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計量計測データバンク ニュースの窓-246-
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├計量計測データバンク ニュースの窓 目次
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├ヤルタ会談 - Wikipedia
極東密約(ヤルタ協定)
外モンゴルと極東の旧日本領土の内容
日本に関して、1945年2月8日にアメリカのルーズベルト大統領、ソ連のスターリン書記長で秘密会談を行い、その後イギリスのチャーチル首相との間で交わされた秘密協定が、この極東密約である。日本は1944年(昭和19年)3月30日、北樺太に関する条約の締結によりオハ油田の権益をソ連に譲渡したが、スターリンは12月14日、アメリカのW・アヴェレル・ハリマン駐ソ連大使に対して、満洲国の権益(南満洲鉄道や港湾)、樺太(サハリン)南部や千島列島の領有を要求した。ルーズベルトは太平洋戦争の日本の降伏にソ連の協力が欠かせないため、1945年2月8日にこれらの要求に応じる形で、日ソ中立条約の一方的破棄、すなわちソ連対日参戦を促した。ヤルタ会談では、これが秘密協定としてまとめられた。この協定では、ソ連の強い影響下にあった外モンゴル(モンゴル人民共和国)の現状を維持すること、樺太(サハリン)南部をソ連に返還すること、千島列島をソ連に引き渡すこと、満洲国の港湾と南満洲鉄道における、ソ連の権益を確保することなどを条件に、ドイツ降伏後2か月または3か月を経て、ソ連が対日参戦することが取り決められた。
協定内容は次の通り。
ソ連、米国、英国の三大国指導者はドイツが降伏し、かつ欧州戦争が終結した後二か月または三か月を経てソ連がつぎの条件により連合国に味方して対日戦争に参加すべきことを協定した。外蒙古(蒙古人民共和国)の現状は維持されること。1904年の日本国の背信的攻撃により侵害されたロシアの旧権利はつぎの通りに回復されること。樺太の南部及びこれに隣接する一切の島嶼はソ連に返還されること。大連商港におけるソ連の優先的利益を擁護し同港を国際化すること。またソ連の海軍基地として、旅順口の租借権を回復すること。東清鉄道及び大連に出口を供与する南満洲鉄道はソ中合弁会社の設立によって共同で運営されること。ただしソ連の優先的利益は保障され、また中華民国は満洲における完全なる主権を保有するものとする。千島列島はソ連に引き渡されること。前記の外蒙古ならびに港湾及び鉄道に関する協定は蔣介石総帥の同意を要するものとする。米大統領はスターリン元帥からの通知があれば右同意を得るための措置を執るものとする。三大国の首班はソ連の右要求が日本国の敗北した後において確実に満足させられるものであることを協定した。
ソ連は中華民国を日本国の羈絆きはんから解放する目的をもって軍隊によりこれに援助を与えるためソ中同盟条約を中華民国国民政府と締結する用意があることを表明する。アメリカからソ連に対する対日参戦要請は早く、日米開戦翌日(アメリカ時間)の1941年12月8日にソ連の駐米大使マクシム・リトヴィノフにルーズベルト大統領とハル国務長官から出されている。このときはソ連のモロトフ外相からリトヴィノフに独ソ戦への集中と日ソ中立条約の制約から不可能と回答するよう訓令が送られた。
しかしその10日後には、スターリンはイギリスのイーデン外相に対し、将来日本に対する戦争に参加するであろうと表明した。スターリンが、具体的な時期を明らかにして対日参戦の意思を示したのは、1943年10月のモスクワでの連合国外相会談の際で、ハル国務長官に対して「連合国のドイツへの勝利後に対日戦争に参加する」と述べたことを、ハルやスターリンの通訳が証言している。ヤルタ協定はこうした積み重ねの上に結ばれたものだった。
ドイツが無条件降伏した、1945年5月8日(ヨーロッパ戦勝記念日)の約3か月後の8月9日、スターリンはヤルタでの協定に従って、ソ連は日本に宣戦布告し、満洲国に侵入、千島列島と樺太を占領した。しかし、ソ連対日参戦の翌日(1945年8月10日)に、日本が「ポツダム宣言受諾」を連合国に通告したため、戦争末期(9月2日の日本の降伏文書調印まで)の極めて短期間の間に、ソ連の戦果に対して日本の領土を与えるという、結果としてソ連に有利な内容になった。
1946年2月11日に極東密約(ヤルタ協定)が公開されたが、それより以前に、ロンドンの暫定ポーランド政府のリビコフスキーから小野寺信を通じて、協定の内容は既に日本軍に知らされていたとされている。
