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資料 覇権国家アメリカの盛衰-ポスト冷戦20年の位置づけによせて(柿崎繁 明治大学)


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資料 覇権国家アメリカの盛衰-ポスト冷戦20年の位置づけによせて(柿崎繁 明治大学)

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計量計測データバンク ニュースの窓-200-資料 覇権国家アメリカの盛衰-ポスト冷戦20年の位置づけによせて(柿崎繁 明治大学)

柿崎繁 - Wikipedia
明治大学名誉教授。戦前講座派の巨頭である山田盛太郎の理論の継承者である南克己に師事した。

覇権国家アメリカの盛衰 衽衲ポスト冷戦20年の位置づけによせて 柿崎繁 明治大学
https://www.jstage.jst.go.jp/article/peq/50/2/50_KJ00009361203/_pdf/-char/ja

特集論文
覇権国家アメリカの盛衰 衽衲ポスト冷戦20年の位置づけによせて 柿崎 繁 明治大学

問題の所在

衽衲覇権国家アメリカの盛衰とグローバル化近代のヘゲモニーないし覇権を巡る歴史において,これまで戦争はヘゲモニーの交代に大きな影響を及ぼしてきた❖1)。

 1989〜199 年ソ連・東欧社会主義体制の崩壊により冷戦の世界が終焉して20年が過ぎ,アメリカは並ぶもの無き超大国として文字通りグローバルな覇権国家となった。しかし,冷戦後に覇権的基盤において衰退的傾向が顕著となっている。そしてアメリカのグローバル化の展開とともに,世界中で軋轢,摩擦,紛争が噴出してきている。覇権国家として対外的に影響力を行使するアメリカの性格が問われているというべきであろう。覇権国家アメリカの盛衰を検討するにあたって,アメリカ資本主義の発展とグローバリゼーションの連関把握を軸に検討する所以である。

 現代のグローバリゼーションの動きはアメリカからの一方的なものではない。アメリカのグローバル化を受容し,寧ろそれを利用することで富と権力を確保しようとする支配層の狙いと密接に関係している。

 覇権国家アメリカのグローバル化の影響とそれへの対応を位置付ける上でも,アメリカによるグローバル化の位置づけが重要であろう。アメリカのグローバル化は冷戦対抗の終焉により突如として展開してきたわけではない。

 経済的には,1950〜60年代の米系多国籍企業による欧州展開をベースに,70年代初頭のIMF体制の崩壊による変動相場制への移行により資本の自由な移動が促進され,その中心となった金融の自由化の動きが,80年代のアメリカ国内の金融自由化の動きと連動して国際金融市場においても急速に展開したことを背景としている。

 そして冷戦体制の崩壊は資本移動に制約となる社会主義の垣根を取り払い,文字通りグローバルに浸透する市場経済化を基盤にグローバル化が全面的に展開する条件と契機とを与えた。

 第1表が示すように,そうしたグローバル化の展開とは裏腹にアメリカ経済の衰退が進行している。経常収支は60年代の黒字が70年代後半に赤字になり,冷戦体制終焉後の90年代後半に赤字が急膨張し,2006〜10年に赤字が年平均6024億ドルにも達している。

 資本収支では1960〜70年代まで対外債権国であったが,80年代に一転して債務国に転落し,90年代にはさらに膨れ上がり,2000 年代後半年平均 1 兆 2285 億ドル,対GDP比87.5%,そして直近の2011年には2兆5163億ドルもの途方もない対外債務を抱え込むに至る。

 経常収支赤字を海外からの資金流入による資本収支の黒字でファイナンスする構造が維持可能なのかどうか,その検討が必要な程に深刻なレベルに達しているというべきであろう❖2)。

 こうしてアメリカは,覇権を支える経済基盤が衰退してきているにもかかわらずアジアに重心を移動しながら覇権行使としての軍事的関与とグローバル化を強めている。大国化した中国と覇権を巡って緊張を強めているが,覇権国アメリカを支える経済基盤とグローバル化との連関構造,それとの関わりで覇権の後退ないし衰退の歴史的位置が問われなければならないであろう。

 第二次世界大戦前までは,対外的影響力を行使する覇権的動きに対しては建国以来の対外的関与への抑制,いわゆる「孤立主義」が発動されてきたことを想起するとき,アメリカ資本主義の覇権の盛衰をグローバル化との関連でアメリカ資本主義の歴史的発展から考えてみる必要がありそうである。

Ⅰ覇権基盤としての資本主義のアメリカ的段階の形成

1 アメリカ資本主義の形成衽衲大陸国家アメリカの形成

 通常,資本主義は封建制度の胎内から発生し,何世紀にもわたる資本の原蓄過程を経て,前期的生産様式である封建制度の束縛と闘いながら発展する。アメリカにおける資本主義の発展は,17世紀の欧州の発達したブルジョア社会の諸要素を前提にして歴史が出発し,地主も領主もいない「自由」な植民地土壌への資本主義の移植の過程を通じて自立的に展開してきた。

 アメリカ植民地自体,イギリス重商主義の展開の一環として位置づけられ大航海時代のアジアとの交易覇権を巡る重商主義列強間のグローバルな闘争の産物である。アメリカは,イギリス植民地帝国形成の先兵として,植民地領土・領域を拡張していった。

 スペインそしてオランダを打ち破り,そして長年にわたるフランスとの覇権を巡る争いはイギリスに多大な戦費負担を課していった。イギリス本国による植民地アメリカへの一方的負担増に反発してアメリカは独立する。

 イギリス帝国植民地人の子孫によって当時の欧州にあって最も民主的と云われた共和政体の形で独立した。

 その遺伝子は,共和政体とキリスト教文明を伝播することがアメリカの「使命」であるとして帝国主義的拡張政策を正当化する。

 それは,ある時は「明白な使命」,ある時はキリスト教布教における「福音主義」といった形をとって,「介入主義」を伴う公式・非公式な形態を通じて領土拡張のモメントとなって現れる。

 他面,欧州植民地帝国支配から独立した国として,欧州からの自立性を保持するために「福音主義」や「明白な使命」といった理念は欧州政治から自らを差異化する孤立主義の理念的基礎ともなる(理念国家成立の基盤)。

 こうしてアメリカでは時に孤立主義が,また時に介入主義が国際政治において現れるが,第二次世界大戦前までは前者が基調であった❖3)。


第1表 米国国際収支表 単位:100万ドル

1961~65
年平均
66~70
年平均
71~75
年平均
76~80
年平均
81~85
年平均
86~90
年平均
91~95
年平均
96~2000
年平均
01~05
年平均
06~10
年平均
Ⅰ 経常収支 4,775 1,791 3,998 -4,630 -50,340 -121,488 -73,740 -239,709 -549,446 -607,102
A  経常受取(+) 36,681 55,848 114,768 241,933 378,308 556,438 824,501 1,227,229 1,458,020 2,387,805
商品貿易輸出 23,025 34,497 73,901 157,265 217,168 308,220 477,744 688,779 778,423 1,173,810
サービス輸出 7,450 11,835 20,424 36,617 66,013 114,238 189,402 263,025 314,119 500,126
軍事関連受取 2,166 3,641 5,630 7,520 10,901 9,487 12,885 12,389 7,332 16,297
投資収益受取 6,207 9,515 20,444 48,051 95,127 133,981 157,355 275,425 365,478 713,869
B  経常支払(-) -27,582 -48,503 -102,933 -240,235 -411,070 -651,322 -865,845 -1,411,487 -1,920,253 -2,866,703
商品貿易輸入 -17,611 -32,205 -74,774 -182,779 -290,423 -440,296 -607,001 -972,700 -1,354,505 -1,901,100
サービス輸入 -8,371 -12,500 -18,897 -32,516 -58,567 -97,920 -127,252 -182,781 -254,870 -378,766
軍事関連支払 -2,979 -4,478 -4,812 -7,443 -12,547 -15,426 -12,518 -12,021 -21,544 -28,885
投資収益支払 -1,600 -3,798 -9,262 -24,940 -62,080 -113,106 -131,592 -256,005 -310,877 -586,836
C  移転収支(-) -4,324 -5,554 -7,837 -6,328 -17,578 -25,099 -28,977 -50,092 -79,066 -118,367
政府・軍贈与 -3,385 -4,122 -4,421 -3,884 -7,533 -10,790 -6,066 -14,351 -21,645 -37,147
Ⅱ 資本収支 -4,008 -1,616 -1,590 -8,118 26,978 105,638 84,811 227,253 533,339 518,202
資本流出 -6,452 -9,795 -24,859 -60,041 -78,706 -110,842 -174,110 -463,460 -510,037 -710,347
資本流入 2,444 8,179 23,269 51,923 105,684 216,479 258,921 690,713 1,043,376 1,228,549
A  公的資本収支 -225 -310 10,635 14,167 -1,406 33,741 55,723 42,525 217,348 471,189
資本流出 -1,388 -2,006 -1,841 -4,295 -4,909 1,100 -94 93 1,529 468
資本流入 1,163 1,696 12,476 18,462 3,502 32,641 55,816 42,432 215,819 470,721
B  民間資本収支 -4,566 -1,517 -12,262 -19,988 32,048 76,276 28,310 183,262 314,024 58,349
資本流出 -5,846 -8,000 -23,055 -53,449 -70,133 -107,562 -174,794 -465,019 -513,533 -699,478
資本流入 1,280 6,483 10,793 33,461 102,181 183,838 203,105 648,281 827,557 757,828
Ⅲ 誤差脱漏 -767 -175 -2,408 12,748 23,362 17,336 -9,925 13,346 10,627 74,802
参考:FFレート(%) 3 6 7 9 11 8 4 5 2 2
財政収支(10億ドル) -5 -7 -24 -60 -163 -180 -236 60 -228 -715
国防支出比率(%) 47 44 32 23 25 27 20 17 18 20
連邦債務(10億ドル) 309 357 467 725 1,377 2,628 4,303 5,453 6,798 10,559
連邦債務のGDP比(%) 49 39 34 32 38 51 64 62 60 75
GDP(10億ドル) 626 911 1,377 2,300 3,613 5,116 6,700 8,854 11,309 14,033
BEA, U.S. International Transactionsより(2012.2ダウンロード)


