野鳥歳時記 夏編


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野鳥歳時記



メボソムシクイ

○夏至の日に  やさしく歌う  メボソ鳥    虚心


 標高が2000m近くになりますと俄然多くなるのがメボソムシクイ(メボソ)の啼き声です。山を啼き声で埋め尽くしているといっていいかも知れません。メボソは亜高山帯の登山路脇に陣取っていて、どこまで歩いてもずっと啼いて登山者を励ましてくれるのです。メボソはチョリ・チョリ・チョリと啼くということになっていますが、私にはコロ・コロ・コロあるいはフィ・フィ・フィというように聞こえます。虫の啼き声かと勘違いしますがメボソの声です。声はすれども姿は見えずという代表のようなメボソですが、こちらが道中を急がないのであれば十分に観察できます。
 メボソムシクイはヒタキ科の夏鳥です。ウグイスに姿が似ております。腹部の白さと眉の強い白の線引きでメボソであることがわかります。渡ってきた当初は平地にいますが次第に亜高山の針葉樹林に移動し、登山者に山のメロディーを送るのです。動作は一つところに留まるということがなく枝先をつねに移動しています。亜高山帯の山に登ってフィ・フィ・フィ、コロ・コロ・コロ、チョリ・チョリ・チョリというメボソの声を聞きますと、まずは夏がきたなと思います。そしてその啼き声は奥深い山、静かな高い山に足を運んでいることを実感させてくれるのです。夏山の下山路で高度を下げますとヒン・カラ・カラとコマドリが一日の奮闘を讃えてくれるのはうれしいことです。夏に元気なウグイスは標高2900mの八ヶ岳の赤岳にまで勢力を広げホーホケキョとやっておりました。
 夏至のころ、日本は一番いい季節です。山の自然は弱虫やナマケモノにやさしくはありませんが、どのような魔法なのかそこに飛び込んだ者に勇気や知恵をもたらし、生きるよろこびを与えてくれます。


 

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ツツドリ

○夕暮れに  ツツドリの啼く  杉木立ち   虚心


 相模湖の住まいには週末に戻る生活がつづいています。春が早いと梅の実が大きくなるのも早いのです。梅雨も早く訪れるように思われます。ですから野鳥の産卵行動も早いことになるのでしょう。夏が早く来るとどんなことがおこるのでしょうか、わかりません。
 夏の訪れが早いということは夏山登山をはじめ、夏の野外遊びの開始が早まるということで、今年は100名山つぶしを夏の早いうちにひとつやる予定です。山梨と長野の県境の山です。
 夏が早く来た裏の林ではアカハラがせわしく鳴きます。ウグイスもいつも以上です。新しい来訪者に聞き耳をたてているとツツドリの声がしました。
 フォ・フォー・ポー・ポーという太い竹筒に息を吹き掛けたときに出る音と同じ鳴き声をします。ツツドリの名はここからきています。
 ツツドリはカッコウと酷似した姿をしておりますが、カッコウに比べるとツツドリの方が腹部の縞模様が荒くなっています。野外でその区別がつくのは余程のベテランです。ツツドリの鳴き方は筒に息を吹き掛けたときのようなものですが、カッコウの鳴き声は名前通りのものです。大きさはハトと同じくらいで、ジュウイチもそうです。似ている鳥にホトトギスがあり、キョ・キョ・キョ・キョという鳴き方です。ホトトギスはヒヨドリほどの大きさです。いずれもホトトギス科に属し、子育ては託卵です。卵が似た鳥に預けるようで、ツツドリはセンダイムシクイなどに、カッコウはホオジロなどに、ジュウイチはコルリ、オオルリなどの青い卵をもつ鳥に、ホトトギスはチョコレート色をしたウグイスなどです。これらホトトギス科の野鳥は自分で巣を作ることがありません。いずれも夏鳥です。カッコウは夏を象徴する野鳥ですし、ホトトギスも唱歌になっているので「卯の花」とのセットで名前は良く知られています。
 この鳥たちの餌は昆虫ですが、季節が重なるからからでしょうか毛虫を良く食べるということになっています。ツツドリによって裏の林の害虫が駆除されて杉や檜が良く育つといいのですが、こうした商業林に人の手が入らず打ち捨てられることになります。日本の林業は人件費の高騰で成り立ちにくくなっているようで、これが原因で商業林は放棄され、また薪を採らなくなったために雑木林もまともでなくなっているのです。GDP世界第2位のこの国は工業立国として繁栄してきたものですから、農業、林業とのバランスが崩れてしまったのでしょう。日本の野鳥の減り具合をたわく声が耳に届きます。明治以降の野鳥の減り方は顕著だったようですが、その速度がどうであるか詳しい資料をもっていません。シベリアにあまり手が入っていないのが救いであったように思いますが、アジアの工業化によって渡り鳥が棲む環境に圧力が加わっているのでしょうか。



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メジロ

○目を白く 隈取っている マジロかな 虚心



房総半島に足を運ぶたびに山の木々が内陸部と大きく違うことに気付いていました。常緑樹に覆われた山は南方熊楠が植物研究をした紀伊半島と同じであるように思われます。気候温暖、海洋性気候といった共通性があるのでしょう。杉や檜といった商業的目的をもった樹木はあまり植えられていません。こうした林にどのような野鳥が棲息するのか大いに興味があるのです。
 5月の下旬に房総への行楽に出て内房線の鋸南町保田駅近くの宿に入りました。
 仲間がいる旅行のときには朝の早いうちだけが一人で使える自由な時間です。早起きして鳥と遊ぶことになります。
 