なお1956年に、共和党のアイゼンハワー政権は「(ソ連による北方領土占有を含む)ヤルタ協定はルーズベルト個人の文書であり、アメリカ合衆国連邦政府の公式文書ではなく無効である」との国務省が公式声明を発出している。また、アメリカ合衆国上院は、1951年のサンフランシスコ講和条約批准を承認する際、決議において「この承認は、合衆国としてヤルタ協定に含まれている、ソ連に有利な規定の承認を意味しない」との宣言を行っている。
台湾と朝鮮半島について
台湾について、米ソ両国はカイロ会談で決定していた中華民国への返還を改めて確認した。また、朝鮮半島は当面の間連合国の信託統治とすることとし、第二次世界大戦終結の直前になって北緯38度線を境として暫定的に南側をアメリカ、北側をソ連へと分割占領にすることと決定した。しかし、米ソの対立が深刻になると、その代理戦争が朝鮮戦争となって勃発し、朝鮮半島は現在も、38度線を境に分断されている。
日本側の停戦工作への影響
1945年1月6日、アメリカ軍の動きを懸念した昭和天皇が重臣の意見を求めたため、内大臣木戸幸一と宮内大臣松平恒雄が協議して、木戸が拝謁準備を行い、2月になって平沼騏一郎・広田弘毅・近衛文麿・若槻禮次郎・牧野伸顕・岡田啓介・東條英機が順次に拝謁して意見を述べた。そのうちヨハンセングループの吉田茂が支持した近衛上奏文は、連合国との和平調停に向けた人事異動を推奨するものであったが、予定されていたこれら重臣全員の拝謁が終わったのは2月26日だった。
7月には近衛文麿がモスクワに派遣され、ソ連に対し連合国との和平調停の仲介を求めたものの、既にヤルタ協定が行われていたため仲介を拒絶された、と言われている。
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├ヤルタ会談 AI による概要
ヤルタ会談は、1945年2月にウクライナのクリミア半島にあるヤルタで開かれた、アメリカ・イギリス・ソ連の3か国の首脳による会談です。第二次世界大戦の終結後の国際秩序を協議し、ヤルタ協定が結ばれました。
【ヤルタ会談の内容】
ドイツの分割管理(米・英・ソ・仏の4か国による管理)。
国際連合の設立。
ポーランド問題の解決。
ソ連の対日参戦。
千島列島の領有。
樺太の南部とこれに隣接する諸島のソ連への返還。
【ヤルタ会談の意義】
戦勝国による戦後世界の国際レジーム枠組みに関する利害調整の場であった。
中・東ヨーロッパの政治体制・外交問題など、戦後世界に多岐にわたる影響を及ぼした。
この会談以降、アメリカを中心とする資本主義国陣営と、ソ連を中心とする共産主義国陣営の間で、本格的な東西冷戦が開始された。
この会談で合意された国際体制構想は「ヤルタ体制」と呼ばれ、アメリカとソ連の2大国による世界支配を前提としていました。
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├旧ドイツ軍の士官学校 AI による概要
旧ドイツ軍の士官学校には、陸軍大学校(Allgemeine Kriegsschule)やミュルヴィク海軍兵学校(Marineschule Mürwik)などがあります。
【陸軍大学校(Allgemeine Kriegsschule)】
1810年10月15日にゲルハルト・フォン・シャルンホルストによって創設された。
第一次世界大戦が始まると閉鎖され、終戦後のヴェルサイユ条約によって禁止された。
1935年に再開され、1945年に閉鎖された。
後身はハンブルクにある連邦軍指揮幕僚大学校である。
【ミュルヴィク海軍兵学校(Marineschule Mürwik)】
ドイツ海軍の士官学校で、キール軍港にあったキール海軍兵学校の後継校。
ドイツ最北端の都市フレンスブルクのミュルヴィクに所在し、海岸沿いの小さな丘の上に建てられている。
フレンスブルク・フィヨルドを見渡せる。
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├カール・フォン・クラウゼヴィッツ - Wikipedia
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├日本降伏とアメリカ情報機関―ヤルタ密約をめぐる国際情報戦―清水亮太郎
https://www.nids.mod.go.jp/event/proceedings/forum/pdf/2022/JP_05_shimizu.pdf