 独立期のアメリカは,アパラチア山脈以西,ミシシッピ川以東の地域を手に入れていた。1803年ジェファーソン大統領の下でミシシッピ川からロッキー山脈に至る広大なルイジアナ地方をフランスから購入し国土を一挙に倍増する。1819年にはスペインからフロリダを購入し,1846〜48年のメキシコとの戦争により太平洋諸州を手に入れる。1790〜1850年の僅か60年足らずで面積82万 m2から298 万 m2へと3.6 倍も拡張し,1890 年には
「フロンティア」の消滅が公式に宣言され,大西洋から太平洋にわたる,文字通りの「大陸国家」が形成される。

 人口も,現地人インディアンを殺戮・掃討しつつ,海外からの大量移民を通じて393万人から2319万人へと6倍も増加する。ジェファーソンが提唱した「理念国家」としての「自由の帝国」の拡張過程は,同時に「殺戮の帝国」❖4)の拡大過程に他ならなかった。

 海外に植民地領土を求める欧州の古い帝国主義に反対して独立した19世紀のアメリカは,「自由の地」の拡大を「明白な使命」とする「自由の帝国」を追求しながら,領土拡張・制圧を通じて産業資本にとってのいわば大陸内植民地を独特の形態で実現する。

 即ち,領土の拡張につれて各州に一定の法的自律性を与えて,それらを包括的憲法の下において中央政府の統括下におくという大陸国家に応答的な屈伸的な統治形態を通じて,北東部産業資本は,北東部工業の原料供給基地化であり,その製品販路市場として大土地所有制と黒人奴隷制の上に立つ綿花プランテーションのいわば大陸内植民地的な特殊的制度の南部を包摂・統合(南北戦争画期)し,そしてフロンティアとして無主地の小農の拡散的発展によって領土を急速に拡張し,北東部工業資本の工業製品の販路市場として,また原材料,食料供給基地として西部を包摂・統合(1890年フロンティア消滅)した。

 南北戦争前に既に,鉄道,運河,河川の交通を通じて北東部と北西部の市場結合による経済循環を軸として,それを補完する北西部と南部の商品流通,そして国内と同時にイギリスを中心に海外市場に依存する南部と北東部との商品流通の経済循環構造が形成されていった。

 拡大するアメリカ経済では絶えず労働力が不足して賃金が相対的に高く,また急速な市場拡大に対応するために機械化が急速に進んだ。農業においても農業機械が早期に開発され,保存技術も開発されるにつれて,鉄道を通じて東海岸のみならず欧州への農産物の供給も可能となり,食料・加工品工業も展開していった(アメリカ農業成立の基盤)。

 アメリカ工業の前に広大な市場が切り拓かれ,商品流通と交通のネットワークの結節点に都市が建設され,都市化が進んでいった。急速に増大する農民層や都市に消費財を供給する消費財工業の国内市場が,そして生産財産業,特に農業向け機械産業の市場が急速に拡大し,農業は工業に豊富で安価な農産物原料を供給していった。

 東部,西部,南部の相互に異質な構成をとって拡大し,それらの結節点に都市化がすすむ形での各経済領域を大陸的な規模での経済循環として収斂させた経済動脈は,1890年代に開通する大陸横断3幹線を軸とした全国土的鉄道ネットワークに他ならなかった。

 鉄道は,生産力的には鉄と石炭の総計(レーニン)である重工業段階の産物であり,資本主義的にはもはや産業資本の形ではなく金融資本の形で初めて全国土的に統合され,資本は大陸的規模で未曾有の生産力展開を実現する。この形をもって西部大草原地帯のアメリカ農業の確立と北部工業の産業集積を実現し,巨大農業=大工業国としての大陸内自足的資本主義として大陸国家アメリカの骨格が形成された。

 とはいえ,19世紀のアメリカは依然としてイギリス帝国を軸とした世界経済循環に組み込まれていた。即ち,独立後もイギリス産業革命の進展に伴う原綿需要の増大が南部原綿生産に拍車をかけ,同時にイギリスによる北部への綿製品や金属・工業製品輸出が行われ,1870年代までのアメリカはイギリス貿易にとって重要であった。

 また,通貨・信用面でも鉄道建設などに際しての必要な資金需要をポンド体制下のイギリスに金融的に依存していた。アメリカ資本主義の大陸内膨張・拡散的な発展の過程も,グローバルな見地から見れば,未だイギリス覇権=パックス・ブリタニカの枠組みの下でのアメリカ資本主義の発展に他ならなかった。

2 覇権とその経済的基礎=「資本主義のアメリカ的段階」の形成

 アメリカ資本主義は産業資本としては植民地時代末期から対英戦争の過程で自立的に発展し始め,1830年代末には生産財部門と消費財部門の生産的基礎が確立していた。S.スレータによるロード・アイランド工場設立(1791年)を嚆矢として北東部に木綿工業が設立され,第二次米英戦争(1812〜14年)以降近代工業に脱皮し,1820〜30年代に機械制工場が普及し産業革命を展開していく。生産財部門を代表する鉄工業も,1830年代に始まる鉄道建設との相関で発展し,農村工業から工業への需要転換に対応して1840年代には工場制段階に移行する。こうして19世紀中頃には主要な工業において工場制度が確立し,移民労働と大陸的規模で拡大する製品需要とに対応して互換性部品による標準品の大量生産方式の技術的基礎が生み出されていった。

 こうした産業資本の発展により需要される労働力については,フロンティア・西部の自由地の存在が農民層の分解による賃労働の形成を制約し,むしろ賃労働の独立農民への逆転化現象をもたらすほど労働者の形成は緩慢であった。西部に広がるフロンティア=広漠たる無主地の存在は,自営農民=中産階級の分解を緩慢にさせ,開拓地・農村共同体に商人,専門職業者,小企業家等の小規模財産所有者を多数存在せしめ,現在に至るも「自由の帝国」アメリカを支える屈強な地盤・堡塁となっている。

 アメリカは不足する賃金労働者を欧州の原蓄過程の進展に伴う「受給貧民化」(マルクス)の所産として,折からの食糧危機とも重なって外国移民労働力の大量流入によって賄っていった。また,拡大するアメリカ経済では労働力不足により労賃が相対的に高く,また急速に拡大する市場のために機械化が急速に進んだ。

 90年代からの「新移民」の大量流入,そして互換システムにもとづく大量生産・機械化方式の展開により労働力の包摂が進み,企業経営規模が巨大化していく。農業においても農業機械の早期の開発と農産物保存技術の開発により資本家的経営が発展し,鉄道を通じて東海岸のみならず,欧州へも供給可能となり,ヨーロッパ農業を震撼させた(19世紀末世界農業不況)。

