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紀州犬物語【シロの学校とその生徒のポチとブンの物語(5)】(60)(執筆 横田俊英)
第60章 紀州犬メスシロの学校とその生徒のポチとブンの物語(5)
(紀州犬の大人のメス犬のシロの学校で、生後5カ月の紀州犬のオス犬のポチと生後6カ月の紀州犬のオス犬のブンが教育を受け、訓練を積んでいるのです。ポチもブンも散歩を楽しみにしていて、綺麗な姿態と歩様で散歩ができるのです。)
(本文)
犬を飼うにあたって予備知識はいるかというと、いまの日本人の頭のなかに収まっている知識ならそれはいらない、ということができます。近所の人の飼い犬でまともな犬などほとんどいないのですが、子犬を誰かが飼い始めると、その近所の人々がよってたかって、まともでない知識を吹き込みますから、近所中がまともな犬でなくなってしまうのです。
人は流行の犬を飼いたがるもので、この20年ほどの間に流行った犬が近所にごろごろおります。古い方ではハスキー犬ですし、鼻筋が白くて黒い大きな犬もおります。そして足の短い大きな犬もおります。このご近所の人の飼い犬でまともに散歩ができる犬はおりません。向こうから犬がくると吠えかかろうとして、ご婦人の飼い主は必死でこれを止めようとしますが、ついにはリードを持っていられなくて放してしまいます。そこで犬の喧嘩が始まって、どちらかが怪我をしてもしなくても、近隣関係に溝ができてしまいます。
一家の主人である旦那が犬に無関心で、奥方が無気になって飼っている大きな犬は躾けられていないと言っても過言ではありません。犬が可哀想だからということで広い庭に放している状態ではシツケなど始めからしないのと同じです。鎖につないで雨露をさける出入り自由の小屋を与えられている犬は躾けられません。庭に長い針金を張ってそこに犬をつないで、あっちへ行ったりこっちへ来たりさせている犬は、誰かがくると吠えております。そして散歩だってまともにできないのです。
余所の人の犬の飼い方に意識して注意を向けないようにしておりますが、鼻筋が白くて毛が黒くて長い大きな犬に、この飼い主の代表の奥方はいつでも犬に引きずられております。犬がすいすいと真っ直ぐ前にあるかないのです。原因の一つは庭での放し飼い、そうでないときには鎖でつないでおくようなことにあります。こうした状態にある犬は飼い主との散歩など嬉しくも面白くもなく、苦痛であるようです。飼い主の奥方だって前に向かって歩かない犬との散歩が面白いはずがありません。
こうしたことにならないために藤井聡氏の著書『しつけの仕方で犬はどんどん賢くなる』(青春出版社、1,200円税抜き価格)があるのにな、といつも思います。藤井聡さんの本は、犬の性質を知るためにとても役立つ本です。藤井聡さんは東京都の区役所などが実施する、犬のしつけ方教室の講師をしており、私もこの講習を受けております。つないではならない、犬は犬舎に入れて飼う、ことを基本にすれば大きな間違いはおきません。それはシツケの面でも危害の面でもです。この人、藤井聡さんを知らない人、そしてこの人のの著書『しつけの仕方で犬はどんどん賢くなる』(青春出版社、1,200円税抜き価格)を知らない人が、ここでこれを知り得て、犬の飼育、ことに子犬からの飼育に役立てようとするならば、そこには少なくとも10万円の価値を見いだすことができるはずです。事実、私の推奨によって、この本に接して藤井聡さんの考え方を学んだ人はその半分の5万円は得したと考えているようです。
ところで藤井聡さんは飼い犬の避妊手術をオス犬、メス犬ともに、するように勧めておりますが、紀州犬を愛好する多くの人々は、飼い犬に性にまつわる大きな病気がなければそれをしないこととしております。紀州犬にはオスもメスも避妊手術はいりません。もしも飼い犬に避妊手術をしたいのなら、別の犬種を選択したらよいでしょう。
紀州犬を飼うのに芸事を教えてはならない、と芥川賞作家で紀州犬愛好家の近藤啓太郎さんに教わった、同じく芥川賞作家の安岡章太郎さんは紀州犬のオス犬のコンタをそのようにして育てました。コンタは書斎に散らばった原稿用紙を踏まないようにして歩き、外に賊がいるとなれば主人を守るために2階の窓から突っ込むようなことをする犬に育ったのです。
