどできません。

 このような人は大勢おり、個別の事例を陳列することができますが、やはり人は何時でも何時までも仕合わせな状態でいることはできません。

 犬のためにと無理して身体をこわした人もおります。それほどまでにムキになり、身体を酷使してはならないと思っていると、やはりその人は身体をこわしてしまいました。

 またある人は訳もなく犬のことだけを考えて、この犬にはあれが足りない、これが足りないとやっていて、やがては飼い主が精神を病む状態になりました。そこまで行かなくてもおかしなことになって、犬を飼うことが苦痛になる人もおります。

飼い犬と散歩していて、ああいい気分だと思えることが一年に一度あればそれで良いではありませんか。気分が良くなかったけれども飼い犬を連れて散歩していたら心が晴れたでもよいのです。「まあ、いいか」ということで、その日一日を受け入れていくのもよいのです。

 五木寛之氏は、今日も一日生きていた、よかった、と思うのだそうです。

 随分と控えめで天を恐れる態度ですが、そういうものかも知れません。


(読み返しておりません。分別の足りない表現や誤字、脱字、誤変換などがありますことをお断りして、お詫びも申し上げます。)

(同じ項目でありながら、ですます体、である体が混同していることをお断り申しあげます。)


 
 

生後27日の紀州犬の子犬の写真です。



写真は生後27日の朝。練り物の朝食を食べたあとです。

この子たちは尾を立てておりますが、これがそのまま差尾になるとは限りません。

巻いていないのは確かですが、巻尾になるか差尾になるか、人の力が及ぶところではありません。

どれがオスで、どれがメスの1なのか、2なのか、3なのか、わかりません。

お腹の色素の黒い地肌をよく見ればわかりますが、カメラを構えた状態ではこれがわかりません。

白毛の紀州犬のお腹の地肌が黒いのは良いこととされております。

耳はまだまだ立たなくて良いのです。生後60日でも立たなくてよりのです。そのうち必ず立ちますから心配要りません。

 
写真下は生後17日。16日に片眼が開いて、17日に両目が開きました。オスの子犬。体重は1120グラム。 
 
 
 
写真下は生後16日にして片目が開いたオスの子犬。体重は1,100グラム。  
 
写真下は生後14日に眼が開いて、二日後には眼差し多強まったメスの子犬。体重は950グラム。 
 
写真(下)は生後11日の朝の様子です。鼻が黒くなりました。眼は間もなく開きます。 
 
 
写真(下)は生後11日の朝の様子です。生まれた4匹の子犬は健康に育っております。 
 
 
写真(下)は生後11日の朝の様子です。乳を飲み終えて一休みの時間です。眠るのは子犬の仕事です。 
 
 

紀州犬物語153 気迫と威厳、忠実と従順、飾り気のない気品と風格、これが齋藤弘吉氏の日本犬観である。(横田俊英)
(タイトル)
人の肌は柔らかい、だから甲冑(かっちゅう)で防護する。)
(サブタイトル)
巷(ちまた)に流れる犬(イヌ)という言葉の意味と起源。
第153章 巷(ちまた)に流れる犬(イヌ)という言葉の意味と起源。執筆 横田俊英

  

紀州犬物語(83) 紀州犬 ウメの出産と育児(その1)。 執筆 横田俊英。

(タイトル)
紀州犬 ウメの出産と育児。(その1)

(犬の交尾とメス犬の妊娠のこと(紀州犬の妊娠とその事情))

第83章 紀州犬物語。紀州犬 ウメの出産と育児(その1)。 執筆 横田俊英


 

 紀犬の交尾とメス犬の妊娠のこと(紀州犬の妊娠とその事情)

 紀州犬メス犬のウメのお腹が急に大きくなって、乳首を絞ると白い乳がにじみ出るので、出産は間近である。

 お腹は出産予定日の一月前ころになるとドンドン大きくなるもののようである。お腹は一月前というよりも3週間前、そして2週間前、1週間前ころになって急に大きくなる。

 日を分けて3度の交尾をしているウメの出産予定日は交尾後60日が出産日と計算するとここに5日ほどの開きがある。

 卵子が卵巣から排出されるころにメス犬は交尾可能となる。卵子は排卵後(交尾可能日の始まり)二日半(60時間)ほどして受精能が獲得される。オス犬の精子は子宮内で1週間以上生きている。これはあるいは10日以上であるかも知れない。

 このようなことから交尾後、何日して子犬が生まれるかは定かではない。メス犬の卵子に受精能が獲得されている期間に交尾すれは、それから60日か62日かで出産する確率は高くなる。

 卵子は排卵後60時間(二日半)後に受精能を獲得し、この後この状態は48時間(二日間)継続する。排卵後に犬の卵子は108時間まで受精能がある。

 面倒くさい計算になるが、犬の卵子は排卵後二日半(60時間)ほどして受精能が獲得される。排卵と交尾可能日は同一日である。交尾可能以前の状態を発情前期として区別する。

 オス犬によっては発情前期の状態でも交尾するのがいる。

 たとえば交尾後二日ほどして発情期(排卵日、交尾可能日)となったとしても、オス犬の精子は子宮内で1週間以上は受精能(これは10日であるかも知れないし14日であるかも知れない)があるので、卵子と精子が結合してそのまま上手く育って、子犬が生まれることがある。事実、発情前期のメス犬と交尾して子犬を生ませるオス犬がいる。

 交尾することは子犬が生まれる前提となる。どのように時期が上手くあっても交尾しない犬がいる。交尾しなければ子犬は生まれない。交尾しないで子犬を生ませる人工授精が動物病院でよく行われている。優秀とされるオス犬の精子を冷凍保存してメス犬の子宮に送り込んで受精させて、子犬を生ませるのである。

 犬は交尾しても子犬を生まないことがよくある。ある人の犬は機会があった10回以上の発情のたびに交尾させて1度だけ子犬が生まれた。あれこれようすを見ていると交尾させても出産の確率は5割程度であるようだ。これが10割にで近かったり、2割であったりする。良い方に安全率をみて確率を示すと、交尾しても7割程度しか子犬は生まれない。

 したがって出産予定日から12日ほど遅れることは希ではない。交尾から出産までの紀州犬の一般的な日数は62日とする考えがある。私の経験ではこれ60日のことがたびたびあり、ウメの場合には60日で出産したこともある。だから最初の交尾の日から60日を出産予定日と考えて、準備をすることになる。

 メス犬の交尾可能日とその後の排卵が二日後であり、受精可能期間がさらに二日はあるようだ。そしてオス犬の交尾後の精子はメス犬の体内で1週間以上は生きていて、受精可能な状態にある。精子の生存期間を12日とか14日とも考えられつので、交尾後に出産予定日から16日遅れることは普通にあることだ。私の知り合いのところではこれが20日遅れて普通に出産した。

 このときには獣医師は遅れすぎるので帝王切開して子犬を取り出すといって準備をしていて、手術のその日の朝に出産した。生まれた子犬は二匹で普通の大きさであった。

 獣医師の観察がつづいていて、レントゲン写真で子犬の状態を把握して、母犬の子宮口などの状態を専門的な目で見ていても、出産がいつになるかはなかなか分からないのである。

 私のところのチビという紀州犬のメス犬は動物病院で出産準備の診察を受けて、家の玄関に着いて車から降ろすその瞬間に出産を始めたのであった。このときには慌てて家の中に準備していて産室箱に入れるとドッと子犬を生んだのであった。

 紀州犬の発情と交尾時期

 狼のメスは2歳で性成熟し、冬季に発情する。紀州犬は早いと生後5カ月で発情する。

 犬は狼が飼いならされたものだとされていることに異論をとなえる人がいるかも知れないが、私はこの説に賛成している。その狼は2歳にして初めて子供を生む。野生の世界での狼のメスの性成熟はこの2歳という年齢にしてなるということなのだろう。狼のメスは2歳で性成熟し、冬季に発情する。狼のオスの精子は季節的にしか生産されないことになっている。犬のオスは発情したメスにあわせていつでも交尾ができるようになっている。犬の精子は季節に関係なく生産される。

 ある犬種団体の事務局職員が語るところによれば、生後5カ月で交尾(交配)して子供を生む事例がある。紀州犬の場合には生後6カ月で最初の発情がくることは希ではない。狼の場合にはこれが2歳にならなければ発情期をむかえることがないのである。紀州犬は生後6カ月にして性成熟をむかえると考えることもできる。

 紀州犬に子犬を生ませる時期とその考え方のいろいろ。

 紀州犬の愛好家には2度目の発情のときに交配するのがよいという考え方をする人が多い。生後8カ月で最初の発情を迎えた場合には、ここで交配するという人もいる。2歳になってから交配するという考え方をする人もいる。

 どの考え方をとるかは人それぞれである。

 コウメという私の紀州犬の飼い犬の場合には2歳を過ぎてから子供を生ませた。チビという紀州犬のメス犬の場合には1歳3カ月で子供を生ませた。

 交尾させても子供を生まないことが少なくない。コウメは最初の交配(交尾)では子供を生まなかった。チビは最初の交配で子供を生んだ。ウメというメス犬は最初の交尾で子供を生んだ。知り合いの紀州犬のメス犬は10度の発情のたびに交配を試みても子供を生まなかった。

 ある人が言った。大臣賞を取るためにはどうしたらいいのでしょうか。という質問への答えだ。「交配することだ」と。

 飼い犬に子供を生ませたければ「交配することだ」ということができる。

 年に2回発情する犬、年に1回の発情の犬。

 私の飼い犬の紀州犬のメス犬の、ウメ、コウメ、チビは1年に一度の発情をする。6カ月ごとに発情する紀州犬のメス犬もおり、2カ月ほどの妊娠期間、45日ほどの育児期間を終える手2カ月もすると発情をするのである。

 交尾させ、交配を試みても子供を生むとは限らないのであるから、機会がきたら交配する、という考え方は間違いではない。

 メス犬が交尾の姿勢をとってもオス犬が応じないことも希ではない。交尾を試みて、その成功の確率は5割と考えておりたらいい。試みて交尾があるのが5割で、さらに実際の子供が生まれるのが5割の確率であるとすると、試みた交尾によって子犬が生まれる確率は2割5分になる。そうすると交尾を試みることに躊躇い(ためらい)をもってはならないことになる。

 交配(交尾)時期の選び方、考え方。

 メス犬の発情にともなう出血を早期に発見するために朝晩の散歩時に白いちり紙を陰部に当てて確認する人がいる。最初の出血がほんのわずかである場合と、犬舎の床に赤い血がついていて直ぐ分かる場合とがある。

 その出血を確認してから14日目交配という考え方がある。16日という考え方もある。21日目という説を説く人もいる。

 ウメは出血確認後22日目、23日目、27日目に交尾して、どうやら22日目か23日目かの交尾で受胎して、4頭の子供を生んだ。

 コウメは11日目に交尾したきり、その後は交尾しなかった。オス犬が交尾をしなかったという言い方もできる。

 出血を確認したその日に交尾をさせたことが私の場合はあります。余程うっかり、のんびりしていて、出血を見逃していたのか、出血がほとんどなくて交尾時期をむかえたのかよくはわかりません。

 交配時期、交尾の時期は犬に聞け、とは見事な言い逃れといいますか、あるいはある種の真実を含む言葉です。

 出血時期と交尾に良い日として、出血確認後14日目交配というのは目安として受けとめるべきことであり、この日の前後が絶対の交尾の時期ではないのです。

 発情の出血を確認してから何日で交尾するのかは、なかなかよく分からない。交尾と妊娠ということでは、ある人は出血が続いていればそれが終わらない間は妊娠可能期間だという。

 獣医師でこの方面に詳しい人はホルモン検査をして人工交配する。人工交配ならそれでよい。しかし実際にオス犬とメス犬とを交尾させて、子供を生ませるとなるとこれは簡単ではない。いつが交尾に良い日かを見極めることができるかというと、その良いと思われる日にメス犬が交尾を許容しないときもあるし、オス犬が交尾に興味を示さないときもある。

 何も苦労することなく、大体良いと思われる日に交尾させ、首尾よく子供を生ませることができることもある。このことの方が普通ではある。

 ある人は夜にある犬オス犬と交尾させようとしてもそれが実現しなかったその翌日に、別のオス犬と交尾を試みてこれが成功し、子供を生ませた。

 オス犬の調子、メス犬の調子、その相性などさまざまなことがあるようだ。

 オス犬の飼い主から乞われれたメス犬の飼い主は500キロメートルの遠方にメス犬の発情のたびに通って、3度か4度の発情のたびに交尾をさせて、やっと1回子供を生ませた人がいる。犬に子供を生ませるためにこれほどの苦労をする人もいるのである。

 紀州犬のメスの排卵と卵子の受精能の獲得、そして交尾、出産。

 紀州犬は一般に年に2回の繁殖期をもつ。私の3頭の紀州犬の飼い犬はこれが年に1回であったり、2回であったり、1回半であったりする。

 紀州犬のメス犬は一発情期ごとに1回の発情をし排卵をする。

 犬の発情に関係しては、発情前期、発情期、発情休止期、無発情期の4期に分類する考え方がある。

 出血を確認するときには、陰部は膨らみ加減であるのが普通である。

 陰門部から出血は子宮内膜の血管系が肥大し発達することによって、血液が漏出(ろうしゅつ)することによっておこる。

 卵巣から分泌されるエストロゲンによって陰門部から血液状の液体を出すことになるが、これは血管の壁などから漏れだした血液である。この出血がある時期のうちオスの交尾を許容するまでを、発情前期としている。交尾を許容する時期が発情期ということである。オス犬の交尾行動を許容する期間は一般的には10日ほどということになっている。これが4日ほどであったり40日に及ぶ場合もあるようだから、「交尾の時期は犬に聞け」ということになり、訳がわからなくなる。

 子宮内で精子は1週間は生きていることになっている。恐らく10日ほどは生きており、知人の紀州犬のメス犬の交配(交尾)と出産の事例から場合によっては14日は生きていると思われる。

 メスがオスを受け入れることではじまる発情期があっても、メスの体内ではすぐに排卵が起こるのではなく、発情開始期から48時間(二日間)ほどして排卵がはじまり、そして72時間(三日)後に終了する。

 犬は場合には排卵後に60時間ほどして卵子の受精能が獲得される。

 その前に込み入ったことがある。

 犬の卵子が卵巣をでるのは、第一減数分裂中期の第一卵細胞の段階である。この時点では卵子に受精能がない。

 卵子は排卵後24時間(1日)から48時間(二日間)で卵管中部に移行する。そして72時間(三日間)から192時間(八日間)で卵管下部に移動する。卵子はこの間に卵管内で減数分裂をつづけている。

 排卵後60時間(二日半)ほど経過したときに卵子の受精能が獲得されるその状態は、卵子が第二卵細胞になっているときである。

 受精能が獲得されるのは犬の場合には排卵後60時間(二日半)が経過した後であり、受精能が継続する期間はそれから48時間(二日)ほどである。

 犬は排卵があってから108(四日半)時間は受精能がある。そしてオスの精子は子宮の中で1週間は生きており、これが2週間(14日)と想定される事例がある。

 犬に子供を生ませたいと思う人の側にできることは、交尾を成功させることがまず第一番に大事なことである。交尾なくして出産なし。交尾なくして名犬は生まれない、ということだ。

 出産予定日から14日遅れることは希ではなく、不思議なことでもない。

 交尾したメス犬は多くの場合、交尾後62日ほどで出産する。私の飼い犬のウメはこれが60日である。交尾と受精がほとんど同じ日であれば60日ほどで出産する。

 交尾のあった後、オスの精子は子宮内で14日は生きているようであり、排卵後60時間(二日半)が経過した後で、卵子の受精能が獲得されること、そしてその受精能がそれから48時間(二日)ほど継続するので、交尾から60日後の出産予定日から14日遅れることは希ではなく、不思議なことでもない。

 紀州犬や日本犬の愛犬家は出産が遅れている状態を「未だ頑張っている」などという。これなどは良くある事例を別の意味で物語る言葉である。

 出血しそれが止まり、3カ月後に交尾となり、またメス犬が一斉に発情することは良くあることだ。

 ウメという紀州犬は9月12日に3匹の子犬を産んだ。ウメが発情前期の出血をしたのとほぼ同じ日に、コウメとチビに出血を見た。

 ウメは出血確認日から22日目と23日目と27目に交尾をして子犬を産んだのである。同じころに出血を見たコウメとチビの出血は2日ほどで止まってしまった。

 コウメはその後に発情の出血があり、9月13日に交尾をした。出血してそれが止まって、次の出血があってということで、最初の出血から3カ月て交尾をしたのである。

 チビはコウメの再出血から2週間遅れて出血した。

 柴犬の場合にも紀州犬の場合にもこのような事例は良くあることなのである。

 一頭が発情すると同じ敷地にいるメス犬がそろって発情することも良くあることだ。何かが原因してホルモンの働きを刺激するからなどだろう。一緒に発情して、一緒に子供を生むことになると、子犬の飼い主探しが大忙しになる。少しずれて欲しいのが本音である。

 ある人が語ったことである。交尾に失敗したオス犬の精液をメス犬の陰部に塗りつけたら子犬が生まれたというのである。コリーのことであった。

 受胎するのにちょうど時期が良かったためであろう。

 動物病院で行う人工交配はメス犬のエストロゲンの分泌状態から良い時期を探ってなされる。

 紀州犬でも繁殖に何度も失敗している人はこの方法を用いようとする。

 オス犬の持ち主の協力によって精液を冷凍保存しておいて、メス犬の良い時期にこれを子宮に送り込む。オス犬の精子の受精能力を検査した上で行われる。10回の繁殖期があってそのすべてで子犬を生ませることに失敗した人はこの方法法に異常な関心を寄せている。