 北部産業資本による統合支配を確定した南北戦争の終結後,自由競争から独占段階への過渡期にあたる1870年代からの30年間,急速な資本主義発展を経験する。その過程でアメリカ史上「金ぴか時代」といわれ,競争による淘汰や適者生存を打ち出す「新自由主義」の原型ともいうべき「社会ダーウィン主義」による新たな個人主義が蔓延し,現代アメリカがここにスタートしたといわれる。

 南北戦争とその後の重工業化の過程を通じてアメリカ工業の前に広大な国内市場が切り開かれ,巨大農業と大量生産システムの工業とが相互に発展する循環構造(大陸内自足的資本主義アメリカの成立基盤)が形成されていった。

 80年代の鉄道の全国土的なネットワーク建設,そして90年代の大陸横断3幹線開設を軸にアパラチアの鉄鉱と石炭を基礎に鉄鋼業と機械産業が発達し,また石油資源の開発も行われ重化学工業化が進展する。

 フロンティア消滅の1890年には工業生産において世界一位となり,1890年代に生産額において工業が農業を凌駕し,主導的産業も綿工業から鉄鋼と機械を主軸とした重工業へ移行する。

 1900 年にはGNPはイギリスのほぼ2倍,工業生産高では世界の4分の1を占め,イギリスを3割も上回る。基幹産業である鉄鋼業においても粗鋼でイギリスの2倍,銑鉄でイギリスを5割も上回る。

 集積・集中の発展とともに製造業における独占が形成されてくると,それに寄生しながらも産業資本を金融的に支配する銀行独占,すなわち金融資本が形成されてくる。銀行資本は,イギリス等の海外の資本輸出を媒介する形で資金調達を担い,株式支配,資本結合を通じて金融資本主導の独占体を形成し,その形で全国土的統轄を実現した。

 資本の発展に対応した通貨・信用制度=金本位制が採用されるのはようやく1900年になってからであり,それまでは資金調達において正貨が欠乏し,恐慌のたびに正貨不足と信用逼迫に悩まされ,必要な資金をイギリスに頼るポンド依存の体制が続いた。実際,資金調達における正貨欠乏に際してはイギリス金融業者を媒介とした海外資金に依存せざるをえず,それを仲介したのがモルガン商会等の銀行資本であった。

 かかる状況は,1913年連邦準備制度の成立によって通貨信用制度が体系的に整備され,対外資金依存の体制も第一次世界大戦を通じて世界最大の資本主義として債務国から債権国に転化する中で克服される。

 かくしてアメリカは,第一次世界大戦後に名実ともに金融資本支配の下で重化学工業を基調とした独占資本主義として,対外的にも展開していく覇権国家の途を歩み始めるのである。

 アメリカ資本主義の海外展開については,1850年代までにアメリカ企業の海外進出が散見されていた❖5)。

 アメリカ資本主義の重工業化の進展,モルガン商会を軸とした金融資本と独占的企業による国内市場の全国土的掌握のプロセス,そして1893年恐慌とその後の深刻な不況による経済,社会,政治的な危機の強まりは,海外膨張の衝動に拍車をかけた。アメリカが海外に領土と植民地を獲得し,通商・資本輸出を本格的に開始する契機となったのは,1898年の米西戦争であった。

 帝国主義化を巡る激しい論争を経ながら,海外諸地域の領有を開始し,また「門戸開放」を発するとともに大西洋と太平洋を結ぶ運河建設に取り掛かり,パナマ運河地帯の支配権を獲得していった。一方で欧州諸国への債務をアメリカ資本が肩代わりする「ドル外交」,あるいは不都合な政権を転覆する「棍棒外交」を通じてカリブ海諸地域に覇権を確保し,他方で太平洋国家としてアジア太平洋地域への進出を果たしていった。まさしく米西戦争は,アメリカをして帝国主義国への成長転化を画する戦争であった。さらにアメリカを孤立主義から国際的な介入主義へ突き動かしたのが第一次世界大戦であり,理念的にはウィルソンの,戦後処理についての世界新秩序形成構想である❖6)。

 第一次世界大戦後,アメリカ製品に対する需要増と戦費支払いのための欧州諸国による対米資産売却,そしてアメリカによる対欧州投資と政府貸付とによって,1914年基準で欧州対米投資残高が19年に半減し,アメリカの対欧州投資残高は64億ドルもの超過となり,対外債権が官民合わせて126億ドルに達した。アメリカは建国後初めて債権国となり,最大の資本主義国であり世界唯一の金融的自立国となった。

 このようなアメリカを金融寡頭制の下で産業的に支えたのは,電化の急速な進展と都市郊外の居住地化とによる「アメリカ的生活様式」の形成と関連した自動車,電力,石油,化学,非鉄金属,紙,パルプなどの産業部門や公益部門,そして家電などの新興産業であった。重工業の基軸である鉄鋼産業は1920年には粗鋼で世界シェア58.6%,銑鉄で60%を占めるに至る。

 そして自動車産業は,1925 年には生産台数 426 万台で世界の87.4%を占めアメリカ最大の産業部門に成長した。それは鉄鋼や石油の産業発展を促すとともに,互換性をベースにした大量生産方式による価格の低下と豊富な自己資金をベースとした低金利の消費者信用の形成,さらには映画,ラジオを通じた宣伝・広告による消費文化を普及させた。「アメリカ的生活様式」を実現する耐久消費財産業を軸とした大量生産と大量消費のアメリカ的生産様式は,1920 年代の繁栄を通じて「資本主義のアメリカ的段階」,即ち第二次世界大戦中に生産力を一層拡充し,1960年代にピークを形成した大陸的規模の市場を賄う程の生産力水準の生産様式を実現し,アメリカとその他の国々との経済力の違いを構造的で段階的なものとし,「アメリカの世紀」を演出していった❖7)。

 繁栄を極めた20年代も証券と土地の資産バブルを生み,29 年株式恐慌により終わりを告げる。金融・証券恐慌から影響は実体経済にも及び,産業独占体は,生産制限による膨大な遊休設備と1500万人を超える失業者といった恐慌による損失とその負担を,弱小資本,農業,そして労働者をはじめ大衆に転嫁することで社会の消費力を一層狭隘化し,直接または間接に不況の長期化とそれからの脱出を困難にさせていった。政府による大規模な有効需要策(ニュー・ディール)の実施下でも1937-38年恐慌が発生し,もはや通常の自動回復力の喪失は明らかであった。結局は戦争経済に不況脱出策を見出さざるを得なかった。

 第一次世界大戦後,提唱国であるアメリカ自身が議会において国際連盟の加盟を拒否され,大戦後の世界秩序形成における国際的関与が否定される。戦後処理にあたっても,ドイツは英仏戦勝国の主導によって植民地の割譲をはじめ巨額の賠償を強制される。ウィルソンが構想した安定した国際経済秩序形成とは反対に,敗戦国ドイツの犠牲のもとにかつての帝国主義的世界が再版される。そしてまたベルサイユ会議は,旧オーストリア・ハンガリー帝国の解体などにより,民族間の軋轢を逆に強める多数の民族国家を生み出す。さらにまた,戦後疲弊した脆弱な基盤の上に返済不可能な戦債と賠償の重圧がのしかかる。こうした事態は,社会主義がソ連一国にとどまり,欧州列強がドイツの犠牲の上にいまだ分け取りを争っていること,そして何よりも欧州を経済的に支えうるアメリカが伝統的な孤立主義に復帰して戦後の世界秩序形成への積極的な関与を放棄し,それを欧州諸列強に委ねたことの結果であろう。

 そのアメリカも,対外的には第一次世界大戦後の生産力優位をもとに輸出競争力を展開し,貿易における重化学工業化と資本輸出の増大につれて資源確保と市場拡大の為の海外投資と結合して北米を自国経済圏にするとともに,大戦前後に中南米を裏庭化し,パナマ運河開設を通じてアジア進出を一層強め,欧州列強と日本との対立を深める。

 1929年には輸出の絶対額においてイギリスを越え世界一になった。世界経済に及ぼすアメリカの影響力は大きかった。農産物や自動車など対外依存度が高い商品を別とすれば,広大な国内市場を有するアメリカの貿易依存度は相対的に低かった。貿易依存度の低さは結果として世界経済に対するアメリカの関心の低さを生み出し,対外関係において実際の世界経済に対する影響力とのギャップをもたらす。

 第一次世界大戦後の国際資金循環は,英仏など戦勝国の対米債務を,アメリカ(民間)資本の流入先であるドイツから賠償金を取り立ててアメリカに支払うという,アメリカの民間資本の対独投資に依存した極めて不安定な資金循環であった。アメリカの資本輸出の停滞や資金流入が生じれば,崩壊せざるを得ない脆弱な循環であった。実際,29年株式恐慌に前後しての欧州からの資金引揚げにより欧州危機・世界第恐慌が発生した。

