旅行家 甲斐鐵太郎の自然博物誌 17 黒部第四ダム 
(7月17、18、19日に撮影
(副題)黒部第四ダムの上流の山向こうの大鳶山(おおとんびやま)は越中安政大地震で崩壊、堰き止められた谷の水が流域平野に土石流として流れでて平地を泥の海に変えた
 
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写真(下)は、黒部第4ダムを横から写す。その1。ダムの放水が義務づけられている。ダムの上は人工の黒部湖。黒部第4発電所はここから下流12キロメートルほどの地下につくられている。台風の影響でそれまでのそれまでの晴天から打って変わって小雨になりはじめた。7月19日に撮影。
 
写真(下)は、黒部第4ダムの上。上部に立山(雄山、3,003メートル)を仰ぎ見る。梅雨明け10日ということで、7月17日はよく晴れていた。これからこの山に登って3,000メートルの位置にある山小屋で過ごす。7月17日撮影。
 
写真(下)は、立山三山の大汝山(3,015メートル)で朝日の昇るのを待つ。日が昇る前の朝焼けのショーは薄い雲があるときに趣がある。昇り始めの太陽は薄い雲のために半熟卵の色となる。太陽はその後この山、鹿島槍ヶ岳の背後に回って室堂の上空に大きな影を映す。羽毛ジャケットを着て午前4時過ぎから1時間半ほどの間の光のショーは晴れていればこそのことで、この日は年に1度あるかないかの晴天(雄山神社の宮司の話)ではるか遠くの山も見えていた。7月18日撮影。 
 
写真(下)は、大町市関電扇沢駅から関電トンネルをとローリーバスに乗って、黒部湖に出る。トンネルの向こうには湖があり、北アルプスの3,000メートル級の山がそびえる。7月17日撮影。 
 
写真(下)は、黒部第4ダムを横から写す。その2。ダムの放水が義務づけられている。ダムの上は人工の黒部湖。黒部第4発電所はここから下流12キロメートルほどの地下につくられている。台風の影響でそれまでのそれまでの晴天から打って変わって小雨になりはじめた。7月19日に撮影。
 
 
(タイトル)
旅行家 甲斐鐵太郎の自然博物誌 17 黒部第四ダム

(副題)黒部第四ダムの上流の山向こうの大鳶山(おおとんびやま)は越中安政大地震で崩壊、堰き止められた谷の水が流域平野に土石流として流れでて平地を泥の海に変えた


(本文)

 立山三山や剱岳に登ろうとするときに関東方面からの道順に黒部第四ダムが登場する。大町の扇沢駅からは期待に胸を弾ませての行程となり、黒部第四ダムにでると立山や針木岳、鹿島槍ヶ岳そして赤牛岳の景観に圧倒される。

 黒部ダムによって堰き止められて誕生した黒部湖には遊覧船が運航する。観光客が多いと乗り物にのるのに先を急ぐ気持ちになるので、これを我慢してゆったりした気持ちで景観を楽しむようにしたいものである。

  発電用ダムのうち観光資源として抜き出た存在であるのが関西電力の黒部第四ダムである。長野県の大町からも富山県の富山市からも経路がついている立山黒部アルペンルートは4初旬から11月末ころまでの開通期間中は大勢の観光客を集める。

 大町経由で黒部第四ダムに出るとそびえる立山や針木岳や遠くに見える赤牛岳ほかの北アルプスの景観に感動する。富山経由では途中に弥陀ヶ原や室堂が登場しダムよりも3,000メートル級の高山の景色に圧倒されてそれに満足するので、大町方面を帰途に選んでいなければ黒部第四ダムには降りないのが普通である。

 その名が知れた黒部第四ダムを水源とする黒部第四発電所の発電量は水力発電の上位に属するものの日本一ではない。黒部第四発電所の下には第一、第二、第三の発電所がある。黒部第四ダムの放水はわけあって義務づけられておる。黒部第四発電所は黒部第四ダムの直下にあるのではなく12キロメートルほど下の仙人ダムの少し上に地下発電所がつくられていて、ここまで送水管を引いてその水で発電用のタービンを動かす。

 ダムができると川の水が貯水に回されるために河川の水量が減る。昔を知る高名な地理学者が立山や後立山の山の上で耳を澄ますと聞こえた黒部川の水音が黒部第四ダム建設後には聞こえなくなったと証言している。

 黒部第四ダムの上流には佐々成正が超えたザラ峠が位置し、その山向こうには大鳶山(おおとんびやま)があって、この山に隣り合わせる小子鳶山ともども安政5年(1858年)旧暦2月26日(現在の暦では4月9日)に起きた越中安政大地震で崩壊し、15日後に土砂にふさがれた常願寺川が決壊して大洪水となって流れでて家屋を押し潰し流域の平野を泥の海に変えた。

 これによる死者と損壊家屋は地震にまさり、「その被害は163ヶ村に及び田地草高2万5千石、流出家屋1,600軒、死者1,800人」(越中安政大地震見聞録−立山大鳶崩れの記−所載「活断層としての跡津有峰断層について」富山大学教授理学博士深井三郎)という。

 現在もこの地の平野部に残る巨石はこの遺物である。大鳶山の大崩れは富山市内の呉羽山から巨大な窪地として遠望され、崩壊はいまなおつづいている。

 常願寺川の上流の湯川谷まで砂防工事用の軌道が敷かれ、崩れる斜面と砂防ダム建設による対応の戦いがつづく。

 天下の三霊山の富士山、立山、白山のうち、立山の常願寺川、白山の別当谷と柳谷の水を受ける手取川の砂防費用は巨大である。

 山をおさめ、川をおさめことはたやすいことではない。写真は7月17、18、19日撮影。



(写真と文章は旅行家 甲斐鐵太郎) (書き殴って読み返しておりません。誤字、表現の不適切さなどについてはご容赦を)

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