はじめに
1945年2月4日から11日まで、アメリカ、イギリス、ソヴィエト連邦の3国首脳は、クリミア半島の保養地ヤルタで会談し、終盤をむかえた第二次世界大戦の終結に向けた戦略、戦後構想について協議を行った。会談では極東における太平洋戦争について、ドイツの降伏およびヨーロッパにおける戦争の終結の後、2か月ないし3か月の準備期間を経て、ソ連が対日参戦することが合意された。1941年6月以来、ドイツと激しく戦っていたソ連は、独ソ戦の直前に日本との間に中立条約を結んでおり、日ソ間には外交関係が維持されていた。
ソ連の対日参戦に関する政治的条件は、南樺太およびそれに隣接する島嶼の「返還」、千島諸島の「引き渡し」、日本の実質的な支配下にあった遼東半島先端部の大連港の国際化、旅順港の租借権の回復などであった。軍事面では、ローズヴェルト大統領は、米統合参謀本部(JCS)の要求にもとづき、ソ連軍による満洲への全面的侵攻、沿海州への戦略空軍(陸上機)基地の設置を求めたのに対し、スターリンは、2月8日、ローズヴェルトとの2人の会談で、同意を与えたのであった。
開戦後、日本にとって日ソ関係は外交の主軸であり、独ソ和平を日本が仲介することで、戦争を終結させるという構想を開戦当初から持っていた。したがって、欧州においてドイツの戦局が不利に傾き、日本も決戦と位置づけていたフィリピン・レイテ島における戦いに敗れ、米軍の侵攻が本土に迫っている状況で、ソ連が中立条約を破棄して参戦するという密約は、死活的に重要なものであった。
他方、米国のフランクリン・ローズヴェルト大統領は、第二次世界大戦後の世界について、「4人の警察官」構想を唱え、アメリカ、イギリス、ソ連、中華民国を世界の平和と安定を担う「大国」と位置付けており、ソ連との協調関係は、戦争指導のみならず、戦後世界を見据えたうえで、国際政治上も重要なものであった。このため、極東における日本との戦争にソ連を関与させようという立場をとっていた。
また、ローズヴェルトは、外交、軍事における情報を重視し、太平洋戦争開始後、戦時広報を担う戦争情報局(OWI)、秘密情報の収集、謀略、準軍事作戦などを担う戦略情報局(OSS)を設置していた。OSS の長官を務めたのは、アイルランド系カトリック教徒で超党派的な人脈をもつウィリアム・ドノヴァンであった。ドノヴァンは、スパイを使って運営する秘密諜報と同様に、調査分析部門に高い関心を持っており、人文社会系の有力大学教授や優秀な若手研究者を多数擁していた。
本稿では、ヤルタ会談の議事内容、日程がすでに固まっていた1945年初頭から5月のドイツ崩壊前後にかけて、OSS が欧州の中立国においてどのような活動をしていたのか、とくに日本との戦争終結との関係において、検討することにしたい。
1 OSS のソ連観
1943年8月、OSS 調査分析部(Research & Analysis)ソ連課長のジェロイド・ロビンソンが、「戦後極東における主導権」というメモをケベック会議に向かうローズヴェルト大統領のために作成している。そのなかで、ソ連について、現在は欧州の戦争に手いっぱいだが、極東への利益関心を失ってはいない。「少なくとも北方においては、われわれの敵日本を強力なままにするのか、その地域をソビエト支配へと放り出すのかの、選択をしなければならない」と記している。
1944年11月には、OSS 幹部のアレン・ダレスがイスタンブールでリクルートした諜報員で、当時、調査分析部ニューヨーク支部に所属していたベティ・カープが、複数の在米ソ連人からの聞き取りにもとづいて、当時スターリンの有力後継者と目されていたアンドレイ・ジダーノフの発言内容を含む、戦後の中ソ関係の見通しについて詳細な報告書を提出している。そこで、ソ連は満洲における対日参戦を通じて影響力を拡大したうえ、クレムリンは中国共産党の満洲支配を望むこともありうる。米英両国との協議においては、ソ連は中国、とりわけ満洲におけるソ連の特別の戦略的、経済的利益を承認することを前提条件とするだろうと述べている。
全ドイツ崩壊が目前となった5月5日、ドノヴァンは統合参謀本部の要請により作成した報告書「米国の政策にとっての課題と目的」をトルーマン大統領に提出している。そこで、ドイツ占領問題の解決が最重要課題であり、ソ連に対する平衡錘(counter weight)として、西ヨーロッパの経済復興、民主主義の体制を通じた、西ヨーロッパ=アメリカ・ブロック(Western Europe-America Bloc)の形成が必要である。さらに、日本の敗北により、ソ連がアジアで従来よりもはるかに大きな勢力を有することになるという事実から目を背けるべきではなく、大西洋地域の軍事基地と同様に、太平洋地域における軍事基地の維持、強化が欠かせない。対日戦争に関しては、ソ連が戦争終結直前に満洲に侵攻し、満洲の併合や朝鮮の(直接的または間接的な)支配を主張する可能性があると述べている。このように、ローズヴェルトの死後、そしてドイツ崩壊の直前、OSS は明確に「冷戦型」の考え方に立つようになっていたのである。