 朝一番に部屋に届いたのがカラスのカー・カーという声です。4時でした。元気ですねカラスは。外はもう明るくなっています。夕刻、宿にはいったときにはウグイスが他を押し退けて気勢を上げていました。時間が進むにしたがって空の雲がとれていくのがわかります。五月晴れの快晴になるでしょう。聞こえてくるのはウグイスの声です。ウグイスは昨日にもまして誰でもが知っているあの啼き声をこっちの小山、あっちの小山から発して張り合っています。「ずいぶんいるものだなー、ウグイスの縄張りの範囲はどの程度だろう」という素朴な問いが生まれます。
 
 小高い丘があるので、そこに登って周囲を眺めることにしました。保田の小さな平地は保田川がつくったことが直ぐわかりました。保田川にはゴイサギとコサギがいました。丘の上で確認した野鳥はトビ、ヒヨドリ、ホオジロ、ハクセキレイ、ツバメでした。これとは違う啼き声をするものがいるのですが何だかわかりません。
 私はこの日この場所の主役の野鳥を探していたのです。4時45分、旅客機が成田空港に向かって飛んでいきます。地上には陽光がきておりませんが、天空には陽が差しているので機体がキラキラ光っております。その時です、10羽ほどのメジロの群れがやってきてチィー・チィー・チュ・チィー・チィーと啼き交わしながらしばらく遊んでいきました。小さな啼き声ですがよく通る嫌みのない声です。
 メジロの名は目の周囲の白い丸い縁取りからきています。体色は緑色です。正確には暗緑色と言ったほうがいいでしょう。きれいな色です。うぐいす餅と同じ色といえばよくわかると思います。スズメより二回りも小さな体格で、雌雄同色ですから啼き声で区別します。オスのさえずりが楽しみの対象になるのです。メジロは留鳥ですから年中姿を見ることができます。果物が大好きでイチジクや柿などは大好物です。イチジクを食べるときは小さな穴を開けて、そこから中身を全部くりぬいてしまいます。実ったイチジクを食べるときなど多くのメジロが集まってきて、一つの枝に押し合い圧し合い群がるところから、目白押しという言葉がうまれたようです。繁殖期は5月ごろです。
 メジロは身近な野鳥ですから、冬場の野鳥が少ないシーズンでも都心の街路樹でも見かけることができます。ですからメジロは冬の野鳥として取り上げる積もりでおりましたが、房総半島の保田海岸に面した林で印象的だったのがメジロです。したがってメジロを初夏の時期の野鳥として取り扱うことにしました。


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キビタキ


○木漏れ日を キビタキの歌 抜けてゆく 虚心

 松本から美ヶ原の高原に登って見る北アルプスのパノラマは何とも言い難い。満喫すべきはずの遠望も美ヶ原に車道が通じてしまいますと感動は割り引かれてしまいます。
 5月の初旬に美ヶ原を越して蓼科山麓に足を運びました。美ヶ原から霧ヶ峰に抜ける悪名高いビーナスラインは一部を残して無料になりました。八ヶ岳の清里高原を走る八巻道路も料金所が取り払われました。うれしいことです。
 蓼科山麓では「望岳山荘」と気の張った名前を付けた山中間の別荘にもぐり込みました。ここの地下の物置に趣味の自転車を8台置かせてもらっているのです。使うならどうぞ、ということにしておりますので、友人はそのうちの1台を持ち出して、都内某所の体育館に停めておきましたら、しげしげと眺める者が居たそうです。「××社のオーダーメイドのサイクリング車ですね。素晴らしいフレームのまとまりで、フランス製のオールドパーツを使っていてうらやましい」とお世辞を述べたといいます。山荘の自転車はわずかにホコリをかぶり、塗装がこすれてはげたところにサビが少し出ているものの、新車のときの状態を保っていました。この自転車たちとは4年ぶりに再会です。ここはよく計画された別荘地だけあって区画の外から建物は見えません。周囲の自然と調和していて、別荘地全体は林にしか見えないのです。
 南面に突き出した木製のテラスの前に生えているタラの芽はもうすっかり伸びていて食べられません。楽しみは削がれましたが、ウドとセリとアケビの芽を少し摘んで肴にします。酒は辛口のをと注文して買ってきた4合ビンです。泣けてきます一人で飲む酒は。しみじみではなく、ジメジメと飲んでいる酒ですから。
 山荘に泊まって雨戸を閉め切りますと朝一番の野鳥のコーラスは聴き逃します。このときもそうでした。それでもと義務と思っているので、午前6時にのこのこと戸外に出るのです。
 連れてきた柴犬のミーちゃんは私が起き出す気配を察してゴソゴソ動いて散歩を催促します。5月初旬の新緑の高原の朝は少し肌寒さが残りますが、酒気の残る頬には丁度よいのです。木立のなかから聴こえてくるのはシジュウカラ、ヒガラ、コガラなどのカラの仲間の啼き声です。私はどうしたことかヤマガラとは縁が薄いのです。
 晴れた朝です。新緑がまぶしい大きな灌木のなかから美しい声が聴こえてきます。コロ・チュイン・ヒィ・ツク・ホーホ・シー・チュと聴こえます。とっさには啼き声の主がわかりません。啼き声の付近でギッという声がしたと同時に2羽のキビタキが飛び出してきました。オスが追い駆けっこです。執拗に1羽が追いかけ回します。これがさえずりの主だったのでしょう。連れの柴犬メスのミーちゃんと草地に腰を下ろしてしばし休憩です。のどかであると思いました。
 キビタキは5月初旬の蓼科山麓にきていたのです。渡ってきた当初は平地にいるのですが、春が進んで夏に足を掛けるころには高原に移動します。5月初旬の蓼科山麓の野鳥の主役はキビタキでした。キビタキはヒタキの仲間で、ヒタキは古くは火焼鳥(ひたきどり)と言われており、火打ち石を打つときの音に似たヒッ・ヒッという声が地啼きです。さえずりは複雑な旋律で込み入っています。他の野鳥の声音もするので姿を確認するまでキビタキと決めつけるのはためらわれます。さえずりは明るく、その全体は下手な音楽よりはるかに上等なものです。リズムの刻み方メロディーの取り方をキビタキのさえずりから学ぶと、とてもいい音楽が作れそうです。もう誰かがしているかも知れません。
 人の踊りは動物や鳥の動作から取り入れたもののように思われますが、モーツァルトの音楽の根底には野鳥のさえずり、小川のせせらぎ、梢を渡る風の音と類似のものがあるのでしょうか。ある揺らぎは人の心に上手く作用をして安らぎをもたらすということがわかっています。

