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京都・下鴨の「糺の杜」にたたずむと人はその壮麗さに心を打たれます(横田俊英)

(副題)
糺の杜を訪れてその神秘的で美しい風景の中に身をひたすと人の心身は浄化されます


写真は京都の文化を移籍した富山県の城端の五月の祭り。

(テーマ)
京都・下鴨の「糺の森」にたたずむと人はその壮麗さに心を打たれます(横田俊英)


(本文)


 正月明けは京都への用事が決まってあるので荒神口の鴨川沿いの宿に泊まっており、用事がすむと週末の休日になるのでもう一泊おごって京都見物をします。

 何日かの宿泊となると飼い犬を連れていくことになるのでやむを得ず車を使います。冬の鴨川縁を朝晩に散歩して、ときには御所を周ることもあります。時間がたっぷりあるときには下鴨神社にも足を運びます。しかしここでは飼い犬は境内の外で待たせることになります。下鴨神社には京料理店があって昼に利用すると安い費用で大いに満足することができます。

 何気なく下鴨神社の付近に泊まって近くの京料理店で食事をすることがあるということを通じて下鴨神社と縁ができてしまったのです。下鴨神社は鴨川と高野川に挟まれた三角地帯になっていることに気付いたのは大分後になってのことです。ここには「糺の杜」(ただすのもり)があって照葉樹が適度な明るさで人を受け入れます。二つの川が交わって州になっているのが糺の森であり、水気は十分でありますから少し掘れば人の生活に必要な水が得られますし、小川がいつでも流れていますから人が暮らすには特別の一等地で会ったのです。

 「糺の杜」(ただすのもり)にたたずむと人はその壮麗さに心を打たれます。この地に神秘性を感じるのは自然なことで、糺の森は人がここを知ったときから神聖なところと決めてしまったようです。京都に都が築かれる以前にすでに糺の杜は神聖な場所であったから、平安京の造営の祈願をここで行ったのです。

 美しい景色は人の心を打ちます。日本の人は美しい景色を崇(あが)めます。そしてそれを~とします。上高地の美しい景色も日本人に崇められます。上高地と~とはどこかでつながっている言葉であると思われます。人は美しい景色にひれ伏してよいとお思います。数学者の藤原正彦氏は美しい景色がなければ数学の天才は生まれないという持論を展開しています。そして美しい景色は~でもあると述べております。その美しい景色とそれを~と思ってそれにひれ伏すという気持ちがあることが数学の天才を生むのだといいます。

 正月に糺の杜を訪れてその神秘的で美しい風景の中に身をひたすことは人の心身を浄化させる作用が十分であると思われます。おいしい料理をこの地で食べることができれば良いのですがそれをすると3時間ほどの時間がかかりますからおあずけにして、縁起かつぎに伏見稲荷に足を運んで千本鳥居をくぐって、スズメの串焼きをいただくのです。

 伏見稲荷のその背後の山は照葉樹の林であり軽い山歩きの道ができております。

 京都の山や林の木々と関東の林の木々は違います。紀伊半島の山の樹木と伊豆半島そして房総半島のそれは似ております。丹後半島の樹木はこれとはまた違います。

 糺の杜は世界遺産になっております。



(執筆 横田俊英)


(書き殴って読み返しておりません。誤字、表現の不適切さなどについてはご容赦を)


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