 アメリカは,30年代大不況において高率関税など保護主義政策を強め世界的ブロッキズムの流れを先導した。最大の資本主義として世界史の表舞台に登場した国のこの高率関税は,大陸内自足的帝国主義として展開が可能であったアメリカ経済が未だ自国優先の孤立主義に掣肘されていたことを示すものである。ウィルソンの自由主義的世界秩序の構想による国際的関与と経済的力能とのギャップは,こうして両大戦間における覇権行使としての国際的関与とグローバル化を制約した。

 アメリカ主導の下で世界新秩序を実現するアメリカ覇権の世界戦略の構想とその実現は,第二次世界大戦前後の世界的危機がアメリカをして資本主義世界を統合する盟主として押し上げるまで待たざるを得なかった。

Ⅱ覇権国アメリカの登場と「衰退」過程(I)衽衲冷戦体制下のアメリカ

1 覇権国アメリカを軸とした冷戦体制構築の世界史的背景

第二次世界大戦で旧帝国主義諸列強はかってない甚大な被害を被った結果,敗戦国はいうまでもなく戦勝国も深刻なダメージを受けた。社会主義は,当時,東欧諸国における社会主義化とそれに続き中国革命が成功し,北朝鮮,ベトナムなどを含めると,面積では戦前の18%から27%へ,人口では9%から34%へ増加して広大な社会主義陣営が形成され,資本主義世界に現実に対抗する存在と受け止められた。

 そして資本主義諸国内部でも戦時中の反ファシスト・レジスタンス運動の中心を担ってきた勤労大衆が影響力を拡大する等,反体制民主主義勢力は急伸した。また植民地・後進国においてもインド独立や中国革命をはじめとして植民地解放・民族独立運動は大いに高揚した。第二次世界大戦直後の状況は資本主義にとって「体制的危機」ともいうべき状況であった。

 第二次世界大戦後の旧帝国主義列強の落とは対照的に,文字通り世界最大,最強の資本主義国となったアメリカは,大不況と世界大戦の経験から社会主義に対抗しつつ世界恐慌の勃発を防ぎ,帝国主義列強間の戦争を避け資本主義世界の再建を最重要課題として戦後世界を構想する。政治・軍事的には,戦勝国を中軸とした国連の設立と並行して,国際的制約からは「自由」な,アメリカの核戦略体系の下にNATOと日米安保を軸とした軍事同盟の網の目を築き上げ,社会主義包囲の軍事基地網を配置していった。

 また経済的にはドル基軸の国際的通貨体制IMF,そしてブロッキズムを排し自由貿易をベースとした多角的貿易体制GATTを築き上げるとともに中東石油をはじめとして原・燃料資源基地を基本的に掌握し,アメリカ基軸の国際経済秩序の体系を構築していった。それは,冷戦対抗の下でのアメリカ基軸の国際関与の体系であり,その意味で冷戦体制下の資本主義におけるアメリカ覇権の秩序体系の形成である。

 こうした構想を実現する上で障碍となってきたアメリカ国内の孤立主義を終わらせる契機となったのが,他ならぬ第二次世界大戦とそれに続く冷戦対抗であった。

 アメリカは,一面では反ファシズムの性格をもつ第二次世界大戦に「民主主義の兵器廠」として,またその守り手として積極的に参加していった。その過程で経済の軍事化動員機構を形成し,戦後の核・ミサイル軍事機構が準備されていった❖8)。

 そして大戦後アメリカは,かつての帝国主義国家の対立・戦争にとって代わる社会主義とのグローバルな体制間対抗・冷戦対抗において資本主義の側での中心的担い手となっていった。アメリカ以外にそれを担う国はなかったのである。こうした世界大での冷戦対抗を可能とした経済基盤こそ,大量生産・大量消費を大陸的規模で実現するアメリカ的生産様式を基礎に「資本主義のアメリカ段階」といわれるアメリカの経済力水準に他ならなかった。

2 冷戦体制下の覇権国アメリカの構築

 第二次世界大戦は,アメリカと欧州・日本の旧列強との経済力格差を決定的なものとした。アメリカは,圧倒的な経済力を背景にして金兌換が保証されたドルに世界各国の通貨をリンクさせ,ドルを基準とした各国通貨の為替レートを固定する。それは,いわば世界各国の通貨制度をドル「為替本位」・ドル体制に包摂するに等しく,事実上資本主義世界における「ドル圏」の確立を意味するものであった。

 戦後西欧諸国の貿易収支の赤字は,1938 年の18億ドルから46 年 46 億ドル,47 年には75 億ドルへと増大し,なかでも対米収支は38年の9億ドルから46年23億ドル,47年には実に48億ドルの赤字となり,ドル不足は巨額なものに達した。戦費調達による海外資産の消尽,植民地戦争に伴う巨額な政府支出の結果,貿易外収入全体が1億ドルの払い超となり,貿易入超のカバーは全く不可能となっていた。西欧諸国はドル不足から破局的な経済崩壊の危機に直面していた。東欧におけるソ連の伸長,ギリシャやトルコ,さらには中東へのソ連の浸透という事態に対し,1947年にアメリカは冷戦開始の号令であり反共と資本主義の防衛・強化のトルーマン・ドクトリンを宣言し,48 年 4 月〜49 年 6 月の期間に援助総額62億ドルに達するマーシャル・プランを発表した。

 1949年ドイツは東西に分裂し,中国で社会主義が誕生する。同年ソ連核実験によりアメリカの核独占が終わりを告げる。同年,反共軍事同盟たるNATOが設置され東西の軍事的対立は確定的となった。そして1950年には朝鮮戦争が勃発し,51年に日米軍事同盟が結ばれ,日本は対社会主義包囲網に組み込まれていく。アメリカは朝鮮戦争以降本格的な軍備増強を行い,またNATO諸国に対しても軍事費増額を要請する。もちろん西欧諸国は独力で軍事力の増強を行える状況ではなく,アメリカの援助の見返り資金によって賄われた。

 そしてアメリカの援助も1951年に成立した相互安全保障法(MSA)に基づいて軍事的性格を帯びて世界的規模で展開され(軍事スペンディング),1952年には軍事援助が経済援助を凌駕する。57年ソ連による人工衛星打ち上げは核ミサイル開発競争を惹起した。冷戦対抗は軍事的経済的負担を強いていった。

 軍事同盟に基づく主権国家への米軍の展開・駐留方式は現地国の主権を前提に無制約な全域的移動を確保し,現地国の軍との共同主権=統合軍という法的擬制のもとで外国駐留軍の現地軍待遇・特権を確保していった。駐留先の共同防衛地域設定とそれを打ち固める二国間・多国間の軍事同盟のネットワークは,各国に散開する米駐留軍を単一の世界戦略の体系に編入・統轄し,各国現地軍をそのもとに組込む「基地の帝国」アメリカのグローバルな覇権行使と展開の基盤である❖9)。

 その中枢であるアメリカの核・ミサイル軍事機構,これを支える新鋭(軍事)産業は,戦前来の資本主義のアメリカ的段階をベースとして本質的に科学主導の産業として形成・成立していった❖10)。

 軍事に起動された新たな産業体系は,冷戦の論理に規定されて展開された軍事産業であり,他面で新たな技術開発・生産力発展を可能とする新鋭産業である。この新鋭(軍事)産業は,巨額の研究開発費R&D,装置の新鋭性と巨額の費用を特徴とし,国家の財政支出によって育成された産業である。新鋭産業はR&D 援助,調達などの国家的支援を受けつつ,欧州においては本国で製造と品質をテスト済みの製品として直接投資を展開していった。在来産業においても,自動車を典型に市場志向的な製造業を中心に50年代から60年代にかけて直接投資が展開された❖11)。

 またアメリカは,イギリスに代わって中東を抑え,西欧など消費地に石油精製基地を設立し,かくして石油市場を制圧し,石炭から石油へのエネルギー革命を先導していった。

 冷戦対抗下,米系多国籍企業によるグローバル展開は,民族国家の枠組みを前提に市場の統合化を進め,「国際経営ロジスティック」のもとで海外に散開する在外子会社を「最適生産」のネットワークに組み込む形で実現していった。すなわち国家の枠組みを利用して移転価格操作などで利得し,本社のコントロールの下にグローバルな生産と分配,資金の国際的運用を行っていった。特に欧州市場では子会社の全欧的ネットワークを通じて単一の生産・市場支配圏として編入するグローバル経営は,民族国家による分割を前提に欧州の側での対応,すなわち市場統合・共同市場化の発展に利害を見出すのである❖12)。