 キビタキのメスはウグイスのような色調ですが、オスは黒い紋付き姿で腰部の黄色が目立ちます。白いまゆが引かれており、胸部がオレンジということです。飛んだりして動いているときには黒い紋付きに腰部の黄色の印象が鮮明です。
 もともと生来横着者の私は朝が苦手です。寝起きでぱっと外に飛び出すのは嫌いです。飼い犬が朝の散歩をねだってもおいそれとは了解しません。そんなことで蓼科山麓で休日を過ごした1週間後には標高1900mの大菩薩峠に足を運びました。野鳥をたずねるためです。夕方4時に登り始めたのです。朝まずめの野鳥の声を聴くほどの精進をしない代わりに、夕まずめの声に預かろうというものです。土曜日の昼過ぎまで野暮な用事に追われたあとの自由です。
 霧の立ち込めた峠近くにまでいくとコロ・コロ・フィ・フィという野鳥の声がします。何の声だろうと戸惑っていましたが、双眼鏡に映ったのはキビタキでした。キビタキは他の鳥の鳴き声を真似るので、野鳥好きを悩ませます。大菩薩峠の一帯もキビタキの王国でした。
 峠の山小屋の介山壮には宿泊の登山者しかおりませんでした。山荘の主人が設置した鳥寄せ台にコガラがきておりました。小屋のおばさんが教えてくれたのです。コガラは慣れたもので人の手からも餌を啄(ついば)みます。この前きたときに居たのはヒガラでした。

 一杯気分の熟年登山者がフラフラと外に出てきて霧に包まれた山の冷気に当たっていました。夕食前のひとときです。私はアサヒスーパードライとコンニャクのおでんでほてった身体を鎮めます。この小休止で帰途につきます。
 登りのときに笹藪でゴソゴソと音がしていました。熊かイノシシだと困るので、「誰だ」と叫ぶのですが返事はありません。帰りには藪のなかに鹿がいるのを見ました。後ろ姿でしたが、座布団のようなお尻の白い毛が目立ちます。人影が消えた山道でキビタキはまだコロ・コロ・フィ・フィと不十分なさえずりを聴かせています。「もったいないもういいよ」と言ってやりました。
 鹿は暮れなずむ山道に2頭でもう一度でてきました。角は付けていません。その目を見てつぶらとは鹿の目のことを言うのだろうと思いました。しばし鹿と対面しておりました。車道に降りて車を走らせるのですが、この道は全部私のものです。もう車には出合いません。キセキレイが道に出てきてホグランプを点けた車の前を5m間隔で飛び退きながらおいでおいでをします。沿道の木立からはアカハラに似た鳥が飛び立ちますがとっさのことで特定できないのが残念です。アオジの姿は頻繁に見ることができました。もう夏になるのだと実感します。
 国道20号の笹子トンネルを抜けて造り酒屋の「笹一」の横を通るときには外はとっぷりと暮れておりました。

 


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コマドリ

○コマドリが 高原に居る 夏休み         虚心 

     



  「この世でもっとも美しく、もっとも心優しいものは野鳥たちである」と想いながらも、わが家の軒下のツバメの巣を襲うヒヨドリを目撃しますと、定義は簡単にできないものだと思い直します。
 夏休みの喧噪がなくなる高原に足を運びますと清々しさと寂しさが混在します。コマドリは信州の高原に似合う野鳥だと思いますが、瑞牆山(みずがきさん)や金峰山(きんぷさん)の山麓まで足をのばしますとコマドリの姿がよく見につきます。高原の緑の中からヒンカラカラとコマドリの声が聞こえてきます。駒すなわち馬の鳴き声に似ていることからコマドリの名がついています。6月の日本野鳥の会東京支部の高尾山の探鳥会には60名が参加していますが、コマドリの姿はなく、コマドリとともに日本3名鳥とされるオオルリが3羽、ウグイスが5羽でした。私の住まいの裏の林は大きな川を隔てて高尾山に通 じておりました。このときサンコウチョウが1羽観察されています。観察された野鳥の種類は34種でした。
 コマドリは足が長く、その声とともに赤茶色の姿態の美しさは絶品です。メスはオスよりも薄い地味な色をしています。ウグイスは啼き声に尽きますし、オオルリは羽根の美しさということになるでしょうか。コマドリが足長の何とも表現しにくい可愛いバランスの見事な姿態をしています。オオルリの姿は日本の夏の野鳥らしい均整のとれた姿態の美しさをもっています。オオルリは中国南部に渡りますから日本の野鳥という表現は井の中の蛙ということになります。
 コマドリはオオルリとともにヒタキ科に属します。スズメより大きいという人と小さいという人とがあります。コマドリの足の長さの受け止め方で違ってくるのでしょう。


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野鳥歳時記24 サンコウチョウ

○月日星  日本の夏と  サンコウチョウ   虚心

 



