旅行家 甲斐鐵太郎の自然博物誌No.07 諏訪神社春宮の「万治の石仏」
(5月16日に撮影)
(副題)私には万治の石仏と秋宮・春宮と小口太郎がつながる
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写真(下の数枚)は万治の石仏と石仏ができるときに縁があった諏訪大社の春宮
 
写真(上)は万治の石仏。5月の連休明けに諏訪を旅したおりに面会した。(5月16日撮影) 
写真(上)は諏訪大社の春宮。この年は御柱であったために諏訪の宿は混み合っていた。(5月16日撮影)
 
写真(上)は5月初旬に立てられた諏訪大社春宮の御柱。表に2柱、裏に2柱がある。(5月16日撮影)  
 
写真(上)は万治の石仏を訪れた人の祈願の周回のもよう。(5月16日撮影) 
 
写真(上)は万治の石仏の顔のアップ撮影。この首が伸びたことで話題になり有名になった。(5月16日撮影)  
 
写真(上)は新緑が美しい時期に訪れたのでこのような写真を撮ってみました。(5月16日撮影)
写真(上)は大きな背中をもつ万治の石仏を背後から撮影しました。(5月16日撮影) 
 
(タイトル)
旅行家 甲斐鐵太郎の自然博物誌No.07 諏訪神社春宮の「万治の石仏」(5月16日に撮影)
私には万治の石仏と秋宮・春宮と小口太郎がつながる


(本文)

 写真は、長野県下諏訪町にある諏訪神社春宮脇道を5分ほど歩いたところにある「万治の石仏」。身体の部分は自然石をそのまま用いており、モアイ像のような顔立ちなので、見る人をほのぼのとした気分にさせる。

 下諏訪町は万治の石仏を文化財に指定しており、「万治の石仏と伝説」として、石仏前の案内板で次のような説明をしている。

 「南無阿弥陀仏万治三年(1660)十一月一日 願主明誉浄光 心誉廣春
 伝説によると、諏訪大社下社(春宮)に石の大鳥居を造る時、この石を材料にしようとノミを入れたところ傷口から血が流れ出したので、石工達は恐れをなし仕事をやめた(ノミの跡は現在でも残っている)。その夜石工の夢枕に上原山(茅野市)に良い石材があると告げられ、果たしてそこに良材を見つける事ができ鳥居は完成したというのである。石工達は、この石に阿弥陀如来をまつって記念とした。尚この地籍はこの石仏にちなんで古くから下諏訪町字石仏となっている。 下諏訪町」

 この像は、岡本太郎が大いに褒めたことで芸術作品として有名になった。上諏訪出身の作家新田次郎も賞賛したと伝えられている。

 さらに、「万治の石仏は首が伸びている」とテレビ番組に取り上げられたために、諏訪観光の一つに追加されるようになった。首が伸びた原因は、1991年の修復時につけた頭部を固定するための支柱に水が溜まり、凍結するたびに固定されていたはずの頭部が徐々に上部に移動したことによる。

 ところで、この石仏から、諏訪退社の秋宮も歩いていける近さである。「琵琶湖周航の歌」の作詞者、小口太郎の恋人は、秋宮の鳥居脇の和菓子屋で女将として暮らしていた。小口太郎のブロンズ像は、諏訪湖の水が天竜川に流れ出る釜口の脇の公園に建てられている。素朴な万治の石仏は、岡本太郎やテレビ番組の力で図らずも有名になり、小口太郎が学校の慣例行事である琵琶湖周遊中に、自分の恋を織り交ぜて琵琶湖の美しい自然と周航のロマンを口ずさんだ詞が、「琵琶湖周航の歌」として、日本の愛唱歌のひとつになった。

 このように思いつくまま連想を繋げてみるのは、私のこじつけにすぎないだろうか。




 (写真と文章は旅行家 甲斐鐵太郎) (書き殴って読み返しておりません。誤字、表現の不適切さなどについてはご容赦を)

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