紀州犬物語(65) 【紀州犬と柴犬の飼い方と子犬の育て方(その2)】(執筆横田俊英 |
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紀州犬物語(65)【日本在来犬と紀州犬(その2)】(執筆横田俊英) |
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【写真】下は、現代の柴犬と同じくらいの大きさの姿をした青森県青森市にある三内丸山遺跡の展示館にある縄文時代の犬の像。実際にこのような茶色をした赤毛の犬であったかは不明であると思われる。縄文期、犬は人の友達だった、と考えていい。あるいは犬は人の伴であった。人と犬は一緒に暮らし、犬は人の住まいの護衛をし、ときに狩りをし、そして人は犬に食糧を与えた。縄文期には人のそばに犬が埋葬されている事例が多くある。写真の犬は肩までの高さが40cmほど、を想定してつくられている。立耳、巻尾の古代犬を像にしている。縄文人は犬を伴としておりました。現代の人も犬を伴としております。愛しき犬との散歩を楽しむことができる人は仕合わせです。斎藤弘吉氏の「愛犬ものがたり」では縄文期以前、6000年ほどかそれ以上も前のの「原始時代」の遺跡では犬の骨が他の動物の骨と一緒に貝塚から出てきたことから、これによって犬は人間に食べられていた、と考えられると述べている。旧石器時代のころであろうか。 |
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(タイトル)
紀州犬物語(65)【紀州犬と柴犬の飼い方と子犬の育て方(その2)】(執筆横田俊英)
日本犬は畳1畳ほどの大きさの犬舎を用意して、犬舎で飼うのが基本です。
鎖や長いロープにつないで飼う犬はキャンキャン吠え、また人を傷つけることが多い
(人の体格と犬の大きさと、その釣り合いのことを考える。)
(本文)
犬を飼う楽しみ、犬を走らせる楽しみ
(日本犬は畳1畳ほどの犬舎を用意しての犬舎飼いが基本です。)
(2012年9月1日改定、オリジナルは2005年2月5日作成、横田俊英)
愛しき犬がいれば嬉しい、そして愛しき犬と散歩するのが楽しい
犬を飼うと犬の排泄の世話のために散歩をしているような気になってきます。犬と一緒に散歩するのが義務のようになるからでもあります。世の中はそうしたことを「犬の散歩」に出ている、といいます。人の散歩に犬を伴い、一緒に散歩するのだ、と申し述べますが、少々理屈っぽいかもしれません。飼い主の気分と体調がいいときには犬を連れての散歩は楽しいものですが、風邪をひいていたり、酔っぱらっているときや二日酔いのときにはつらいものです。そのような時には庭に放して一定時間を経過したら犬舎に戻すのも良いと思います。人は草臥(くたび)れていると、無理をすると脳疾患に突如として襲われることがあります。飼い犬に両手を合わせてご免ね、ご免ねというのです。
本来は人の散歩であるはずの犬を連れての散歩が、世の中の言葉にあるように「犬の散歩に出ています」というようなことになります。これは日本人が飼っている動物などを人と同じに扱う気持ちを持っていることから発生するのかも知れません。そのようなことで律儀な人は、何時しか犬の排泄のお手伝いとしての散歩になってしまいかねません。そして散歩に出ると飼い犬は尿をして糞をします。飼い犬が糞をすると飼い主はその糞をビニール袋で拾って持ち帰るのが大方であります。糞を拾うときにはその様子を観察して健康状態をはかります。1日に2度ほど飼い主は犬の糞の匂いを嗅いでいることになります。ご苦労様ですがこれは犬への愛情でもあります。フィラリア薬には回虫の駆除作用がありますので、月に1度のフィラリア薬投与の折りには、拾った糞を割ったりつぶしたりして、回虫などの有無を確かめます。目のそばでそれをやりますから、犬の糞の匂いを好んで嗅いでいるようにもみえます。
犬を飼うということの楽しみは、その家に愛しい犬がいることです。そして愛しい犬と散歩をすることです。この二つの要素によって犬を飼う楽しみが成立します。そのようなことですから、犬を飼うときには性格が良くて健康でほどほどに格好の良い犬に巡り会うように努力したいものです。そして散歩が好きな、良く歩く、犬であって欲しいものです。飼い主も犬と散歩することを楽しみしたいものです。愛しい犬であれば一緒に散歩するのが楽しいのが普通です。雨の日も風の日も、病気の風邪の日もと、矢鱈に張り切りすぎるのは良いことではありません。犬は1日や2日くらいの散歩の欠如によって精神や肉体に変調をきたすことはありません。先にも述べましたように、人の体調が悪いときには無理をしないことです。ご免ね、許してと手を合わせて庭に放すか、立木につないで5分ほど排尿の機会を与えて、犬舎に戻してやればいいのです。本来は人と犬と連れだってのの散歩のはずなのですが、いつの間にか「犬の散歩」に人が付き合わされることにならないようにしましょう。