2 スイスにおけるアレン・ダレス
スイスにおける和平工作の窓口が、アメリカの情報機関 OSS であり、日本側と降伏条件をめぐって、さまざまなやりとりをしていたことはよく知られている。1945年4月頃、日本海軍の軍需品買い付けのコンサルタントを勤めてきたフリードリッヒ・ハックを介して、日本海軍の藤村義朗中佐が OSS スイス・ベルン支局長のアレン・ダレスに和平交渉の依頼を行い、降伏条件、とくに天皇の地位保障をめぐって、交渉が行われたが、日本の海軍省は信用せず、外務省でも積極的に取りあげられず、和平交渉のチャネルとしては機能しなかったというものである。
戦後 CIA 長官をつとめるアレン・ダレスが、主に取り組んでいたのは、ドイツの反ナチス勢力との和平交渉であった。1945年1月末、OSS ベルン支局を拠点に活動していたダレスは、スイスで反ナチのレジスタンスやヒトラーに批判的なドイツ国防軍軍人との接触を重ねていた。ダレスは、1月27日付の報告書のなかで、44年7月20日のヒトラー暗殺未遂事件に身を投じた軍人たちについて説明しながら、
①無条件降伏は不変の方針であるが、ドイツの軍部の指導者たちは、ドイツの将来を真剣に憂慮している。
②全ドイツの都市が不必要な破壊を回避し、食糧や物資の適切な配給により、経済生活の回復を図ることができるかどうかの瀬戸際にある。
③ドイツ国防軍内の建設的な政策を持つ将校には、ナチス体制の解体に寄与させるべきである。
こうした穏健な政策(affirmative program)をとることが、ソ連が東ドイツでカオスを現
実に作り出す前に、ドイツ軍を米英側に帰順させることにつながると信じる、と報告を締め
括っている。この報告は、OSS 次長から JCS に届けられている。
OSS では、遅くとも1944年末には、ワシントンの本部においても、欧州の戦地においても、ソ連の勢力拡大を防ぐために、そして米軍兵士の犠牲をできる限り少なくするという観点から、無条件降伏(unconditional surrender)に字義どおり拘泥することなく早期の戦争終結を企図すべきであるという考え方が明確になっていたのである。
日本に対しても、1944年夏頃から折衝に着手していた。横浜正金銀行ドイツ総支配人兼国際決済銀行(BIS)理事の北村孝治郎は、44年夏、滞在していたホテルで女性按摩師を装った工作員から、ジョセフ・グルー元駐日大使の著書『滞日10年』(Ten Years in
Japan)を手渡されたが、そこにはグルー自身がダレスに献呈したサインがあった。ダレスが国務省内の、天皇制存続を主張する、いわゆる「ソフト・ピース」派人脈につながっていることを日本側に印象付ける狙いがあったことは間違いない。
OSS ベルン支局は、1945年3月21日に、ハックのもたらした情報として、在ベルンの加瀬俊一公使が、日ソ関係は改善しつつあり、ソ連は日ソ中立条約延長に前向きであると考えているとワシントンの本部に報告している10。さらに米国の通信傍受解読記録 MAGICによれば、加瀬はドイツ崩壊後の5月14日、東京に以下のような長文の電文を送っている。「ソ連は欧州での戦争終結後、戦わずして目的を達成することを望むかもしれない。我々は彼らに提供できるものと引きかえに、ソ連に仲介の役割を取らせる機会を得ることも、かなりあり得るかもしれない。そのうえ、もしこの途に失敗したとしても、直接米英と交渉して失敗することに比すれば、まだましだと考えられる」11。加瀬は5月中旬の時点においても、ソ連を通じた和平仲介が米英との交渉よりも有利であると本国に報告していたのである。
しかし、5月12日ドノヴァンは JCS に対して、OSS ベルン支局からの情報として、極東問題に精通する、「反ナチス・親日のドイツ人」からの報告を次のように伝えている。「加瀬公使は、5月11日の談話において、連合国との和平交渉を希望しており、極東全域における共産勢力の伸長を招くソ連の和平仲介よりも米英との直接交渉が望ましいと考えていると述べた。加瀬は日本の共産化に対する唯一のセーフガードとしての天皇制の存置を和平条件として考えていると思われる。加瀬はグルー国務次官もこの見解を共有していると考えている」。