紀州犬は自然のものなのです。俗事のちゃらちゃらしたことなど教えてはならないのです。飼い主と伴いいて、飼い主の気持ちを汲んで、暮らすのが紀州犬なのです。今ごろ(いまの時代)はドッグランとか何とかいうことが流行っていて、飼い犬の紀州犬にこれをさせて喜んでいる人がおりますが、それは麗しいようにも見えますが、私は喜ばしいことだとは思いません。犬が、紀州犬が悪いのではありません。紀州犬を飼っている飼い主がそのようなことをさせるのを喜びとしている状態から、目を背けます。
愛しき飼い犬の紀州犬のメスのミーは、生後5カ月で望まれて新しい飼い主のところに行きました。とても性格がよくて、子育て上手シロ(チビ)の教育と訓練によって、犬としてのよい性質を身につけたミーは、どのような飼い主にも馴染むようになっていたのです。そこに犬がいて苦にならず、むしろ犬がいるのが楽しいという状態を醸しだすことができる紀州犬のメス犬がミーでありました。ミーは私が庭にでて小屋からだしてやると大喜びで駆け回ります。そして門扉にそばに立って散歩に連れて行けと促すのです。首にリードを掛けてやると喜んで歩き出します。
犬がいれば嬉しくて、散歩をすると飼い主も犬も楽しい、というこの二つのことだけで十分です。このようになっていることが何よりも大事な事です。
庭につないである犬は何時でもキャンキャンうるさい、そして散歩が嫌いで、外に出ても腰を引いて動こうとせず、犬がくれば吠える、とういった犬が世の中の実態であることが、少し観察するとわかってきます。
そのような事実と対比すると私が育てた紀州犬のメス犬のミーは上等な犬です。これは駄目犬を飼ってみるとよく分かることなのですが、子犬のコロコロした状態が可愛いということで、犬を飼うのではなく。「子犬を飼うこと」を喜びとする人がほとんどです。そして子犬は飼ったけれども、育って犬になったら犬としての面白味がない、そこに居ることがキャンキャンしてうるさくて敵わない、また散歩を嫌がるので連れて歩くことができない、というような状態が出現するのです。
「子犬を飼うこと」を喜びとする人は、猫と同じくらいの大きさかそれより小さい犬を飼うとよいのです。紀州犬はいつまでもコロコロとして小さいのではありません。オス犬が育つと、首の付け根までが52センチメートルほどになり、体重は20キログラムになるのです。メスはこれが49センチメートルと16キログラムほどです。このくらいの身体の大きさの犬をは日本犬の世界では中型犬といいますが、小さい犬ではありません。散歩をするときに紀州犬は飼い主の歩調とよくあいます。柴犬はチョコチョコ歩きです。ゴールデンやラブラドールといったレトリバー犬は腰を振ってのモンロー歩きです。私は中型日本犬、とりわけ紀州犬を愛好します。
私の愛犬、紀州犬メス犬のシロ(チビ)の学校で、生後5カ月になった紀州犬オス犬のポチと生後6カ月のブンは、ミーが育ったように良い教育と訓練を積んでおります。ブンなどは散歩が好き、庭で飼い主と遊ぶのも好き、キャンキャンとうるさくはしない、ということで、家庭犬にするのに最高のシツケができております。普通の人が飼っていてはこのようにはなりません。それはまたブンが育っている状況にシロ(チビ)という優れた教師がいるという巡り合わせがあるからであるのです。この状況はなかなかつくることができない貴重なことです。
小屋の前は小さな庭になっており、庭の周りは犬走ができています。生後5カ月のポチは扉をあけると、飛び降りてその場で長い時間をかけてオシッコをします。その他とで先生役のシロの扉をあけると、シロは犬走を駆けて裏に回って腰を落としてオシッコをします。我慢していた排泄をすませるとポチとシロの運動会が始まります。向こう気の強いやんちゃなポチはシロの首根っこに噛みついて首を左右に振ります。生後5が月のポチの歯は乳歯が永久歯に生え替わっている途中なので、乳歯が抜けて出血して、その赤い血がシロの白い毛を染めるので、ちょっと凄惨にみえますが、当の犬たちは何も考えておりません。飛び付いては後ろに回り、首を噛んで時には足を噛んでと、2頭の遊技がつづきます。