 8月になると台風も20号近くになります。8月の後半にきた台風の後には秋のにおいがするものです。木々の濃い緑に疲れが見えるようになりますと、夏鳥の渡りが気にかかります。
  8月の終わり近いある日の朝、「月(つき)、星(ほし)、日(ひい)」の声が聞こえてきました。あれっ、と思いつつ10回ほど声を聞いて、間違いないサンコウチョウだ、と確信して嬉しくなりました。「月、星、日」は、人によっては「月、日、星、ホイホイ」と聞こえるようです。
 裏の林で啼いたのはこれが初めてです。東南アジアから渡ってくるサンコウチョウは北日本には少ないようで、静岡県が県鳥に指定しています。夏鳥ではありますが温暖の地に多いのでしょう。歳のいった先輩が、この鳥を鳥獣店から手に入れて啼き声を楽しんだ話をよくしておりました。ツキ・ホシ・ヒイのサンコウチョウはやはり野で啼いていてこその味わいです。
 サンコウチョウのオスは30もある大きくのびた緑の尾をもっており、頭に冠羽があます。メスはこれがなく、尾も普通 の野鳥より少し長い程度です。サンコウチョウのオス・メスとも胸から頭にかけて羽毛は見事な瑠璃(るり)色です。サンコウチョウが、オオルリなどヒタキの仲間であることを印象付けます。

 

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キセキレイ

○キセキレイ 岩魚と遊ぶ  夏の川  虚心

 



 キセキレイは目立つ野鳥です。キセキレイと特定しなくてもセキレイの仲間の、ハクセキレイもセグロセキレイも人をあまり恐れないため、姿をしっかりと見ることができるから印象にのこるのです。セキレイの仲間は、長い尾を独特の調子で振り、波形に上下して飛びますし、体色の白と黒のコントラストがまことに鮮やかです。キセキレイの場合には腹部の黄色が鮮烈です。
 啼き声はツツン、ツツンあるいはチチン、チチンと聞こえます。メスの体色はオスに比べて腹部の黄がうすく、喉部の黒い大きな斑がありません。キセキレイは留鳥ですから冬も春も見られます。ハクセキレイの一部のものは渡りをしますし、夏と冬で体色を変化させますが、ハクセキレイは年中同じ体色で通 します。日本全国の河川周りに生息し、セキレイの仲間では一番標高の高いところにまで生息します。

 岩魚を釣ろうとある川に出かけて釣り糸を垂らしておりましたとき、上空の電線にキセキレイのツガイが遊んでいました。夏の日差しが水の流れにきらきら反射する長閑(のどか)な風景でした。岩魚は流れに何匹も何匹も泳いでおり、そのうちの何匹かは水面 を飛び跳ねて虫を捕食していました。同じ場所で2年ほど岩魚を釣ろうと試みましたが、岩魚は釣りバリを無視したままです。見える岩魚は気になるもので、何としても釣り上げようとむきになって糸を送りましたが、岩魚はハリに掛からずじまいです。
 その釣り場はせせらぎの音だけが聞こえる景色がいいところなのですが、岩魚と格闘している上空で、キセキレイの番(つがい)は、つど見事な黄色の体色を翻して遊んでいたのです。あたりを見渡せば釣りをするよりくつろいでいた方が幸せな絶景です。キセキレイが夏の陽光に命を輝かせているのに見ほれてカメラを取り出したのでした。

 

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ウミネコ

○海と空 境を行き来する カモメ達      虚心

 



 私の夏休み。東北地方に2500kmの旅をしてきました。青森市が旅の北端で、縄文の都と地元の人々が語る三内丸山遺跡を見物。ねぶた祭りでは若いアネコに手を引かれて、ねぶた衣装で跳ねておりました。
 私の旅の目的は沢山です。日本川紀行の撮影のためでもありますし、鮎や岩魚や山女魚を釣ることでもありますし、野鳥を見ることでもあります。またドライブを楽しむこともその一つです。でも一人で2500km走るのはなかなかキツイものです。

 この旅でよく見た鳥はセキレイの仲間です。河原に長くいたからです。キセキレイ、ハクセキレイなどですが、セグロセキレイは見ることができませんでした。カッコウが川を横切るのを見たときは感動を覚えました。
  海辺をドライブし、河口からさほど奥へ入らない場所で釣りをしていますと、一番目に着くのがカモメです。正確にはくちばしの先が赤いウミネコです。セグロカモメやオオセグロカモメもいるのでしょうが、そこまで詳しく観察することができませんでした。
 八戸港にも立ち寄って魚市場を見てきました。ウミネコが漁船と市場の周りなどでこぼれた魚を狙ってたむろしていました。漁船が港に戻るのに、ウミネコは沖からずっと着いてきます。観光船ではウミネコを餌付けして名物にしているところもあります。青い空、紺碧の海、白いカモメがおりなす夏の景色は絵になります。
 八戸港のイカは今年は豊漁でした。安さに驚いてイカのほかにアワビ、毛ガニ等をクール宅急便にしました。
 


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ホシガラス

○高原の 涼風揺らす ホシガラス  虚心

 