ダレスは、ドノヴァンを通じて、スイスにおいて日本人グループを公式に代表する加瀬がソ連よりも米英との直接交渉を望んでいるという情報を統合参謀本部に報告していたのである。加瀬の立場を実際よりも米国との交渉に前向きである、つまりスイスを通じた和平交渉は有望であるとの印象を JCS や大統領に与えようとしたと考えられる。
3 ヤルタ密約とヴァチカン和平工作
次に、同じ中立国であるヴァチカンについて検討したい。昭和天皇は皇太子時代にヴァチカンを訪問して以来親近感を抱き、日米開戦前から終戦時の和平仲介のチャネルとしてローマ教皇庁を重視していた。開戦後、世界の「情報蒐集」の上の便宜、全世界に及ぼす「精神的支配力」の強大さに加えて、カトリック教徒が住民の圧倒的多数を占めるフィリピン統治の必要などから、開戦後東條英機首相に命じて1942年4月、ヴァチカン市国に公使館を開設し、フランス・ヴィシー政権の大使館で参事官を務めていた原田健が初代の特命全権公使として教皇に信任状を捧呈した。
1945年1月26日、OSS のチャールズ・チェストン長官代理は、原田公使がローマ教皇に語った内容として、次のヴェッセル情報を伝えている。日本政府は、スターリンが日ソ中立条約の更新にソ連が無条件で同意するだろうと確信している。ソ連政府は、日本の駐ソ連大使に、ソ連、中国、英国、米国、フランスそして日本が参加する講和会議に同意することを条件に、米英両国に対して和平の仲介をする用意があることを明言した。
1月17日、金山参事官は、ヴァチカンのジョバンニ・モンティーニ国務長官代行、ドメニコ・タルディーニ ロシア担当教皇委員、教皇の個人秘書と会見した際、以下のような発言を行った。
モスクワの日本大使からの情報によれば、三巨頭会談で極東問題が協議される予定である。米国は、チャーチルの支持を得て、日本を打倒するためにソ連に支援を求めるだろう。米英両国は、ソ連が日ソ中立条約を破棄するよう求め、太平洋戦争に参加し、ソ連領の航空基地を使用させるよう求めることになる。日本政府は、このことを理解しており、スターリンが同意を与える前に、米英側から和平仲介の動きが出ることを真剣に期待している。また日本政府は、三首脳がヨーロッパ、とくにポーランド問題を先に討議し、 ソ連がそれに満足しなければ、スターリンは極東問題の協議に応じないだろうということも理解している。
金山は、ヤルタ会談で極東問題が協議される前に、ローマ教皇が和平仲介の手を差し伸べて欲しいという希望を伝えた。モンティーニ国務長官代行が、教皇庁が仲介に乗り出せるように、日本政府は米英側の主張に歩み寄った和平条件を提示できるのか、 と問うたのに対し、金山はモンティーニの意向を日本政府に伝えると述べたうえ、可能ならばただちに教皇庁が仲介を開始して欲しいと重ねて要請している。この金山の発言が事実だとすれば、金山は驚くほど正確にヤルタ会談の内容を把握している。金山は、もっとも早く――それも会談の開催前に――ヤルタ密約の内容を知った日本人といってよいだろう。これらの情報は、OSS から統合参謀本部に伝えられたほか、国務省、ホワイトハウスにも届けられた。
中立国ヴァチカンを舞台に、ヤルタ密約をめぐって国際的な――それも米国とソ連の間で――情報戦が行われていた可能性を指摘することができる。残念ながら、1945年1月から5月までの駐ヴァチカン公使館と東京の外務省の電報のやり取りの記録は、保存・公開されていないため、原田や金山がどのような情報を送っていたのか(あるいは送っていないのか)、知ることはできない。
ただしドイツ崩壊後の1945年5月末から6月にかけて、OSS は別のチャネルを使って和平工作を行っているが、この記録は米国の傍受解読記録 MAGIC、日本の外交文書ともに残っており、OSS の工作担当者の回想記もある。6月3日、原田公使は東京への報告で、和平工作を持ちかけてきた米国側の意図について、「欧州戦争終結せるもその後のソ連の態度により政局益々悪化の徴あり。翻って極東に於いては蘇連は恐らく戦争の最後の段階に参戦し満洲を手中に入れ、中国共産政府を指嗾して其の地盤を確保せんとすべしと察せられ」るとその背景を推測している。ここでもヤルタ密約におけるソ連参戦情報が明示的に含まれている点に注目すべきであろう。
