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芭蕉は歩いて日本を巡ったが私は一瞬にして美しき日本の高原林道を駆け抜ける(執筆 横田俊英)

(副題)
川は海につながり、海の玄関口であるから千曲川の上流部に海ノ口がある

 旅をするなら外国がいいけれど滅多にでかけられないから日本の旅で我慢する。松尾芭蕉は奥の細道を旅するのに夏を選んだ。芭蕉のころに青森の「ねぶた祭り」があったどうか知らないが、芭蕉には祭りのうたはでてこない。私の知り合いは「奥の細道」になぞらえて「僕の細道」という句集をだした。大学に入学できなかった年に奥の細道を歩いたことを書いた部分が印象的だった。今の時代は四国88カ所巡りも自動車を利用することが多い。歩いて四国88カ所を回すのは現代人の贅沢になっている。

 日本の街道は中山道など幾つかにであったが、今の日本では自動車道が縦横に走っており中部地方・霧ヶ峰高原を越える中山道を自動車道路が何度もグチャグチャと横切るのをみる。

 東京から石川を往復する自動車の旅をした。富山市と金沢市と高山市で遊んで写真を撮るということで交通手段に自動車を利用したのである。自動車道路は徹底して山道を選定するということで高速道路は使わなかった。石川からの帰り道には白山スーパー林道を利用した。白川郷までの利用料が3,150円だから高いのか安いのかわからない。そこから高山市に行ったところでくたびれて宿をとった。高山ではよく行くお店の飛騨牛を東京の知人にクール宅急便で送ってよろこばれた。高山から松本にでるのに安房峠を越えてもよかったが安房峠の下を通る有料道路に750円を支払った。松本からはかつて有料だったビーナスラインを使って美ヶ原に行き、そこから戻って霧ヶ峰にでて、車山の麓のコロボックルヒュッテで冷たいコーヒーを飲んだ。
 白樺湖のそばの大門峠を過ぎた後は北八ヶ岳を横切る麦草峠を足って海ノ口にでた。川は海につながり、海の玄関口であるから千曲川の上流部に海ノ口があるのである。信濃川上流には海津城があった海津という地域があり今の松代である。その海ノ口から松原湖を経て川上村にでた。川上村はレタスの高原野菜の村であり未だ町村合併をしていない。ナナーズという大型スーパーができて地域の商店を食ってしまった。キャンプ時の買い物先であったミニスーパーは店を閉た。

 川上村から韮崎にでる峠道が信州峠で山梨県と長野県の県境である。信州峠を過ぎると左にギザギザの岩山のみずがき山がみえさらにその先に金峰山がある。金峰山の登山の宿の名は金山山荘だからこのへんで武田信玄が金を掘って、その金で都にのぼろうとしていたのである。増富にはラジウム温泉があるのでこの辺は信玄の隠し湯があったであろう。

 増富あたりから牧丘にむかう林道はクリスタルラインという。甲斐の名産、水晶からといられた名だ。信玄といえば棒道。八ヶ岳を山麓の道路を走るとこれを何度か横切る。クリスタルラインは山のなか。標高を上げると高山帯の植物が生えており、鹿がたびたび道を横切る。ビーナスラインではカモシカに遭遇した。森林限界を超えるビーナスラインとは違って樹林帯の緑のトンネルを走るクリスタルラインでは狸もでるし、野鳥も多い。

 牧丘にでるあたりではダム工事が進んでいて昔あった風景が間もなくなくなってしまう。信州峠の過ぎたところには塩川ダムができていた。牧丘から大菩薩峠の林道を旧大和村に抜けるところには砂利を積み上げたアースダムの景観がすごかった。大和村で国道20号線に一端でたあとに笹子峠を越える。その後は都留方面に道をとり、上野原市に名前を変えた旧秋山村の道を走ると、日が暮れてきたついでに「東小垂の湯」という掛け流しの温泉があるので、旅はここで終わる。

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