 2001年の夏はやりきれない暑さが続いています。夏の暑い日が続くと思い出すことがあるのです。
 まだ学生時代のことで九段に住んでおりましたが、あまりに暑いので夕方に家を発って、高原列車の小海線で佐久地方の松原湖駅に遅くに着き、長椅子に寝転んで夜を明かしました。高原駅は涼しくてまさに別 天地でした。始発のバスで北八ヶ岳に足を運び、2000m級の森を散策するという気まぐれな遊びです。中央線の茅野駅に出るルートでの行動です。
  北八ヶ岳の森は気持ちがいいところで、森林限界を出たり入ったりで、空気が乾燥していることも手伝って気持ちが自然に明るくなります。倒木樹にびっしりとコケが生えたシラビソの林でぬ っと現れたのがホシガラスでした。その姿は白いまだら模様が強烈で思わず息を飲みました。周囲に人はおらず、一瞬ではありますが、私とホシガラスの間にコミュニケーションがあったような気がします。私はオッとして「ホシガラスだ」と叫びました。そしてジンワリと嬉しさがこみあげて来ました。そういえば、昨夜駅の警邏にきた警察官に身分を確かめられた以後、誰とも会話をしていなかったのです。つまらないことを自問自答したり、時には心が空っぽになったりする半日を楽しんでいたのです。焦げ茶に白の斑点のホシガラスはカケスの仲間ですから、人を食ったところがあると言いますか、どこかに愛嬌があるのです。
  ホシガラスを見ていた時間は5分もなかったでしょう。ですがこの日私は小さな宝物を拾った気分になって心が弾んだのです。それは家に帰って以後も続いており、このようにたまに思い出すと幸せな気分になるのです。たった5分のホシガラスとの邂逅が30年以上の経た今日の私に幸せを運ぶとは思いも寄らないことでした。

 この日は山の温泉に入って筋肉をほぐし、ビールを手にして中央線の旅人になったのです。しかし、暑い東京に帰ってきたら、すぐさま高原の住民になりたいと強烈に思うのでした。ホシガラスを見たのはその一回限りです。思い出を強烈に残しておくためには、以後その姿を見なくていいと思っているのです。そういう思い出の野鳥はホシガラスだけです。

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カワガラス

○夏の渓 直っすぐに飛ぶ カワガラス    虚心

 渓流を棲みかにする野鳥ではカワセミが有名ですが、私はカワガラスが好きです。スズメよりもうんと小さなミソサザイは日本で一番小さな野鳥です。カワガラスはスズメよりずっと大きく、ムクドリに近い大きさです。ミソサザイは渓流の茂みに隠れながら、また尾羽をピョンピョンとせわしく動かして行動しますが、カワガラスはいたって鷹揚で、河原の石から木陰や別 の石に長い距離を直線的に飛行します。飛んでいった先を目で追えば次の行動を続けて観察できます。逃げも隠れもしませんよ、といった雰囲気がいいですね。カワガラスは雌雄同色です。

  カワガラスは越後湯沢の魚野川で、岩魚や山女魚の渓流釣りをしているときに雪の消える前から見ることができるのですが、私が鮎釣りに出かける道志川での記憶が不確かでした。しかし、2001年7月22日の日曜日、神奈川県津久井町の此の間沢キャンプ場前で見ることができました。キャンプ場の下流には奥相模ダムがあって、そこの崖ではカワセミが営巣しているのです。カワセミとカワガラスが棲む道志川の自然です。

  この道志川の鮎が今年は育ちません。竿をだして10分ほどで1尾捕れましたが、その後が続きませんでした。そういえば何時もは大勢の釣り人がいるのに午前8時を過ぎても広い河原に3人ほどでした。釣れないと釣り人は川に姿を現しません。鮎が釣れないということは、鮎が育っていないということであり、それはいつもの自然に何らかの変化があるということであり、短絡的な三段論法にたった帰結は、釣り人は自然環境のセンサーであるということです。30年来、この釣り場に通 っているという元気な73歳は、鮎がこんなに育たないことはかつて無かった、と言っておりました。この人は山女魚を3尾ほど釣り上げていました。

  カワガラスは川底の石を足でつかんで、地上にいる姿勢のまま川虫をついばみます。山女魚は川虫が石から離れて流下するのを待ち受けて捕食します。川虫が流下する道筋は流れが決めますから、その流れに餌をお送り込むと山女魚が釣れるのです。アマゴも同じです。岩魚は少し違います。

  鮎も川虫を食べますが、少し成長して歯がコケを食むのに適したように独特の形状に変化すると、コケと呼ばれている珪藻類を主食にします。川虫もまた珪藻類があって育つのです。自然の連鎖の妙ではありますが、何かの異変で鮎が育たないと私の夏の楽しみは減るのです。

  釣れない鮎釣りに空疎な時間をもてあましたいましたらに、カワガラスが目の前を過(よぎ)りました。魚野川で見慣れたあの茶褐色のワガラスを道志川で目撃できたので、うれしくなってしまいました。目を川から上げて周りを見ますとそこは素晴らしい景観でした。偏光サングラスを通 しますと木立や山の陰影、そして空の青さと雲の白さが冴えわたります。こんなに綺麗な自然のなかにいたことをカワガラスが教えてくれたのです。


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コゲラ

○山ゆりの 匂いに踊る コゲラ二羽     虚心

 山百合の花が盛んです。住まいのある神奈川県相模湖町が定めた町の花が山百合です。山影の斜面 の山百合の茎が道に向かって茎が伸びたと思ったら、大きな白い花が咲き出しました。山百合の花は単純に白いのではありません。花びらのなかほどに黄色い縞がとおり、そのあたりに赤い粒が転々と刺しています。山百合の花は、この黄色と赤い転々と異様とも思える赤い花粉で威張っているのは凄みでもあります。カサブランカの白いだけ、大きなだけというのは人工的にみえて面 白くありません。

  その白い山百合を見ながら、この花に似合う野鳥はなんだろうと考えておりました。山百合と一緒にすると味わいの出る夏の野鳥となるとこれが難しいのです。 

 そんなことを考えている間にヒグラシが鳴き出しました。最初に聞いたのは7月1日ですが、裏山の杉の木立から声がしたのは7月15日でした。そのとき一緒に声を出したのがコゲラでした。低いジュジュという声です。 

