旅行家 甲斐鐵太郎の自然博物誌 No.05 上高地の自然探勝路でニホンザルの群れと出会う(8月22日)
(副題)母猿は私の横を通過するときにガッと牙をむいて威嚇した
エッセーの部屋


【写真】 写真は8月21日、上高地の自然探勝路で撮影したニホンザルの親子。人も前で小猿は母親の乳を飲んでいる。人を恐れない猿たちである。この界隈ではよく猿の群れをみているので、8月も9月も11月も12月も1月も2月も3月も4月も5月も6月も7月も猿の群れをみることができる。 
 
(本文)

 これまで10度ほどは訪れている上高地で、猿に出会ったのは初めてのこと。明神池の嘉門次(かもんじ)小屋で1匹900円の岩魚(イワナ)を肴に700円のビール大瓶を開け、600円のもりそばを食べて良い気分になっていた。上高地にもどる途中で、ニホンザルの群れが治山運搬路に現れた。2匹ほどが先を歩いていてその後に10頭ほどのメス猿が子猿を連れて悠々とついていく。猿たちは道ばたの熊笹(クマザサ)の新芽を引き抜いて食べている。警戒すると母親の背中に乗ったりお腹にぶら下がっている子猿たちも、危険を感じない時には道ばたを歩き、親たちと同じように熊笹の新芽を食べる。私も新芽の味はどのようなものかと試すと、柔らかくて少し甘みがある。道にとぐろを巻いている猿の糞は緑色をしていたから、熊笹をよく食べた結果であろう。群れのボス猿の首には発信器が取り付けられていた。この群れにはほかに2頭のオス猿が連れ立っていた。

 生意気に母親と離れて歩いていた子猿が立ち止まっている私に警戒して、キーキーと鳴くと、前を歩いていた母親が戻ってきてガッと声をだして私を威嚇した。子猿をいじめたと思われたらしい。人に勘違いされるのには慣れていても、猿にまで勘違いされるのは初めてで、大いに戸惑う一瞬であった。

 東京の都心にも野生のニホンザルが出現することがしばしばある。ニホンザルは下北半島から屋久島まで、本州、四国、九州の各地に分布している。ニホンザルが食べるのは主に植物で、春は新芽、若葉、草、秋には果実や木の実を食べ、昆虫も食の対象になる。人が栽培している畑を荒らしたり、軒下から「盗み」を働くこともある。東京近郷に住む知人は夜遅く帰宅する途中で、決まって猿に威嚇されると話していた。この地域では無線受信機を積んだ軽自動車で猿の群れを観察している。

 日本の野生猿の総数はどのくらいであろうか。山梨県が2007(平成19)年7月に制作した「山梨県特定鳥獣(ニホンザル)保護管理計画」のなかに、「生息実態調査の結果、県内の生息数は3,500〜4,000頭、群れの数は70と推定された」とある。2007(平成19)年6月の山形県内の調査では「ニホンザルの群れの数および生息数は、100群前後、約3,000頭と推定されている」とある。ニホンザルは北海道と沖縄県にはおらず、都府県によって生息数が違うので、大まかな推計しかできないが10万〜30万頭ほどになるだろうか。そういえば、縄文時代の人口は一番多いときで30万人くらいであったという。現在、日本の総人口は1億2千万人を超えている。サルと人の人口を比べてみると、サルの生活が現在もほとんど変わらないのに対し、人は道具を発明し、それを使うことによって農業や工業を興し、生産量を飛躍的に増やしてきた。現在のサルと人との数の違いをみるとき、両者の歩んできた歴史の違いが明らかになる。

 (写真と文章は旅行家 甲斐鐵太郎) (書き殴って読み返しておりません。誤字、表現の不適切さなどについてはご容赦を)

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