 紀州犬は交尾があっても出産に至る確率はせいぜい7割である。
(5割から6割ということが言えるかも知れないし、ある人の場合にはせいぜい5割だという)


 紀州犬のメス犬に子供を生ませるためにはオス犬と交尾させなければならない。

 オス犬との交尾にさいして、これを受け付けないメス犬がいる。何故だかそのようなメス犬がいるのだ。受け入れないから、メス犬は暴れて、人の手を噛んだり、オス犬を噛むことがある。

 噛む被害を防止するためにメス犬には口輪をはめるのが習わしである。口輪にはプラスチック製のものと布を網にしたものとがあり、布のものはかぶせた口吻の毛をそぐことがないという便利さがある。プラスチック製のものを使う場合には口吻の上部に当たる部分に包帯などを巻いて毛と強くこすれないようにするとよい。

 交配にさいしてオス犬がメス犬を矢鱈に噛むということがある。メス犬が噛まれ、メス犬を押さえたいる飼い主も噛まれたのではかなわないが、実際にそういう事例がある。オス犬には口輪をはめないのが通例である。

 私の場合にはオス犬もメス犬も交配にともなう口噛み事故を起こさないために、オス、メスともに口輪をはめることがある。

 メス犬が交配のときにオス犬に噛まれると、その後これを拒否することになるから、性質の良いオス犬を選ぶことが大事である。

 交尾しても子供を生まないメス犬がいる。10度の繁殖期に都度交配をしても子供を生まない紀州犬のメス犬がいる。ある人はそれでもあきらめずに交配をして子犬を生ませた。執念というしかない。しかしこのために費やした費用と時間は膨大であり、子犬は3頭生まれたが、その1頭当たりの費用はいくらになるのであろうか。

 1頭の子犬を生ませるために随分と苦労をする人がいる。その一方でオスとメスの紀州犬を自分で飼っていて、繁殖期のたびに交尾をさせて、1度に8頭もの子犬を生ませる人もいる。

 紀州犬という犬種の交尾と出産のいうことで観察すると交尾があって、ついで子供が生まれるその確率はせいぜい7割である。5割から6割ということが言えるかも知れないし、ある人の場合にはその経験からせいぜい5割だと強く主張する。

 交尾を試みてもそれが実現するのは5割ほどだ。経験の浅い人のメス犬の交尾期の選択が不確かであるからである。

 紀州犬の交配の事例。

 ある人の交配の様子である。

 発情したメスと交配相手のオス犬を犬舎に入れて交尾するのを待つ。場合によってはメス犬の首をおさえてオス犬のマウントを待つ。

 ある場合には人気のない場所でオスとメスを面会させて自然に交尾するのを待つ。メス犬の首をおさえて制止させてオス犬のマウントをまつとうこともある。

 手慣れた人はオス犬がメス犬にマウントして、本格的に腰を振り始めたときにオスの腰を強く押してやり、交尾に至るまで押さえつづける。オス犬が腰を振るとそうした手慣れた人はオス犬の腰を押すことを意識することなくするのだから、その経験の度数を推しはかることができる。

 メス犬が交尾を嫌がって逃げ回り受け付けないのに対処するために、メスを動けなくする仕掛けを用いる事例がある。この仕掛けにはいろんなものがある。戸板のようなものを見たことがあるし、やぐらのようなものも見たことがある。

 私はそうした仕掛けを見たことがあるだけであり、使ったことはない。

 交配にさいしてメス犬が交尾を拒否して飼い主の手を噛む、そしてオス犬を噛む、ということがある。口輪をしていてもこれを遮二無二外してしまうのである。完全なる口輪はない。

 口輪を外した途端に飼い主の腕を噛む。しかし飼い主は何としても交尾させたい。メス犬を必死になって押さえる。意では噛まれ血はダラダラと流れる。押さえている間、飼い主は気合いが入っているから腕の傷など意識しない。あとで傷を見ると深い。

 どうしてもあるオス犬を種を得たいという願望がそうさせたのである。

 この事例は有色紀州犬のオス犬の種が欲しかったことでおきている。生まれた子犬に有色犬がいてこの犬は望まれてある人に飼われ大事にされた。その犬はオスであったが飼い方が原因して交尾ができず、また交配のための縁も薄かった。直接の子孫を残すことなく命が尽きた。

 オスとメスを一つの小屋に入れていたら、やがてメスは子供を生んだ。

 ある人の経験である。

 発情したメス犬を交尾をさせようとオス犬と同じ犬舎に入れて入れておいたが、飼い主が見ている間にはどうしても行為に及ばない。何日かそのようにしていても交尾している様子をみないので、駄目だったかとあきらめていた。

 それが交尾の機会があった日から50日ほどして、メス犬のお腹が大きく膨らんでいるたのである。

 メス犬は3頭の子供を生んで育てた。

 人の強い介在がなくてもある種の条件ができていれば犬は子供を生むのである。

 紀州犬に子犬を生ませるために5度ほどの繁殖期に交尾をさせても結果は駄目であった。動物病院に相談して人工交配を考え、その知識も相当に獲得した。人工授精のためにはオス犬の精液を得ることが必要であり、自分のところにオス犬がいなければ誰かオス犬の持ち主の協力を得なければならない。これもまた面倒である。

 そのような状況下で、相手のオス犬を3度ほど変えたら、子犬が生まれた。

 交尾後の不妊娠、その原因になる事柄。

 子供を生ませるためのオス犬の精子とメス犬の卵子の相性があるのかどうか、何が原因して子供が生まれないのか良くは分からない。発情と見えても実際には排卵がなかったのか、排卵があってもその卵子に精子と結合する能力がなかったのか、あるいは精子に受精能力がなかったのか、いずれかであろう。

 オス犬の場合には高齢になると交尾があっても、相手のメス犬が子供を生まないことが多くなりがちである。

 あるオス犬の場合にはこれが5歳ほどのときにきた。

 交尾してもメス犬が子供が生まないということが、3度か4度つづくと、そのオス犬を交配用に用いることをし難くなる。

 このオス犬の子供のオス犬も同じような状態になった。

 オス犬の場合もその種を残すということになれば、3歳以前にこれを実現しておくことにこしたことはない。

 高齢犬の精子の能力は落ちるという考え方が紀州犬の愛好家の世界にはある。

 有名なオス犬の持ち主でも受精の確率が落ちてくると、交配依頼があっても戸惑うようである。どうしてもそのオス犬の子供が欲しいという強い要望があるときにだけ、失敗覚悟で交配をする。メス犬の持ち主もそれを理解し納得しての交配となる。

 交配とそれにともなう礼儀、作法、信義といった人の在り方。


 人が暮らすそのようすを世界という。悪い人間が多くいるので、世界とはその頭に俗という文字を付けて、俗世界というと一番似合うように思う。

 オス犬の持ち主のある人は依頼を受けて交配を行った。交尾をしても子供は生まれなかった。その原因がどこにあるかは不明である。交尾しても子供が生まれなかったという事実があり、交配を申し入れたメス犬の持ち主には残念なことではあった。

 この交配においてオス犬の持ち主は交配料を受け取らなかった。仕事を休んでの交配であったからこの世界で「卵料」(たまごりょう)という少額の謝礼は受け取った。

 交配を申し入れたメス犬の持ち主は、おおぜいの人にあのオス犬には種がないと触れ回った。多くの人が集まる場でも大きな声でそのことを口にした。

 交配を申し入れて、交尾をさせて、その結果として子供(子犬)が生まれなかったしても、メス犬の持ち主はあのオス犬と交配しても子供が生まれなかったと口外してはならない。人に話してよいのは自分の飼い犬のメス犬は交配したけれども子犬を生まなかった、ということだけである。

 こうしたことについては口が重い方がよい。礼儀とか、作法とか、信義といった人の在り方がここにはある。

 1歳になればオス犬の精子の生産能力は十分である

 オス犬の性能力は紀州犬の場合には生後8カ月にできるようである。生後6カ月では性成熟は不十分であり、生後10カ月になるとメスの発情に対して強い反応を示す。生後12カ月(1歳)になればオス犬の精子の生産能力は十分であると思われる。交尾に及ぶ行為に関しては馴れないために上手くできない犬がいる。

 交尾になれたオス犬は本格的な発情といえるその前の状態であっても交尾をする。メス犬が近づくと直ぐにマウントして交尾に及ぶ。時間はかからない。5分もあれば済んでしまう。

 オス犬によってはメス犬と30分をこえて、しばらくの間、見合いをして、その後に行為となるのもいる。

 こうした見合いがじれったいと思うのが長い間犬を飼っている人々である。

 経験の長いオス犬の持ち主でもメス犬の状態がよくないと、直ぐには交尾に及ばない。それでも懸命に対応する。

 オス犬の持ち主が経験が浅く、犬の扱いが拙劣であると交尾できないだけではなく、メス犬が怪我をする。オス犬の飼い主も傷を負うことが多い。

 確実に交尾に結び付くということで、経験の長いベテランに交配依頼が多くなる。

 若いうちに子供を生ませて、機会があれば次にいつでも子供を生ませるという条件をつくる。

 メス犬に子供を生ませたいのであれば、1歳過ぎたらこれを試みておくことである。そのメス犬が子供を生めないかも知れないので、5歳、6歳になってから交配をして、結果が駄目だと、残された期間が少なくなる。

 若いうちに子供を生ませて、機会があれば次にいつでも子供を生ませるという条件をつくっておくのは賢明なことであると思う。

 メス犬にも、オス犬にも、「子出し」といって、よい子供を生んだり、生ませたりする犬がいる。

 その一方でオス犬についても、メス犬についても、恰好が良いのに生まれてくる子供がそうでないのがいる。

 不格好で貧相なメス犬が、格好いい子供を生むことがある。不格好なオス犬にしても格好いい子供を生ませることがある。

 私もこの何とも貧相なメス犬が何故このような格好が良いオス犬を生むのだろうと、不思議に思ったことが何度もある。これは人が飼っている犬のことである。その人は血液重視の繁殖方法を採っている。そして血液からしかよい子は生まれないと、常に言う。

 オスとメスの組み合わせのことがあり、また血筋のことがあり、そこには隔世遺伝のことがある。

 隔世遺伝はまた血液とか血筋ともいわれる。

 ある形を実現したければその系統で繁殖して2代ほど待て、ということがあり、これを実行している人がいる。

 良い結果もそのようにして生まれ、悪い結果もそのようにして発生する。望ましい事項を追い求めるのは当然であるが、ある望ましい犬がもっていた眼の色素が淡いとか、何となく緩い身体とその筋肉といった望ましくない要素が、2代、3代後に出現する。気性についても同じような様子となる。

 血液が近すぎる悪弊は、臆病な犬や噛む犬が多くなったり、内臓の疾患を含めて病気がちになることである。血液絶対主義というか血液信仰だけで繁殖をするとある種の問題が生ずる。

 現在の犬の欠点を排除して、良い点を伸ばしていく、というのが繁殖の在り方であり、そのためには自分の犬を溺愛して欠点の克服につとめないことである。

 余所の人の犬の良い点を素直に受けとめるといった態度は大事だ。そして紀州犬であればその在り方としての日本犬標準と紀州犬標準、さらにはその歴史を学び知ることもまた大事である。

 
 

 オス犬の性器の構造は人のそれとは違う。
(交尾までの行動と、オス犬の精子の排出、そしてメス犬の妊娠。)


 紀州犬のオス犬とメス犬の結婚の儀式とその顛末。

 オスが普段暮らす犬舎にメスをいれると、オスはメスの発情して膨大した陰部の臭いを真剣な表情をして嗅いでいる。オスはメスの顔をなめ、メスもまたこれに応じ、オスの性器の当たりに顔を伸ばす。二頭ともきびきびとした身体の動きをして、緊張のようすをみせている。

 やがてオスがメスの後ろに回ってまたがることを何度かする。そのうちにオスは腰を動かしてメスの膨脹した陰部に性器を押し当てて、非常に周波数の早い腰振りになる。バイブレーションという言葉が似合う腰振りであり、オスはつま先立ちするようにしてメスの腰に腰を密着させる。オスは両足を空回りさせるように二度三度と踏ん張り、腰振りを止める。

 オスの性器は発情して膨らみ、そして柔らかくなったメスの陰部に結合したようだ。

 またがったままで30秒か1分ほどしたところで、オスは後足の片方をメスの背中から回して後ろ向きになり、オスとメスが後ろ向きになって引っ張りっこをしている姿になる。

 やはり結合は上手く行った。

飼い主はせっかくの結合が何かの作用で外れることがないように、メスの首を押さえてそのまま待つ。

 時計は3分、4分、5分の経過を示し、やがて10分ほどになったときに、ほろりという形で結合が解ける。

 オスはきょとんとしていて、メスも同じだが、メスがオスの顔をなめたりしている。

 儀式はこれで終わりである。

 オス犬の性器の構造とその機能

 オス犬の性器は普段はサヤに収められているが、成熟したオス犬は発情したメスに対しては、何時でも交尾行動を起こすことができ、普通に結合すれば精子を排出して、メス犬を妊娠させることができる。

 犬のオスの性器は人のそれと似たような姿をしていても、実際にはつくりが違う。

 人の性器は松茸(まつたけ)の小さいのと同じ形をしている。

 犬のオスの性器は松茸のカサの膨らみのその先がうんと長くなっているという形状である。松茸のカサの膨らみの後側の竿の部分は身体の中にしまわれている。

 松茸のカサの先に竿があり、カサの後にも竿があるというのが、犬のオスの性器である。

 オス犬はメスの性器に松茸のカサの先に出ている竿をメスの膨らんだ性器にあたると、急に元気ついて、激しく腰を振り、そのまま竿を押し込む。

 竿の後には松茸のカサがあって、メス犬の膣に挿入されたあとでこれが大きく膨らむ。その膨らみ具合はここに睾丸があると思えるほどの大きさになるほどだ。

 挿入時には細かった犬の竿とカサは、メス犬の膣の中で大きくなり、松茸のカサは二つの睾丸ができたようになって、これが膣の中で広がるために、交尾した犬は後ろ向きにつながっていて、この結合が容易に解けないのである。

 松茸のカサの前の部分の竿状のところを亀頭長部という。松茸のカサの部分は亀頭球という。犬の世界の人はこの亀頭球を後玉といっている。

犬のオスの性器は人の性器の亀頭の先に竿を付けたような構造になっている。


 精液が排出される前後に、二種の分泌物が漏れ出る。

 オス犬がメス犬に交尾行動を開始すると透明な液体を少しずつ漏らしている。これは尿道粘液腺からの分泌物であり、精子ではない。

 メスの膣に収まったあとでオスの性器からは、まずこの尿道粘液腺からの分泌物物が漏れ出す。これは結合とほぼ同時に分泌される。その後で精子が射出される。精子の射出は結合して少しの間を置いて、10秒ないし20秒の間隔で行われる。精子を含んだ精液は乳白色のどろりとして液体であり、結合後に前述のとおりに少しの間を置いて、50秒から90秒ほど射出される。

 犬の交尾はこれで終わりではなく、前立腺分泌物が排出されるのであるが、これに要する時間は3分ほどはかかり、紀州犬や日本犬の場合には結合は5分、8分、10分、15分、20分と続くことのが普通である。

 3分の結合でもメスは妊娠する。15分結合しても妊娠しないこともある。

 日を分けて2度、3度と交尾させても妊娠しない事例は頻繁にある。

 「不完全な結婚」でも子犬が生まれることがある。

 平岩米吉氏が飼っていたシェパードのメス犬は、氏の表現によれば「不完全な結婚」であった場合でも、1頭の出産をみている。ここにおける不完全な結婚とは、オス犬の性器がメス犬の膣に侵入したものの、亀頭球(後玉)が膣の中で膨脹しなかったために1分か2分の侵入のあとで、結合が外れてしまったことを指しているいるように思われる。

 余所の人の紀州犬の交配に立ち会ったときに上記のようなことがあった。

 オス犬が激しく腰を振ってメス犬の膣に性器を侵入させ、1分ほどか2分ほど跨っていた後で、これで大丈夫だと後ろ向きになったら亀頭球(後玉)が膣内に収まっていなかったのである。

 膣から抜けたオス犬の亀頭長部の先からドロリとした白い液体が漏れるのが見えた。

 オスの交尾行動の失敗は失敗ではない、それは一種の儀式と思え。

 激しく腰を振った上で、メス犬の膣に性器を押し入れることを失敗したオス犬は、膨脹した長い赤黒い竿状に亀頭長部をだらり下げ、睾丸より大きくなった真っ赤な亀頭球(後玉)をその根本で膨らませて、茫然自失の状態でいる。

 交尾行動でこのようなオスの失敗が数度あっても、繰り返し結合を試んでいるうちに、成功する。

 犬の交尾の場合には、駄目かなと思っても繰り返して試すのがよい。

 夢中になったオス犬はメス犬の膣ではなく、腰の部分に性器があたった摩擦のままに交尾行動を続行させて、真っ赤に膨脹した亀頭球(後玉)膨らませて、激しい息づかいをしていることが希ではない。

