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5月の歳時記 春たけなわ 富山県 城端の曳山祭は5月を盛り上げる(5月4・5日撮影 旅行家 甲斐鐵太郎) 



(副題)城端地区では春の曳山祭りのほかに、秋には9月15日には、「むぎや祭り」が開かれる

(副副題)城端の先にある山間の村の五箇山郷や白川郷は蚕(かいこ、養蚕)で生計を立てていたのであり、この蚕から採れる絹糸によって織物をこしらえて城端の町は栄えた


(写真は5月5日に撮影した富山県南砺市城端(じょうはな)曳山祭り)


(写真は5月4日に撮影した富山県南砺市城端(じょうはな)曳山祭り)


(タイトル)

5月の歳時記 春たけなわ 富山県 城端(じょうはな)の曳山祭は5月を盛り上げる(5月4・5日撮影 旅行家 甲斐鐵太郎) 

(本文)

 日本の良い季節は5月であるといってよい。なぜならこの5月には春の祭りが各地で行われるからであり、京都・下鴨神社の葵祭は5月中旬に実施される。5月の連休に訪れた富山では南砺市の城端の祭りを楽しんだ。旧城端町の祭りの舞台は高台になったっている中心地であり、南の方角にそびえる山には雪の筋が残る。この山の向こうは五箇山であり、その先には白川郷がある。

 5月の声を聞くころには富山県南砺市城端(旧 富山県東砺波郡城端町)の旧市街地は緑に包まれ、吹く風が心地いい。城端は江戸期に絹織物で栄え、この産業は明治大正昭和とつづいてきたものの、いまは過去の栄華を偲ぶ町並みと祭りが残っされている。城端地区の人口は一万人ほどであり、国の重要無形民俗文化財に指定(平成14年2月に指定)された曳山祭を通じて帰属意識が高まる。

 絹織物産業は時代の流れには抗しがたく城端地区は絹織物産業の名残をわずかに残すだけであるが、過去の栄華は城端に民俗文化財としての曳山祭を残した。城端の曳山祭は、毎年5月14日と15日に行われていたのを平成18年から5月4日、5日に変更、以後この日取りで実施されている。5月の連休にあわせて開こうという意図からであり、曳山運行のために大通りを拡張するなどの対応をしている。笛や三味線が鳴り、唄いがあり、獅子舞と剣鉾が霊魂を鎮め、5月5日には6基の曳山が大通りと裏通りを練ってまわる。

 4日の宵宮を前に当番の家では曳山に鎮座する前のご神体を安置する。座敷の飾りとして添えられたホオノキの緑の葉と白い花が春と謳う。壁は立派な絵が描かれた屏風で覆われて、その空間は一瞬にして華やぎの場と変わる。江戸期に栄華を極めた城端では取引先の京都の地に学んでその祭りをここに移設した。城端の先にある山間の村の五箇山郷や白川郷は蚕(かいこ、養蚕)で生計を立てていたのであり、この蚕から採れる絹糸によって織物をこしらえて城端の町は栄えたのである。

 いまでも大通りから一本奥に入った道沿いに絹織物工場の建物が残っていて日本の軽工業の生きた博物館となっている。越中富山の春が賑わうのは5月であり、その5月の祭りは高岡市の高岡御車山祭(5月1日)、伏木曳山祭 (5月15日)などがあって、空の色を写して輝く早苗の季節と重なって心を浮き立たたせる。

 城端地区では春の曳山祭りのほかに、秋には9月15日には、「むぎや祭り」が開かれる。この祭りは平家の落人から伝えられた哀調をおびた旋律の麦屋節にのって五つ紋の紋付袴に白タスキ、菅笠を持った男踊りが舞われる。富山の祭りとして青森のねぶたと同じようなものがある。6月の初旬と中旬ころに何カ所かでこれた行われる。

 現代の人は一つのことがあるとそれが全くの固有のことと考え勝ちである。日本の祭りは後の時代に創作したものでなければ、どこかでつながっている。そのつながりのなかで飛び抜けて有名になった祭りをついついその土地にオリジナルなものと間違えて考えてしまう。

 (写真と文章は旅行家 甲斐鐵太郎) (書き殴って読み返しておりません。誤字、表現の不適切さなどについてはご容赦を)


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