ツクツクホウシが鳴き出すと夏休みはもうすぐ終わります(8月20日 執筆 横田俊英
エッセーの部屋

(副題)自然に感動を覚えることができる状態の人は仕合わせです

(副題)健康を賛美するのは良いですが、健康を害していて、苦しみながら生きている人もいるのです
(本文)ツクツクホウシが鳴き出すと夏休みはもうすぐ終わります(8月20日 執筆横田俊英)

 甲子園野球の決勝戦がある日、相模湖の住まいの周辺の森ではツクツクホウシが鳴き出しました。アブラゼミがジー・ジリジリとときおり鳴き出したのは一月ほど前です。つづいてヒグラシが裏の林や道沿いの林でカナカナと鳴き出しました。クマゼミは2週間ほど前からシャーという鳴き声をだしております。ツクツクホウシが鳴き出すと夏休みももうすぐ終わります。

 昨日は家族の一人がこの夏本物のモモを食べていないとというので山梨県牧丘村に買いに行きました。隼温泉の湯につかるのとあわせてのドライブです。ブドウもそろそろだと思って馴染みにしている道沿いのブドウ農園を探したのですがありません。車を引き返すとそこははコメリというホームセンターが建っていました。塩山高校の近くです。

 国道20号線に抜ける沿道の農園が店を開けていましたのでそこでブドウとモモを買いました。国道沿いのブドウ農園の販売は高いと思っていたのであまりよりませんでしたが、このお店は国道沿いでなかったこともあるので、値段的には了解できるないようでした。お茶がでてモモがでてブドウがでての試食をさせてくれました。

 ブドウはまだハウスものだということでした。モモは大きさによって値段が違います。隼温泉では等外品のモモを100円で売っていますが、こちらは本物でした。満足です。今年は天候不順によってモモのできが悪かった農家があったということで、いつも贈ってもらうモモが届きませんでした。

 牧丘村は甲斐市となりましたがこの日はすごい夕立がありました。そうすると熟しかけたモモがぼろぼろ落ちてしまうのだとお店の人が言っておりました。天候は農家にとって恵みと災いの種です。

 家の隣の小野沢農園のブドウは大きな房をつけておりますが、露地栽培なのでまだ収穫されておりません。私の住まいが牧丘村と同じ気候であるとすればここのブドウも美味いのでしょう。

 隼温泉の休憩所からは富士山が見えます。夕立の後の晴れ間に南の空に富士山が見えておりました。女将にあれは富士か、中央部の突起があるので違うのではないか、と聞いたら富士山であるということでした。富士山は見る場所によって頂上部の姿が少しずつ違うようです。 そんな会話を女将としていたら登山帰りに食事をしていた一組がどれどれと集まってきておりました。

 この日私は3台のカメラの試験撮影をすることにしておりました。
 キャノンのデジカメに取り付けたペンタックスの28ミリ(メートル)レンズのテストです。そしてキャノンのフィルムカメラ、イオス1Nです。もう一つ、オリンパスペンFTと38ミリ(メートル)標準レンズと変換アダプターを付けてのニコンの50ミリ(メートル)f1.8レンズのテストです。

 このレンズとカメラのテストはレンズを通して自然を見つめるという形で行うのが理想です。カメラをもって自然のなかに出かけると景色をよく見ようとします。自然は自然ですが、その自然のどの部分に自分が感動するかです。感動にカメラを向けるのは楽しいことです。

 カメラに求められる機能は感動を写し取ることができることです。小さな花に感動するとミクロを写し取る機能を持ったレンズの出番となります。景色を精密に写し取ろうとするとフィルム画面の大きなカメラの出番となります。何でもかんでも1台でまかなおうとすると35ミリ(メートル)カメラにズームレンズをつけることです。

 写真を撮る気分を盛り上げることもよい写真を撮るための方法です。
 ある有名なカメラマンはさまざまカメラを持っております。私が新たに手に入れた「オリンパスペンFT」というカメラもそのカメラマンが持っていたものです。リンホフテヒニカといる画面サイズの大きなカメラとカールツァイスの3本レンズもありました。これは私が知っている別の人に渡りました。
 そのプロカメラマンは70歳を過ぎておりますが、3,000万円を超える金額のカメラを保有しているのです。撮影の仕事が減っているのとデジカメで仕事を済ますことができるようになると、これまでのカメラが実用として機能する場面が減っているのでしょう。

 テクノロジーの進展は古いテクノロジーを否定してしまいます。カメラも古いテクノロジーの時代のものは使うことはできますが、業務用として写真を撮る場面ではデジタルカメラの時代に突入しているのです。