3 冷戦体制下の覇権国アメリカの経済基盤の脆弱化

 核・ミサイル開発競争,世界に展開する軍事基地,そして冷戦対抗下のグローバルな軍事・経済援助は国家予算の膨大な赤字と軍事インフレをもたらした。軍事インフレは寡占価格と重なってコスト・インフレになり,在来重化学工業の競争力低下をもたらしアメリカ本国の製造業の空洞化を惹起していった。こうしてアメリカは貿易収支を悪化させて準備金が枯渇し,ついには1971年金・ドル交換停止,73年変動相場制に移行する。

 冷戦体制下のアメリカの経済基盤の脆弱化の画期ともいうべき旧IMF体制の崩壊である。ドルの減価が進み,73年オイル・ショックを引き起こし,世界的スタグフレーション(1974〜75年)をもたらした。

 カーター政権下で軍拡を抑えるデタント政策に移行するが,1979 年イラン革命を契機とした第二次オイル・ショック,そしてソ連によるアフガン侵攻を転機に91年
に登場したレーガン政権は新冷戦に移行して新たな軍拡路線に突き進み,軍事産業の再活性化をもたらした。

 また,スタグフレーションを抑えるべく高金利政策が導入され,インフレが抑えられるもののドル高が進み,米国産業の国際競争力低下が一層進んだ(第 1 表参照)。70年代後半以降漸次形をとってくる産業の空洞化,しかも在来重化学工業分野の空洞化だけでなく,冷戦アメリカの軍事・経済的優位を支えてきた先端分野=ME分野においても空洞化が進み,ME化の展開に伴って生産のアジア展開も進み,それを契機に海外における国際下請生産・調達が一段と増強されていった❖13)。

 旧IMFの崩壊と変動相場制への移行により資本の自由な展開が行われ,新たな金融商品の開発を通じて銀行と証券の分離などの各種規制を突破する金融資本の動きが強まる。レーガン政権下で預金金利規制の緩和など金融における規制緩和が進み,アメリカは第四次企業合併運動を通じたリストラと3L危機を契機にした資産再編を通じて金融再編を行い,製造業から金融と情報サービスに収益基盤を移行させていく。

 70年代のスタグフレーションとオイル・ショックによる省エネ圧力はME技術の発展と省力化・ME装備化を促した。それに成功して急速に成長しアメリカを侵食していったのが日本であり,繊維→鉄鋼→自動車,さらにはアメリカにとって虎の子のハイテク製品において,輸出自主規制から1988 年のスーパー301 条の報復措置の発動に至る激しい日米貿易摩擦を引き起こしていった❖14)。

 ドル高と日本の躍進は,アメリカの競争力の一層の後退をもたらし,国際的下請け生産・調達による生産のアジア移転・生産のアジア化を惹起していった。それはアジアNICsを勃興させ,このNICsの成長は中国に「改革・開放」による市場経済化を促迫していった。

 アメリカが経済的に後退しつつあるなか,基軸通貨ドルを支え,アメリカとの冷戦下の国際分業(冷戦分業)を維持することが欧州,日本にとっての安全保障であり,資本にとっての利益であった。冷戦下のアメリカは,資本のグローバルな展開に伴う矛盾と軋轢を,公式,非公式の2国間を含む国際的協議を通じて覇権的調整を図っていった❖15)。

 アメリカの経済的弱体化は,冷戦対抗に対応した軍拡による軍事費膨張の歯止めを余儀なくされ,軍事における肩代わり政策を追求させた。レーガン新冷戦の下での軍事産業の再活性化も,アメリカ経済全体の浮揚には至らず,経済的には軍事に抱え込まれ育成されていた新鋭産業は財政支出の抑制を通じて民生分野への展開を促迫された。スタグフレーション圧力はそれに拍車をかけた。その民生分野で日本の激しい追い上げに遭遇し,MEハイテク産業分野ですら後退を余儀なくされていた。レーガン政権下のドル高は製造業における競争力低下と海外生産を加速させ,覇権国家アメリカの経済基盤の衰退を加速していったのである。

Ⅲ 覇権国アメリカの衰退過程(II)衽衲ポスト冷戦期のアメリカ

1 ポスト冷戦期の覇権帝国アメリカの様相

 1989〜91 年のソ連・東欧社会主義の崩壊と社会主義中国の市場経済化を通じて旧社会主義が資本主義に取り込まれる。資本にとって自由な市場が文字通りグローバルな規模で開放された。ソ連・東欧社会主義の崩壊は,これまで冷戦対抗の中でアメリカの利己的行動を「抑制」させてきた国際関係の枠組みの消滅でもある。

 91年の湾岸戦争は,冷戦解体後の世界新秩序形成に向けて国連を取り込み,覇権国アメリカの軍事力行使の実験場となった。アメリカは,02年G.W.ブッシュ大統領の下での安全保障戦略において,01年9月11日アメリカにおける同時多発テロ後の「テロとの戦争」を口実としてアメリカにとっての潜在的脅威に対する「予防戦争」,すなわち先制攻撃を公然と提起した❖16)。

 アメリカ軍のグローバルな軍事基地網を通じて軍事介入能力を確保し,情報技術を中心に軍事技術を開発・利用して軍事における革命(RMA)を展開し,前代未聞の先制攻撃能力を手に入れて覇権帝国を構築する意図があからさまに表明されるに至った。

 アメリカの軍事費は2001年3790億ドルで世界の軍事支出の36.3%であったのが,2002 年 4250 億ドル38.4%,2003年4840億ドル41.1%に達し,05年5530億ドル42.7%,07年5760億ドル41.7%,リーマン・ショック後の2009年でも6690億ドル43.2%,2010年には6870億ドル43.8%を占める❖17)。

 これにイラク・アフガン戦争遂行費用が加算する❖18)。まさしく,軍事力における絶対的優位を確保する軍事支出である。

 G.W.ブッシュは,こうした圧倒的な軍事的優位をもってイラク戦争を突破口に既存の国際関係の再構築(ネオコン流「自由の帝国」の拡大)を目指した。それは,世界中に大きな反発をもたらし,2003年2月に1千万人を超えるイラク戦争反対デモが世界中で沸騰し,アメリカとドイツ・フランスとの亀裂を生み出し,覇権行使における国際関係の基盤を弱体化させた。かかる状況を立て直すべく登場したのがオバマ政権(09 年〜現在)である。しかしイラク・アフガン戦争の泥沼化により対テロ戦争の破綻と覇権基盤の脆弱化はなお一層進んでおり,むしろ問題は拡散している❖19)。

 第二次世界大戦後のアメリカは資本主義の復興・再編のための軍事・経済援助を行いつつ,冷戦覇権国家として新鋭産業を軸に対外直接投資を展開し,同時に資本主義経済の復興の為に西欧と日本に自らの市場を開放し,戦後世界資本主義における高成長の一時代を作り上げていった。ところが,世界的な軍事・経済援助と核・ミサイル軍事機構を支える新鋭(軍事)産業の育成・成長は軍事インフレを引き起こし,アメリカの経済競争力を低下させた。国内を基盤とした米系多国籍企業の海外展開は,本国の製造業が欧州と日本企業に浸食され生産の空洞化を惹き起こしつつ海外展開するものに変わっていった。かつては米系多国籍企業の親会社と子会社の間では輸出超過であったのが,今では輸入超過の事態に立ち至る程深刻な状態になっている❖20)。

 加えて在米海外企業によるアメリカ市場向けに本国からの製品輸入が増加している(第2表参照)。今ではアメリカにおける生産の空洞化は膨大な貿易収支赤字となって回復困難な事態になっている(第 1 表参照)。事態は深刻で,国家の安全保障とも関わって投資を制限する事態に至っている❖21)。

 企業の自由な活動を謳い上げ,国家の介入である産業政策が忌避される経済土壌のアメリカにあって,国家介入の名分が立つのは安全保障の名の下である。

 国家によって保護・育成されてきた核・ミサイル軍事機構を支える新鋭産業は,冷戦体制解体によって国家の援助も細り,軍事産業において再編が進行する❖22)。

 新鋭産業においてもR&D要員をはじめ,事務や現場
の労働力はリストラされる❖23)