エウジェニオ・パチェリ――のちのピウス12世は、豊富な外交経験を有し、直接ローズヴェルトと書簡のやりとりをするなど米国との緊密な関係を維持していた。しかし、ソ連を戦後ヨーロッパ秩序の担い手とするというローズヴェルトの方針に対しては、早くから懸念を表明していた。とりわけローズヴェルトが1943年1月のカサブランカ会談で打ち出した、日独両国の「無条件降伏」を要求する方針に対しては、厳しい批判を行った。
44年6月、連合国軍のローマ解放の直前、教皇は「怒りと復讐の本能は、正義と平静の威厳に従わなければならない。あらゆる戦争において、交戦国の一方が剣のみによって明確かつ明白な勝利を収めることに成功したとしても、それは公正な平和ではないことが明らかになる」と演説した。ローズヴェルトはこの発言に驚き、テイラー特使を通じて教皇、国務長官らに無条件降伏がドイツの完全な破壊を意味せず、ナチスとドイツ国民を区別する方針を説明させた。
さらに、教皇は1944年末から45年の初めにかけて、ソ連軍の東中欧への進出がもたらす危険について懸念を強め、とくにカトリック系住民の多いポーランド、バルト諸国のソ連による占領は、大西洋憲章に反するとの懸念をテイラーに伝達した。ヤルタ会談において、ローズヴェルト、チャーチル、スターリンの間で合意されたポーランドの共産党支配、ドイツの分割統治の方針は、教皇、モンティーニ、タルディーニらにとっては最悪の帰結であったに違いない。
ローズヴェルト大統領の死去、ドイツ崩壊の後、ヤルタ密約におけるソ連参戦に関する情報は、ストックホルム、ベルン、リスボンの陸海軍武官から日本に伝達されていたことが最近の研究で明らかにされている。前述のようにスイスではOSSを通じて米国側との連絡が緊密であったほか、ポルトガルの陸軍武官からの情報は「M情報」と呼ばれ、米英側のソースによるものであった。
フランクリン・ローズヴェルトのもっとも偉大な大統領の一人としての評価とは別に、第二次世界大戦中の融和的な対ソ連外交についての研究者たちの評価は、その要因について、「大同盟」(Grand Alliance)を維持するための現実主義や軍事的必要性を挙げる立場、ローズヴェルト自身のナイーヴさ、大統領側近のソ連に親近感を抱く政策立案者たちの「裏切り」(treason)に帰する立場に分裂している状況が冷戦期に定着し、そのパラダイムは現在でも続いている。
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├物価高はいつまで続く? / 2025年あなたの給料はこう変わる! / 株価・為替の予測は?2025年の日本経済を徹底解説(第一生命経済研究所
首席エコノミスト 永濱利廣)
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├【緊迫の現地報告】10年ぶりに出現した未知なる人々「イゾラド」に攻撃される事件が相次ぐ 理由は?取材班は彼らが暮らすアマゾン源流域へ (語り:中井和哉)【クロ現】|
NHK
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├「日本計量新報」今週の話題と重要ニュース(速報版)2024年09月26日号「日本計量新報週報デジタル版」
├「日本計量新報」今週の話題と重要ニュース(速報版)2024年10月03日号「日本計量新報週報デジタル版」
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├官僚制度と計量の世界(20) 執筆 夏森龍之介
├官僚制度と計量の世界(19) 執筆 夏森龍之介
├官僚制度と計量の世界(18) 執筆 夏森龍之介
├官僚制度と計量の世界(17) 執筆 夏森龍之介
├官僚制度と計量の世界(16) 執筆 夏森龍之介
├官僚制度と計量の世界(15) 執筆 夏森龍之介
├官僚制度と計量の世界(14) 執筆 夏森龍之介
├官僚制度と計量の世界(13) 執筆 夏森龍之介
├官僚制度と計量の世界(12) 執筆 夏森龍之介
├官僚制度と計量の世界(11) 執筆 夏森龍之介
├官僚制度と計量の世界(10) 執筆 夏森龍之介
├官僚制度と計量の世界(9) 執筆 夏森龍之介
├官僚制度と計量の世界(8) 執筆 夏森龍之介
├官僚制度と計量の世界(7) 執筆 夏森龍之介
├官僚制度と計量の世界(6) 執筆 夏森龍之介
├官僚制度と計量の世界(5) 執筆 夏森龍之介
├官僚制度と計量の世界(4) 執筆 夏森龍之介
├官僚制度と計量の世界(3) 執筆 夏森龍之介
├官僚制度と計量の世界(2) 執筆 夏森龍之介
├官僚制度と計量の世界(1) 執筆 夏森龍之介