 生後11カ月の私の紀州犬のオス犬は、このような状態になって、メス犬との結合ができないままである秋のシーズンを終えてしまった。

 発情前期、そして本発情としての発情期のメス犬の行動。

 発情(発情前期)が始まるまえのメス犬は、散歩中の頻尿、臭いとり、などの行動があり、本発情(発情期)になると、オスが交尾行動にでると、それを受け入れる姿勢をとる。

 交尾行動を拒絶するけれども、発情前期のメス犬はオス犬に非常な関心を示し、オス犬に近寄っていって、モーションを盛んにかける。このモーションが本物かと思うと偽物ではないまでも、まだまだ結婚の本儀式に至るまでのことではないのだ。

 発情前期ではオス犬の交尾行動に対して歯を剥いて拒絶の行動をとっていたのに、発情期になると、オス後ろに回って、跨ると尾を上げたり横にどけて、交尾しやすい態勢をとる。

 メス犬の発情前期の頻尿と臭いとりの行動はオスを受け入れる発情期になると、これが後退する。

 メス犬が発情すると、飼い主は息をこらし、時期を考えるので草臥れる。

 メス犬のなかには交尾を極度に嫌がるのがいる。またいつもは良いのにある発情の時には嫌がるメス犬もいる。

 高齢になって子供を生ませようとして、オス犬を完全に拒絶したために、交尾を断念し、したがって子供を生ませることをあきらめたという事例がある。

 何気なく交尾がすんで、子犬が生まれることがあれば、それが普通であると思いがちである。

 しかしどうしても子犬を生ませるのだ、ということになって交配を試みるときには飼い主の焦りなどが重なって、思うようにはいかないものなのである。

 メス犬が発情して交尾がするまでは、飼い主は息をこらして生活し、発情の経緯を観察するということで、草臥(くたび)れるものなのだ。

 エコーで見つからなかった子犬とその出産、そして疑似妊娠の事例。

 メス犬の妊娠は交尾後、一月ほどするとエコー検査などで確認することができる。私の場合には一月後のエコー検査で子犬が見つからず、あきらめていたところ出産予定日10日ほど前になって、お腹の膨らみにより受胎と子犬の腹の中での成長を知って大喜びしたことがある。

 ある人の犬は交尾後順調にお腹が膨らみ、乳首も大ききなってお腹の毛が抜けたにもかかわらず、子供を生まなかった。疑似妊娠だったのである。そのメス犬をみて私は出産後だと思ったのであるが、疑似妊娠のあとの犬だった。

 犬の場合には発情期そして排卵期に分泌されるプロゲステロンが妊娠していなくても高濃度の分泌がつづくことによって、妊娠と同じようすを示すのである。

 これらはみな紀州犬における実例である。


(読み返しておりません。誤字、誤変換、その他の不都合をご容赦ください。) 
 
 

 出産の直前の様子(床をカリカリ掻いて、食事の量がおちる)

 私が出産予定日と決めたその日の夜中は、紀州犬のメス犬のウメの産室が見える居間のソファーに横になってつきあっていたのである。

 ウメは午前零時を回ったころにウオーと声をあげた。これは出産が始まった合図だと思ったのであったが、子犬の声が聞こえない。その後も前足で産室の床をガリガリとひっかく音が聞こえていて、そのまま朝になったが、子犬はまだ生まれない。

 ウメは産室に敷いてある稲わらを細かに刻んでいるのだが、お腹の下はいつものことで稲わらを敷かない。

 朝の散歩に出るか、というとリードの輪に首を入れるので少し歩くとオシッコをしてウンチをした。家を出たところで新聞配達の人に出会って、おはようございます。この人は新聞店の社長で、柴犬を飼っているのだが、犬を飼いだしたら海外旅行に出かけられなくなったということで、旅行鞄を私にもらってくれと渡したのであった。

 散歩の前に食事を与えてみると、いつものむさぼり食うという勢いはなく、半分だけ食べて残していた。


 知らぬ間に2匹をポコンと生んで、しばらくしてまた2匹をポコンと生んだ

 ウメのお産のようすを見ようとして、目を向けたいるときには床をガリガリと掻いて、時折苦しそうな声を出すだけであり、待っていても生まない。

 午前中をそのようにして過ごして、午後になって用足しに外に出て帰ってみると、ウメは2頭の子犬を生んでいた。調べるとオスとメスである。これが午後2時20分のことである。

 子犬の体重を計って、ロウソウ(狼爪)といって後ろ足の上のほうに1本ついている足を小さなハサミで除去する。

 何だ2匹か、と残念な気持ちである。

 部屋のなかでウトウトしていて午後4時半に犬舎を覗くと2匹の子犬が濡れた身体でウメの乳を飲んでおり、ウメは子犬の身体について緑色が汚れているのを舐めて綺麗にしているのであった。この緑色は濡れた胎盤が子犬の身体にこすりついたものであり、生れた直後は羊水で濡れていて、分娩時に幾分か出血した母親の血液が子犬の身体に付着しているので汚れた状態である。


 犬のお産のあとの行動、そして繁殖に望ましい犬の在り方。

 母犬は胎盤を食べて、臍の緒を噛み切る。

 母犬は羊水と一緒に羊膜に包まれてドタッ、あるいはドロンと飛び出た子犬の身体を舐める。ここに悦びとか感傷などなの表情を見せることはない。羊膜に包まれて生まれた子犬のその羊膜を口と歯を使って破き取り除く。羊膜はそのまま食べてしまう。そして胎盤とつながっている臍の緒を口と歯を使って切るのである。臍の緒を子犬の臍に近いところで切ることもあり、またかなり先で切ることもある。胎盤を食べているその先に臍の緒がありそれを食べるのか、臍の緒を切ってから胎盤を食べるのか、私の観察は及んでいない。

 そして子犬のそばにトロンとして落ちている胎盤を食べるのだ。胎盤は濃い緑色をしている。青と緑が重なっているといってもいい。
生まれた子犬の一頭ごとに胎盤が付いていて、母犬はこれを食べる。

 子犬のお腹には切られたあとの臍の緒が長い紐のようにぶら下がっている。太くそして濡れていた臍の緒は時間の経過とともに乾燥して細くなる。そして何日かすると子犬の臍から剥がれ落ちる。子犬の臍は傷跡といったものはなく平らになる。人の臍のようゴマが貯まるような形はしていない。何の感傷もはいる余地なくそのように時間が経過する。

 生まれ落ちた子犬の臍の緒のことでは、人によってはこれを飼い主がで切ってやり、その切れ目を紐で結ぶ。私はそのようなことをしたことがない。

 胎盤を食べたことを証明するように一日するとドロッとした暗緑色の糞をする。分娩のあとで事件を経ずにする便は胎盤を食べる前の排泄物などで通常の色の便である。

 子犬をボロリと産み落とす前後のことを観察し撮影するつもりが、今回はその機会を不覚にも逃した。

 出産前に母親がいきむと羊水がでるのと前後して子犬が羊膜に包まれてボロリと体外にでる。母親は直ぐにか、少し間をおいてか、子犬を包んだ羊膜を口ではぎ取って食べる。臍の緒と羊膜と胎盤のこと、その関係のことは何度か出産時に見ているにの関わらず記憶は不鮮明であり、知識も十分ではない。

 母犬が乳を出すから子犬が育つのだが、何故乳がでるのかは分からない。

 分娩が刺激になるのか、食べた胎盤が作用するのか、子犬の泣き声が影響するのか、どのような理由によるのか、母親の乳首に子犬がしがみつくと母乳が出ているのである。繁殖者はわずかしか母乳が出ていないとか、左右五列あわせて十ある乳房のすべてが膨らんでいるのではないことや、母乳が出ていない、といった心配をして狼狽えることがある。その心配を解消する方法は母犬の乳房を念入りに揉んでやることであり、実際上の措置はそれしかないと思うことである。薬があるかも知れないけれども即効力を期待することはできない。

 母犬が生んだ子犬の臍の緒を自分で切るのは本能である。どのような動物もそのようにするようだ。切らなくても良いのかも知れない。犬は胎盤とつながった臍の緒が少しの長さで残っている。それがやがて乾燥してポロリと枯れ落ちるのである。人にあるような出臍(デベソ)を犬にみたことはない。

 臍の緒のことでいえば、臍の緒を根本まで噛み切ろうとしてその付け根のお腹の筋肉に歯を立てるためなのか、臍の緒を引っぱりすぎたためなのか、お腹の臍の部分に皮膚がかぶっているものの筋肉が欠落しているために、臍の部分から内臓が飛び出すという事例がある。獣医師による子犬の健康診断で見つかったのであり、早速に臍の部分の腹を縫って対処し、大事に至ることはなかった。その犬はその後健康に育っている。

 このことに絡めば子犬の臍の緒は長くだらんと伸びていて良いことになる。この臍の緒はやがて乾燥して細くなって枯れ落ち、臍の緒の付け根はすべすべした肌となる。人のように臍の窪みがないのが犬である。

 母犬が臍の緒を切り、胎盤を食べるのに延長して、子犬を食べてしまう事例がある。せっかく子犬を生んでもその子を食べてしまうのだから、その母犬には子犬は育てられない。動物の世界ではこのようなことがしばしあることで、その原因は極度の緊張か、外敵と思われるものの匂いに母犬が怯えるか、してのことのようである。

【写真(下)】は、生まれた直後に撮影したメスの子犬 。臍の緒が長い状態で付いているが、
このまま放っておけば乾燥して細くなり、やがて枯れて落ちる。.


 ある犬の場合にはお産のたびに生まれたばかりの子犬を食べてしまう。姿が格好いいあるメス犬はこのことを繰り返して、子孫を残すことができなかった。

 無事これ名馬、とは犬の場合には雨にも負けず風にも負けず、夏の暑さにも冬の寒さにも負けず、飼い主に従順であり、余所の人も余所の犬も噛むことなく、ちゃんとした子犬を生み育てることだ。

 犬が交尾し、メス犬が子犬は生むのは自然のなせる技だ。

 犬はメスの発情にともなって、オス犬と一緒に犬舎に入れておけば、監視しているその眼に交尾を確認できなくても、いつしか繋がっていて、予期せずにというか、当初のはかりごとにしたがって子犬を生むのである。

 犬は自然である。生まれて、乳を飲んで、やがて与えられた食事を自分で摂るようになり、生後8カ月になると性能力を備えて、メスが発情するとオスがそれに対応する。このオスとメスを一緒に遊ばせておけば、普通の場合交尾をして子供(子犬)を生む。

 人はここに一定の要素をもって関わる。繋がらないオスとメスを遮二無二繋がらせようとする人がいる。そのための方法として仕掛けの用具を用いる人もいる。メス犬に眠り薬を飲ませて虚ろな状態にして交尾に結びつける人もいる。虚ろな状態を出現させるためにメス犬の頭に一撃を加えるということもあると聞く。私はそのようなことをしたことはない。

 犬の生殖はあくまでも自然であり、犬の体に出現するその状態にあわせて子供(子犬)を生ませるということであると思う。

 ここに人が介在するのは多くの場合どのオス犬とメス犬を交尾させて子犬を生ませるかという選択である。

 繁殖犬として望ましくない犬。

 気性の悪い犬は繁殖に用いない。オス犬がいくら格好良くても人を噛んだり、犬を噛んだり、その他人と犬と社会に不都合なことをするのは繁殖に用いない。

 気性が弱すぎるために、怖ず怖ずとして散歩にでると道の端をビクビクして歩くというオス犬もメス犬もいる。

 何故そのようになるのか原因はわからないが、いつもは家の中の机の下にうずくまっていて、食事の時にだけそこからでてくる犬がいる。排泄をどのようにしているのか知らない。

 柴犬の名を持つある団体のその犬は尾を上げない犬が多くいる。紀州犬でも猟をするの能力を極度に追求するために、血液の近い犬同士を組み合わせて繁殖した犬に尾を上げない犬が多くいる。

 そうした状態をどのように受けとめるかは難しい。しかし私はこれを是とすることはない。

 同時にまた犬を飼う飼い主に飼い方の知識、犬への知識が不足しているために犬を我がまま放題にして、飼い主の言うことを聞かないように育ててしまう人は大勢おり、厳しい見方で論評すれば社会にいる多くの犬を飼う人々がこのような状態にある。

 犬を飼えないのである。そして犬に飼われているのである。人が犬に従えられている、というのが正確な表現であろう。

 飼い犬の拒絶行動に遭遇すると、結局は犬の要求に従う。犬が飼い主を従えているのである。世の中の多くの人が犬に従えられて犬と生活をしている。

 犬の飼い主が女性であり、犬のシツケのことでその人が相談する人がみな女性であったりすると、人が犬に要求するせねばならないことが割り引かれ、その結果犬への要求が甘くなる。犬は人の要求など聞かない。犬は自らの要求のままに振る舞い、人を従える。

 昔親と一緒に犬を飼っていて、しばらくぶりで犬を飼うという人のほとんどは犬のシツケのこと、ほか犬を飼うことに関する大事なことを知らないことが多い。親と一緒に犬を飼っていたのだろうけれども、犬を飼う主体は親であって、一緒に飼っていたつもりでも実際には惰性というか、モノを考えずに犬を飼っていたと結論づけたくなる事例は山ほどあり、ほとんどがそうであると言いたくなる。

 私の皮肉な見方をすれば、親と一緒に犬を飼っていたそのときまでは犬への肉体的なアレルギー反応が生じていなかった、というしかないのである。

 あれこれと人の話を聞いていくと、いくら犬を飼っていた経験が長くても多くの場合日本人特有の犬を飼う世界観で凝り固まっているのである。その固い観念を解きほぐすことは難しい。

 飼い主の飼い方のために悪癖をもつようになった犬、臆病な犬、健康を害した犬は、繁殖犬として望ましくない。

 日本犬標準として規定されている欠格事項をもつ犬を繁殖犬に用いるかどうかは議論の余地のあるところだ。

 その犬の悪癖や欠格事項が子犬に出現することになると、その子犬を飼うことになる人に不都合が伝達される。

 言葉が抽象的になるが、良性の母犬そして良性の父犬を用いて子供(子犬)を出産させることである。

 良い犬とは性格が良くて、飼い主に飼い主と家族に従順であり、社会にも馴染むことができる犬。

 飼い犬が飼い主を従えて、一家の主人になっている犬のその状態からは、犬の性質が良いということなど確認のしようがない。日本犬の世界では「良性」という言い方で、犬の性質を表現している。単純な二文字の漢字から、言葉も意味を理解にはこの世界に身を置いていろいろな人が発する言葉の背景からいろいろと推しはかって行くしかないようなことである。

 メス犬にあって良性とは、性格が良くて、飼い主に飼い主と家族に従順であり、社会にも馴染むことができ、子犬を生んでは良く子育てする犬のことである

 「カンイにとみ、良性にして、素朴である」という日本犬の世界で使われるその言葉に意味が私などには分かるわけがない。

 ただし、私が良い犬だと思う犬は、

 人にも犬にも物怖じすることなく、向こうからくる犬に吠えられてもそのような状態など一切ないと聞こえないようにしている犬である。

 そして吠え狂った犬が攻撃してきてお尻を噛んでも、そのようなことは知らないといつ応対ができる犬である。

 気にくわないから相手の犬を組み伏せるということななどは求めない。

 飼い主との普段の生活では、吠えることがなく、本当の賊がきたときにはこれを吠えて撃退すること。それでも賊が主人に危害を加えるようであれば、賊を怪我をさせずに組み伏せて、捕らえることである。

 夏の暑さにも負けない丈夫な身体をもち、冬の寒さにも負けない丈夫な身体を持ち、雨にも風にも怖じ気づくことなくあるがままに受け入れて、雨に打たれても病気にならない丈夫な身体であること。

 飼い主に素直にしたがって、無用な要求をすることなく、いつもそこに居て、みればその佇み(たたずみ)がまことによく、いつみてもその顔に妙な癖がなく良い自然に接しているような安らぎを覚えさせる。

 その立ち姿は四肢を適度に踏ん張り、背中を伸ばし、首を持ち上げ、前方を緩やかにみているのがいい。

 健康な精神と身体を備えた犬は良い犬であり、これは子犬でも同じである。だからそのような子犬を生むような犬を父母犬とするようにするのは繁殖者の努めである。
 
 

 現代紀州犬の祖犬「那智の市」号とその姿、日本犬の美の在り方。

【写真A−1】現代紀州犬の元犬になったオス犬「那智の市」号


【写真A−2】上記写真(A−1)の分解図

      

写真B−1】現代紀州犬の元犬になったオス犬「那智の市」号


【写真B−2】上記写真(B−1)のと分解図



 上の写真は現代紀州犬の祖犬である紀州犬オス犬の「那智の市」号である。この二枚の写真は本に載っている有名な写真であり、とりわけ「那智の市」号姿を伝える写真として紀州犬愛好家が頭に描くその姿である。

 「那智の市」号とその姿を伝える【写真A−1】をみたある人のある感想。

 【写真A−1】をみたある人は、その姿に感動して次の様な文章を綴った。

 枯れた犬としては山出しの有名犬「那智の市」こと、「市」の姿を写した写真を上回るのと見ていない。「市」の姿を上手に写真に撮ったのか、市が良いために写真にある姿が良いのかは、少しの詮索が要るかも知れない。

 この犬は名猟犬であった白毛の紀州犬で、その体高は49センチメートルであったと伝えられている。白毛は汚れのつよい白である。尾は差し尾。真っ直ぐ上に伸びた太刀尾ではなく、尾上の方で前に伸びた差し尾である。

