「もうカメラはあるじゃない」と言われてもまだカメラが欲しい症候群(執筆 横田俊英)
エッセーの部屋

「横田さんもうカメラはあるじゃない」が会員制カメラ屋さんの挨拶(執筆 横田俊英)

(副題)「それを言われたら私はカメラ屋さんに来れないじゃない」と述べてリポビタンDを3本飲むのだ
(本文)「もうカメラはあるじゃない」といわれてもまだカメラが欲しい症候群(横田俊英)

 世の中にはさまざまな人がいる。カメラ好きというのは世の中では目立たないが変わり者の一つであろう。普通の人が日本のカメラ産業や世界のカメラ産業の歴史の産物とも言うべきカメラを闇雲に収集して悦にいっているのだから、本人はそれで大いなるよろこびをかみしめていることであろうが、端から見ていても滑稽なことである。

 計量器の世界にもコレクターという人々がいて、人生のすべてをかけるようにして集めたその収蔵物は私の目からはただのガラクタなのだが本人も周囲も意義あることであるように褒めそやすものだから、当の本人はそれだけで再度舞い上がり、自分を肯定し、自分の人生を肯定し満足しているのである。そうして集めた計量器を閲覧させる「博物館」開く人は日本に五指を超えるからめでたい人々がいるものである。

 博物館というものは名もない美術館と同様に人を集めない。地方ごとに民族だの考古学だの美術だのという館があって私も旅のついでに足を運ぶのであるが、平日に訪れると大概は私一人ということが多い。

 日本人の熟年と老年世代の多くはカメラフェチである。自分が育つ過程でカメラはつねに憧れの存在であり、買いたいモノを買えずに代替えの品物で自分を納得させてきたからである。

 このような人々が銀座や新橋のアンティークカメラを物色して歩くことは普通のことであり、このようなことを毎日している人がいる。

 東京都中野区のJR中野駅周辺にはいくつかのアンティークカメラの専門店があって客足は多い。新品のデジカメを安く売ってもいるので、カメラ好き、写真好きは中野駅周辺は癒しの場でもある。

 その中野駅周辺には写真関係の出版社があるので赤瀬川源平氏などの姿を見ることもある。

 中野駅周辺にはカメラ好き、写真好きがあるまるのであるが、ここにもさまざまなカメラ屋があり、さまざまなカメラ好きが集まってきて、カメラをめぐっての格闘が行われるのである。

 私もまたそのカメラをめぐる格闘の場末に立つこともあり、そそのかされる欲望と懐具合のとの折り合いをつけるために千々に心を乱すのである。

 高校生のころに欲しかったオリンパス光学工業のオリンパスペンFTというカメラが2万円で店頭に並んでいると、「オッ、安いではないか、買おうかな」と思いう。その一方で「オイオイ、何の写真を撮ろうというんだい、今ではデジカメで写真は撮れるではないのかい」という声が聞こえてくるのである。

 そんなことで迷いながらあるカメラ屋さんに足を運ぶと、例によって「欲しいんですか、でも横田さんカメラはもう沢山あるじゃない」というジャブが飛んでくる。「ヘヘヘッ」と答えてにやけている私にむかってリポビタンDをサービスするのが「会員制」の看板を小さくショーウインドーに掲出している主人のいつもの行動である。

 私はいつも疲れていて、この「会員制」の看板を掲げるお店に入る前に近くの薬局でリポビタンDを買って手にしているものだから、そのうち主人が気を利かせてリポビタンDをだしてくれるようになったのである。

 カメラの販売事業でも何でも同じであろうが、安く仕入れて高く売ることによって販売の商売は成り立つ。売る側と買う側とが値段で折り合えば売買は合意するのであるが、大概買う側も売る側もその売買に不満を残している。

 買う側は、買ったけれど果たして安かったんだろうか、もっと安く売っているお店があったんではないかと常に思う。そして買った値段には満足だけれど、買った商品が自分が考えたとおりの性能や品質のものであったのかと、不安と疑念にさいなまれるのだ。

 打った側は売った側で、意外にあっさりと売れてしまうともっと高く売れたのではないかという気持ちを残すものである。たとえ仕入れ値の10倍で販売したとしてものことである。私の知っている自動車屋の社長さんは商談が成立して車を引き渡すときには決まって悲しそうな顔をしているのである。

 カメラを含めてモノにつける値段というのは合理性があるようにみえても必ずしもそうではない。買い主と売り主の商品についての知識のギャップを利用して高く買ったり安く買われたりということがあり、その値段が世間常識に照らして適正であることを互いに知っていれば丸く収まるのだが、後で適正価格を知るようなことがあると悲喜こもごもである。売った側がやたらに安く買われたことを知らなければ知らぬが仏で物議にならない。

 フィルムカメラの値段はアンティークカメラのブームが去ったのとデジカメの隆盛によって予想以上に下がっている。またデジカメも急速に技術が向上しているので2年も経過すると買ったときの値段の10%で買い取ってもらえれば上等であるという状態である。

 カメラの古物商(中古店)はタンスに眠っているカメラを供出してくださいという広告をカメラ雑誌に掲載するので、それを見た人が本当にそのようにするのだが、庶民の持っているカメラは本人が高級と思っていても買い取り価格は500円、1000円という状態なのである。そのようにして買い取ったカメラの価格は10倍ほどで売りに出されるから売った人は目を丸くする。

 売る人と買う人のこうした悲喜こもごもの駆け引きの向こう側でインターネットのオークションが盛んである。中間のカメラの古物商のマージンを売る側と買う側が分け合うようになるのがインターネットオークションの機能である。

 インターネットのオークションにはカメラの古物商、個人その他が商品をだしているのだが、私は利用したことがない。

 「会員制」のカメラ屋さんがオークションにだしているカメラを代わりの人に落札して貰った経験はある。その商品を「会員制」のカメラ屋さんで直に見てからの入札であった。オークションにおける商品に対する疑念を払拭しきれないからである。「会員制」のカメラ屋さんは、オークションにだすカメラの程度の表現に慎重であり、決して現状よりは良くは表記しない。

 私はもうカメラは使い切れないほど、そして十分に満足するほどに保有していることを知っている「会員制」のカメラ屋さんは、「横田さんもうカメラはあるじゃない」が挨拶言葉になっている。「それを言われたら私はカメラ屋さんに来れないじゃない」と述べて、差し出されるリポビタンDを飲むのである。私はリポビタンDを3本飲むと元気になって、ようし一頑張りするぞと、その日にしなけらばならない業務に精励するのである。

 

 
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