もうそろそろ、良いだろう、というところでドッグフードを小屋に投げ入れると、その音を聞いて子犬のポチはぴょんと跳び上がって小屋に入ります。一丁上がりで、次は生後6カ月のブンの遊技の時間です。生後5カ月のころはプクプクして丸っこかったブンがここにきて夏の換毛が重なったために、やせて見えます。短く見えたブンの胴は何となしに長くなっているようです。飼い主としてはブンの身体が一回りも二回りも大きくあって欲しいのですが、そうした希望と少し離れているのは飼い主の希望が強すぎるからであるのでしょう。
生後6カ月の紀州犬のオス犬のブンは、大人になった紀州犬のメス犬のシロとほぼ同じ背丈になっております。生後5カ月のポチもシロの背丈に近づいてきました。紀州犬のオスはメスよりも二回りほど大きな身体になります。その身体の大きさはオス犬が、首の付け根までが52センチメートルほどになり、体重は20キログラムどです。メスはこれが49センチメートルと16キログラムほどです。私が飼っている紀州犬のオス犬は背丈がこの程度(52センチメートル)であっても、体重は18キログラムに達するかどうか、という程度です。運動をさせて太らせないからでありますが、体質も関係しているのでしょう。
紀州犬はオスとメスでは身体の大きさが異なります。オスかメスかという違いと相まって、身体の大きさの違いのことを意識しないのは間違いです。身体の大きさの違いは普通の人には思いのほか、ということであります。たくましいオス犬、優しいメス犬、という言い方をしてよいでしょう。
紀州犬を子供のオモチャとして与えようと考えていて、紀州犬を実際にみて触ってもその考えを修正しない人がおります。子供のオモチャにという思いを、大人のオモチャにまで持ち上げて、紀州犬を飼おうとする人に、紀州犬を渡したら犬も飼い主も不幸になります。紀州犬は一家の主人が俺が飼ってやる、という強い意識と決意をもって臨むものなのです。子供を基準にして選ぶなどしてはなりません。子供の興味など当てになりませんし、実際に子供は歳にあったオモチャに飽きるように、紀州犬など犬にも飽きます。
赤い屋根の暖炉のそばに紀州犬がいることは良いことだとしても、それだけでは犬を飼う仕合わせの条件の半分を揃えたことにしかなりません。犬を連れて存分に散歩をすることが楽しい、そして飼い犬がまた飼い主に連れ添って街を歩くことが楽しい、という条件を付け加えなくてはならないのです。
散歩嫌いの犬は沢山います。散歩ができない犬も沢山います。犬が散歩ができるように飼育し、訓練できない飼い主が沢山います。日本人の犬を飼うために必要な意識はかなり低いといえます。シツケや訓練や飼育のための教科書のような良い本がないからでもあります。犬を飼えばそのような本を買って読むことでしょうが、あまり役に立ちません。そのような本の中で役に立つ筆頭の本が、藤井聡氏の著書『しつけの仕方で犬はどんどん賢くなる』(青春出版社、1,200円税抜き価格)です。書店の本棚には並んでいないので、取り寄せて読んで欲しいのです。この本によって犬の性質を良く知ることができます。
私の飼い犬の紀州犬のメス犬の大人シロは、藤井聡さんに代わって子犬を訓練します。シロは犬ですから、子犬に犬の性質を教え、たたき込むために、役立つのです。人が犬を訓練するのではなく、犬が犬を訓練するのです。欧州のある国では生後6カ月前の犬は新しい飼い主に渡さないということを、原則にしていることが有名な訓練士の経験として語られております。私も条件があるときには生後6カ月あるいは8カ月、1歳まで犬に犬の先生をつけて訓練をすることをしております。
紀州犬の大人のメス犬のシロの学校で、生後5カ月の紀州犬のオス犬のポチと生後6カ月の紀州犬のオス犬のブンが教育を受け、訓練を積んでいるのです。ポチもブンも散歩を楽しみにしていて、綺麗な姿態と歩様で散歩ができるのです。
この夏は7月17日に梅雨が明け、その前の3日ほどからの猛暑が7月19日までつづいておりました。7月20日には扇風機も冷房もいらない状態に変わり、雨も降りました。この日、朝のうちにシロとポチとブンは飼い主が張り切ったので、たっぷりと散歩することになったのです。飼い主は紀州犬のシロとポチとブンは良い犬だとどんな理由かはわかりませんが、満足したのでした。
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