10月11日の霧ヶ峰高原とコロボックルヒュッテ(甲斐鐵太郎)
(10月11日 撮影 旅行家 甲斐鐵太郎)
←ホームへ
10月11日に霧ヶ峰高原とコロボックルヒュッテに出向いた
コロボックルヒュッテのコーヒーテラスはコーヒー一杯450円でこの上ない自然の美しい風景を堪能させてくれる
 
 
写真 上は 10月11日 台風一過で無風快晴の霧ヶ峰高原肩の駐車場付近。(撮影 旅行家 甲斐鐵太郎) 
 
 
上は 10月11日 うすく白けた霧ヶ峰高原肩の駐車場付近。(撮影 旅行家 甲斐鐵太郎)
 
10月11日 台風一過の秋の静けさ。コロボックルヒュッテのテラスの向こうは草紅葉。 
 
エッセーの部屋   【7月の歳時記】  ←ホームへ
 

10月11日に霧ヶ峰高原とコロボックルヒュッテに出向いた
コロボックルヒュッテのコーヒーテラスはコーヒー一杯450円でこの上ない自然の美しい風景を堪能させてくれる

(タイトル)
10月11日 霧ヶ峰高原とコロボックルヒュッテ(旅行家 甲斐鐵太郎)
コロボックルヒュッテのコーヒーテラスはコーヒー一杯450円でこの上ない自然の美しい風景を堪能させてくれる(10月11日撮影甲斐鐵太郎)


(本文)

霧ヶ峰高原を中心にして東は蓼科山、西は美ヶ原をつなぐ高原道路の「ビーナスライン」の建設はさまざまな議論を呼んだ。作家の新田次郎氏はこの道路開発が自然に与える影響の大きさから反対運動が起こったのに取材して小説『霧の子孫たち』を書き上げ、関根恵子がヒロインにした映画が作られ、東京都千代田区九段に住んでいた私は飯田橋にある佳作座でこれをみた。

 その後山登りが好きになってオートバイを手に入れるとビーナスラインの高原の曲がりくねった道を走って安曇野の沢渡の宿に泊まるなど、この道を暇に任せて訪れるようになった。いまでは車で走ることが多いが気が向けばオートバイを飛ばす。

 八ヶ岳や諏訪湖や乗鞍高原や松本市の安い宿に泊まったり、日帰りだったり、そのときの状況にあわせての霧ヶ峰高原への「遠乗り」になる。霧ヶ峰高原の道路は冬季にスキー場が開設されるために春夏秋冬いつでも道が閉ざされることがないのがいい。

車山の肩の駐車場に空きがあれば時間に余裕さえあれば乗り物をここに停めて「コロボックルヒュッテ」(ころぼっくるひゅって)のテラスで蓼科山と車山を向こうに見てコーヒーを飲む。高原を一望する「コロボックルヒュッテ」(5月〜11月は併設のカフェを営業、宿泊もできる)のオープンテラスはビーナスラインの喧噪から切り離された寛ぎの場所である。一杯一杯サイフォンで淹れた「コロボックルヒュッテ」オリジナルブレンドのコーヒーは特上の旨さである。営業時間 8:00〜16:30で営業期間内は無休 夏季は早朝より日没まで営業。「ころぼっくるひゅって」(平仮名が正式名称)TEL/FAX:0266-58-0573、E-mail:koro-1956@nifty.com、〒392-0008長野県諏訪市霧ヶ峰車山肩。

9月は日曜日に用事が詰まっていて霧ヶ峰高原を訪れる機会がなかった。その用事を破棄して10月11日に霧ヶ峰高原とコロボックルヒュッテに出向いた。高原はススキの穂が逆光に白く浮き立、レンゲツツジの低木は赤茶け日光キスゲの高原は薄茶けていて空きの風情であった。台風一過の無風快晴のためオートバイなどの通行量が多く、良い景色と感嘆してデジカメでの愛車共々の風景撮影は微笑ましい。

コロボックルヒュッテを1956年に開設したオーナーの手塚宗求 (てづか むねやす)氏は自然分野のエッセーの愛好家にはよく知られた人であり、私は『高原の野鳥物語』(恒文社 1990年)に魅せられた。同氏は1931年、長野県松本市出身、1956年24歳の夏、当時無人境だった霧ヶ峰高原車山肩に「コロボックル・ヒュッテ」を創設し、現在に至る。(日本ペンクラブ会員、日本エッセイストクラブ会員、日本山岳会会員、全日本スキー連盟指導員)。山住みの著者が山や自然を思う都市暮らしの人に贈るお話が本になる。著作は『邂逅の山』(筑摩書房 1980年)、『遠い人 遥かな山』(筑摩書房 1981年)、『霧ヶ峰通信』(信濃毎日新聞社 1988年)、『高原の花物語』(恒文社 1989年)、『高原の野鳥物語』(恒文社 1990年)、詩画集『森の四季』(女子パウロ会 1990年)、新編『邂逅の山』(恒文社 1991年)、『高原の随想』(女子パウロ会 1991年) 『高原の音楽譜』(恒文社 1993年)、『山里の食物譜』(恒文社 1997年)、『山小屋に生きる』(春秋社 1998年)、『霧ヶ峰花物語』(恒文社 1999年)、『山をめぐる人と書物』(恒文社 2000年)、『山−孤独と夜 小さな山小屋に暮らして』、(山と渓谷社 2001年)、新版『邂逅の山』(平凡社ライブラリー 2002年)、『わが高原 霧ヶ峰』(山と渓谷社 2006年) 。作詞は盟友の歌手、さとう宗幸のために花の歌4曲を作詞(キングレコード)。春 「すずらん」、夏 「キスゲに寄す」、秋 「まつむしそう」、冬 「風花」である。

自然破壊につながると反対運動をともなって開通したビーナスラインは、車山の肩の駐車場にあるお土産物屋さん、レストランの経営にさまざまな浮き沈みをもたらしている。一番大きなレストラン兼お土産屋さんは09年春には建物を取り壊した。下手の北欧レストランなど食事を楽しませるお店があるのでマイカーで移動する人々の昼食の需要をこことキャッチすることが難しくなっている。

 コロボックルヒュッテのコーヒーテラスはコーヒー一杯450円でこの上ない自然の美しい風景を堪能させてくれる。ここではアルプスホルンの演奏が夏に突然に行われる。コロボックルヒュッテの売店には無垢の木でつくられたスピーカーが梁の上においてあった。自然がこれだけ美しいと音楽など雑音になるから、秋の夜長の一時にそっと音を出すのであろう。このスピーカーを見た私は家に帰ってから10年ぶりにジョージ・ベンソンとダイアナ・キングのCDを大きなスピーカーで鳴らしたのであった。



 (写真と文章は旅行家 甲斐鐵太郎) (書き殴って読み返しておりません。誤字、表現の不適切さなどについてはご容赦を)     【登山・ハイキング】 【登山・ハイキング】

 
自然からのメッセージ (自然から感じることの日記 1月から12カ月までの1年分) (執筆 横田俊英)
What's New(ホームページ更新最新情報)
エッセーの部屋
 

←ホームへ

 


 

←ホームへ