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├【右翼の正体】菅沼光弘 国家公安委員が説明 (youtube.com)
3,671 回視聴 2021/09/15
右翼の正体を菅沼光弘 国家公安委員が外国人記者クラブにて解説。ヤクザが右翼に変質し、その構成員は6割が同和の人々、3割が在日の人々だと説明。つまりエセ右翼であると解説。
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├自動車の社会的費用とその負担
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├学者ニュートンを刺激したロンドンのコーヒーハウス
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├交通事故報道の背後にある警察庁の意思と国家権力のジャーナリズム支配
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├安岡章太郎が描く軍隊と現代の人々の生への現実 甲斐鐵太郎
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├現代の人には死はない 甲斐鐵太郎
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├品質工学や計量管理の技術を言葉で解き明かす
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├鬼平犯科帳第2シリーズ #19-21 (youtube.com)
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├国家公務員総合職試験の「教養区分」、申込者数4734人で過去最多…前年度比17・9%増(読売新聞オンライン) - Yahoo!ニュース
2024年9/29(日) 15:56配信
人事院は、秋に実施する2024年度の国家公務員総合職試験(大卒程度)の「教養区分」について、申込者数が前年度比17・9%増の4734人で、過去最多となったと発表した。
教養区分は、法律学や工学などの専門試験を課さず、企画立案などの基礎的な能力を重視する試験だ。合格者は年々増えており、23年度は前年度比168人増の423人と大幅に増加した。
民間企業に人材が流れるのを防ぐため、昨年度から受験年齢を20歳以上から19歳以上に引き下げた。各府省からの採用ニーズも高まっており、26年度の試験からは春も実施する予定だ。
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├キャリア官僚「10年未満で退職」過去最多、理由は長時間労働や「もっと魅力的な仕事に」:写真 : 読売新聞 (yomiuri.co.jp)
人事院は、「キャリア官僚」と呼ばれる国家公務員総合職のうち、採用後10年未満の退職者が2022年度は177人に上り、現行の試験制度で入省した13年度以降で最多となったと発表した。
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├キャリア官僚試験、19歳から受験可能に…合格の有効期間も6年半に延長 : 読売新聞 (yomiuri.co.jp)
2023/07/29 17:20
人事院は、秋に実施する国家公務員総合職試験(大卒程度)のうち、「教養区分」の申し込み受け付けを28日から始めた。同区分の受験可能年齢を昨年度までの20歳以上から19歳以上に引き下げた。早期に採用活動を行う民間企業に志望者が流れるのを防ぎ、人材を確保する狙いがある。
合格の有効期間も3年から6年半に延長する。合格者が民間企業などで勤務後、省庁の採用面接に挑戦する機会を増やす。申し込みは8月21日まで。1次試験は10月1日、2次試験は11月25、26日に行われる。
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├「女川原発の再稼働どう思うか」について #れいわ新選組 #山本太郎 (youtube.com)
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├『何故日本のマスコミは権力に弱いのか こんなに自由な日本が報道の自由度ランキングで70位になるわけ』日本の記者はジャーナリストである前に会社員、記者クラブで談合し取材先に迎合して生活を守る特権階級だ!