 コゲラは遠慮がちに啼き、クルミの木をコツンコツントつついています。地味な姿をしており派手な行動をしないのがコゲラです。姿も白と黒の縞模様でオスは目の後方にわずかに朱をいれています。白と黒の間には茶が混じりますが印象には残りません。スズメよりわずかに小さい身体です。このコゲラが私の家の周りに姿を見せるのです。 

 コゲラは留鳥ですから秋にも冬にも春にもいます。郊外の民家の近くででも生息している野鳥ですから、目撃することが多いものです。


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  カルガモ

○オニヤンマ カルガモのそば すいと飛び    虚心

 日本の夏に居残っているカモがカルガモです。というよりもカルガモは留鳥です。家の近くには相模湖と津久井湖があり、ここに幾筋もの沢が流れ込んでいます。5月過ぎにヤマメを見た阿津川にカルガモの番(つがい)が姿を見せていました。

  カルガモは水草を主食にしています。湖面が凍結しないところなら、その界隈に居着いています。皇居のお堀近くの丸の内のビルで子育てするカルガモが有名になっていました。カルガモというとこの丸の内のが印象に強い方が多いかも知れません。

  このところ30℃を超え、35℃に達する暑い日がつづいています。朝晩の涼しい時間帯に犬との散歩をしながらカルガモと対面 する毎日です。カルガモのそばをオニヤンマがスーと真っ直ぐに飛んでいきます。そして急反転も見事にこなします。オニヤンマは飛行の達人ですね。川トンボが茶色のはねをゆっくり動かしてユラユラ飛んでいるのとは対照的です。シオカラトンボの飛び方とも違います。

  6月末日に蛍の出る沢に蛍狩りに出かけましたが、今年は2週間前が最盛期だったと居合わせた人が語っていました。

  マガモなどは冬の鳥ですが、留鳥のカルガモは夏の鳥とうことでいいのだと思います。カルガモは地味な野鳥です。しかし、この地味さが味わいでもあります。ところで冗談ではありますが、カルガモは食べたらうまいのでしょうか。

  カルガモの句をもう一句。
 ○陽炎に カルガモ揺れる 巣立ちの日     (読み人知らず)

 

 

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アカハラ

○アカハラの キョロンキョロンに 夏盛る    虚心

 この夏はアカハラが裏の林でよく啼きます。家の前の電線にも飛んできて大騒ぎです。春から夏にかけてウグイスとアカハラが歌声を競っています。

 アカハラのキョロン・キョロン・チィーにウグイスは負けたくないようです。今年のアカハラのはしゃぎ様は何が何でも人の気を引きたいものと思えたので、写 真を撮ってやりました。400mmの望遠レンズで十分に足りました。

  アカハラはツグミを少し小さくした体型をしており、腹部の茶色はアカハラの名の由来でしょう。写 真を撮ったのは顔に白い筋模様のあるメスでした。オスは黒い顔をしており、腹部のアカと対照的です。アカハラは漂鳥ですから、秋にも冬にもいます。一部のものは南に渡るそうですが、秋や冬の枯れ木の林で出会うアカハラは人を和ませてくれます。

  串田孫一が描くアカハラに感動した記憶があります。アカハラは串田孫一によって人の心にしみいる野鳥になったのです。それほどアカハラを見事に描いています。あるいは私だけが特別 に感じ入ったのかも知れません。串田孫一によって私のアカハラへの親しみと憧れはふくらみました。




 山の林で出会うアカハラが家の近くに来て、この夏の主役はボクだよとばかりに大はしゃぎです。そのアカハラがこお何日か静かなのです。産卵したのか、育雛しているのかと想像をします。何にもなければいいが、と少し心配にもなります。

 

 



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 ヨタカ

○キキキキと ヨタカが啼いて ホタル舞う     虚心

 ヨタカはヨタカ夜鷹科のただ1種類の鳥です。日本列島には夏鳥として渡ってきます。日本に来るヨタカは中国以南に渡りますが、ヨタカはアジアノ東南部に分布しています。

 いくつも種類があるフクロウ科とは異なり、1種類というのは運命のいたずらで生まれいでたとしか思えないのが、いかにもヨタカらしいところです。

 宮沢賢治はこのヨタカを見事にえがききっております。ヨタカは口を大きく開けて飛びながら夜行性の昆虫を捕らえて餌としています。姿も形も習性も本当に変わった野鳥がヨタカです。生きているのが申し訳ないと思っているようなのがヨタカですが、賢治は世界で一番ヨタカを理解していた人だったでしょう。

  ヨタカは地上の草むらに直接に卵を産みます。巣わらのようなものは敷かないのです。日本野鳥の会創始者の中西悟堂はそうしたヨタカの習性を面 白がって観察しています。 

 私の住まいの裏の林の中でヨタカが啼き出しました。キョキョキョキョ、キッキッキッキィと夜に啼きます。夜更けと未明にその声をよく聞きますが、真夜中にも啼きます。人によってはその声をコンコンコンと表現します。私の耳にはホトトギスのキョッキョ、キョカキョクを単調な啼き声にしたものとして届きます。