鎖やロープにつないで飼う犬はキャンキャン吠える(犬は犬舎を用意してのケージ飼いが基本です。)
犬は放し飼いの時代ではなくなりました。これは当然です。それでも山梨県などの山村地帯に行くと細い道路を犬が歩いていることが良くありますから、このようなところでは昔ながらの犬の暮らしぶりがつづいているといってよいのでしょうか。そのような状態での犬の暮らしが人の暮らしを妨げないのです。
昭和30年代には犬を連れての散歩は特別な犬を飼っている人による犬の訓練のための特別なことでした。ある地方では土佐闘犬の飼育が流行していて、身体の大きくない大人がでかい土佐闘犬に引きずられるようにして歩いておりました。その方面の流行は5年もつづかなかったようで、土佐闘犬を飼う様子がぱったりとなくなったといいます。
山梨の山村部の放し飼いの犬の状態は特殊な事例になってしまいました。現代は飼い犬の犬舎を用意してのケージ飼いが基本になっております。人によっては塀の中で放し飼いをしております。しかし塀の中であっても犬舎を用意して、犬舎に入れて犬を飼うようにしましょう。犬の飼い方とシツケと訓練のことは、藤井聡さんの『シツケの仕方で犬はどんどん賢くなる』(青春出版社、1,200円)を読むと良いでしょう。書店には並んでいませんから取り寄せて読んでほしいものです。この本を読んだ多くの人は目が覚めたと感動します。そしてこの本を読んだ人の犬は決まって賢くなり、その前に飼い主が賢くなって、犬を飼う生活が楽しくなります。藤井聡さんはオスメスとも避妊手術を推奨しておりますが、紀州犬や柴犬を飼う愛好家は犬はそのようなことはせず自然のままで飼うことを基本にしております。性に関係する病気が発症したときは例外です。
飼い犬が人を噛んだ。通行人の小学生を噛んだ。ということで良く聞いてみると、飼い犬の犬舎が表通りに面していて、小学生がいたずらか遊びか何かで手を出す状態にあったのです。何かの弾みで飼い犬が手を噛むと今の時代は大変なことになります。犬を飼うのは犬舎飼いが基本ではありますが、その犬舎の設置場所は人が手を出せないところ、とういうことが基本にまります。東京都世田谷区経堂で犬を飼っている人の事例ですが、シャッターなどで囲った内側にいた犬に大人が酔っぱらって手を出したら噛んだということで、いたずらをした人の責任を棚上げにして犬に責めを求めておりました。区役所が出てきて犬が悪い、飼い主が悪いということで、随分と責め立てられたといいます。飼い犬は塀の中は自分と飼い主である主人の領地、縄張りであると考えますので、そこへの侵入者、そしてその人の手が侵入すると、噛んでしまうことがあります。犬が可愛いと思って、善意で手を出してきてもそれとは無関係に噛む、噛まれるという事故が発生するのです。これらは領地を守ろうとする犬の習性によるものなのです。
その昔は長いワイヤーロープを張ってそこに犬をつないで行き来させるという飼い方が推奨されたことがあり、斎藤弘吉氏も『愛犬ものがたり』でその実行を説いております。しかしこの方法は今では否定されております。犬舎を用意して散歩によって犬を運動させるのが、訓練の面からも良いことになっております。出たり入ったりすることができる犬舎に犬をつないで飼うことはしてはならないのです。そして長いワイヤーロープにつないで飼うこともしてはならないのです。そのようにして飼うとつながれた鎖の長さの範囲が領地なり縄張りになるので、そこに侵入する人への撃退行動となってケガを負わせるからです。
つながれた犬の多くはその前を人が通るとキャンキャン良く吠えることが多いのは、縄張り意識と関係するのです。そのような状態で飼って騒がしい犬がいると犬を飼いにくくなります。鎖につないだ犬が何故キャンキャン騒ぐのか、そのようにして飼っている人はまったくわかっておりません。このことの知識が歩かないかは重要です。
街中で人が通るたびにキャンキャン騒ぐ犬をみたら、その犬がどのようになっているか観察してください。塀の中での放し飼い、鎖につないでの放し飼い、長いワイヤーロープにつないでの放し飼い、といった様子がそこに見て取れるでしょう。犬を飼う楽しみは、そこに愛しい犬がいることが嬉しいこと、その愛しい犬を連れて散歩すること、の二つです。つないで飼って散歩しないのでは犬を飼う楽しみは半分であり、家の前を通る人に何時でもキャンキャン吠える犬が愛しい犬であるはずはありませんから、そのような飼い方は、はじめから犬を飼う楽しみを捨て去っていることないます。そのおまけは悪い方に付いていて、近所からの苦情の種を背負っていることでもあります。
