旅行家 甲斐鐵太郎の自然博物誌 No.09 棚田100選 信州千曲市 姨捨の棚田と名月
(5月22日および9月19日撮影)
(副題) 元旦は田毎の月こそ恋しけれ (棚田をみているとこれを耕す人の勤勉さに頭が下がる)
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写真(下の数枚)は信州千曲市の姨捨(おばすて)の棚田。収穫は9月19日に撮影。田植えは5月22日に撮影。5月22日のことである。これから何日かすると月は満月になりその月は夕暮れ時に東の空からのぼって、千枚もの水鏡の田に写る。これを「田毎の月」(たごとのつき)と呼ぶ。棚田の東には千曲川が流れいて、その左方面には善光寺平が広がる。9月はこの日から3日経つと満月になった。中秋の名月であり、月は日暮れ時に東の空からのぼる。
 
写真(上)は収穫期を迎えて黄金色に実った米。この日は周囲の棚田の半分ほどが苅られていた。 
写真(上)は田植えのもようで、5月22日に撮影した。これから何日かすると月は満月になりその月は夕暮れ時に東の空からのぼって、千枚もの水鏡の田に写る。「田毎の月」が出現するのである。
 
写真(上)は黄金色に実った信州千曲市の姨捨の棚田。収穫は9月19日に撮影。棚田の東には千曲川が流れいて、その左方面には善光寺平が広がる。9月はこの日から3日経つと満月になった。中秋の名月であり、月は日暮れ時に東の空からのぼる。 
 
写真(上)は実って穂をたれる稲。棚田の真ん中には赤い服を着てカカシ(案山子)が立っている。 
 
写真(上)は姨捨の棚田の一部で、刈り取られた稲が干されている。手前にはコスモスの花。秋です。稲が刈られた田んぼには寂しさがあります。  
 
写真(上)は姨捨の棚田を守る地元の人。刈り取り前の雨のためにぬかるんだ田には機械を入れることができないために、人力で刈り取りをしたという。
写真(上)は姨捨の棚田の碑が立っている。この棚田も経済の原理にはのらない稲作である。 
 
(タイトル)
旅行家 甲斐鐵太郎の自然博物誌 bX 信州千曲市 姨捨の棚田と名月(田植えのは5月22日に撮影。収穫は9月19日に撮影。)

(元旦は田毎の月こそ恋しけれ)
(棚田をみているとこれを耕す人の勤勉さに頭が下がる)


(本文)

写真は信州千曲市の姨捨(おばすて)の棚田の田植えのもよう。5月22日のことである。これから何日かすると月は満月になりその月は夕暮れ時に東の空からのぼって、千枚もの水鏡の田に写る。これを「田毎の月」(たごとのつき)と呼ぶ。棚田の東には千曲川が流れいて、その左方面には善光寺平が広がる。この棚田は棚田100選に選定されている。私自身はこうした100選というものにある種のいかがわしさを感じているが、ある程度の目安になることは否定できない。

「田毎の月」とは満月が百枚千枚のつらなった水鏡状の棚田に写るさまを指していうことであるから、「田毎の月」とは姨捨の棚田に限定した現象をいうわけではない。日本人の月と自然に関係した特別の感情とか文化が「田毎の月」という言い方に現れている。

 日本の田植えのころはいちばんいいの季節である。

「元旦は田毎の月こそ恋しけれ」

と松尾芭蕉と小林一茶が詠んだとあるが、冬に思う初夏の季節はいまのようによい暖房がない江戸期の人々の感情の素直な発露であろう。「田毎の月」になる姨捨の棚田を保存する人に「棚田の名月はすばらしことでしょう」と聞いたら、雪の日の棚田の月こそ感嘆すべき風景だと答えが返ってきた。私はある年に二度ほどこの名月をみにでかけた。しかし生憎と曇りや雨であった。月をみるのに雲と雨は邪魔であり、星をみるのにはこれに加えてお月さまが邪魔になる。高原や山にでかけたら星をみるとよい。星をみて宇宙のことをたまには考えたら良かろう。

 私は鮎釣りに夢中になっていた時期があって、そのときに那珂川を上流、下流と釣り歩いているときに旧烏山町や茂木町を流れるその左岸に見事な棚田に稲が青々と伸びているのをみてその美しさに息をのんだものである。畑は水が要らないので耕して天に昇るのはたやすいが、田を作って天に昇るには水の用意をしなくてはならない。棚田をみているとこれを耕す人の勤勉さに頭が下がる。


 (写真と文章は旅行家 甲斐鐵太郎) (書き殴って読み返しておりません。誤字、表現の不適切さなどについてはご容赦を)

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