 科学・技術者の金融や
情報・通信技術関連のベンチャー企業への転出は情報通信技術革命と金融革命を加速させた。90年代の金融革命の進行と関連して投資銀行やファンドに領導された証券化と株主価値優先の企業経営が横行し,企業資産のスリム化,人材派遣をはじめとした非正規労働の増大,生産の海外移転とオフショア生産・調達を進めてグローバルな競争を激化させた。それは,新鋭産業ですら非正規労働を横行させ❖24),90年代後半のアメリカ史上第5波と云われる年平均100万人を超える移民労働の流入圧力のもと,最近においては国内生産回帰をも促すほどの労働コスト低下と労働分配率低下を惹き起こす(センサス・ベースで,付加価値中の人件費の割合は02年製造業全体で30.3%が07年で25.7%に下落,上昇したのは44.9%→46.9%のミサイル部門のみ)。

 グローバルな競争圧力と国内製造業の競争力低下によって多国籍企業独占体相互の提携,現地企業との戦略提携,国際下請け生産,多様な企業間提携,オフショア設計を含めたファブレス企業やEMS・ファンドリ企業の活用等が急速に展開された。それらは,「頭脳循環」を引き起こすとともに外国人技術者の流入をもたらし,米本国における高度技術労働においても失業者を増大させている❖25)。

 また下請け生産が行われる新興途上国では,農村労働の都市への流入による分厚い低賃金労働基盤が形成され,グローバルな競争と相関的に,下請け生産における強制的な非人間的労働による製品コストの劇的低下をもたらし,いわば世界市場における「価格革命」を引き起こし,世界的デフレの基盤を形作っている。

 かかる事態は,金融と情報サービスにおける新技術・新商品のR&Dとその成果を海外の子会社や現地企業等に販売する知財戦略への傾斜を強めさせ,生産において海外,特に世界の工場であり市場としても成長してきている中国を軸としたアジアで海外子会社による現地生産・現地販売ならびにオフショア生産・オフショア調達の増強をもたらした。それは,アメリカ本国における金融と情報サービスへの傾斜が「バーチャルな世界」の拡大として現れ,他方アジアにおいて中国を中心に「リアルな世界」の生産拡大として現れる。情報通信革命が,「バーチャル」と「リアル」な世界の相互補完的な取引を可能にしたのである。中国の経済大国化と相関的なナショナリズムの高揚とそれに基づく軍事的プレゼンスの増大により高まる政治・軍事的緊張とは裏腹に,というよりはそれと並行して展開する経済的な相互依存と対抗の世界の成立である。


第2表 貿易に占める多国籍企業MNC 単位:10億ドル,%
1987年 1989年 1991年 1993年 1995年 1997年 1999年 2001年 2003年 2005年 2007年 2008年
財・サービスの輸出 348,869 487,003 578,344 642,863 794,387 934,453 965,884 1,004,895 1,019,897 1,281,187 1,648,665 1,839,012
輸出に占める
MNCの割合
29.2 30.2 29.0 30.1 31.9 32.2 30.1 30.1 30.4 28.9 28.0 26.7
財・サービスの輸入 500,552 580,144 609,479 713,174 890,771 1,042,726 1,230,124 1,369,289 1,514,078 1,995,363 2,350,764 2,537,814
輸入に占める
MNCの割合
35.0 36.9 37.5 36.7 37.3 35.8 35.1 35.8 35.6 33.7 33.3 32.7
うち外国FAから在
米FA向けの割合
21.6 22.4 21.7 21.1 21.5 19.4 18.7 19.5 19.8 18.5 18.7 18.5
ITAより筆者計算。MNC:多国籍企業,FA:子会社。

2 覇権帝国アメリカのグローバル化と相関的な経済基盤の脆弱化の進行

 ソ連・東欧社会主義の崩壊を契機とした世界経済の資本主義への包摂は,IMF・世銀,95 年に発足したWTO,そしてNAFTAをはじめとした自由貿易地域FTAの形成,さらには公式・非公式の国家間や関連団体の協議などを通じて資本のグローバルな展開のための商品貿易,サービス,知的所有権,資本移動や労働力移動をも対象とした各国の諸制度の共通化・統一化を加速させた❖26)。

 グローバル化の進展とともに,米系企業による生産の海外移転と海外多国籍企業のアメリカ国内移転によって皮肉にも海外調達による貿易依存が高まる。90年代半ばのドル高以降貿易収支赤字が急増し,経常収支赤字が急膨張する(第1,2表参照)。かくして経常収支赤字をファイナンスする資本流入が決定的に重要となる。ドル債権を持つが故にドル価値を守らなければならないジレンマに中国,日本などの黒字大国は追い込まれる。因みに中国の2012年12月対米債権残高は1兆2028億ドルに達し,同じく日本は1兆1202億ドルである。

 経常収支赤字に伴う海外資金の流入は債券購入を通じてドル高下の低金利維持を可能にし,株価を上昇させる。株価上昇は90年代半ば以降ネット関連のIPO投資とベンチャーを群生させ,また株式交換等によってM&Aを活発化し,それらが相俟って株価を上昇させた。

 それはまた資金調達を容易にし,90年代後半にIT投資を活発化させ景気を実体面からも支えた。株価上昇は,「株式のマネー化」によってストック・オプションが供与される経営管理層や科学・技術者を資本に取り込み,金融システムに包摂する。株価上昇はまた家計資産増を通じて家計消費増(→消費財輸入増・貿易収支悪化へ)と連動する。企業も証券化を通じた個人貸付のリスク回避を可能にした消費者信用の拡大により個人消費を促す。

 こうして個人消費と企業の投資活動が株価上昇と証券化を通じてネットの取引(情報サービス)を軸とした金融市場の動向にますます依存する度合いを強めた。経済実体における脆弱性の増大は,株価上昇と共に金融サービスの動向によって輸入増加・経常収支赤字増につながる消費拡大による景気の拡大に覆われカバーされる。かかる連関構造は,ドルの基軸通貨特権の下でのアメリカの国際的資金のハブ・集配センターの枠組み=国際基軸通貨ドルを軸とした国際的資金循環構造によってそのメカニズムを支えられている。

 現下の欧州通貨危機が示すように,当面,ドルに代わる基軸通貨は見出せない。こうして90年代半ば,海外からのアメリカへの資金流入(とりわけ97-98年アジア通貨危機後に流入の動きが活発化)を媒介に米系企業による対外投資が行われる国際資金循環によって,基軸通貨としてのドル機能の維持と国内経済循環構造が接合される。自由な資金移動を制約する各国金融市場の制約は撤廃を求められる。それは,アメリカ金融資本による世界経済制圧にリンクしていた。新自由主義基調の規制緩和とアメリカ流グローバル・スタンダードを求める現代グローバリゼーションは露払いの役割を果たす。

 90年代半ばドル高政策採用以降,覇権帝国アメリカの経済基軸である国際基軸通貨としてのドルの役割・機能を維持するためアメリカを「ハブ」とした国際的資金循環が定着・展開する。

 IMF,世銀,そして米連邦制度準備理事会は一体となって各国市場の規制緩和を追求していった(ワシントン・コンセンサス)。証券化商品が横行し,グローバルな資金取引を通じて日々取り扱う資金量は膨大なものとなる。その処理の為に巨大なコンピュータ・ネットワークの構築と運用を求められ取引所の提携・合併が促進され,国際金融市場における効率的で安全な運営を要求される。資金取引に介在する各種金融諸機関の情報化投資は巨大なものとなる。情報システムは今や不可欠の社会インフラとなり,サイバー・テロ対策をはじめ,システムの安定とその保障,しかも国家を跨ぐシステム間の調整に国家の強力な役割を要請する(アメリカ覇権の一基軸)。

ネット上の取引の螺旋的膨張がグローバルに展開する。それは,ちょっとしたフリクションで一挙に,しかも国境を跨いで連鎖的に倒壊する複雑で繊細な電子取引の積み上がりを意味する。冷戦対抗の終焉による「平和の配当」として軍事費削減による財政赤字の減少は歴史的低金利をもたらした。それは,情報革命の展開に伴うITベンチャーによる新規株式発行 IPO 増もあって株式市場を活発化させ,2000年ハイテク不況による中断を挟んで不動産価格上昇を含む資産価格上昇バブルを惹き起こし,2008年のリーマン・ショックを引き金に一挙に世界的金融危機・同時不況をもたらしていった。