 口吻は丸く、適度な太さをもっており、長くもなく短くもなく発達した頭部と均衡して備えれている。耳差しも適当な角度で頭部につき、前方にわずかに傾いている。

 前胸の幅は狭くもなく広くもなく、適度に深い胸から良いアーチ状を形成して下に下りる。後肢の踏ん張りは力感をもっており、イノシシを追って追って山をはしるその姿の美しさが想像できる。その身体には水っぽさはない。昔、明歩谷

 「市」の姿にはイノシシ猟を積んでいくうちに鍛えられた身体の強さ、精神の安定などが伝わる。年齢を重ねてしかできない晩年の姿は枯れた美しさの極みのように思われる。紀州犬は自然そのものだ、ということを「市」の写真の姿に思うのである。

 この「那智の市」は現代の紀州犬の元犬になった。そののち紀州犬は「那智の市」の背丈である49センチメートルよりも大きくなり、白毛の汚れは取れて、一見するところでは綺麗になった。日本犬標準に文字として記述されているその内容は、ある方法を指し示すものであり、それは同時にそこから逸脱してはならない、ということとして私は理解している。どこからどこまでがどうであり、その言葉になった漢字に強く規定されて、漢字などの言葉の解釈をめぐって遊びに近いようなことをしてはならないと思っている。

 実際に斉藤弘吉氏は自分がつくった日本犬標準の言葉「耳三角にして」をその後に説明をしており、斉藤氏が日本犬保存会を離れたあとに犬を品評する審査員のその解釈に重大な疑義と問題点があることを指摘した。

 「那智の市」号とその姿を伝える【写真B−1】をみた後でのある人の感想の訂正。

 「那智の市」号の【写真B−1】を後でみて、上記の文章に対して次の様な、追加とも訂正ともいえる文章を綴ることになる。

 「耳三角にして」のその耳三角にたいして【写真B−1】にみられる耳の形は十分な適合性をもたない。その耳の形も【写真A−1】を子細に観察すれば、【写真B−1】にある耳の形を想定できる。そのことが分からなかった自分の不明は知識と経験の不足による。

 前足の置き方、後肢の位置と踏ん張りもこれではいけない、ということで腕組みをして考え込むのであるが、

 眼の表現でも【写真B−1】は、【写真A−1】に劣る。

 写真の撮し方、写り方によってこれほどの差が出るものなのか、ということが正直な思いである。

 しかしながら【写真A−1】にみられる「那智の市」号の姿は秀逸である。
 
 

暮らしの中にいることを嬉しいのであれば、その犬との暮らしは仕合わせなのだ。

現代紀州犬の元犬になったオス犬「那智の市」号。
「イチ」と呼ばれていた犬である。


 飼い犬の名前の呼び方

 自分の飼い犬を識別していない飼い主はいないだろう。

 2頭いる飼い犬のオスとメスの識別ぐらいはできるのは当たり前である。

 当たり前は、当然ということでもあり、言葉を換えれば普通ということでもある。

私は人と犬を語るときに、自分の犬の愛称を用いることを好まない。

 「私の飼い犬」という言葉で通したいと強く思っている。

 「ハナキズ」と「チビ」と「ウメ」と「小五郎」という私の飼い犬

 あるオス犬はハナキズであり、あるメス犬はチビである。

 鼻に幼いころに傷をつけてそれがずっと残っているから「ハナキズ」なのだ。

 「チビ」は飼っている犬で一番幼かったので、それと区別するのに都合がよいのでそのような名前になった。

 「ウメ」というメス犬がいて、これは一家のある者がそう呼んだから、そうしているのである。

 私は犬に思いを込めた愛称はつけない。

 思いは裏切られるからである。犬に裏切られないためには犬に過大な思いを寄せないことだから、何となくその場に適当な言葉がみつかれば、それを犬の愛称とする。

 大学の教員などは何かあると直ぐに「家内は」と述べる。意気がった奴ほどそのようだ。

 犬の愛称を人前で述べて犬の話しをすることは、意気がった人間がしょっちゅう述べる「家内が、家内が」というのと同じだと私は思っている。

 私が飼っている犬は紀州犬であり、ここで述べていることはすべて紀州犬のことである。

 小五郎は剣豪路線の名付け方からきた名前だが奥手のチビ犬だ

 「小五郎」と血統書に名前が記載されたオス犬がいる。

 これは桂小五郎からきており、近藤勇が「恐ろしい以上、手も足も出なかったのが桂小五郎だ」いったということであり、桂の剣術というか武闘の腕前は相当なものだ。

 後の木戸孝允(きどたかよし)が桂小五郎であり、西郷隆盛、大久保利通とともに維新の三傑とされている。

 見込みのある紀州犬のオスに剣豪の名をつけることにした繁殖者の眼にかなったのが小五郎と名付けられた私の飼い犬なのである。

 しかし、この犬は成長が遅く、「奥手」のようすをみせている。小さいということで、その小さいと「小五郎」とが重なるので、普段も小五郎という名で呼んでいる。

人の世界であまり知らない人と会話をするのに「妻が」というのはそれなりにわかる。しかし「妻のウメが」といわれると、息をのんでします。それがいきなり「ウメが」といわれると話しを止めてしまう。

 そのようなことで私は人の犬でも自分の飼い犬でも、人との会話では名前をださない。名前をだしてクドクドと犬の話しをすることを好まないからでもある。

 2歳過ぎると眼に見えて変化する紀州犬

 犬は2歳過ぎて3歳にもなると、なるほど紀州犬とはこのような犬なのか、と思えるほどに変化する。

 変化はどのようなことかというと、オス犬は身体が一回りか二回りか大きくなり、それにつれて頭がでかくなって、身体が締まり、全体として風情がでる。ときどき手伝いをする紀州犬を知らない人でも、子犬だった犬が2歳にもなると、随分立派になりましたね、と驚いたように感想をいう。

 紀州犬の格好良さを並べて比べるとなると、同じ素質で同じような状態にあるとすると、運動をしている犬が優る。それ以上に差がでるのは犬の落ち着きであり、性質の良い犬は飼い主との一体感があって、立派にみえる。

 飼い主は犬に少しだけ思いを寄せて、1日に1時間ほど犬のために時間をつくる。それは犬の散歩ではなく、人の散歩に犬を伴させるという暮らしである。散歩の時間が2時間になることもあり、ときにはオシッコをさせるための10分ということもある。気持ちが塞いで身体が動かないときには、ご免ね、ご免ね、言って謝りのために手を合わせることがあってもいい。

 思いを少しだけかけている飼い犬が歩いているときに格好いいと感じたり、犬舎にいるその犬が良い顔だと思うことがあったり、と、その犬が暮らしの中にいることを嬉しいのであれば、その犬との暮らしは仕合わせなのだ。


(読み返しておりません。誤字、誤変換、その他の不都合をご容赦ください。) 

 
 
 

 産室の水濡れを軽減するために、私は稻藁(いなわら)を敷いている。

 飼い主の不注意による犬の出産にともなう事故はある。

 ある人は冬季、戸外の犬舎でのお産において、板の床が羊水と胎盤などで濡れて凍りかけるほどであったために生まれた4頭の子犬のうち2頭を凍死させた。

 このとき母犬は人が自分の赤ちゃんが死んだために激しく嘆くような素振りを長い間つづけていたために、その責任を強く感じたという。その嘆きの様子は人の嘆きとほとんど同じであったという。生まれた直後に子犬が死んだ母犬の行動にこのようなことがある。

 同じことが別のメス犬におきたときには母犬は何事もないようにしていた。

 生まれてきた子犬が二日三日と母犬の乳首にしがみついて乳を飲んでいてもやがて元気がなくなって、蚕室の隅で弱々しくしていることがある。母親の乳首に口を当てても元気なうちは吸う仕草をしていてもそのうちにこれができなくなって、体重は増えずに逆に減っていく。

 動物病院に連れて行って、注射器のシリンダーに子犬用のミルクをいれて飲ませようとしても、少しは飲む素振りをするが、まともな飲み方をしないと、やがては命が尽きる。このような状態で生きているのは生後10日ほどである。

 母犬のそばにいて弱っていき、やがて命が尽きる子犬に対して、母犬が人がするような助命のための行動をとらない。生後5日ほどで命が尽きた子犬はどうしたわけか、産室の隅にいる。

 お産のときの産室の水濡れを軽減するために、私は稻藁(いなわら)を敷いている、その下が簀の子(すのこ)状になっていて、水を透かすことができるようになっていれば、母犬の排尿によって産室が水浸しになることがなり。

 ウメは今度のお産では私が子犬を触るのを嫌がった。

 出産直後の母犬のなかには飼い主に子犬を触らせないというのがいる。

 私の場合には手を出すと噛まれるという状態になったことはない。

 子犬を触られることは、子犬をとられることと思う、母犬もいれば、どうぞどうぞと触らせるのもいる。

 出産の後の母犬の行動は一定ではない。一つの事例によって、ですべてをそのようになると、考えがちなのが、物事にはいつでも一つの正解があると、思わされて育てられてきた日本人の思い込みと無縁ではないと思っている。

 私の犬のウメという犬は性質が非常に良い犬であり、これまでに5度ほど子犬を生み育てている。そのウメは今度の(一番最新の)お産では私が子犬を触るのを嫌がった。出産後3日ほどはとくに嫌がった。その後はこれが減じて、生後14日も過ぎると、子犬を触ることに拒絶の姿勢を示さなくなった。子犬を抱いて子犬の体重を計るために持ち上げると、首をその方向に向けて気がかりな様子を見せても唸るといういうことをしなくなった。

 しかしながら現代に紀州犬は綺麗になった。その綺麗さは立派であっても生き物としての自然さということでは「那智の市」号に優位性がある。

 それは犬を飼う人の心の在り方、犬との接し方などが作用しているからなのかも知れない。

 ベタベタ、ダラダラで可愛い可愛いという思いで紀州犬に接していては、その一家の主人が紀州犬になってしまう。そこには精神の在り方の渋さ、行動の渋さ、そして犬の心の素朴さは宿ることがない。

 出産直後の母犬の排泄は扉を開けても外に出なければ無理強いをしない。

 出産直後の母犬は気持ちが異常に高ぶっているということだろう。

 チビという紀州犬のメス犬は出産後数日して、排泄をさせようと玄関先繋いでおいたら、アルミニュームでできているフェンスの棒を強く噛んで傷つけた。いまでお産をさせて子犬を居間につくった産室においていたので、そこに戻りたいということでフェンスを噛むという強い行動をとったのである。

 どのような犬も子犬が生まれた直後に排泄などのために外に繋いでおくと、子犬のところに戻るのだということで、ヒィーヒィーと激しい声をだして啼く。

 出産直後の母犬に排泄をさせたい気持ちがあっても、扉を開けても外に出なければ無理強いをしないか、庭に強制的な出して直ぐに戻るならそれでよしと、するのが良いと思う。そう思いながらも私は母犬の排泄を無理強いするために50メートル先まで歩かせて戻る。


 お腹の膨らみ具合から予想したとおりに4匹の子犬が生まれた

 新たに加わった2匹の子犬はメス犬であった。

 生まれたのはオス犬が1匹、そしてメス犬が3匹であった。

 オス犬にはロウソウ(狼爪)はついておらず、3頭(3匹)のメス犬にはこれがあった。生まれたそのときにロウソウ(狼爪)を除去することになった。

 ロウソウ(狼爪)の除去は生後3日か4日してからという考え方がある。私の場合には気が向けばその日のうちに除去している。

 除去するのは後ろ足の5本目の爪である。

 前足にも似たような爪がついているので、うっかりするとこれを外してしまいかねない。寝ぼけていると前足の爪を除去することがあるので、意識がしっかりしている状態で、前足と後ろ足を確認して、ロウソウ(狼爪)の除去をする。

 紀州犬のメス犬、ウメの出産に立ち会っていたかったのは、子犬が袋に包まれて生まれてきて、その袋を母犬が破り、臍の緒を切るところを撮影したかったからである。それと胎盤を食べてしまうところもである。

 ウメは出産を2区切りに分けて、それぞれにボロリと生んだようである。ギーともギャーとも叫ぶことなくボロリと産み落とした。

 後口のお産はすぐそばでうたた寝している私の耳にはそうした叫び声は聞こえなかった。

 ウメが生んだのは4匹の子犬であり、この4匹はお腹の膨らみ加減から私が想像した数であり、結果はその通りになった。2匹しかお腹から出てこないので、変だなと思ってウメのお腹をさすっていると、これを不快に思ったのかウメはウーと声をだした。

 お腹はもう空っぽなのかな、と自分の観察は大したことはないと自信を失っていたら、2匹が追加されたので、私の気持ちは明るくなった。


 出産直後は子犬から離れたがらない

 夕方になってウメを散歩に連れ出すと柔らかい普通のウンチをした。このころの母犬は子犬から離れるのを嫌がる。ウメもオシッコをしてウンチをしたらすぐに戻るということで駆け戻るのであった。ウメはウンチもオシッコもしない、子犬のそばにいたい、という態度で外に連れ出されるのを嫌がった。

 翌朝の朝には胎盤を食べた証拠になる緑色のどろりとした糞をした。緑の糞には栄養価がまだ残っているために、この糞を食べてしまう母犬がいる。ウメは子犬の体重を計るために外につないでいる間に緑色の糞をして、その糞がそのまま残っていた。少し食べたのか、食べなかったのか、わからない。

 母犬を外につないでいる間が子犬のようすを確認して、体重を測定する時間である。

 母犬は出産後、1週間ほどは子犬から離れたがらない。ある犬は玄関に長い時間つないでいたらアルミの垣根をガリガリと咬んで傷つけていた。

 子犬を思う母犬の気持ちはこのようである。


 生まれた直後362グラムであった子犬の体重は生後10日に730グラムになる

 子犬は生まれるとミーミーと聞こえる小さな声を発して母犬の乳にしがみつく。これが日を追うごとに大きな音になる。乳首にしがみついてシュパシュパと鳴っている音がよく聞こえる。生後3日にもなると庭の産室で乳を吸う音が二階に聞こえるほどだ。

 生まれた直後の子犬たちの体重と生後10日の体重。

 オス(その1) 362グラム(出産時) 730グラム(生後10日)
 メス(その1) 285グラム(出産時) 650グラム(生後10日)
 メス(その2) 370グラム(出産時) 730グラム(生後10日)
 メス(その3) 322グラム(出産時) 680グラム(生後10日)

 生後10日もすると花は黒くなり、口の周りの色素も黒み増してくる。

 タタミ一畳ほどの産室には稲わらを敷いていて、子犬はここを這い回っているのであるが、生後10日にもなると腰が立たないのによく動く。

 朝晩の小寒いときには母親のお腹にしがみついていて、日中になって気温が上がると4匹は産室のあちこちに散らばって寝ている。

 授乳をつづける母親は栄養をとらなくてはならないので、普段は一日に一度与えている食事を二度にして、豚肉をゆでてドッグフードに汁ごとかけてやる。

 子犬は母親の乳首にしがみついてシュパシュパという大きな音とたてて乳を吸う。乳を吸うときに両前足で乳房を押している様子がけなげである。吸い付くその力は強く、もっと吸いたいということで前足で乳房を強く押すのであろう。誰に教わったのでないのにどのような子犬もそのようにする。

 生後12日を過ぎたころになると目が開き始める。

 子犬の体重は生まれた翌日には少し減る場合もあり、4日目ころからは確実に増える。生後5日を経過して体重が増え続ければ、そのまま育つ。生後5日しても体重が増えない子犬は育たないことが多い。内臓かどこかが悪いためなのだろうか。

 生後10日になると乳を求める泣き声はますます大きくなる。ミーミーとかミャーミャーというように聞こえる。生後30日ころになるとワンワンと泣く子犬もいる。

 生後11日の体重 オス(その1)830グラム

 交尾があって60日すると子犬が生まれて、その子犬は45日すると親から離れることになる。生後30日で食事は独立して摂ることができるので昔はこのころに新しい飼い主に渡されてもいた。私の知り合いはこのころに子犬を連れてきた。

 子犬の成長は早い。11日の夜に体重が730グラムであったオス(その1)は翌日の昼には100グラム増えて830グラムになっていた。これが生後12日めである。何となく眼が開き加減である。膝行り(いざり)歩きをして、開かないから見えていない眼で母親の乳を探すのであるが、そのときの啼き声はけたたましく、何事がおきたのだろうというほどである。膝行り歩きの速さには驚かされる。半分は四つ足を立てて使っているとも思わされるほどだ。

 このころから30日もすれば母親と別れることになるのだから、犬の子育てはわずかの期間であり、あっという間のことになる。

 【生後11日の体重】

 オス(その1) 362グラム(出産時) 730グラム(生後10日) 830グラム(生後11日)
 メス(その1) 285グラム(出産時) 650グラム(生後10日) 700グラム(生後11日)
 メス(その2) 370グラム(出産時) 730グラム(生後10日) 750グラム(生後11日)
 メス(その3) 322グラム(出産時) 680グラム(生後10日) 740グラム(生後11日)

 生後14日に一頭の眼が開きました。ほかの子も眼を開きそうです。

 【生後14日の体重】

 オス(その1) 362グラム(出産時) 730グラム(生後10日) 830グラム(生後11日) 1,000グラム(生後14日)
 メス(その1) 285グラム(出産時) 650グラム(生後10日) 700グラム(生後11日) 860グラム(生後14日)
 メス(その2) 370グラム(出産時) 730グラム(生後10日) 750グラム(生後11日) 930グラム(生後14日)
 メス(その3) 322グラム(出産時) 680グラム(生後10日) 740グラム(生後11日) 880グラム(生後14日)

