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夏7月の猛威、何もかも藪が覆ってしまうのが日本の自然です(7月26日 執筆 横田俊英)

(副題)農家が休憩用にプレハブ小屋を使っているのをみるとこれが私の住まいにふさわしいように思われます

 山に木を植えることが自然を守り自然と共生し、ひいては地球環境にやさしいことであるとされているようですが、私が住む相模湖では植えられた杉や檜の維持管理に手が回らないので森林ボランティアによる枝払いなどが行われております。ボランティアはまだ数が少ないので樹木の要求を満たすことはとてもできません。

 山や林のことは東大教授だった高橋さんことドロガメさんの話をラジオで聞いたことがありますが、自然というものの生態のはかりしれない様子がこのときの印象です。森や林と日本人の性格を関連づけてそれがない国や地域と比較する森林学者の文章を読んだことがあります。切ってもまた生えてくるのが温帯地方の日本の特質です。経済樹木は植樹からすべてを管理しなければなりませんは、自然林の場合の総合の管理は難しいことであるようです。

 私が住む家の相模川に下る斜面には杉や檜が植えられておりますが、管理の手は及んでいません。下枝はのび放題で間伐も行われた形跡がありません。森林とそこにある樹木が建築材料などになるための経済条件が崩れてしまっているのです。

 山をみてその森や林にはお金に換えられる樹木が植えられているかをいつも考えるようになりました。林は経済樹木だけで構成されるというわけにはいかないようです。森や林は灌木というように木が集合することで大きな自然のダムとして機能します。そうしたことに木の経済を見いだして管理するようになってきているようですが、山の個人所有ということがあるので、森をそのままでダムにすることは単純ではありません。

 エチオピアでは森を失ってしまったために食料の生産ができなくなり飢餓に見舞われております。日本の飢饉は気候変動によってもたらされ、東北では山瀬がつづくと飢饉になり一揆が発生すます。

 森の木は朽ちると腐ります。私が人に貸している家も柱は腐るかも知れません。リホーム会社のセールスマンは床下の湿気が多いので腐っていると述べるので、床下工事をしたことがあります。別のセールスマンの同じ要求を断ったら「この家の床下ほかの状態は非常に悪い」という言葉を電話で言ってきました。知り合いの建築士に調査させたらそのようなことはないことがわかりました。悪徳セールスマンの床下が腐っているという言葉を聞かされて、木は腐るし、森の倒木も腐るということを思い出してしまいます。いずれにしても私の家は腐っていませんでしたが、内外装の本格的なリホームをその建築士に頼んで行いました。

 腐らない家をつくることが私の関心事です。八ヶ岳や蓼科の別荘地の建物を見て回りますと、使われない家は傷んでおります。人が使わない家はすぐ腐るといいますが、日本の湿気を大量に含んだ気候風土ではそのようになります。

 家が腐るんならいっそのこと腐ってもいいような家にしたらいいのではないかというもの理屈です。縄文時代以来の竪穴式住居の寿命が何年か知りませんが、簡素な家なら腐ったら造り直せばいいのです。モンゴルの遊牧民はゲルという組み立て夏場は移動式のテントで生活します。

 「徒然草」の吉田兼好こと兼好法師や、「その家の広さはわずかに方丈、高さは七尺がうちなり」の「方丈記」の鴨長明や、西行や松尾芭蕉などのように家らしいものに住まわないという方法もあります。松尾芭蕉は深川庵をでた後は人の家に泊まり歩いていたのです。

 「晴耕雨読」などとのんきなことをいう人がいますが、隣の畑の持ち主のEさんも、家の前のHさんも畑に一日中立ちつくさないと恵みを得ることはできません。軟弱な勤め人が真夏の炎天下で草むしりはできませんし、早起きして畑に鍬を入れることも難儀なことです。

 私は畑を2畝だけ耕して、野菜の生長を観察することを楽しんでおります。日本の自然は藪山の自然です。放っておけば家も畑も藪のなかに埋もれてしまいます。近くの畑に建てられた農具置き場をみたり、使われなくなったプレハブ小屋を休憩室に使っているのをみると、私の住まいにはこの程度のものが似合っているように思われます。

 軟弱な精神と肉体の私には晴耕雨読など遠く及ばないことですから、どのようにすれば隠者のような生活ができるのでしょうか。経済活動をしなければ収入はもたらされませんので、何らかの収入をもたらす真っ当な経済活動をしなければなりません。人に役立つ仕事をして少しの収入を得て生きていくのです。そのような仕事を模索しております。

 夏が盛りを迎えるころに畑や道路脇の雑草や樹木の急成長をみていると自然の力の強さに圧倒されます。雨にも負けて、夏の暑さにも負けて、人に苦にされてばかりいる私ですから、強い人ばかりではなく、弱い人でもなんとか生きていける方法はないかとときどき思うのです。

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