  ヨタカが現れて夏がきました。梅雨時の蒸し暑さに耐えながら、「夏は暑いのだ」とうわごとを言っている私です。


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ゴジュウカラ

○コロコロと 夏至の朝告ぐ ゴジュウカラ    虚心

 夏山登山で八ヶ岳にはよく通いました。赤岳鉱泉のテント場まで標高をかせぐと翌日の行動がうんと楽になります。

  ゴジュウカラとの出会いはここでの野営のときでした。ゴジュウカラの啼き声は、私の耳には「コロコロ」と聞こえるのです。これはとても鳥の声とは思えません。6月の夏至のころに八ヶ岳に出かけたときのことでした。「コロコロ」という啼き声は、コオロギにしては時期が早いしおかしいなと思いました。夜も明けきらないうちから「コロコロ」と耳に騒がしいのです。この啼き声は「チッチッチッ」と聞こえる人もあるそうです。これは地啼きで、さえずりは「フィーフィーフィー」なのだといいますが、私の耳には「コロコロ」に「チッチッチッ」を混ぜたような啼き声にしか聞こえません。この不思議な声がまたかしましいので、テントの中から覗いていましたら、木の幹を頭を下にして歩きながら「コロコロ」と啼いている鳥がいるのです。これがゴジュウカラでした。

  八ヶ岳の行者小屋付近は、赤岳鉱泉とは離れておりますが、こちらは白骨樹が林立して異様な風景です。赤岳鉱泉を起点にして、硫黄岳に向かうと夏至のころにはまだ雪が残っています。その雪が消えた石ころだれけの平らな場所にはコマクサが桃色の花をつけています。そしてさらに進んで赤岳山方面 に向かう岩場には、人を怖れないイワヒバリが「ピョピョピョ」と啼きながら姿をみせてくれます。赤岳付近はイワヒバリが多いのです。雷鳥は八ヶ岳ではみることができません。ヨーロッパアルプスでもイワヒバリをみますが、日本のイワヒバリの方が可憐ですからで私は好きですね。雀もヨーロッパのものより日本のものがいいですよ。

  八ヶ岳に出かけますとゴジュウカラ、白骨樹、コマクサ、イワヒバリと衝撃だらけです。下山ルートを清里方面 にとりますと、夏至のころには途中の美しの森のレンゲツツジは見事ですし、清泉寮に立ち寄りますと軒下にイワツバメが巣を掛けています。清泉寮は今は混み合いすぎておりますが、いいところです。

  夏はいいですね。昼が長いことなどもあって私は大好きです。


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 シロアジサシ

○アジサシが 空に留まって 夏開く    虚心

 6月1日、多くの川では鮎が解禁になります。鮎師たちのなかにはまちこがれるあまり川で夜を明かす者もいます。私は自宅近くの相模川の様子を解禁前から観察していましたが、いつもはみえる鮎の姿がないのです。当日は相模川の要所をみてまわり、釣れていないことをが確認できましたから、酒匂川に足をのばしました。竿を出したのは日が高くのぼった後のことです。

  酒匂川は相模川より水の綺麗さがづっと上ですから、鮎の味もいいのです。川につかっていますと岸辺の葦のなかから、オオヨシキリのキッキッキッあるいはギョギョギョという激しい鳴き声が聞こえてきました。オオヨシキリは河原のカシマシ屋さんという趣です。それでもオオヨシキリの声は、河原に活気を呼び起こす夏の風物詩です。

  オオヨシキリの鳴いてる夏はいいなあと思っていましたら、竿の上空をアジサシの仲間がゆっくり舞っていて、それがいかにも優雅なのです。シロアジサシでした。コアジサシやアジサシには羽根には灰色が混じていますし、目や頭の一部は黒いのですが、このアジサシにはそれがありません。どこも真っ白で優雅に飛ぶ鳥はシロアジサシでした。シロアジサシは熱帯地方の海域に棲んでいて、日本では迷鳥として取り扱っている野鳥です。

  迷鳥をみるのはさほどうれしいものではありません。一羽や数羽では仲間が少なすぎてさみしいだろうと思えるからです。 

 

 

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ホトトギス

○ホトトギス ひねもす啼いて 夏は来る     虚心

 このところしきりに裏の林でホトトギスが啼きます。 

 ホトトギスの啼き声をよく「特許許可局」と表現しますが、私の耳には「トッキョ キョキャ キョク」と聞こえます。「テッペン カケタカ」と聞こえる人もあるそうです。 

 ホトトギスは「卯の花の匂う垣根に 早も来て啼きぬ」野鳥なのですが、その啼き声の「トッキョ キョキャ キョク」は風情に欠けます。人の気を引く啼き声に生まれた野鳥の代表格ですね。仲間で親分格のカッコウは、よくとおる声で「カッコウ カッコウ」と初夏から夏中、野山や高原でひねもす啼き続けます。 

 カッコウは声のする方に目を向けると、羽根を下げ尾を振り上げて啼いている姿を見つけることができるのですが、ホトトギスの場合は啼いている場所の特定が難しいのです。ホトトギスは夜にも啼きますし、朝早くにも啼きます。もちろん主に昼の啼くのです。夜になく野鳥にヨタカがあり、「キョ キョ キョ」というヨタカの啼き声は、ホトトギスと音程が同じで、頭の音を取ってしまうとよく似ています。野にはもう夏鳥が渡ってきており、にぎやかに合唱をはじめました。

  5月最後の週末に今年初めての鮎釣りに静岡県清水市の興津川に出かけました。地元のNHKテレビが来ていて私が釣り上げた16センチ(メートル)の綺麗な若鮎をビデオにおさめていましたが、その日の夜9時前の地元放送で私の釣り姿とともに若鮎がテレビに出ました。感激です。


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カワセミ

○カワセミが 突っ込んでいった 夏の森       虚心

 カワセミは清流の鳥ですから、カワセミは自然の象徴にもなってしまいます。

 東京神田の駿河台下の交差点にある書泉グランデのビル屋上の大看板にはカワセミが描かれています。三省堂が近くにあり、古書街の天空に翡翠(ヒスイ)と青を身にまとった極色彩 のカワセミがいるのです。現代人の自然観をどんな形かで現しているのでしょう。

