旅行家 甲斐鐵太郎の自然博物誌No.06  八ヶ岳連峰 硫黄岳の大爆裂火口は火山活動の凄さを物語る
(8月6日に撮影)
(副題)硫黄岳の大爆裂火口は火山活動の凄さを物語るポンペイ遺跡とキラウエア火山が私の火山の大きな思い出
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写真(下の数枚)は八ヶ岳連峰 硫黄岳の爆裂火口。硫黄岳への夏山登山の一部。
 
写真(上)は硫黄岳の爆裂火口。ざっくりと噴火の跡が残されている。この右手は川上村や佐久地方になる。(8月6日撮影) 
写真(上)は硫黄岳の爆裂火口は霧が良くわく。1時間の頂上滞在の間に晴れたり曇ったりの大変動に気持ちが振り回される。(8月6日撮影) 
 
写真(上)は硫黄岳の爆裂火口を覗く。腰が引けるすさまじさだ。(8月6日撮影)  
 
写真(上)は赤岳鉱泉からの登り道からみえる硫黄岳の爆裂火口。ジョウゴ沢の上部にこの火口があり、こちら側は茅野市や諏訪方面になる。(8月6日撮影) 
 
写真(上)は硫黄岳の山頂付近のケルンと八ヶ岳の主峰 赤岳(中央)とその左に伸びる横岳。こちらから見ると緑豊かな赤岳だが、諏訪方面から見ると赤土の山になる。(8月6日撮影)  
 
写真(上)は硫黄岳の山頂付近の登山路。向こうに見えるのは阿弥陀岳。硫黄岳には赤岳鉱泉小屋から往復で4時間あれば登り降りできるので小学生の登山姿も目立つ。ガーッと走ってくたびれているのが小学生である。(8月6日撮影) 
写真(上)は赤岳鉱泉の休憩所。ビールのジョッキが800円。渇いた喉から胃の中に一気に落ちていく。登山がすんで返るだけ。2時間ほどで出発場所に戻ることができるので、気分はもう登山終了だ。(8月6日撮影) 
 
写真(上)は赤岳鉱泉小屋のくつろぎ室。登山を終えてから宿泊するか、赤岳や硫黄岳に登る前に宿泊するか、人それぞれの登山計画によって決まる。風呂もあり個室も用意されている。(8月5日撮影)  
 
 
(タイトル)
旅行家 甲斐鐵太郎の自然博物誌 No.06  八ヶ岳連峰 硫黄岳の大爆裂火口は火山活動の凄さを物語る(8月6日撮影)

硫黄岳の大爆裂火口は火山活動の凄さを物語る

ポンペイ遺跡とキラウエア火山が私の火山の大きな思い出


(本文)

 写真は硫黄岳(2,760メートル)の爆裂火口。 八ヶ岳連峰は山梨県と長野県にまたがって連なっていて、その主峰は赤岳(2,899メートル)。ここから北に2時間進むと硫黄岳がある。

 硫黄岳は遠くからみるとボールを伏せた形状の山で、そのなだらかさは、切り立った赤岳やそれにつづく横岳のノコギリ尾根とは対照的である。お月さまのように穏やかな硫黄岳に登ると、北側は大爆裂火口でざっくりとえぐられていて、南側にも同じように爆発後の火口となっている。二つの火口にはさまれて上部は丸く大きく広がっているため、霧が晴れて北の大爆裂火口がその姿を現すと、この山の穏やかさと厳しさを目の当たりにして大いに戸惑う。火山活動としては、平地に山が出現した昭和新山が記憶に新しい。富士山の火口もその爆発のすごさを物語る。加賀の白山は火口に水がたまって火山湖を形成している。浅間山は火山活動が止んでいないために溶岩地帯に樹木が生えず、縦に流れた溶岩の筋は雪が積もると縦縞の幾何学模様の造形美をみせるので、写真愛好家の格好の撮影対象となっている。浅間山は2009年2月2日に浅間山が小規模噴火し、関東地方南部でも灰をもたらしている。

 私の火山に関する一番の思い出は、紀元後79年8月24日、イタリアのベスビオ火山の爆発によって古代ローマの都市と人々の生活ぶりをタイムカプセルとして閉じ込めてしまったポンペイ遺跡である。ポンペイの町は、人口1万人以上と推定され整然と区画されていて、劇場や公衆浴場、下水道があり、壁画やモザイク画などもあって、ローマ帝国の市民たちの暮らしぶりを鮮やかに物語っている。奴隷制度を土台にして市民生活は贅沢かつ享楽的であった。私が驚いたのは井戸の石が水を飲む人の手によって削られて凹んでいたことだ。また、別の火山の思い出はハワイ島のキラウエア火山。キラウエア火山は活火山であるが、大抵は爆発的な噴火ではなく溶岩を流出するタイプの噴火を行う。火山の状況によっては、立入禁止となるが、観光を楽しむことができる。ポンペイ遺跡とキラウエア火山を観光した遠い昔のことなので、日本の火山をみることによって昔を思い出す縁(よすが)にしている。




(写真と文章は旅行家 甲斐鐵太郎) (書き殴って読み返しておりません。誤字、表現の不適切さなどについてはご容赦を)

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