(メス−その3−の眼が開きました。ほかの子も薄めを開けているような状態になっております。)

 生後18日には子犬の爪を切ってやりました。歯茎から歯が出てきて皮膚を破りそうです。

 四頭の子犬は生後18日にはどの子も体重が1,000グラムを超えました。

 この日爪を切りました。爪はそのままにしておくべきか、切った方がよいのか迷うのですが、生後15日も過ぎると子犬の爪は抱くと人の手にチクチクするので切りました。

 この爪がある手で母犬の乳房をぐいぐい押して乳を吸うのです。何かの自然の作用があるのかも知れないということで、これまでは放っておりましたが、今回は爪を切りました。伸びていても切ってあっても大して変わりはないと考えたからです。

 子犬の眼は早いのは生後14日で開きました。生後17日には全部の眼が開きました。早い場合には生後12日で開きます。

 眼が開くころになると膝行り歩きから、四つ足を立てて歩くような状態に移行します。

 子犬の泣き声は生まれた直後のミィー、ミィー、ミャー、ミャーから、生後18日にもなるとキャン、キャンとかワン、ワンとも聞こえるようになります。

 子犬は未だ喧嘩することはなく、寄り添って寝たり、バラバラになって寝ております。

 寒いと母親に四頭そろってしがみついております。

 毎日、子犬の体重を計って記録し、身体を調べます。とくに歯の噛み合わせを調べては、大丈夫だと安心して母親のいる産室に戻してやります。

 生後18日になると歯茎から歯が生えてきているのが皮膚越しにわかります。もうすぐ皮膚を破って白い歯が見えます。

 抱いて仰向けにすると嫌なのかキィーキィーと啼くのです。爪を切るときにもこのように啼きました。

 母犬は豚の細切れを水で煮たのをドッグフードにかけて与えます。日に二度この食事を与えており、よく食べます。食べた分だけ糞をします。大量の食事を二度与えていて、日に一度の排便のための散歩では我慢がきついでしょうから、二度外に出ることになります。授乳中に投与される栄養分が不足すると母親の身体が悲鳴を上げ、命を落とすことがあります。身体の中のカルシューム分が失われてこの補給機能が途絶えると落命します。

 母犬は授乳中に太りました。脂肪分が多い肉を与えら得ているためかどうか、身体に少し湿疹のようなものができているので、薬用シャンプーで処理してやりました。

 出産直後には子犬を触られるのを拒否した母犬も、子犬の爪を切るときにキィーキィー啼く声にほとんど無反応です。

 このようなものなのでしょう。



(読み返しておりません。誤字、誤変換、その他の不都合をご容赦ください。) 


 生後25日前後、離乳の時期とその前後の子犬と母親の行動。


【写真 生後24日目の子犬です。】自分で元気よく食事を摂るようになりました。


 自分で食事を摂るようになりました。粒のまったくない練り物の缶詰の餌を与えてます。200グラムの缶詰を子犬4頭で瞬く間に食べてしまいます。生後20日過ぎから母親の食器に首を突っ込むようになっておりました。

 生後23日に思い立って上記の食事を与えると夢中で食べたのです。母親が出す母乳では不足なのです。

 生後14日では子犬の歯は上の門歯の両端と上下の犬歯が歯ぐきから出ております。これが少し遅れている子犬もおります。鋭い乳歯ですからこの歯で乳首を噛まれたら母犬は痛いので授乳が苦痛になるのだろうと想像します。

 母犬は食べた食事を半分消化した状態で吐きもどして子犬に与えることもあります。

 この吐きもどしは、安定的ではないので飼育者は子犬用の食事を用意して与えるのです。

 子犬の食事の間は、母犬は別の犬舎で母犬用の食事を摂ります。

 子犬は腰が立ち、産室を駆け回り、子犬同士のじゃれあいといいますか、そういうなかで噛みあいをしております。

 母犬の食器のなかの餌を取ろうとすると、母犬はワンと脅かします。少し噛むこともあります。そうすると子犬は大仰天して、キャンキャンンと啼いて逃げ回るのです。いつもある光景ですから、私はそういう時期になったんだな、と思うだけです。

 子犬同士の喧嘩のような行動、母犬の子犬いじめのような行動などは、子犬が犬としての性質を備えるために必要にして欠くべからざることから発生しているのです。

 飼育者も夢中でやってきた24日間です。生後25日には子犬は自分で食事を摂るようになることを子犬の行動から思い出しました。

 子犬の体重は毎日計測してその変化から、生育の状況、健康の状況を確かめております。

 この子の体重は生後24日に1,520グラムです。



身体にも異常がなく、行動にも異常がなく、無事に育つことが繁殖者の喜び。

 子犬が産まれて、母犬の乳を飲んで生後5日、少し余裕をみると生後10日ほどまでに育つと、大体は子犬として無事に母親から自立することができます。

 外からは見えない内臓などの疾患があると生後3日目くらいに体重の増加の停止、あるいは減少がおこります。体重が増えない犬は母親の乳首に吸いついているようにみえても、乳を飲んでいないのでしょう。飲んだ乳を消化できないなど、子犬の体には成長を阻害する何かがおきているのです。

 飼い主が子犬用の哺乳瓶などで授乳しても、乳を吸えず、吸っても消化できないのですから、命が尽きることが多いのです。

 このようになる子犬は決して小さく生まれたということではありません。体重300グラムほどで、普通の大きさの身体で生まれたということではないので、飼い主は大いに戸惑います。

 体重が180グラムほどで生まれて、そのまま育った子犬も多くおります。

 体重が少なく生まれてもやがて体重の大きな子犬を追い抜く事例はごく普通にあります。

 このようなことですから、大きく生まれたからよい子であり、だからそれを出産後まもなくよい子犬と思って選ぶということをするのは、早計といえます。

 目が開くのは早い子犬では生後12日ころ、遅い子犬では17日ころです。

 生後20日ころになりますと、膝をすってのいざリ歩きだったのが、四足を何とか踏ん張ることができるようになり、腰が立って歩き方になります。

 この生後20日前後から子犬同士の喧嘩のような行動が頻繁に見られるようになります。母犬もまた母犬の食事に子犬が首を突っ込むと、ワンと吠えたり、噛んだりして威嚇することがあります。子犬は叱られるとキャンキャンと泣き叫んで、産室の隅のほうに逃げていきます。

 こうした母犬の行動、子犬同士の喧嘩にたいして、どのような解釈するのか、いろいろだと思いますが、犬はそうするのです。

 子犬の離乳と歯の生え方とは連動するようです。

 生後25日前後に子犬はドッグフードを溶かしてドロドロそばに置くとこれを食べます。生後20日ころから食べ始める子犬もおります。本格的にこうした食事を食べるのは生後25日前後からです。自分で食事を食べ始めましたら親から離すことができますが、普通は生後6週であり、生後45日以降になります。

 子犬が普通に産まれて、普通に育ち、普通に離乳し、子犬として母犬から分離して、新しい飼い主のところに渡ります。

 身体にも異常がなく、行動にも異常がなく、無事に育つことが繁殖者の喜びであり、新しい飼い主に渡った子犬が、その家になじみ、社会になじみ、飼い主と相思相愛とうことで、良い生き方ができることを望みます。

 その犬が飼い主にとって良い犬になるには、飼い主がいるの性質を理解し、そのうえで必要な躾を施すことが大事です。

 犬の性質の理解を助ける本が藤井聡さんの『しつけの仕方で犬はどんどん賢くなる』(青春出版社、税抜き価格1200円)です。この人の本を集めてきて読むといろいろとわかると思います。わかる前に飽きたり、自分の観念をそのままに本の内容を受け入れないこともあるようです。

 藤井聡さんの本はあくまでも犬の性質を理解するために推奨します。犬のしつけのあれこれの細かなことは、それをしても犬が本に書いてあるようにならないことが多いからです。そのこととあわせて日本に住む人々の多くは犬がしつけられないようですから、本を読んだからといって犬をしつけられるとは思っていません。

 紀州犬愛好家のあいだの仕来たりは、紀州犬にお手も、お座りも、教えないことなのです。このことの良し悪しをどうこうと問うものではなく、そういうことになっている、ということをお伝えします。



(読み返しておりません。誤字、誤変換、その他の不都合をご容赦ください。) 

  
 

生後45日前後の子犬に与えるドッグフードとして推奨するのは、ヒルズのサイエンスダイエット「パピー」(小粒)。

 生後24日には子犬の食事開始後第二日目のドッグフードを与えた。

 まぜ物の濃厚な内容のドロドロした固形成分のない、ムースとかペーストとかの名称がついている缶詰だ。

 このドロドロを食べて、しばらくしてから少し大きめの粒の乾燥ドッグフードを与えてみると、直ぐによってきてその粒を口に含む。

 歯ぐきから少し出たばかいの乳歯には噛み砕く力、機能は備わっていない。噛んでも粒は砕けない。やがて口から出してしまう。

 生後45日ほどの子犬では粒の大きいドッグフードを食べて、それが気管に入って窒息死するのがいるから、要注意である。安全を見越せば小さな粒のドッグフードを与えるのがよい。

 生後25日ほどの離乳期の子犬は気管に支えることのない超小粒でなければならないから、ドッグフードをミキサーにかけてつぶすか、水に漬けた後でミキサーでドロドロにするかして与えることになる。水分の摂取(供与)を考慮するとドロドロのものがよいことになる。

 このころの子犬の食事の量は、子犬が食べる程度ということでよい。

 あれだけ、これだけの量を与えなければならないと考えても子犬は食べたい量だけを食べる。

子犬が離乳食を食べ始めても、母犬の乳を飲む行動がやむことはない。これは生後42日、生後45日になっても続いていることがある。

 このころには子犬に必要な栄養はドッグフードなどに依ることになる。母犬の乳を飲む行動はいろいろと論理づけられる。

 生後45日前後の子犬に与えるドッグフードとして推奨するのは、ヒルズのサイエンスダイエット「パピー」(小粒)である。

 生後25日の離乳期の子犬の食事はヒルズなどのドロドロした缶詰の子犬用であれば申し分ない。ヒルズのライバルのドッグフードメーカーのものでもよい。

 サイエンスダイエット「パピー」(小粒)を牛乳などでふやかして、ミキサーにかけてドロドロにしたものでもよい。

 犬の食事、子犬の食事に対する考え方は人によって様々であり、挽肉(ひきにく)を水煮にして砕いたドッグフードと混ぜる、それにお粥を混ぜる、ほかである。これのよる成長の差異を確認できるほどに事例が集まってはいない。

 ドッグフードメーカーの実験事例はあると思われる。

 子犬の食事は生後6カ月あるいは生後8カ月ころまでは、ヒルズのサイエンスダイエット「パピー」(小粒)かそれに類するドッグフードを主体に与える。その後は、日清ペットフーズの「ラン・ミール」など、栄養価の少し低いドッグフードを混ぜるか、徐々にこちらに切り替える。

 ドッグフードに煮立てた挽肉、野菜をかけてやったり、あるいは米を混ぜてやることはよくおこなわれていることだ。


(この項目の文体は「である体」になりました。「ですます体」との混同がありますが、ご寛容のほどを。)

(読み返しておりません。誤字、誤変換、その他の不都合をご容赦ください。) 

 
 

太刀尾の犬が生まれたと喜び、次の子孫が巻尾だと、がっかり。

 紀州犬の尾のことである。

 日本犬の尾形のことでは「立耳に巻尾」という言葉を使って、山間僻地に残されている犬を探して回り、この二つの要素をもとにして日本犬らしい犬を集めた。

 立耳の反対のことは垂れ耳である。巻尾の反対は垂れ尾である。「立耳に巻尾」の犬がいなくなっていたことを象徴的に物語る言葉である。

 紀州犬の尾形は大別すると、巻尾と差尾になる。

 巻尾とは尾の先が背中よりも下に垂れている尾の形である。

 尾が二重にクルクル巻いているのがあったり、それが三重になっていたりする。二重に巻いてその先が横に伸びているのもある。ゆったりと巻いて背中の少し下で止まっているのもある。

 差尾とは尾の先が背中に達していない尾の形である。

 尾の先が歩くと背中をトントンとたたくけれども、緊張しているときには背中から離れているのは、タタキ尾という差尾である。

 天空をめがけてほぼ真っ直ぐに立ちあがったのが太刀尾であり、それが少し後方に傾いているのが薙刀尾(なぎなたお)である。

 尾の途中で前方に向かっているのもある。

 差尾でもその尾の形と表現は様々である。

 私が飼っている犬のほとんどは差尾である。

 ウメ(梅)というメス犬は見事な太刀尾であり、その尾の長さは十分に長い。祖父犬のこの尾形は魅力であった。ウメの母犬はそれほどの太刀尾ではなかったが、ウメは見事な太刀尾になった。

 太刀尾はウメの子供にもまた遺伝して、見事な太刀尾の子がときおり出現する。

 子犬のころに尾が巻いていたウメは、血統書の尾の項目は巻尾として登録されている。そのウメの尾は生後五か月ころから差してきて、その後に立派な差尾の犬になった。

 血統書に記載の巻尾の犬が、実際には差尾の犬なのである。

 子犬のころには尾が差していてこれは間違いなく差尾の犬だと血統書申請時点では差尾にしてあっても、その後にクルクル巻いて、それこそ立派な巻尾、紛れもない巻尾の犬になったのがいる。

 両親犬の尾形、その先祖犬の尾形などを考慮して、生後30日、生後42日のころに尾が差していても巻尾として血統書申請することがある。

 甲斐犬には差尾が多い。紀州犬にも差尾が多いが甲斐犬ほどではない。紀州犬が数多く集まっているなかで差尾はわずかであることも少なくない。

 二重巻などの巻尾の紀州犬を飼ってきたある人は、差尾に、そして太刀尾にあこがれて二代三代と意図して繁殖して見事な太刀尾の犬を得ることに成功した。その犬の子供は普通の巻尾の子であった。意図すること、そして犬の遺伝のこと、なかなか思うようにいかない。

 尾はその本体そのものは骨と筋肉と皮膚からできていて、毛がなければ牛蒡(ゴボウ)と同じだと思えばいい。毛のない紀州犬の尾は牛蒡と同じである。

 毛質の良い紀州犬の尾はその毛のために太く見える。尾が長すぎる紀州犬は見たことがないので、尾は長いほどよいといってもよい。太い尾、そして長い尾が、紀州犬の尾として望ましい。尾の短い紀州犬はよく見る。差尾でも短い気味の尾がある。

 短くて、細くて、巻いている尾はみすぼらしい。

 日本犬の世界では「尾千両」というのがあり、犬の体がよくて、顔がよくて、気性が堅固でよくできた犬でも、尾がみすぼらしければ、「画龍点睛を欠く」のと同じことになる。尾(の形)はその意味で大事である。

太刀尾の紀州犬のメス犬のウメ(梅)の子は大体は差尾の犬になる。巻尾の犬でもその巻き方は優雅である。

 生後25日のウメ(梅)の子が尾を真っ直ぐに上にあげて産室で走り回っているのをみると、気持がワクワクしてくる。尾が真っ直ぐに上にあがっている子犬が差尾まちがいなしと思いがちであるが、尾が真っ直ぐに上に伸びないで後ろ側に少し垂れたような尾の形をしている犬が太刀尾になることが少なくない。

 太刀尾の犬が生まれたといって喜んで、その犬がお産したら巻尾の犬であったので、がっかりしたという人の心は、紀州犬の尾形に対する感情を代弁しているように思える。

 小五郎というウメ(梅)のひ孫のオス犬は、生後6カ月ころまではタタキ尾というほどの差尾であった。それが生後11カ月になると尾は背中からずっと離れるようになっている。成長途中の紀州犬の尾形は変化する。



(この項目の文体は「である体」になりました。「ですます体」との混同がありますが、ご寛容のほどを。)

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 紀州犬の生後27日前後、日中は母親と別の犬舎で過ごします。
(一緒にいても良いのですが、飼い主はこの子たちの場合には分離しました)


 生後27日になりました。

 食事はドッグフードを一晩水に浸けて、その後ミキサーにかけてドロドロにしたものを与えております。

 食前と食後に体重の変化をみますと、大体50グラム増えておりました。この後は食事の量が増えるのにあわせてこの辺はもっと大きくなります。

 母犬は子犬から離しても平気な顔をしておりますので、日中は別の犬舎に移して別に食事を与えております。夜には一緒にします。

 子犬は四頭とも母親と離れていてもそれが不満だとか寂しいだとか、そういうことを想像させる啼き方はしません。

 定期的にドロドロの食事を与えるとそれを食べます。これは1日2回です。量を少なくすればその倍の回数でも良いと思います。

 母乳からドッグフード(ドロドロにしたもの)に食事を切り換えますと、糞の量は増えます。母親と一緒にしておくとその糞を食べて処理するのですが、別の犬舎にいる母親にはこれができませんから、飼い主が床に敷いた藁(わら)を変えて対処します。

 夜になると子犬は産室で一緒になった母親の乳に飛び付きます。このときに1頭だけのんびりと乳にすがりつくのがおります。この子の性格なのか満腹しているためなのか、観察を始めております。

 子犬は母親にソケイ部をペロペロとなめれるとその弾みでオシッコをして、ウンチをします。母親はづっとこうした行動をつづけているのです。生後26日になっても同じようなことをしております。母親はソケイ部をなめるために子犬をひっくり返すのです。