アメリカは,軍事力における圧倒的優位性の保持を前提に,製造業における競争力低下とは裏腹に,金融収益とならんで軍事技術の転用による情報分野の技術優位,さらには新技術・新製品の開発によって知財収益を確保し,オフショア生産と調達を行ってコスト削減を実現し収益をあげている。今ではシェール革命による国内生産と輸出の活発化が期待され,非正規労働の増大による低賃金労働と低い労働分配率のもとでエネルギー等素材分野の投資をはじめとして国内生産回帰が増大してきている。しかしアメリカは,2008年世界金融危機において構造的脆弱性を示し,今なおそれへの対応に呻吟している。株価上昇による消費景気復活により,オフショア生産・調達をベースとした経常赤字を資本収支でファイナンスし,軍事力と金融と知財を含む情報サービスにおける優位性を武器に覇権的地位を維持するという脆弱な構図に,今なお基本的変化を認めることはできない。

冷戦体制終焉後のアメリカは,アメリカ市場を世界に開放しつつ,同時に金融や通商における規制緩和と自由化,そしてアメリカ的世界を世界に構築しようとした。世界はそうしたアメリカに寄生しつつ成長してきた。だがそのツケはアメリカの経常収支赤字の返済不可能なまでの膨張であり,ますますドル基軸の資金循環と(軍事力と)金融・サービスに依存せざるを得なくなっている。

 こうして覇権国アメリカは,脆弱な経済基盤の上に,イラク・アフガンで戦力的に非対称な戦争・テロとの戦争に呻吟し,WTO加盟後成長著しい大国中国などとの対立と緊張を孕みながら軍事的覇権の維持・強化とグローバル化に突き進まざるを得ないのである。そのことが,世界中で反発と摩擦を引き起こし,ネットを通じた社会的運動を強めさせ,政治,社会的覇権基盤のさらなる脆弱性をもたらしている。

小括 衽衲覇権国家アメリカの歴史的位置

アメリカの建国は,イギリス重商主義による覇権的行動の末端を担い,イギリスを中心に欧州からの移民による領土拡張として特徴づけられる。それは,世界史的には重商主義(原蓄過程の段階)から産業資本段階への移行過程において欧州旧列強による世界の交易と植民地拡張をめぐる覇権闘争と連動していた。

アメリカは,フロンティアの終焉と独占段階移行の過程で米西戦争を起点に世界史的には帝国主義的領土分割の一環として対外的領土拡張を行う。貿易と資本取引の拡大をめぐる帝国主義列強間の競争はグローバルに展開され,列強間の不均等発展と共に世界分割・再分割をめぐる対立が激化し第一次大戦に至る。その間アメリカは,中南米諸国に影響力を拡大し,それを裏庭化する。そして第一次大戦後には唯一の金融自立国となるほど欧州との経済力格差は決定的となる。第二次世界大戦中に生産力を拡充し,60 年代にそのピークを迎える「資本主義のアメリカ的段階」が戦間期に構築される(1920年粗鋼生産が実に世界の6割!)。だが,戦間期はまだ帝国主義による植民地領有を軸とした帝国主義列強間の対立を軸とした資本主義世界体制であった。本格的な対外覇権的行動も建国以来の「孤立主義」に制約され,アメリカが「世界帝国」として覇権を行使するには冷戦の一時代が必要であった。

 第二次世界大戦後の旧帝国主義諸列強の没落と社会主義世界体制の登場により,アメリカは(冷戦)世界帝国に押し上げられ,冷戦対抗の下での核・ミサイル軍事機構の構築と相関的に戦後資本主義世界再編の軸として資本主義世界の覇権国となった。だが,軍事の負担は経済の負担となり,ついには旧IMFの解体により通貨・金融の「協力」と安全保障における「役割分担」を日本・(西)ドイツなどに仰がざるを得なくなる。

 この段階でアメリカは,冷戦対抗下の世界帝国としては民族国家の枠組みを利用して覇権を行使し,その展開を通じて世界帝国の立脚基盤である民族国家の枠組み自体を形骸化し(日米貿易摩擦に象徴される競争力低下と多国籍企業の展開とによる空洞化問題の発生),帝国アメリカの地盤沈下をもたらしていった。いわば覇権の確立が同時に覇権の基盤の脆弱化に連なった。

 冷戦対抗が終焉し,あらゆる市場が資本に包摂された。その過程で展開された通信・情報,ならびに交通・物流における革命的な技術発展は,金融と情報を軸に時間的ならびに空間的同期化を促進し,グローバル化を決定的に推し進め,今や資本もその処理に困惑する。

 それだけに,グローバル化のイデオロギーである新自由主義を基調としたアメリカ・モデルは,規制緩和に伴う資本展開の新たな分野を開放し,富裕層による富の収奪の自由放任化を推し進め,他方で権利の剝奪を通じて非正規化の推進と労働破壊を徹底的に進めていった。

 それはオフショア生産において最も過酷であった。株主価値経営がそれらを促進する。多国籍企業資本は,コスト削減による利潤追求の為に安価な商品やサービスを求めて調達と生産の海外依存を深め,また製造よりもR&D費を投入して金融・情報サービスにおける高付加価値追求に偏倚する。国際的にもアメリカと一体となって進められたIMF・世銀による「構造調整」によって多国籍企業に収益機会を与え,新興途上国の「上層部」をもそのシステムに取り込み,世界的規模で富裕層と貧困層の間の対立を醸成し深刻化していった。

 こうした状況の中で覇権国アメリカは,「勝てない戦争」の中で疲弊し,抜きんでた軍事技術と能力を保持していても単独で覇権的軍事力行使はできないでいる。

 2012年末に公表された国家情報会議NICの報告書は,2030年に中国の経済力がアメリカを凌駕し,アメリカはせいぜい「同輩たちの筆頭first among equals」でしかないと自らを位置づけている❖27)。

 もはや覇権国アメリカ
の後退と衰退の流れは逆転できない。金融・情報サービスと製品の海外調達へ依存を強める覇権国アメリカの経済基盤の脆弱化は,欧州危機に際してIMF拠出負担増を拒否せざるを得ないほどである。世界戦略を展開する上での金融・財政上の制約は,軍事戦略のみならず国際的枠組みにおける覇権的地位に制約を与え,今や「拡大金持ちクラブ」・G20の協力を仰いで立直しを図らざるをえない程のものである。オバマ政権による覇権維持のための世界戦略が,WTO 加盟後飛躍的に成長し世界金融危機下の内需拡大によって大国化した中国を睨んで重心をアジアに移行し,米中戦略対話を進める一方で,日本にTPP参加を促すとともに軍事的貢献を強力に求める所以である。

 2008年世界的金融危機の勃発は,金融資本が資産バブルを起こし,貧困層の略奪にまで手を染めて失敗したことが原因である。他面で,そうした略奪に手を染めざるを得ない程利潤追求の機会は失われ覇権の経済的基盤が脆弱化しているということでもある。金融危機の帰結として少数の富裕層が救われて大多数の人々が損失の肩代わりを強いられるとするならば,社会はますます不安定化し深刻な事態となろう。二極化が進み中間層が縮小している中でのその対立は,グローバルな調整を伴いながら厳しい抑圧と管理に進み,「文明の対立」も重なって一層激しいものとなるであろう。その反面で対立の激化は,市場と資源の獲得をめぐるグローバルな競争に駆り立て,新たな植民地主義の台頭ともいわれる程の領域拡張を含むナショナルな政治,さらには軍事的緊張関係を高めている。こうして冷戦終焉20年を経過して覇権国アメリカの地位が揺らいでいる。

 世界史的には,その揺らぎは覇権国アメリカを軸とした資本主義世界の揺らぎであり,その帰結は覇権を巡る旧列強的対立の再版ではあり得ず,現代資本主義に代わる「新たな世界」の形成でしかないであろう。そしてその予兆が既に現れてきているようである。
(2013.4.5脱稿)