檜(ひのき)柱を使った高床式の芸術的な日本犬の犬舎が使われている
犬を飼うのに小さからず大きからずの犬舎を用意してやります。現代の犬の飼育はケージ飼いが基本ですから、犬の体格に見合ったケージを用意することになります。
ケージの最低の大きさは高さは犬の頭がつかえないこと、横幅は体長よりも大きいことです。体長の1倍半あればいいでしょう。
奥行きは向きを変えられる程度でいいでしょう。
犬舎のなかで散歩できるような大きさは必要ありません。
市販の犬舎は基本的に華奢(きゃしゃ)です。
それで我慢するのが普通ですが、しっかりした構造の犬舎を大工さんや鉄骨屋さんに依頼して造っている人もおります。
暑い夏には戸板を取り外し、冬にはそれでかこうなど工夫した犬舎ができあがります。ベテラン飼育家の犬舎を訪ねて研究するといいでしょう。
日本犬の犬舎では檜(ひのき)柱を使った高床式の芸術的なものを造っている人が大勢おります。自分で造ってもいいでしょう。
和歌山では紀州犬を飼うための鉄骨つくりの犬舎が普及しています。
頑丈な鉄骨造りで屋根と三方の囲いがありますが、夏には囲いを外すことができる構造になっております。
餌や水の出し入れ用の間口を設けていて、扉の開閉なしにこれが行えます。
小綺麗でほどよい大きさの犬舎に飼い犬を入居させると犬が幸せに見えます。
それを見ている飼い主も幸せな気分になります。
犬は窓の外に飼い主の様子を注意深く観察していて、いつ散歩に出かけるのかなと待ちかまえております。
時速15kmでリズムよくバネをきかせて溌剌とはしる犬の姿は素晴らしい
飼い主の体長と気分がよい晴れた休日に犬を連れて戸外を散策するのは気分がいいものです。
時速15kmから20kmほどで走るときの犬はとてもかっこよく見えます。
私の場合は紀州犬と柴犬ですが、紀州犬の方が体格が大きい分、走るときの速度アベレージは高くなります。
時速15kmでリズムよくバネをきかせて溌剌(はつらつ)とはしる犬の姿はこれはまことに素晴らしいものです。
ほれぼれとします。芸術であると思えるほどです。
肉体を鍛えた犬の場合にはこうした走り姿がとくに素晴らしいものになります。
同じ犬でも体力のない犬はバネのないリズム感のない走りになりますので、飼い主はつまらないでしょう。
紀州犬のオスが時速20kmで走る姿は芸術的だ
走る姿と様子は犬種によって異なります。
紀州犬のオスなど時速20kmで走らせると本当に素晴らしいものです。
芸術的でもあります。犬は機嫌がいいと飼い主の膝(ひざ)をチョコンと口先でたたいてスピードをアップさせます。
このような仕草でスピードアップを促す紀州犬は多いようで。私が飼った犬のうちの何頭かはこれをします。
紀州犬のメス犬も一緒に走って楽しい犬です。
迫力はオス犬に少し劣りますが、日本人には十分な手応えがあります。
日本人の体格とのマッチングで無理がないのは柴犬
柴犬の場合には体は紀州犬に比べればずっと小さく力もはるかに弱いので散歩は楽にできます。
紀州犬と走りのリズム、動作のリズムは人の動作のリズムに近いものがあります。
柴犬の動作の周波数は紀州犬の半分ほどです。紀州犬に比べれば柴犬はちょこまか走りということになります。
日本人の体格とのマッチングということで無理がないのが柴犬です。紀州犬の方は少し気合いを入れてということになります。
紀州犬は柴犬よりはずっと大きい
紀州犬も柴犬も日本犬という分類になりますが、体格が違うことを理解していなくてはなりません。
柴犬は小型犬とされていますが、洋犬の分類では中型犬に属することになることが多いのです。
紀州犬は日本犬の分類では中型犬ですが、洋犬の分類では大型犬に近くなります。
ゴールデンレトリバーやラブラドールレテリバー、そしてジャーマンシェパードに比べたら一回り以上も小さいですが、決して小さい犬ではありません。
秋田犬に比べたら紀州犬はずっと小さな犬です。
かし柴犬よりはずっと大きな犬です。散歩に連れ出す人が男性で普通の体力を備えた人なら紀州犬のオスは飼って楽しい犬です。
女性の場合にはメスということになります。いずれにしても紀州犬を走らせると素晴らしく芸術的な走りをするので飼い主は楽しくなります。
柴犬でもそれは同じです。犬を走らせることは時にはいいものです。
(読み返しが不十分斜めに変換ミスなどによる誤字、脱字などについてはご容赦ください)
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紀州犬物語153 気迫と威厳、忠実と従順、飾り気のない気品と風格、これが齋藤弘吉氏の日本犬観である。(横田俊英)
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