 繁殖者は毎日子犬の身体を点検します。

 元気さのようす。噛み合わせ、ベロ、ほか、です。毛の色はほとんど真っ白で、耳の先がその端が少し茶色いかな、という状態です。

 子犬のころに白くても、その後に背中や尾の先や、後足の裏側などに茶色の毛が混じることがあります。

 紀州犬は白毛の犬であっても、黒い紙に白い絵の具を塗ったような状態の白ではありません。日本犬は基本的に自然のものです。この白を真っ白にしていくことはできないことではありません。しかし自然であることと、真っ白であることとの間には、相容れない要素があると私は考えております。

 真っ茶茶の茶色のような白ではいけませんが、白毛のなかに茶色が混じるような白でよいと考えます。これは白毛の渋みに通じるのと思うのです。

 紀州犬の背中などに茶色の毛が混じると駄目な犬だと思う人がおります。世間の人が白い犬はどのような混じりけもない白だと思っていることから生じることです。しかし紀州犬の白毛はそうではないことを知っていただいて、了解して欲しい、のです。

生後26日の子犬の体重は次のとおりです。

オス      1,810グラム。
メス(その1) 1,530グラム。
メス(その2) 1,560グラム。
メス(その3) 1,590グラム。


(この項目の文体は「である体」になりました。「ですます体」との混同がありますが、ご寛容のほどを。)

(読み返しておりません。誤字、誤変換、その他の不都合をご容赦ください。) 

 
 
 
 
写真下は生後21日。16日に片眼が開いて、17日に両目が開きました。オスの子犬。体重は生後21日で1,360グラム。間もなく離乳食を与えます。 

 
 
 
 
 紀州犬の歩調は人によく調和する。
(飾らない姿と行動は日本の風土が生んだ紀州犬である。)


【写真】(下)は生後10カ月の紀州犬のオス犬の歩く姿。身体はこれより少し大きくなります。


 猫より少し大きいほどの犬を飼っていれば大抵は平和である。

 人が好きになる犬は移り変わる。特別に犬に関心をもたない人でもあのころは世の中にあの犬があふれていた、ということを幾つか思い浮かべることができると思う。

 紀州犬が大人気になったのは昭和の終わりころであった。その少し前が人気の絶頂であった。

 小さい犬は大きな犬より力が小さい。どこにいても大して目障りではないから二〇一三年のいまころはこの小さな犬を飼う人が多い。

 猫より小さな犬がよく飼われるようになった。猫くらいの犬か猫より少し大きいほどの犬を飼っていれば大抵は平和である。

 紀州犬のオスのたくましさはそのまま美しさにつながる。
 (メスには優しさは別の意味での美しさである。)


 紀州犬はオスとメスとでは身体の大きさが違う。

 その差は一回りというよりは二回りといったほうが了解しやすいというのが、実際に紀州犬を飼っている人の間の素直な気持ちであろう。このように言ってもそれを素直にというか、ある実感をもって受けとめられないのが、初めて犬を飼う人である。

 紀州犬のオスとメスの差をどのようにとらえるか。

 動物としての美しさということではその差を問うことはできない。

 オスのたくましさはそのまま美しさにつながる。

 私が飼っているオス犬を外に出して構えさせるとその格好良さ、たくましさにほとんどの人が感嘆の声を上げる。

 メスには優しさが宿う。筋骨が発達するということではない。どことなく優しさが全体を包む。ここにも別の意味での美しさがある。

 紀州犬はオスとメスとが総合していてこれを紀州犬というのであるから、どちらがいいかという問いに答えを用意することはない。

 身体が小さいからメスが良いということであれば、身体が小さい犬種を選べばいい。

 大きいからオスが良いというのであれば、身体が大きな犬種を選ぶことである。

 紀州犬の大きさはオスの体高は52センチメートルであり、これから上下に3センチメートルを基本とする。

 メスの大きさ(体高)は、49センチメートルでありこれから上下に3センチメートルを基本とする。メスの場合には標準体高49センチメートルにとどきにくい傾向だ。

 紀州犬の歴史の伝承が教義に変わり宗教の形式をとる事例がある。

 紀州犬の歴史のことはこれを学ぶことは大事である。その歴史の真実と実際と、これの伝承との間にズレがないか、心許ない。語られる歴史がいつの間にかある形に固まって、これが教義となり、その教義によって宗教のようなものが形成される。そのようにして出来上がっている教義やその延長の宗教のようなものがいくつかあるようにも思われる。

 紀州犬の気性の在り方、形の在り方については、その基本は日本犬標準のうちの紀州犬標準に求めることになる。その内容にはここでは触れない。

 ともあれそうしたことの一つの結果は、人に馴染み、ある程度は犬に馴染んで、普通の家庭で家族とともに平和に暮らすことができる犬である、ということになる。

 そのような犬であっても何かあれば他人に責任を求めるのが今の日本の社会風潮であるから、飼い犬を人に触らせない、飼い犬を余所の犬と接触させない、ということを押しとおすことが大事である。絶対にそのようにして欲しいと思う。

 私の場合にもそのようにしている。例外としてその犬を良く知った人には触らせる。留守中に代わりに世話をお願いしている人などだkら当然といえば当然である。

 紀州犬を知りたいといって見学にきた人にも、犬と人の相性などを注意深く観察し、試験してから、その犬との散歩の行動させて、紀州犬を知らしめる。

 聞きかじりの論理を振る舞わしていて、これに答えのような説明をしても反応が定かでない人は、紀州犬と縁を結んではならない人だと判断することになる。

 日本人の観念にしみついたそれをぬぐい去ることは私の仕事ではないし、その人の考えを変えることはその場において簡単にできないことである。

 よい犬は人の心にしみる。よい紀州犬は心にしみる。

 犬は人の心にしみる存在であるかも知れない。よい犬は人の心にしみる。

 私の心にしみるのは紀州犬である。

 柴犬だってそうであるだろう。

 紀州犬の歩調は人によく調和する。

 普通の日本人の何気ない生活のそのそばに紀州犬がいて、犬がいるためによるものといってよい散歩の習慣ができて、散歩に犬を伴う。

 滅多にないよい気分の朝もある。よい気分の朝ではなくても、犬を連れだして外と空気を吸って、歩みをすすめると身体が軽くなり、頭の澱(おり)も落ちる。

 紀州犬には家庭犬も、ほかの用途の飼い方の区別もない。

 日本の風土で日本人と共に生きてきた犬の一つが紀州犬である。

 その紀州犬を伴って生活することは何気ない日本人の暮らしによく調和する。

 飾らないそのままの姿と行動が日本の風土が生んだ紀州犬である。

 人が犬と暮らす、ことは何気ない状態である。

 人の暮らしにある種の伴が欲しいときにそれが犬であることがある。

 紀伊半島でイノシシ猟をよくするために残されてきた犬が紀州犬であった。

 そしてその伴に紀州犬を選ぶこともある。

 紀州犬は縄文の犬ではないようであるが、縄文の時代にも似たくらいの大きさの犬がいた。

 紀州犬は朝鮮経由で伝来した犬であり、弥生時代に日本に来たことになっている。その真実のほどは私にはわからない。

 紀伊半島でイノシシ猟をよくするために残されてきた犬が紀州犬であった。

 その犬が現代につながっていて、それが私たちが飼う紀州犬である。

 紀州犬を飼う多くの人々がいることで現代の紀州犬が成立する。

 紀州犬に対する考え方がいろいろあっても、紀州犬がいなければ将来の紀州犬もない。

 ある血液の純粋性を信じて、それに絶対的な価値を求める状態がある。

 ある血液の純粋性を信じて、それに絶対的な価値を求める、という状態がある。

 ある犬種団体の牽引者は、近親交配を思い切って実施して、そこから望ましい犬を残していくのは一つの方法だ、と説いてこれを実行していた。ごく少数の犬しかいない場合にはそのようなこともしなくてはならないかも知れない。

 しかしこれを連続することはできない。その後にはできの悪い犬と思われる犬との交配を交えて行かなくてはならないのである。

 平岩米吉氏とシェパードの飼育、そして近親交配の事例。

 日本犬保存会の創立に貢献した平岩米吉氏は、シェパードの飼育者でもあった。

 シェパードのメス犬「イリス」は、同胎犬を交配して生まれた。「イリス」は驚くほどの知能を持ち、また狙いの一つであった姿の美しさも際だっていた。この犬は精神のある種の異常性をもち、1歳5カ月にきた初発情では、心臓衰弱の状態になった。身体の薬などへの過敏症をもっていた。心身ともに特別な状態にあり、先祖犬が噛障事故を起こしたことがないのに「イリス」は嫉妬などのために飼い主の家族を噛んだ。

 「イリス」などシェパードの遺伝と犬の性質と性能のことを平岩米吉氏は実際の飼育を通じて観察してこれを記録して、考察して文章にして本を残している。

 「イリス」は、「チム」というシェパードのオス犬の俊敏、聡明、忠実、姿を遺伝的に残存させる目的で繁殖した。

 「チム」は、父子の交配によって生まれた。ことは当然のことメス犬のことである。その「チム」の種を宿す同胎犬のうちからオスとメスを選んで交配して、「チム」が生まれた。

 「チム」の父親と母犬は他に五頭の同胎犬がいた。「イリス」は一頭だけ生まれた。チムはそのご一度に十頭の子犬を生んだ。

 犬のよい資質を子孫に残し、それを確かな状態にするという強い望みは正当である。望みが正当であっても、それを実現する方法を吟味して実行することでないと、禍根を残す。

 得難い猟性能に引きつけられると、この犬の子孫を残したくなるのは当然なことだが、ついつい交配が近親の血液によって濃くなってしまうようだ。

 平岩米吉氏の「イリス」は、「チム」というシェパード犬の近親交配があったのは昭和16年ころのことである。

 「チム」はフィラリアで死に、「イリス」の父親もフィラリアで死んだ。このころ若くして死ぬ原因はフィラリアであった。

 「イリス」の母親は「イリス」が10カ月のときに突然死した。解剖すると心臓に3匹の小さなフィラリア3匹と大きなのが1匹いたがこれが原因ではなく、また心臓肥大もあったがこれが原因ともいえない突然死であった。

 犬が死ねば解剖して原因究明するのが平岩米吉氏の常であり、これはフィラリアの予防がその主な目的であった。

 「イリス」などシェパードの遺伝と犬の性質と性能のことを平岩米吉氏は実際の飼育を通じて観察してこれを記録して、考察して文章にして本を残している。

 平岩米吉氏は亀戸の竹問屋に生まれた人である。美術を志し、文学をして、犬の研究にも没頭し、フィラリアの撲滅にきっかけをつくっている。

 狼の研究は自分で朝鮮狼など幾種類かの狼を実際に飼った。

 狼を飼いならして犬と同じように街を歩いてもそれが狼であると気付く人がいなかったことを伝えている。

 犬の精神の遺伝、それは行動の遺伝でもあり、この遺伝性をシェパードの繁殖を通じて幾つもの事例を記録している。

 犬と食事。

 その犬が動物性タンパク質を多く摂らなくても大概の大きさと体型の犬として成長することも確かめている。

 ドッグフードの宣伝では栄養素などのことにふてて、ああすればこうなると説く。動物や犬の身体など構成要素を通じて割り出した食事の内容を用意する事例がある。それでもよい。しかしそうでなくてもよい。

 犬に自分でつくった完全手作りの食事を与えるのだと宣言して、犬を飼っていた人がいる。結構ですね、と答えるしかない。それよりも犬の仕合わせは飼い主と一緒に散歩することである。その人は犬が三歳になるころに病気で死んだ。その犬の引き取りを求められたある人は仰天するとともに途方に暮れた。

 犬と食事に関係してはアレルギーのことがあるので、このことは試行錯誤を要する。何もなければそれで良いことになり、何かあれば対処しなければなならない。

 汝、明日をわずらうことなかれ。

 犬の身体から発せられるある種の成分が人のアレルギー反応を引き起こすことがある。あるときまではこれがなくても、どこかの時期を節目にこれがおきることがある。

 今はよい。そのよい状態がつづけばよいが、続かないこともある。

 犬の事故死。人の病気。人の都合。ほかである。

 難しく考えると犬を飼うことができない。

 「汝、明日をわずらうことなかれ」とはキリストが述べている言葉である。生きているときにはこの程度の緩みをもっていて良いのであろう。


(読み返しておりません。誤字、誤変換、その他の不都合をご容赦ください。)
 
 
 
 
 
 
 
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紀州犬と人とがよい関係で暮らすことを願ってこんな犬舎をつくりました。


犬舎は夏は涼しく、冬は暖かく、を実現するように考えております。
床を高くし、湿気を避けるのは正倉院の造りと同じです。
扉の付いた犬舎にいれて過ごさせることが、犬には最大の安らぎです。
扉のない小さな小屋につないで飼う日本のこれまでの方法は駄目な飼い方として否定されております。
犬を飼おうとする人の大半がこのような考え方の人です。犬が騒ぐ、躾けられない、主な原因が犬舎にあります。
犬は繋がない、飼い主は散歩を楽しむ、という飼い方を推奨します。
犬の仕合わせは飼い主と散歩することです。



これまでの紀州犬の犬舎をつくってきた集大成です。

横幅1,500mm、奥行き900mm(共に内寸、室内高さは1,100mmほど。)で、
屋根の上までの高さは1,200mmほどです。追加寸法として足部は300mmほどです。
屋根は2.3mm厚さの鉄板です。
錆止め塗装を手塗りで行います。こってりと手塗りします。耐久性は抜群です。

周囲をパネル板で囲います。上部も同様です。
夏にはこれをすべて取り外すことができます。

この犬舎には一朝一夕にしてはできないさまざまなノウハウが盛り込まれております。

この犬舎の建築と据え付けの総合費用は決して安くはありません。

普通に使えば軽々と20年の耐久性をもちます。
戸板などは適宜交換して使います。

この犬舎を使うと犬が落ち着き、性格も良くなり、飼い主になつきます。

犬も仕合わせ、飼い主も仕合わせ、ともに仕合わせになる魔法の犬舎です。

下の写真はパネルで前面の半分を覆っております。扉の部分も覆うことができます。
完全に覆うこともできます。勝手気ままのやりたい放題に加工をしております。
屋根と天板の隙間は物置にもなります。これを外せば夏場の風通しは良くなります。
その左にあるのは足場にする台です。我がまま放題の犬舎です。


 




