|HOME|紀州犬|紀州犬の子供譲ります|  


文明を剥ぎ取ると私たちは松尾芭蕉になります(1月21日 執筆横田俊英)

(副題)松尾芭蕉は身体をまるごと自然にぶつけることによって日本の美を俳句という詩として表現しました



(副副題)豊饒への願いはビーナス像その他の遺物によく刻みこまれております

(本文)

 神奈川県相模原市のこの地、相模湖は寒いところです。京都にでかけて寒いと思いましたが気温を比較すると相模湖の方がもっと寒いのです。北陸の金沢市は寒くはありませんでした。私の住まいは相模川の川沿いにあってミニミニの盆地状になっていてここではある農家がブドウ栽培をしております。甲府盆地の勝沼のブドウに負けないのだそうですから、当地の寒暖の差は夏も冬も同じであり、冬など日陰の水はずっと凍ったままのことがあります。京都から北陸そして上高地入り口の釜トンネルを経て相模湖に到着するまで車に付いている外気温を測る温度計をみておりましたから日本の冬の温度比較ができました。

 1月中旬の始めに京都にでかけて、中旬の終わりに帰ってから静岡市で用足しをしました。静岡市は新幹線で駆け足をすることが多かったのを宿泊して仕事の続きをすることにしました。桜の意味の静岡駅前の高層ホテルの19階の部屋は南を向いており向こうに海が見えました。このホテルの別向きの部屋ではみることができなかった海に気づいて驚いたのです。

 静岡市の地形や地誌に無関心だったのですが、視点を変えるとみえないものがみえてくるのだと思いました。

 視点を変えるために行動を変えてみるということも役に立つことがあるようです。慣習になっている行動形式を変える。そして何事か新しいことを始める。始めなければ始まらないのです。私には仕事で期することがあってこの一月ほどこれに取り組んできましたが、やってやるぞということと、何とかするぞということと、上手く行くはずさということなどを言い聞かせております。

 その仕事は人と重要事項を議論していて、これがあるじゃないという指摘を受けたことが切っ掛けでした。日ごろ社内の人々と話していることとは別の視点でのモノの見方があったのです。

 トラックや観光バスの運転手は日本全国を渡り歩いているから日本を知っていることになるはずです。ところが美しい日本の発見は川端康成でありましたし、永六輔の「知らない街を歩いてみたい、遠くへ行きたい」であります。自分を知りたい、日本を知りたい、自然を知りたいといった欲望が人を旅に誘うようです。エキゾチックというのは異国情緒であるますが、非日常的な風景や状況に自己をおくことは気分を一新させることになります。そして極めつけは松尾芭蕉の奥の細道をはじめとする紀行文です。ある視点をもつことによってモノはみえてくるようです。

 日本の自然の風景はこの土地に住む人々の心のありようを決めてしまったように思います。松尾芭蕉は身体をまるごと自然にぶつけることによって日本の美を俳句という詩として表現しました。文明という利器を取り払ってしまうと私たちはみな松尾芭蕉と同じようになります。方丈記にもなってしまうであいましょう。そして清少納言の春は曙、夏は夕暮れという言葉をそのままに受け入れることになります。

 東北地方は三陸の山背(やませ、(1)山を越えて吹いてくる風。フェーンの性質をもつ風。(2)夏季に北日本の太平洋側、特に三陸地方に吹く冷湿な北東風。オホーツク海高気圧から吹き出す風で、長く続くと冷害の原因となる。)は疎ましくあります。地球の気候変動で縄文期人口は30万人になったり10万人になったりしました。だから日本がもう少し温かかったらとも思いますが、それでは別の不都合もおこるのでしょう。

 静岡では立て込んだ用事で登呂遺跡への再訪を逃しました。徳川家康が駿府に住んだのはいろいろな理由があるのでしょうが、良い場所を選んだものだと思います。縄文遺跡を見物することが私の趣味の一つです。八ヶ岳山麓の遺跡を巡り歩きながら縄文期の気候と暮らしぶりに思いをはせます。竪穴式住居であれば震災にあっても犠牲はほとんどでなかったでしょうし、住まいが壊れても比較的たやすく再建することができたでしょう。縄文の人々はよく祈る人々であったことが、縄文のビーナスや土器などから明らかです。それは自然への畏敬であったのか恐怖であったのかよくはわかりません。しかし豊饒への願いはビーナス像その他の遺物によく刻みこまれております。

 夜道を山中湖に抜けて道志道の途中の温泉で30分湯につかって家のそばのブドウ畑で嘴(くちばし)の長い野鳥を目撃しました。暗闇でごそごそしているので猫かと思ったのでした。

(書き殴って読み返しておりません。誤字、表現の不適切さなどについてはご容赦を)


TOPへ




|HOME|紀州犬|紀州犬の子供譲ります|