|HOME|紀州犬|紀州犬の子供譲ります|  

■横田俊英のホームページ What's New(ホームページ更新最新情報)



八ヶ岳高原道路のハイライト・赤い東沢橋と新緑の山麓(6月3日撮影 甲斐鐵太郎)


(副題)原始の八ヶ岳と縄文人の出現までは平和な世界であったと思う
(副副題)この地にいくつも出現する縄文遺跡を訪ねるとを楽しみの一つとしている


(八ヶ岳高原道路にハイライト・東沢橋が新緑に調和する(6月3日撮影 甲斐鐵太郎))


(長雨の晴れ間に這い出してきたオートバイが東沢橋を渡っていく(6月3日撮影 甲斐鐵太郎))


(タイトル)

八ヶ岳高原道路のハイライト・赤い東沢橋と新緑の山麓(6月3日撮影 甲斐鐵太郎)

(本文)

 八ヶ岳周辺の景色は何度みてもすばらしいと思う。諏訪湖や霧ヶ峰高原そして八ヶ岳の周辺は東京からの旅行コースであるだけではない。名古屋地域の人々は自分たちの1泊コースの旅行先であると思っている。この周辺の別荘地を走る車のナンバーがそれを物語っている。

 小淵沢インターから清里の清泉寮につづく道はかつては有料道路であった。小淵沢から八ヶ岳方面に直登するように駆け上がって、左方面の富士見町や原村方面の道路もそうであった。この有料道路は赤字であったために山梨県側の小淵沢から清里につづくコースを山梨県が買い取って維持することになり、それと連動するようにこの関係の道路料金は無料になった。

 ワインディング道路という言い方があり、曲がりくねって登り下りするその道路はハンドリングが楽しく、空いていれば、速度制限内であってもラリー気分を味わうことができる。片側1車線であるために前をのろい車が走ると速度規制がかかってしまい、せっかくの山岳道路の快適がだめになる。

 その道路が清里に近くなったところに赤く塗られた東沢橋が架かっており、この橋の西側には八ヶ岳の大きな山がそびえ、赤い橋と山が織りなす景色は絶景である。

 6月3日は清里に山ツツジが真っ盛りに咲いていた。唐松林はもう十分に濃い緑だ。東沢橋の山側の森には落葉樹が新緑を大きく広げていて春たけなわを超えて初夏の様相を示す。

 東沢の谷は深い。この切り込みがずっとしたまでつながっていて山とは谷と一対であることを物語る。山には切り込みがあり、その切り込みには水が流れて川になる。

 韮崎から北杜市の高原農道にでて、その先を右に折れて川上方面に向かうと前方に瑞牆山(みずがきやま)と金峰山が現れる。瑞牆山(みずがきやま)は山梨県北杜市(旧北巨摩郡須玉町)にある標高2230mの山。金峰山(きんぷさん、きんぽうさん)は山梨県甲府市と長野県南佐久郡川上村の境にある標高2,599mの山で、この二つの山は日本100名山に数えられている。この領域の両神山、雲取山、甲武信岳、大菩薩岳(峠)の4山に瑞牆山と金峰山の2山が加わるのはいささか不公平であるように思われる。

 長野県の川上村は高原野菜の産地で夏場のレタスは有名である。私はこの地で元呉服店が営む食堂でお昼を摂ることが多い。素朴な手打ちの蕎麦(そば)を食べることもあるが、もっぱらカルビの焼き肉ランチだ。焼き肉を食べるとの年に一度か二度あるいは三度である。そのすべてが川上村のメイン道路に面した食堂でのこと。

 山と谷と川と水、そこには樹木が広がって、鳥がいて蝶がいて動物がいて虫がいて、菌類がいてそうしたものが総合して自然が形成される。

 原始の八ヶ岳と縄文人の時代まではよい世界であった。川上村で生まれた小型日本犬が滅びかけた日本犬の復興に話題を投げかけた。この地から隣の群馬県の山中の猟師に渡って飼われていた柴犬オスの三国号は小型日本犬のひな形になるほど優秀であった。この犬は結局は子孫を残すことがなかったが、戦後の小型日本犬復興のモデルとなった。川上村では元村長や愛好家が飼育している「川上犬」がいて、長野県が天然記念物に指定している。この犬は日本犬保存会などの柴犬と似てはいるが似ていない部分が多い。昭和40年ころに日本犬保存会の関係者がこの犬をみて絶句したことが文章に残っている。「川上犬」ことは川上村に問い合わせるとよい。子犬が欲しい人には順番待ちで分けられているということであるが、少しの待ち時間が必要だという。

 八ヶ岳周辺は縄文の影が濃く、関係する遺跡も多い。縄文のビーナスと名付けられた土偶は尖石遺跡(とがりいしいせき)から出土した。発掘を指導した八幡一郎氏は考古学の世界の有名人である。私が関係する計量士学会では副会長をつとめており、遺跡発掘のおりにこの時代の尺度を見いだして調査することを願っていた。

 八ヶ岳はつい最近まで縄文の世界がそのまま残っていた。清里の清泉寮は米国人宣教師のポール・ラッシュ博士が寒冷地の実験農場をつくって、この地の農業に礎を築いた。

 自然は人を和ませる。都市で暮らしていると人は倦(う)んでしまう。倦(う)まずに暮らしていると思っても倦(う)んでいるのだ。理屈ばかりの世界から離れて、自然に身をゆだねると人は人そのものが自然のものであると知ることができる。

 縄文は祈りの世界であった。縄文は人が等身大で生活する世界でもあった。いまは物の時代になってしまっていて、人は物に服従している。八ヶ岳にでかけて、人は動けばくたびれるし、人が虫に刺されると痛かったり痒かったりする、じっと見ていると山の緑は緑一色によってできていないことを知る。人の思いの多くは何かの勘違いであることを知らされるはずである。自然の中にいると学校の教科で教えらル答えは一つであることが間違いであることに気づく。

 人は自然の中にいると本当の意味で賢くなる。自然の中に身を投げ出すことによって人が本当の人になるという思想がアーリーアメリカに発生していた。エマソンなどの思想である。「森の生活」その疑似実験であった。私たちは疑似にもならない「森の生活」をすることで少しだけ自分が人であることを思うことができる。


 (写真と文章は旅行家 甲斐鐵太郎) (書き殴って読み返しておりません。誤字、表現の不適切さなどについてはご容赦を)


TOPへ   |ホーム|に戻る




|HOME|紀州犬|紀州犬の子供譲ります|
|ホーム|に戻る