紀州犬物語【紀州犬メス犬シロ(白)の物語】(1) (執筆 横田俊英)
紀州犬物語【紀州犬メス犬シロ(白)の物語】(2) (執筆 横田俊英)
紀州犬物語【紀州犬メス犬シロ(白)の物語】(3) (執筆 横田俊英)
紀州犬物語【紀州犬メス犬シロ(白)の物語】(4) (執筆 横田俊英)
紀州犬物語【紀州犬メス犬シロ(白)の物語】(5) (執筆 横田俊英)
紀州犬物語【紀州犬メス犬シロ(白)の物語】(6) (執筆 横田俊英)
紀州犬物語【紀州犬メス犬シロ(白)の物語】(7) (執筆 横田俊英)
紀州犬物語【紀州犬メス犬シロ(白)の物語】(8) (執筆 横田俊英)
紀州犬物語【紀州犬メス犬シロ(白)の物語】(9) (執筆 横田俊英)
紀州犬物語【紀州犬メス犬シロ(白)の物語】(10) (執筆 横田俊英)
紀州犬物語【紀州犬メス犬シロ(白)の物語】(11) (執筆 横田俊英)
紀州犬物語【紀州犬メス犬シロ(白)の物語】(12) (執筆 横田俊英)
紀州犬物語【紀州犬メス犬シロ(白)の物語】(13) (執筆 横田俊英)
紀州犬物語【紀州犬メス犬シロ(白)の物語】(14) (執筆 横田俊英)
紀州犬物語【紀州犬メス犬シロ(白)の物語】(15) (執筆 横田俊英)
紀州犬物語【紀州犬メス犬シロ(白)の物語】(16) (執筆 横田俊英)
紀州犬物語【紀州犬メス犬シロ(白)の物語】(17) (執筆 横田俊英)
紀州犬物語【紀州犬メス犬シロ(白)の物語】(18) (執筆 横田俊英)
紀州犬物語【紀州犬メス犬シロ(白)の物語】(19) (執筆 横田俊英)
紀州犬物語【紀州犬メス犬シロ(白)の物語】(20) (執筆 横田俊英)
紀州犬物語【紀州犬メス犬シロ(白)の物語】(21) (執筆 横田俊英)
紀州犬物語【紀州犬メス犬シロ(白)の物語】(22) (執筆 横田俊英)
紀州犬物語【紀州犬メス犬シロ(白)の物語】(23) (執筆 横田俊英)
紀州犬物語【紀州犬メス犬シロ(白)の物語】(24) (執筆 横田俊英)
紀州犬物語【紀州犬メス犬シロ(白)の物語】(25) (執筆 横田俊英)
紀州犬物語【紀州犬メス犬シロ(白)の物語】(26) (執筆 横田俊英)
紀州犬物語【紀州犬メス犬シロ(白)の物語】(27) (執筆 横田俊英)
紀州犬物語【紀州犬メス犬シロ(白)の物語】(28) (執筆 横田俊英)
紀州犬物語【紀州犬メス犬シロ(白)の物語】(29) (執筆 横田俊英)
紀州犬物語【紀州犬メス犬シロ(白)の物語】(30) (執筆 横田俊英)
紀州犬物語【紀州犬メス犬シロ(白)の物語】(31) (執筆 横田俊英)
紀州犬物語【紀州犬メス犬シロ(白)の物語】(32) (執筆 横田俊英)
紀州犬物語【紀州犬メス犬シロ(白)の物語】(33) (執筆 横田俊英)
紀州犬物語【紀州犬メス犬シロ(白)の物語】(34) (執筆 横田俊英)
紀州犬物語【紀州犬メス犬シロ(白)の物語】(35) (執筆 横田俊英)
紀州犬物語【紀州犬メス犬シロ(白)の物語】(36) (執筆 横田俊英)
紀州犬物語【紀州犬メス犬シロ(白)の物語】(37) (執筆 横田俊英)
紀州犬物語【紀州犬を連れて散歩し紀州犬と暮らす日々】(38)(執筆 横田俊英)
紀州犬物語【紀州犬を連れて散歩し紀州犬と暮らす日々】(39)(執筆 横田俊英)
紀州犬物語【紀州犬を連れて散歩し紀州犬と暮らす日々】(40)(執筆 横田俊英)
紀州犬物語【紀州犬を連れて散歩し紀州犬と暮らす日々】(41)(執筆 横田俊英)
紀州犬物語【紀州犬を連れて散歩し紀州犬と暮らす日々】(42)(執筆 横田俊英)
紀州犬物語【紀州犬を連れて散歩し紀州犬と暮らす日々】(43)(執筆 横田俊英)
紀州犬物語【紀州犬を連れて散歩し紀州犬と暮らす日々】(44)(執筆 横田俊英)
紀州犬物語【紀州犬を連れて散歩し紀州犬と暮らす日々】(45)(執筆 横田俊英)
紀州犬物語【紀州犬メス犬シロの出産と子育て物語(1)】(46)(執筆 横田俊英)
紀州犬物語【紀州犬メス犬シロの出産と子育て物語(2)】(47)(執筆 横田俊英)
紀州犬物語【紀州犬メス犬シロの出産と子育て物語(3)】(48)(執筆 横田俊英)
紀州犬物語【紀州犬メス犬シロの出産と子育て物語(4)】(49)(執筆 横田俊英)
紀州犬物語【紀州犬メス犬シロの出産と子育て物語(5)】(50)(執筆 横田俊英)
紀州犬物語【紀州犬オス ぽち(ポチ)の物語(1)】(51)(執筆 横田俊英)
紀州犬物語【紀州犬オス ぽち(ポチ)の物語(2)】(52)(執筆 横田俊英)
紀州犬物語【紀州犬オス ぽち(ポチ)の物語(3)】(53)(執筆 横田俊英)
紀州犬物語【紀州犬メス犬シロの出産と子育て物語(6)】(54)(執筆 横田俊英)
紀州犬物語【紀州犬オス ぽち(ポチ)の物語(4)】(55)(執筆 横田俊英)
紀州犬物語【シロの学校とその生徒のポチとミーの物語(1)】(56)(執筆 横田俊英)
紀州犬物語【シロの学校とその生徒のポチとミーの物語(2)】(57)(執筆 横田俊英)
紀州犬物語【シロの学校とその生徒のポチとミーの物語(3)】(58)(執筆 横田俊英)
紀州犬物語【シロの学校とその生徒のポチとミーとブンの物語(4)】(59)(執筆 横田俊英)
紀州犬物語【シロの学校とその生徒のポチとブンの物語(5)】(60)(執筆 横田俊英)
紀州犬物語(61)【日本在来犬と紀州犬(その1)】(執筆横田俊英)
紀州犬物語(62)【日本在来犬と紀州犬(その2)】(執筆横田俊英)
紀州犬物語(63)【日本在来犬と紀州犬(その3)】(執筆横田俊英)
紀州犬物語(64)【紀州犬と柴犬の飼い方と子犬の育て方(その1)】(執筆横田俊英)
紀州犬物語(65)【紀州犬と柴犬の飼い方と子犬の育て方(その2)】(執筆横田俊英)
紀州犬物語(66) 犬の性質を知る、犬を躾ける。 執筆 横田俊英
紀州犬物語(67) 犬の安らぎ、犬の楽しみ、そして飼い主の幸福。 執筆 横田俊英
紀州犬物語(68) 大事なのは飼い主の心の在り方 執筆 横田俊英
紀州犬物語(69) 人の仕合わせ、犬の仕合わせ 執筆 横田俊英
紀州犬物語(70) 日本犬には桜の花が似合う 執筆 横田俊英
紀州犬物語(71) よい犬とは、性格が良いこと、健康であること 執筆 横田俊英
紀州犬物語(72)紀州犬は「気がやさしくて、力持ち」です。 執筆 横田俊英。
紀州犬物語(73)自分が飼っている柴犬が噛むが、紀州犬は噛まないか。 執筆 横田俊英。
紀州犬物語(74)子犬の甘噛みと興奮時の唸り行為への解釈とその対処方法 執筆 横田俊英。
紀州犬物語(75)よい犬に育っているのに基準を間違えると駄目な犬に思えてしまいます。 執筆 横田俊英。
紀州犬物語(76) 紀州犬若犬の姿を見る 若い犬のメス 白 生後8カ月。 執筆 横田俊英。
紀州犬物語(77) 紀州犬若犬の姿を見る 若い犬のオス 白 生後6カ月。 執筆 横田俊英。
紀州犬物語(78) 紀州犬若犬の姿を見る 若い犬のオス 白 生後9カ月。 執筆 横田俊英。
紀州犬物語(79) 紀州犬若犬の姿を見る 若い犬のオス 白 生後1歳3カ月。 執筆 横田俊英。
紀州犬物語(80) 若犬まで順調に育った紀州犬の飼育とその楽しみ。 執筆 横田俊英。
紀州犬物語(81) 紀州犬の体格も精神も標準偏差のように分布します。 執筆 横田俊英。
紀州犬物語(82) 紀州犬の理解のための私なりの説明とその飼い方など。 執筆 横田俊英。
紀州犬物語(83) 紀州犬 ウメの出産と育児(その1)。 執筆 横田俊英。
紀州犬物語(84) その犬が暮らしの中にいることを嬉しいのであれば、その犬との暮らしは仕合わせなのだ。 執筆 横田俊英。
紀州犬物語(85) 紀州犬の飾らない心と行動を日本の風土が生んだ。 執筆 横田俊英。
紀州犬物語(86) 人のための営業額、そして犬の食事と成長などを含めた栄養の在り方。 執筆 横田俊英。
紀州犬物語(87) 犬を連れての散歩の途中で「ああ、よい気分」と思えればそれでよいではないか。 執筆 横田俊英。
紀州犬物語(88) 人がありふれた生活をしていて、そこに犬がいる。人と犬はこの程度のことでいい。 執筆 横田俊英。
紀州犬物語(89) 必要なときにワンと吠えて賊をとらえたある紀州犬の物語。 執筆 横田俊英。
紀州犬物語(90) 紀州犬は白毛のなかに少し茶色が混じるような白でよいと考えます。 執筆 横田俊英。
紀州犬物語(91) 胡麻毛とそのうちの灰胡麻あるいは「ぬた毛」の紀州犬。 執筆 横田俊英。
紀州犬物語(92) 紀州犬を飼うための犬舎の一例を示します。もっとよい犬舎もあります。 執筆 横田俊英。
紀州犬物語(93) 紀州犬の子犬の出産直後から生後41日までに体重の変化のある事例です。 執筆 横田俊英。
紀州犬物語(94) 新しい飼い主が生後45日ごろに子犬を迎え入れるための準備と心得。 執筆 横田俊英。
紀州犬物語(95) 生後30日前後の新しい飼い主に渡る前の紀州犬の子犬たちの生活のようす。 執筆 横田俊英。
紀州犬物語(96) 生後28日に1度目、42日に2度目の感染症予防ワクチンを接種して抗体が早くできるようにします。 執筆 横田俊英。
紀州犬物語(97) 紀州犬の子犬の尾が差尾になるか、巻尾になるか、判断はできない。 執筆 横田俊英。
紀州犬物語(98) 紀州犬の交尾とその後のメス犬の妊娠の確率のことなど。 執筆 横田俊英。
紀州犬物語(99) 犬のオスの性器の構造は人のそれとは大きく違う。 執筆 横田俊英。
紀州犬物語(100) メス犬の出産行動、そしてメス犬の子育て、望ましいメス犬とは。 執筆 横田俊英。
紀州犬物語(101) 出産直後は母犬は子犬から離れたがらない。 執筆 横田俊英。


紀州犬物語(125)「沈着怜悧にして大人しくあって猪猟では勇猛果敢」な紀州犬。(横田俊英)


紀州犬物語(125)「沈着怜悧にして大人しくあって猪猟では勇猛果敢」な紀州犬。(横田俊英)
(タイトル)
「沈着怜悧にして大人しくあって猪猟では勇猛果敢」な紀州犬。
和歌山県日高郡旧美山村村長の有色紀州犬復活のための取り組み。
(サブタイトル)
「姿芸両全」(しげいりょうぜん)の紀州犬を育てるために狩猟を始める。このときに鉄砲を持つようになった。狩猟に出かけるのは犬を鍛錬するためである。
第125章 「沈着怜悧にして大人しくあって猪猟では勇猛果敢」な紀州犬。 執筆 横田俊英




紀州犬物語(101) 出産直後は母犬は子犬から離れたがらない。 執筆 横田俊英。
(タイトル)
出産直後は母犬は子犬から離れたがらない。
(母出産直後の母犬は気持ちが異常に高ぶっていることが多い。)
第100章  出産直後は母犬は子犬から離れたがらない。 執筆 横田俊英


紀州犬物語(100) メス犬の出産行動、そしてメス犬の子育て、望ましいメス犬とは。 執筆 横田俊英。
(タイトル)
メス犬の出産行動、そしてメス犬の子育て、望ましいメス犬とは。
(母犬のお産のようす、またお産の後の行動など。)
第100章  メス犬の出産行動、そしてメス犬の子育て、望ましいメス犬とは。 執筆 横田俊英


紀州犬物語(99) 犬のオスの性器の構造は人のそれとは大きく違う。 執筆 横田俊英。
(タイトル)
犬のオスの性器の構造は人のそれとは大きく違う。
(交尾までの行動、そしてオス犬の精子の排出、つづくメス犬の妊娠のことなど。)
第99章  犬のオスの性器の構造は人のそれとは大きく違う。 執筆 横田俊英


紀州犬物語(98) 紀州犬の交尾とその後のメス犬の妊娠の確率のことなど。 執筆 横田俊英。
(タイトル)
紀州犬の交尾とその後のメス犬の妊娠の確率のことなど。
(紀州犬の妊娠とその事情。)
第98章  紀州犬の交尾とその後のメス犬の妊娠の確率のことなど。 執筆 横田俊英


紀州犬物語(97) 紀州犬の子犬の尾が差尾になるか、巻尾になるか、判断はできない。 執筆 横田俊英。
(タイトル)
紀州犬の子犬の尾が差尾になるか、巻尾になるか、判断はできない。
(親が差し尾であれば差尾になる確率は高まりますが、それは絶対ではない。)
第97章  紀州犬の子犬の尾が差尾になるか、巻尾になるか、判断はできない。 執筆 横田俊英


紀州犬物語(96) 生後28日に1度目、42日に2度目の感染症予防ワクチンを接種して抗体が早くできるようにします。 執筆 横田俊英。
(タイトル)
生後28日に1度目、42日に2度目の感染症予防ワクチンを接種して抗体が早くできるようにします。
(早く社会にでるようにするためにこのようにしますが、すべての人がしているわけではありません。)
第96章  生後28日に1度目、42日に2度目の感染症予防ワクチンを接種して抗体が早くできるようにします。 執筆 横田俊英


紀州犬物語(95) 生後30日前後の新しい飼い主に渡る前の紀州犬の子犬たちの生活のようす。 執筆 横田俊英。
(タイトル)
生後30日前後の新しい飼い主に渡る前の紀州犬の子犬たちの生活のようす。
(自分でドッグフードを食べるようになればもう母親と別れても大丈夫です。)
第95章  生後30日前後の新しい飼い主に渡る前の紀州犬の子犬たちの生活のようす。 執筆 横田俊英


紀州犬物語(94) 新しい飼い主が生後45日ごろに子犬を迎え入れるための準備と心得。 執筆 横田俊英。
(タイトル)
新しい飼い主が生後45日ごろに子犬を迎え入れるための準備と心得。
(誕生直後は362グラム、285グラム、370グラム、322グラムなど。)
第94章  新しい飼い主が生後45日ごろに子犬を迎え入れるための準備と心得。 執筆 横田俊英


紀州犬物語(93) 紀州犬の子犬の出産直後から生後41日までに体重の変化のある事例です。 執筆 横田俊英。
(タイトル)
紀州犬の子犬の出産直後から生後41日までに体重の変化のある事例です。
(誕生直後は362グラム、285グラム、370グラム、322グラムなど。)
第93章  紀州犬の子犬の出産直後から生後41日までに体重の変化のある事例です。 執筆 横田俊英


紀州犬物語(92) 紀州犬を飼うための犬舎の一例を示します。もっとよい犬舎もあります。 執筆 横田俊英。
(タイトル)
紀州犬を飼うための犬舎の一例を示します。もっとよい犬舎もあります。
(床を高くし、湿気を避けるのは正倉院の造りと同じです。)
第92章  紀州犬を飼うための犬舎の一例を示します。もっとよい犬舎もあります。 執筆 横田俊英


紀州犬物語(91) 胡麻毛とそのうちの灰胡麻あるいは「ぬた毛」の紀州犬。 執筆 横田俊英。
(タイトル)
胡麻毛とそのうちの灰胡麻あるいは「ぬた毛」の紀州犬。
(「ぬた毛」とは、泥水がたまった「ぬた場」からきており、この「ぬた場」で泥遊びをしたあとと、それが乾くと灰色のような色になるのです。)
第91章 胡麻毛とそのうちの灰胡麻あるいは「ぬた毛」の紀州犬。 執筆 横田俊英


紀州犬物語(90) 紀州犬は白毛のなかに少し茶色が混じるような白でよいと考えます。 執筆 横田俊英。
(タイトル)
紀州犬は白毛のなかに少し茶色が混じるような白でよいと考えます。
(この茶色の混じりの汚れ白こそ、紀州犬の毛色の渋みに通じます。真っ白の紀州犬は私には不思議な犬に思えます。)
第90章 紀州犬は白毛のなかに少し茶色が混じるような白でよいと考えます。 執筆 横田俊英


紀州犬物語(89) 必要なときにワンと吠えて賊をとらえたある紀州犬の物語。 執筆 横田俊英。
(タイトル)
必要なときにワンと吠えて賊をとらえたある紀州犬の物語。
(2歳8カ月にして初めてワンと吠えた紀州犬のオス犬。)
第89章 必要なときにワンと吠えて賊をとらえたある紀州犬の物語。 執筆 横田俊英


紀州犬物語(88) 人がありふれた生活をしていて、そこに犬がいる。人と犬はこの程度のことでいい。 執筆 横田俊英。
(タイトル)
人がありふれた生活をしていて、そこに犬がいる。人と犬はこの程度のことでいい。。
(「人間三百六十五日、何の心配も無い日が、一日、いや半日あったら、それは仕合せな人間です。」(太宰治氏))
第88章 人がありふれた生活をしていて、そこに犬がいる。人と犬はこの程度のことでいい。 執筆 横田俊英


紀州犬物語(87) 犬を連れての散歩の途中で「ああ、よい気分」と思えればそれでよいではないか。 執筆 横田俊英。
(タイトル)
犬を連れての散歩の途中で「ああ、よい気分」と思えればそれでよいではないか。
(繋いで飼った犬が上手く育てばよいが、それでは犬はシツからない。)
第87章 犬を連れての散歩の途中で「ああ、よい気分」と思えればそれでよいではないか。 執筆 横田俊英


紀州犬物語(86) 人のための営業額、そして犬の食事と成長などを含めた栄養の在り方。 執筆 横田俊英。
(タイトル)
人のための営業額、そして犬の食事と成長などを含めた栄養の在り方
(生後8カ月ころまでは太り過ぎと体重の事などを気にしないで食事を与える。)
第86章 人のための営業額、そして犬の食事と成長などを含めた栄養の在り方。 執筆 横田俊英


紀州犬物語(85) 紀州犬の飾らない心と行動を日本の風土が生んだ。 執筆 横田俊英。
(タイトル)
紀州犬の飾らない心と行動を日本の風土が生んだ。
(紀州犬の歩調は人によく調和する。)
第85章 紀州犬の飾らない心と行動を日本の風土が生んだ。 執筆 横田俊英


紀州犬物語(84) その犬が暮らしの中にいることを嬉しいのであれば、その犬との暮らしは仕合わせなのだ。 執筆 横田俊英。
(タイトル)
その犬が暮らしの中にいることを嬉しいのであれば、その犬との暮らしは仕合わせなのだ。
(飼い犬の名前の呼び方、2歳過ぎると眼に見えて変化する紀州犬。))
第84章 その犬が暮らしの中にいることを嬉しいのであれば、その犬との暮らしは仕合わせなのだ。 執筆 横田俊英


紀州犬物語(83) 紀州犬 ウメの出産と育児(その1)。 執筆 横田俊英。
(タイトル)
紀州犬 ウメの出産と育児。(その1)
(犬の交尾とメス犬の妊娠のこと(紀州犬の妊娠とその事情))
第83章 紀州犬物語。紀州犬 ウメの出産と育児(その1)。 執筆 横田俊英