 デジカメで写真はよく撮れますが、撮る意欲をかき立てるデジカメは多くはありませんし、選択の幅も実質上狭いものです。

 写真を職業としない者が楽しむことで写真産業が成立しているのです。人は写真によって映像を記録することで自分の人生や社会の様子を思い出として残してきました。いまの人よりも昔の人の方が自分の映像を残す1枚の写真に対して真剣でした。いまの人はスナップ写真が撮れますから、何となく写真が残ります。気軽に撮った写真も後で見返すと貴重な記録であり、それには人生の一こまが残されていることがわかるのです。

 オリンパスペンFTとプロカメラマンがなで放出したかしりませんが、私は高校生のころに欲しいと思って憧れていたカメラ屋のショーウインドーの先にあったこのカメラを手に入れることができたのです。このカメラを買おうと思えば以前にも買うことができたのですが、何となく機が熟したということでしょうか。

 ハーフサイズカメラのオリンパスペンFTは今の時代では小さな1眼レフではなくなりました。それでも一眼レフカメラに頭部の三角形がないので新鮮です。35ミリ(メートル)フィルムの縦の部分を使うのでプリズムを頭の部分にもってこないで済むことと、ポロプリズムという方式を採用したことで頭部の突起をなくすることができたのです。

 私はこのスタイルに憧れて高校生のころ、学校の行き帰りにカメラ屋さんの陳列窓のこのオリンパスペンFTというカメラに夢を見ていたのです。そのカメラが美しいと思ってみていたのです。

 化学の分野に秀でていて東大の入試の化学で100点満点を取る友人が、オリンパスペンFTのメカニカル機構の優秀性を説くものですから、私にはこのカメラが神々しく見えてしまうのでありました。

 ニコンやキャノンは買おうにも値段が高すぎたので対象外でした。またフィルムや現像焼き付け代が高い時代でしたから、ハーフサイズカメラが魅力的でもあったのです。ニコンFなどは露光計が組み込まれたファインダーが頭部に付くと何ともグロテスクに見えました。大きく重いというニコンやキャノンには魅力を感じなかったのです。そのようなことでオリンパスのカメラたちは私の目には輝いて見えておりました。そしてオリンパスペンFTを買うことができたらどんなにか嬉しいことか、という状態でした。カメラ屋さんやデパートでは欲しいカメラをショーウインドー越しに見ているだけで、手に取ることはありませんでした。いくら憧れても買えないカメラを買うようにそぶりで見せて貰うと言うことはできませんでしたし、お店の方も高校生にそのようなことをさせる雰囲気ではありませんでした。将来に決して明るさを十分に見いだせない高校生の不安な気持ちは、オリンパスペンFTというカメラに憧れることで癒されていたのでしょうか。オリンパスペンFTを売っていたカメラやさんはもうそこにはありません。

 ときは過ぎて大学生であった私がなけなしのお金で月販を利用して買ったカメラが同じオリンパスの35ミリ(メートル)カメラのオリンパスOM−1でした。オリンパスペンFTを手にするにあたり、オリンパスOM−1とニコンELとニコンF801を供出しましたが、それではまだ足りないのです。オリンパスペンFTは私にとって今なお高いカメラの地位にあります。

 私はオリンパスペンFTを何台かのほかのカメラと一緒に担いで自然を見つめます。オリンパスペンFTのハーフサイトという特性は気軽にバチバチと写せることです。できるならばリバーサルフィルム(カラーポジ、カラースライドフィルム)で撮影したいのですが、ラチェードといって露光範囲が狭いこのフィルムを使うにはオリンパスペンFTの露光計は性能面と機能的なことで十分とは言えないのです。リバーサルフィルムはキャノンのイオス1Nにつめて使うことになります。できることならリバーサルフィルムをオリンパスペンFTに入れて使いたいのです。

 デジカメは私のメインカメラです。キャノンのイオス・キス・デジタルがそれであり、これにフィルムカメラ時代の好きなレンズを付けて焦点あわせを手動のマニュアルで使うのです。

 実はこのような遊びをオリンパスペンFTにマウントアダプターを付けてニコンやら木かマウントやオリンパスのOMマウントで楽しもうと考えているのです。

 自然を見つめる動機付けとしてカメラを利用しているのが私です。カメラが増えるのこのような訳からです。プロカメラマンがカメラを増やすのもこのような理由からです。

 自然は感動に満ちております。自然は優しさと厳しさを持ち合わせています。人の暮らしの横にある経済も同じです。経済的に苦しいことが多いのが人の暮らしです。健康も同じです。健康を賛美するのは良いですが、健康を害していて、苦しみながら生きている人もいるのです。

 自然に感動を覚えることができる状態の人は仕合わせです。

 

 
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