  夏の休日の多くを私は鮎釣りのため川で過ごしております。

 相模川支流の中津川や道志川でカワセミをよくみかけます。中津川は宮が瀬湖を水源にするようになりましたが、愛川町を下って厚木市で相模川に合流します。道から隔たった愛川町の河川にもカワセミは棲息しています。ここではスズキジムニーが優勝者に贈られる鮎の友釣り大会が開かれているのです。昨年の大会の折りも、カワセミは竿をだしている流れの頭上の枝に陣をはっていて、ピョコン、ピョコンと飛び込んでは小魚を捕らえていました。

  のどかだなその景色にしばしの間、仕合わせを感じておりました。大会での釣果 は私のホームページの鮎釣りの欄に掲載しておりますが、スズキジムニーははるか彼方の存在でした。 

 野鳥とつきあうとき、野鳥を遮二無二見に行くというよりも、自然との遊びのなかで出会うことの方が人の側に余裕があっていいですね。

  鮎釣りをする道志川の此の間沢キャンプ場の下流の奥相模ダムへの流れこみの崖にもカワセミは営巣しています。監視員さんは人のこみあわない場所で、検札の合間に鮎を釣っているのです。監視員さんはあるときはこの場所でほくそ笑んでいました。その年、その季節に釣れる場所を知っている監視員さんの行動は釣り場センサーでもあります。

  せせらぎの音だけが聞こえる自然のなかでカワセミと遊ぶのは贅沢というものかも知れません。 


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カワウ

○漁り火(いさりび)に 幽玄の影 鵜飼漁    虚心

 上野の不忍池にたむろするのはカワウで、ここはカワウの集団繁殖地になっています。

  長良川の鵜飼いに用いられているのはウミウで、茨城県や千葉県で捕獲したものを訓練するのです。ウミウはカワウより身体が少し大きく、潜水能力にすぐれています。鵜飼漁にウミウが選ばれている訳はどういうことからでしょうか。

  私の住む神奈川県の相模川では昭和30年代まで鵜飼漁が行われていました。使われたのはウミウで茨城県、千葉県、静岡県で捕獲されたものを買い求めるのです。ウミウを捕獲するのにオトリを用いるのだといいます。 

 ウミウは北海道の天売島や三陸海岸で繁殖します。この地に留まる個体もありますが、天売島では厳冬期の個体数は繁殖期よりもうんと減ります。ウミウは冬には南に移動し、三浦半島の城ヶ島などにも多く渡ってきます。 

 カワウの寿命は長いようで標識調査では14歳の個体の記録があります。カワウは10年は生きるようですから、この間にさまざまな智恵をつけます。

 相模川では集団での狩りが実行されます。一部のカワウが上流から川魚を下流の浅瀬に追い込んだところを待機していた集団で一斉に襲うのです。浅瀬はまさに修羅場。バシャバシャと壮絶な戦闘が繰り広げられます。戦闘時間は10分ほど。突然の一幕にはあっけにとられます。夢を見たかのようですもあります。

  相模川のウミウのねぐらは津久井湖、宮が瀬湖、相模川の河口部などです。周辺の集団繁殖地ということになると不忍池、千葉の海浜、東京の第六台場、浜離宮などです。相模川にはねぐらから飛来するもののほか、集団繁殖地から通 ってくるものも多くいます。

  カワウの集団繁殖地としては琵琶湖北部の竹生島、愛知県の鵜の山などが有名ですが、相模川には滋賀県や愛知県で生まれたカワウがかなりの数移動してきます。

 滋賀県の竹生島からは950日、1320日、愛知県の鵜の山からは219日という移動期間であったことが標識調査で確認されています。

 竹生島のカワウは、京都にいるときは「忍(しのぶ)」と呼ばれたりして、各地の河川「倶楽部」を渡り歩いて、東京近くの相模川に流れてくるのです。

 日本列島のカワウは地域間交流をすることで繁殖力を維持しているのでしょうか。いまカワウは他の野鳥を押し退けて増えています。竹生島に共生していたサギは樹上の営巣地をカワウに追われて、地上で繁殖しています。竹生島ではカワウが増えた結果 サギは5分の1に減少しています。

  カワウの鮎など内水面漁業に及ぼす被害が問題になっております。

 群馬県ではカワウ被害を解消する策として、銃による駆除のお金を1200万円調達したのですが、これに大喜びした地元猟友会は稚鮎をまだ放流していない2月、3月に予定数のカワウを撃ってしまいました。群馬県の稚魚放流は4月にはいってからのことであり、カワウは東京からその後も流入するのです。カワウ一羽を撃ち落とすのに20万円のお金が使われたのですが、これが皆無駄 になってしまったと鮎釣りで有名な地元の名手野島玉造氏がたわいでいました。 

 私の住まいは津久井湖とその上流にある相模湖をつなぐ相模川沿いにありますが、カワウは朝には上流に菱形の体型をつくって飛んでいきますし、夕には同じようにして戻ってきます。相模川では6月1日の鮎釣り解禁を前に、主要な釣り場にカワウ避けのスチール線を張りめぐらしています。

カワウたちはいまは害鳥の扱いを受けていますが、1970年代には減少をつづけていたのです。1971年には関東で最大だった千葉県の大巌寺(だいがんじ)にあるコロニーが消失しています。これはカワウの生活環境と関係がありそうです。埋め立てで餌場が減ったこと、廃油等で羽が汚れること、化学物質の汚染蓄積で繁殖力が低下したことなどが原因だったようです。それからカワウのコロニーは移動するということがあるようです。

(横田俊英、日本野鳥の会会員) 

オオバン(大鷭)(12月)

コブハクチョウ(12月)(コブハクチョウの姿態のいろいろ。バレーの白鳥の湖の様子を思い浮かべる)

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