❖1) トマス・マコーミック「アメリカのヘゲモニーと現代史のリズム1914-2000」,松田武・秋田茂編『ヘゲモニー国家と世界システム』山川出版社,2002 年刊所収参照。本稿では覇権を,対外的影響力を内実とする国際関係における主導権と捉えている。また帝国(主義)と覇権との関係について,領土支配がなければ帝国(主義)と認めないという立場は取らず,覇権と帝国(主義)の間にそれ程大きな違いを認めてはいない。
❖2) シェール革命により経常収支の好転からアメリカの復活が展望される議論が多いが,問題がそれ程単純ではないのは経常収支赤字を生み出すアメリカの経済構造に関わっているからである。
❖3) 古矢旬『アメリカ 過去と現在の間』岩波新書,2004年刊,6-19ページ参照。尤も,1987 年米西戦争についての国内における帝国主義論争の基調は,領土的拡張については否定的であるが,政治的影響力行使としての覇権的行動については認めるプラグマチックな理念であった。だから,孤立主義といっても,欧州からのアメリカ大陸への介入を拒否する論理としての孤立主義であって,総じて自らの南北のアメリカ大陸への介入については寛容であると理解できる。
❖4) 前掲古矢『アメリカ 過去と現在の間』47ページ参照。
❖5) マイラ・ウィルキンズ著(江夏健一・米倉昭夫訳)『多国籍企業の
史的展開』ミネルヴァ書房,1973年刊参照。
❖6) 五十嵐武士『覇権国アメリカの再編』東京大学出版会,2001年刊,40ページ参照。ウィルソンの提唱した14ヶ条の第5条で,レーニンの戦後処理の提案を意識して,「植民地化された住民が植民地支配している国々と同じ程度に尊重されるような仕方での,植民地問題に関する国家間の広い取決め」を提唱している。ウィルソンはこうした進歩的主張を行う一方で,ハイチ,ドミニカ等に暴力的介入を行うなど,実際には南北アメリカ大陸に対するアメリカ覇権を追求した。この提唱は,欧州支配から逃れたい人々に「主人」を交代させるための巧みな提唱というべきなのであろう。
❖7) 「資本主義のアメリカ的段階」については,もはや「古典」ともいえる,冷戦体制下のアメリカ資本主義の構造を新鋭(軍事)産業を軸に抉り出した南克巳「アメリカ資本主義の歴史的段階」(『土地制度史学』第47号)が参照されるべきであろう。そこで南は,新鋭産業成立の経済的基盤を剔抉し,アメリカと欧州諸列強との生産力格差は第一次世界大戦後の旧帝国主義諸列強による世界秩序編制・「ベルサイユ」体制をアナクロニズムとする程のものであり,いわば欧州の落ち込みの上に達成されたアメリカの大陸的規模での生産力段階を「資本主義のアメリカ的段階」と規定する。「アメリカの世紀」については,古矢旬「『アメリカの世紀』の終わり?」(古矢旬『アメリカニズム』東京大学出版会,2002年刊所収)を参照されたい。
❖8) 第二次世界大戦中の軍事調達を中心とした行政機構は戦時の産業動員体制として性格づけられる。この点,河村哲二「戦時行政機構と戦時生産体制の確立」(河村『パックス・アメリカーナの形成』東洋経済新報社,1995年刊所収)を参照。戦後の核とミサイルを中軸とした軍事力段階に対応した恒常的な動員機構については,前掲南「アメリカ資本主義の歴史的段階」27-28ページ参照。
❖9) チャルマーズ・ジョンソン著(村上和久訳)『アメリカ帝国の悲劇』文藝春秋社,2004年刊参照。
❖10) 前掲南「アメリカ資本主義の歴史段階」参照。航空・宇宙産業については,西川純子『アメリカの航空宇宙産業』日本経済評論社,2008年刊参照。なお,情報革命の起点となる冷戦体制下の軍事主導のネットARPAnetについて,本誌掲載の原田論文を参照されたい。
❖11) 南克巳「戦後資本主義世界再編の基本的性格」,法政大学『経済志林』42巻3号1974年,43巻2号1975年参照。
❖12) この点,J. J.セルバン=シュレベール(林信太郎・吉崎英男訳)『アメリカの挑戦』タイムライフブックス,1968年刊,46ページ参照。
なお,多国籍企業の国際最適生産などについては,関下稔『現代多国籍企業のグローバル構造』文眞堂,2002年刊を参照。
❖13) 拙稿「『IT 革命』進行下の東アジアの電子工業」,堀中浩編『グローバリゼーションと東アジア経済』大月書店,2001 年刊所収参照。生産のアジア化の進展について,U. S. GAO, Report to Congressional Committees, Offshoring, U. S. Semiconductor and Software Industries Increasingly Produce in China and Indiaを参照。半導体オフショア生産の段階的発展が示されている。
❖14) 日米貿易摩擦については,拙稿「グローバリゼーション下の日本の貿易」,福田邦夫・小林尚朗編『グローバリゼーションと国際貿易』大月書店,2006年刊所収を参照。
❖15) 経済的には日米構造協議やGATTにおける訴訟を含めた交渉が典型的事例であろう。しかし冷戦体制下の政治的対応は,国家的犯罪ともいうべき内容を含む。この点については,ウィリアム・ブルム著(益岡賢訳)『アメリカの国家犯罪全書』作品社,2003年刊や,O. A.ウェスタッド著(佐々木雄太訳)『グローバル冷戦史』名古屋大学出版会,2010刊を参照。
❖16) The National Security Strategy of the United States of America,September 2002, pp. 1-15参照。
❖17) SIPIRI Yearbook 2011, Armaments, Disarmament and International Security, Oxford University Press, 2011より。
❖18) 2001〜09 年の合計が9413 億ドル,2010 年には1300 億ドルとなる。延近充『薄氷の帝国アメリカ』御茶の水書房,2012年刊,258ページ参照。
❖19) 大冶朋子『勝てないアメリカ衽衲「対テロ戦争」の日常』岩波新書,2012年刊参照。2013年1月フランスのマリ軍事介入,アルジェリア人質事件など,「アラブの春」以降,とりわけカダフィ政権崩壊後のアフリカにおいて,長年にわたる先進国,最近では中国による「新たな帝国主義的」資源収奪への反発と絡んで武装テロ集団の活動は活発化している。テロや暴力に訴える運動とは対極の「チュニジアの春」以来の反独裁の運動,さらにはoccupy運動などネットを通じた世界的運動が広がっていることについては,本誌掲載の大屋論文を参照のこと。
❖20) 関下稔『21 世紀の多国籍企業』文眞堂,2012 年刊,260-266ページ参照。
❖21) 中国海洋石油によるシェブロン・テキサコ買収阻止(2005 年)やアラブ首長国連邦のソブリン・ファンドによるアメリカ港湾施設会社の買収阻止(2006 年)などがその事例であるが,特に国防総省による中国の軍事力に関する報告(2012 年5 月)や中国通信企業に関する調査報告(2012年10月)等で中国に対する警戒が表明されている。この点は,本誌掲載の関下論文を参照。
❖22) 航空宇宙部門では1958年で軍事向けが9割であったが(Surveyof Current Business, Sept. 1965),冷戦が終焉した92年には航空部門で対政府向けが37%にまで落ち込み,その内国防省向けが98%,ミサイル部門でも対政府向けが85%,内国防省向け76%にまで落ち込んでいる(1992 Census of Manufactures,MC92-S-3)。なお,冷戦終焉に伴う軍事産業の再編について,RMA や軍事戦略の関わりで論じている,Peter Dombrwski &Andrew L. Ross, The Revolution in Military Affairs, Transformation, and the U. S. Defense Industry, in Richard A. Bitzinger ed.,The Modern Defense Industry, Praeger Security International,2009, pp. 154-169を参照。また西川純子編『冷戦後のアメリカ軍需産業』日本経済評論社,1997年刊も参照。
❖23) 先端的(軍事)部門=コンピュータ・周辺,通信機器,半導体・電子部品,電子機器,航空宇宙部門において91〜95 年の期間に対前年比年平均4.5%の雇用減,とりわけ航空宇宙では同じく年平均9.3%もの減であったのに対して,サービス分野のコンピュータ関連ならびに人材派遣サービスはそれぞれ 8.4%,10.5%の伸びであった。特にコンピュータ・サービスでは情報革命が本格的に展開する90年代後半には年平均15.5%増となる
(Bureau of Labor Statisticsより)。
❖24) 2007年Economic Censusにおいて,材料費に仕分けされているContract WorkとRentalに仕分けされているTemporary StaffとLeased Employeeの合計の,それらに給与を加えた「人件費」総額における割合は,全産業平均で7.3%,電子工業で20.5%,輸送機械器具のなかで自動車が5.1%なのに対して航空で18.8%,宇宙・ミサイル部門で42.3%となっている。比較できるContract Workだけで見ると,軍事費が削られていた2002 年では07年よりも高く,05年以後軍事費が増大してその比率が下がっている。軍事への依存が強いところ程,非正規労働がショックアブソーバーとして利用されており,それだけ脆弱な基盤の上に成立していることが看取できる。
❖25) 前掲関下『21 世紀の多国籍企業』,「第12 章 アメリカ多国籍企業の企業内人材移動」参照。
❖26) 拙稿「アメリカ資本主義と現代グローバリゼーション」,飯田和人編『危機における市場経済』日本経済評論社,2010年刊所収,
95-97ページ参照。
❖27) Global Trends 2030: Alternative Worlds, A Publication of the

National Intelligence Council. December 2012, p. 119.018 季刊 経済理論 第50巻第2号 2013.7
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