紀州犬物語(82) 紀州犬の理解のための私なりの説明とその飼い方など。 執筆 横田俊英。
(タイトル)
紀州犬の理解のための私なりの説明とその飼い方など。
(紀州犬は犬である、その紀州犬を少しだけ理解する)
第82章 紀州犬の理解のための私なりの説明とその飼い方など。 執筆 横田俊英


紀州犬物語(81) 紀州犬の体格も精神も標準偏差のように分布します。 執筆 横田俊英。
(タイトル)
紀州犬の体格も精神も標準偏差のように分布します。
(犬にとっては飼い主に慈しまれていることと併せて、飼い主と散歩にでることが嬉しいのです。)
第81章 紀州犬の体格も精神も標準偏差のように分布します。 執筆 横田俊英


紀州犬物語(80) 若犬まで順調に育った紀州犬の飼育とその楽しみ。 執筆 横田俊英。
(タイトル)
若犬まで順調に育った紀州犬の飼育とその楽しみ。
(紀州犬愛好家の間では犬にお手だの伏せだの待てだの、といった芸事は教えません。)
第80章 若犬まで順調に育った紀州犬の飼育とその楽しみ。 執筆 横田俊英


紀州犬物語(79) 紀州犬若犬の姿を見る 若い犬のオス 白 生後1歳3カ月。 執筆 横田俊英。
(タイトル)
紀州犬若犬の姿を見る 若い犬のオス 白 生後1歳3カ月。
(若い犬とはまだ未成熟ですが初々しさは十分です。生後1歳3
カ月の若いオス犬はもう大人の体をしておりうます。この子は犬も人も襲わない気持ちがやさしい力持ちの犬です。。)
第79章  紀州犬若犬の姿を見る 若い犬のオス 白 生後1歳3カ月。 執筆 横田俊英


紀州犬物語(78) 紀州犬若犬の姿を見る 若い犬のオス 白 生後9カ月。 執筆 横田俊英。
(タイトル)
紀州犬若犬の姿を見る 若い犬のオス 白 生後9カ月。
(若い犬とはまだ未成熟ですが初々しさは十分です。生後9カ月の若いオス犬はもう大人の体をしておりうます。この子は犬も人も襲わない気持ちがやさしい力持ちの犬です。。)
第78章  紀州犬若犬の姿を見る 若い犬のオス 白 生後9カ月。 執筆 横田俊英


紀州犬物語(77) 紀州犬若犬の姿を見る 若い犬のオス 白 生後6カ月。 執筆 横田俊英。
(タイトル)
紀州犬若犬の姿を見る 若い犬のオス 白 生後6カ月。
(若い犬とはまだ未成熟ですが初々しさは十分です。生後6カ月の若いオス犬でも紀州犬のたくましさ美しさの片鱗は見て取れます。)
第77章  紀州犬若犬の姿を見る 若い犬のオス 白 生後6カ月。 執筆 横田俊英


紀州犬物語(76) 紀州犬若犬の姿を見る 若い犬のメス 白 生後8カ月。 執筆 横田俊英。
(タイトル)
紀州犬若犬の姿を見る 若い犬のメス 白 生後8カ月。
(若い犬とはまだ未成熟ですが初々しさは十分です。若いメス犬の美しさをご覧ください。)
第76章  紀州犬若犬の姿を見る 若い犬のメス 白 生後8カ月。





紀州犬物語(75)よい犬に育っているのに基準を間違えると駄目な犬に思えてしまいます。 執筆 横田俊英。
よい犬に育っているのに基準を間違えると駄目な犬に思えてしまいます。
(吠えない犬に悩む人、躾けられないといってできないシツケごとに悩む人、自分の言うことを聞かない我がまま犬に悩む人、などがおります。)
第75章 よい犬に育っているのに基準を間違えると駄目な犬に思えてしまいます。


紀州犬物語(74)子犬の甘噛みと興奮時の唸り行為への解釈とその対処方法 執筆 横田俊英。
自分が飼っている柴犬が噛むが、紀州犬は噛まないか。
(安岡章太郎さんは紀州犬のオスを連れて散歩しているその様子は、ヤクザを引き連れて街を歩いているようなものだと、文章に書いております。)
第74章 自分が飼っている柴犬が噛むが、紀州犬は噛まないか。


紀州犬物語(73)自分が飼っている柴犬が噛むが、紀州犬は噛まないか。 執筆 横田俊英。
自分が飼っている柴犬が噛むが、紀州犬は噛まないか。
(安岡章太郎さんは紀州犬のオスを連れて散歩しているその様子は、ヤクザを引き連れて街を歩いているようなものだと、文章に書いております。)
第73章 自分が飼っている柴犬が噛むが、紀州犬は噛まないか。


紀州犬物語(72)紀州犬は「気がやさしくて、力持ち」です。 執筆 横田俊英。
紀州犬は「気がやさしくて、力持ち」です。
(「気がやさしくて、力持ち」な紀州犬ではありますが、歯のある犬はその歯を防御と攻撃に使うことがないようにするために、どんなときでも他の犬と接触させないことが大事です。また人とも接しさせないことです。)
第72章 紀州犬は「気がやさしくて、力持ち」です。


紀州犬物語(71) よい犬とは、性格が良いこと、健康であること 執筆 横田俊英
(犬を飼っている人の悩みがすべて私の悩みになるので困ります。ですから犬を飼うにあたってあまり悩まないで欲しいと思います。)
第71章 よい犬とは、性格が良いこと、健康であること


紀州犬物語(70) 日本犬には桜の花が似合う 執筆 横田俊英
(犬を飼っているうちに犬に飼われるようになった私です。)
第70章 日本犬には桜の花が似合う


紀州犬物語(69) 人の仕合わせ、犬の仕合わせ 執筆 横田俊英
人の仕合わせ、犬の仕合わせ
(犬を飼うことは犬がいて楽しいという精神の状況を楽しむことです。そして犬の楽しみは飼い主とともに散歩をすることです。)
第69章 人の仕合わせ、犬の仕合わせ


紀州犬物語(68) 大事なのは飼い主の心の在り方 執筆 横田俊英
醜い犬をみたら、誠に済まない、自分の努力が足りなくて、そのような姿の犬ができてしまった、と謝らなくてはなりません。
(人に一目されることもなく、褒められもせず、苦にもされないで、生きているその姿は美しいと思います。)
第68章 大事なのは飼い主の心の在り方


紀州犬物語(67) 犬の安らぎ、犬の楽しみ、そして飼い主の幸福。 執筆 横田俊英
(飼い犬もまた飼い主のところで暮らすことに大きな安らぎを覚え、散歩に出れば最高に嬉しいという関係こそ最高の状態です。)
第66章 犬の安らぎ、犬の楽しみ、そして飼い主の幸福。


紀州犬物語(66) 犬の性質を知る、犬を躾ける。 執筆 横田俊英
(犬の心の有り様は人とは違います。人の心の有り様を犬の心の有り様だと思うことが犬を飼うときの間違いの大元になります。)
第66章 犬の性質を知る、犬を躾ける



紀州犬物語(65)【紀州犬と柴犬の飼い方と子犬の育て方(その2)】(執筆横田俊英)
日本犬は畳1畳ほどの大きさの犬舎を用意して、犬舎で飼うのが基本です。
鎖や長いロープにつないで飼う犬はキャンキャン吠え、また人を傷つけることが多い
(人の体格と犬の大きさと、その釣り合いのことを考える。)


紀州犬物語(64)【紀州犬と柴犬の子犬の育て方(その1)】(執筆横田俊英)
子犬を良い犬に育てて、一緒に散歩することを楽しんでください。
家に愛しい犬がいること、その犬と散歩を楽しむことが、犬を飼う醍醐味です。
(藤井聡さんの『しつけの仕方で犬はどんどん賢くなる』(青春出版社、1,200円)を読んで参考にしてください。)


紀州犬物語(63)【日本在来犬と紀州犬(その3)】(執筆横田俊英)
日本列島に古くからいた犬たちと縄文遺跡の犬骨
(純粋日本犬という言い方をする犬たちのこと)
(縄文期は犬は人の友だち、だった)


紀州犬物語(62)【日本在来犬と紀州犬(その2)】(執筆横田俊英)
縄文遺跡から犬の骨は出ており、旧石器時代の遺跡から犬の骨は出ていない
野尻湖で犬は人と伴にナウマン象を追ったか
(野尻湖のナウマン象の発掘調査では犬の骨は出ていない)


紀州犬物語(61)【日本在来犬と紀州犬(その1)】(執筆横田俊英)
遺跡からでてきた犬の骨とそのもっとも古い年代
(人と犬は利用し利用される共存関係にあった)


紀州犬物語【シロの学校とその生徒のポチとブンの物語(5)】(60)(執筆 横田俊英)
第60章 紀州犬メスシロの学校とその生徒のポチとブンの物語(5)
(紀州犬の大人のメス犬のシロの学校で、生後5カ月の紀州犬のオス犬のポチと生後6カ月の紀州犬のオス犬のブンが教育を受け、訓練を積んでいるのです。ポチもブンも散歩を楽しみにしていて、綺麗な姿態と歩様で散歩ができるのです。)


紀州犬物語【シロの学校とその生徒のポチとミーとブンの物語(4)】(59)(執筆 横田俊英)
第59章 紀州犬メス シロの学校とその生徒のポチとミーとブンの物語(4)
(詫びや寂などまだ先のことですから、対象外です。しかしブンより一月遅く産まれている紀州犬オス犬の「ポチ」のほうにそれを感じることがあります。三つ子の魂百まで、ということが言えるのでしょうか。)


紀州犬物語【シロの学校とその生徒のポチとミーの物語(3)】(58)(執筆 横田俊英)
第58章 紀州犬メス シロの学校とその生徒のポチとミーの物語(3)
(私は紀州犬のメス犬のシロの学校と題してお伽の国のような話しをしております。書いていることはすべて事実ですが、すべての紀州犬がこのようにできる訳ではありません。たまたま性質のよいシロというメス犬の大人がいて、たまたま、或いはこの時期に限って喧嘩をしない2匹の子犬がいて、それにもう1頭加わったということであります。子犬同士の折り合いがあって、幼児組と小学生組の2クラスに分けての学校運営になりました。)


紀州犬物語【シロの学校とその生徒のポチとミーの物語(2)】(57)(執筆 横田俊英)
第57章 紀州犬メス シロの学校とその生徒のポチとミーの物語(2)
(今で飼い主が寛いでいるときに、また夜にテレビを見ながらビールを飲んでいるときにポチとミーはその気配を全身で受けとめていて、声を掛けると犬舎の格子に顔を挟んで応えます。)


紀州犬物語【シロの学校とその生徒のポチとミーの物語(1)】(56)(執筆 横田俊英)
第56章 紀州犬メス シロの学校とその生徒のポチとミーの物語(1)
(子育てを終えたシロ(白)には生後3カ月ほどのオスとメスの子犬の学校の先生の新しい役目が与えられ、シロはこの仕事を喜んでしております。シロが先生を勤める学校の生徒はオスの子犬が「ポチ」で、メスの子犬が「ミー」です。シロとポチとミーの3頭は喧嘩とも見えるレスリング風の遊技を嬉々として演じております。)


紀州犬物語【紀州犬オス ぽち(ポチ)の物語(4)】(55)(執筆 横田俊英)
第55章 紀州犬オス ぽち(ポチ)の物語(4)
(ポチは生後76日に子育てを終えた白を母親代わりに暮らすことになりました。白は不思議なことにポチを自分の子犬と同じように遊技をしてやります。ポチもまた実の母親と思っているようです。あるいはただの犬の仲間と思っているのかも知れません。)


紀州犬物語【紀州犬メス犬シロの出産と子育て物語(6)】(54)(執筆 横田俊英)
第54章 紀州犬メス犬シロの出産と子育て物語(6)
(子犬は母親に徹底的に遊んでもらって、身体をうんと使い、手も足も腰も胴も身体を鍛えることになるのです。その遊びたるや人間の子どもが身体を動かすのを厭わないのと同じです。)


紀州犬物語【紀州犬オス ぽち(ポチ)の物語(3)】(53)(執筆 横田俊英)
第53章 紀州犬オス ぽち(ポチ)の物語(3)
(生後70日ころのポチは乗車訓練に取り組み、またリードをつけて60メートルほどの散歩の練習もします。家の向こうの畑で遊ぶポチはモンシロチョウやツバメを眼で追いかけて外界の様子を知っていくのです。)


紀州犬物語【紀州犬オス ぽち(ポチ)の物語(2)】(52)(執筆 横田俊英)
第52章 紀州犬オス ぽち(ポチ)の物語(2)
(子犬の喉につかえないことを前提に生後70日の頃にはパピーのほかに、ラン・ミールも少しだけ与えます。生後5カ月、6カ月、7カ月、8カ月になるに従ってラン・ミールの割合を増やして、生後8カ月過ぎにはラン・ミールを中心にします。一家の主人が紀州犬に惚れていないのなら紀州犬を飼ってはなりません。一家の主人と思いを同じにする家族のもとで飼われる紀州犬は仕合わせであり、その一家も仕合わせであることになります。)


紀州犬物語【紀州犬オス ぽち(ポチ)の物語(1)】(51)(執筆 横田俊英)
第51章 紀州犬オス ぽち(ポチ)の物語(1)
(チビの子どもの白と黒は母親と別れ、母親と別れてきた紀州犬オス犬のポチはこの家でずっと過ごしてきたように振る舞います。)


紀州犬物語【紀州犬メス犬シロの出産と子育て物語(5)】(50)(執筆 横田俊英)
第50章 紀州犬メス犬シロの出産と子育て物語(5)
(生後30日ころから母親は子犬が乳を吸いにくるとグワーと吠えて拒絶することがしばしばです。夜中にもこの声が聞こえます。犬の親と子の自然がここにあるのです。)


紀州犬物語【紀州犬メス犬シロの出産と子育て物語(4)】(49)(執筆 横田俊英)
第49章 紀州犬メス犬シロの出産と子育て物語(4)
(駐車場横の畑では菜の花が黄色い色を見事に周囲に放っております。この先一週間して春が進むと新緑の美しい季節になります。もう雑草むしりを余儀なくされました。)

紀州犬物語【紀州犬メス犬シロの出産と子育て物語(3)】(48)(執筆 横田俊英)
第48章 紀州犬メス犬シロの出産と子育て物語(3)
(子犬たちが生後三週間を迎えたこの日、遅れていた春が進んで、この地は梅の花とサクラの花と水仙とツツジに似た花が一斉に咲きました。)

紀州犬物語【紀州犬メス犬シロの出産と子育て物語(2)】(47)(執筆 横田俊英)
第47章 紀州犬メス犬シロの出産と子育て物語(2)
(子犬を身体をまるめて抱いて、お尻をなめて排泄を促してそれをなめてやってと健気な子育てがつづきます。)

紀州犬物語【紀州犬メス犬シロの出産と子育て物語(1)】(46)(執筆 横田俊英)
第46章 紀州犬メス犬シロの出産と子育て物語(1)
(シロが2匹の子犬を産んだその夜、空には金星が燦然と輝いておりました。)






紀州犬物語【紀州犬を連れて散歩し紀州犬と暮らす】(39)(執筆 横田俊英)
第39章 子犬のさまざまな行動への対応(紀州犬の躾け(シツケ)に関する考察)

(子犬は飼い主が思うようにはしつからない)


紀州犬物語【紀州犬を連れて散歩し紀州犬と暮らす】(40)(執筆 横田俊英)
第40章 安岡章太郎さんは紀州犬の気性の美しさを物語にした
(近藤啓太郎さんは飼い犬の健康美あるいは紀州犬特有の美しさに魅せられた)

紀州犬物語【紀州犬を連れて散歩し紀州犬と暮らす】(41)(執筆 横田俊英)
第41章 紀州犬が内に秘めている特性
(紀州犬の正しい理解のために近藤啓太郎さんと安岡章太郎の小説を読むことをお奨めします)

紀州犬物語【紀州犬を連れて散歩し紀州犬と暮らす】(42)(執筆 横田俊英)
第42章 泣かない騒がいのが紀州犬が美徳

(安岡章太郎さんのコンタは家に来た夜に、「ウォー」と一声あげただけでした)

紀州犬物語【紀州犬を連れて散歩し紀州犬と暮らす】(43)(執筆 横田俊英)
第43章 犬を飼うときに人の側の力量は何時でも不測しております

(紀州犬は歩く速度があるいはリズムが波長が人の散歩に調和しております)

紀州犬物語【紀州犬を連れて散歩し紀州犬と暮らす】(44)(執筆 横田俊英)
第44章 素直な、素朴な、賢い、格好いい紀州犬に育てたい
(藤井聡さんの『シツケの仕方で犬がどんどん賢くなる』を読めば人も犬も賢くなる)

紀州犬物語【紀州犬を連れて散歩し紀州犬と暮らす】(45)(執筆 横田俊英)
第45章 子犬を怪我させないことが一番大事
(子犬は親から離されるとしばらく夜泣きを含めてなくものだと考えていたらよいでしょう)


紀州犬物語【紀州犬メス犬シロ(白)の物語】(37) (執筆 横田俊英)

紀州犬物語【紀州犬を連れて散歩し紀州犬と暮らす日々】(38)(執筆 横田俊英)
紀州犬物語 第38章 紀州犬に主従関係を教える、そして犬の性質を知る
(その問題は子犬の問題ではなく飼い主がつくっている問題なのです)








 
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