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├古賀茂明と佐高信の『官僚と国家』第1回 菅は真綿でクビを締める 20200903 (youtube.com)
├古賀茂明と佐高信の『官僚と国家』第2回 安倍・菅の壊したもの 20200922 (youtube.com)
├古賀茂明と佐高信の『官僚と国家』第3回 森友と原発 20201021 (youtube.com)
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├古賀茂明×佐高信 原発ムラは今も健在【官僚と国家 番外編】20210427 (youtube.com)
├あまりにも危険な高市早苗の正体!防衛費増大・・・さらに戦争勃発の可能性有り。特別対談・政治経済評論家・古賀茂明さんと元朝日新聞・記者佐藤章さん。一月万冊
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├小泉進次郎人気ダウン!麻生太郎に頭下げてる場合か!進次郎は千載一遇のチャンスを逃がした!特別対談・政治経済評論家・古賀茂明さんと元朝日新聞・記者佐藤章さん。一月万冊
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├「官僚と政治」(3) 前川喜平・元文部科学事務次官 2021.7.16 (youtube.com)
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├https://www.youtube.com/watch?v=baZfohPzM8U
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├#大谷翔平【史上初の偉業】落合博満から見た投手大谷 打者大谷 二刀流の価値 (youtube.com)
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├白血病克服の池江璃花子 造血幹細胞移植から5年…「本日完全寛解を迎えました」と報告 闘病生活振り返る (msn.com)
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├臓器移植対策の現状について 厚生労働省(2024/07/26 — 造血幹細胞移植対策の推進. 2 5 億円( 2 4 億円)
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├民主党 石井紘基議員殺害 実行犯が語る真相 (youtube.com)
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├石井紘基が残した「問い」を伝える!21年後に明かされる真実! 石井紘基後援会長 阿部武彦 × 石井ターニャ 対談インタビュー (youtube.com)
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├【国力が低下しかねない】悲鳴をあげる現役官僚たちの覆面座談会 なぜ政治家の”下請けのよう”になってしまうのか?現職国会議員も語る(語り:小松未可子)【クロ現】|
NHK (youtube.com)
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├案里被告に判決”政治とカネ”【報道特集】 (youtube.com)
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├【質問通告】議員はなぜ国会のルールを守らない?ブラックな働き方の原因は"超ザックリ質問"?霞ヶ関官僚の残業問題をひろゆき&立憲小西洋之と考える|#アベプラ《アベマで放送中》
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├宗像直子 - Wikipedia
├【現役官僚が解説】国家公務員の総合職・一般職 ココが違う! (youtube.com)
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├国家公務員【国家総合職/国家一般職】1&2年目の年収と初任給! (youtube.com)
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├【現役職員に聞く】国家公務員の給与実態(手取り、残業手当)総合職編 (youtube.com)
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├(官邸も関与?)現役官僚に聞く次官レースの内幕・実情(誰がどのようにキャリア組の人事を決めているのか、課長補佐の推測を含みます) (youtube.com)
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├(568) 国総と国般のダブル合格者があえて一般職で入った戦略(現役官僚から見た国家公務員総合職が向く人、一般職が向く人) - YouTube
現役のキャリア組であるKさんから、国総と国般のダブル合格者があえて一般職で入った戦略(現役官僚から見た国家公務員総合職が向く人、一般職が向く人)について直接見聞きした話を語ってもらいました。
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├戦前の学校制度 学制から戦後の教育改革まで【社会人のための高校日本史】 (youtube.com)
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├計量法解説 (keiryou-keisoku.co.jp)
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├:計量法の読み方 - livedoor Blog(ブログ)
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├「計量法の読み方」全章 |
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├微分も積分も忘れてしまう東大理三卒の大学教授(2023-05-09)【理3のリアル@50代】 東大医学部卒の弁
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├フィルムカメラとデジタルカメラの発展の速度の違い
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├「ハッピーエンド」を聴く。メンバーは大瀧詠一,細野雅臣、鈴木茂、松本隆。
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├シンボル操作(symbol manipulation)
社会学用語。それ自体は客観的であったり、また多義的に理解されているような物や言語や行動様式をシンボル (象徴) として使い、特定の意味内容をこめて多くの人々のそれへの同調ないし反動形成を促し、一定の方向に行動させること。シンボル操作の典型的な技術の一つが、人々の態度・行為・価値観をあらかじめ意図された方向へ誘導するための組織的コミュニケーション活動といわれる政治宣伝である。マス・メディアの驚異的な発達と宣伝技術の高度化により、現代社会ではシンボル操作の余地は拡大した。
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旅のエッセー集 essay and journey(essay of journey) 旅行家 甲斐鐵太郎
essay and journey(essay of journey) by kai tetutaro
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夏森龍之介のエッセー
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├日本の国家公務員の機構を旧日本軍の将校機構(士官学校、兵学校、陸軍大学、海軍大学)と対比する
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