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私たちは情報とインターネットとパソコンの3つの能力を「私の大学」のように自ら進んで学び獲得して行かなくてはならない(執筆 横田俊英)

(副題)読み、書きということでは、インターネットを利用できる能力が読みであり、パソコンで文章をつくって電子メールができる能力が書きで、情報全般を扱い使いこなし、ビジネスその他に利用できる能力がソロバンに対応します


 銀座8丁目にあるハナマサのビヤーホールでの取引先の印刷会社主催のバイキングパーティーに参加しました。このお店がある場所に以前どのようなテナントが入っていたのか思い出せませんでした。

 集まったのは編集者たちです。さまざまな人々がいてあいも変わらぬ様子です。紙に文字を埋めて情報として送り出すことの意味はよくわかりますが、現代の情報社会ではそれだけでは十分ではありません。紙誌による紙媒体での情報伝達には限界があります。インターネットによる情報伝達と対比しますと瞬時性で劣ります。扱うことができる文字数に制限があります。読み手を限定してしまいます。紙を使い、配送するなどのコストが電子媒体に比べるとはるかに大きいということもあります。情報が編集者たちに選ばれてしまった結果の限定された内容になってしまいます。

 印刷の世界はパソコンが普及するにつれて大きく変わりました。情報伝達、情報取得の世界もインターネットが出現したことで大きく変わりました。情報の取得という行為はマスコミなどの専門家とそれ必要とする人がほぼ水平になりました。このようになりますとマスコミ系の人々はいままでとは違った能力によって情報活動を行うことによって新たな地位を獲得しなくてはなりません。

 情報社会においては情報能力(情報リテラシー)がいままで以上に求められます。あらゆる基本情報がインターネットを通じていち早く流通しますから、インターネットにかんする知識とそれを取り扱う技術能力を身につけることが必須です。このことはパソコンを使う力と共通もします。

 情報リテラシー、インターネットリテラシー、パソコンリテラシーが必要であり、この3つの能力によって情報社会で活躍できるかどうかが決まります。この3つの能力を持たない企業は苦戦していることを幾つかの事例によって検証しました。個人も同じです。

 コンピュータの登場と発達によってレンズの設計は女子の計算係を不要にしてしまいました。戦後間もないころには高等女学校を出た女子社員が数十人単位で、レンズを通過する光や光の成分の経路を計算していたのです。昭和35年ことの公共機関の計算センターのコンピューターにかけると計算係が1日掛けてした計算の仕事を5分で処理してしまいました。その後のコンピュータの能力の向上を考慮するとレンズ設計がどのようになったか想像することができます。高性能な現代のズームレンズはコンピュータがあってこそできあがる製品です。

情報とインターネットとパソコンの3つの能力がなければ、情報社会における企業や個人の行動に不具合が生じます。ビジネスは旧来の人、モノ、金の要素が大きくインターネットの世界に移っていることです。営業マンの仕事をインターネットが多分にしてくれます。受注がインターネット上の情報によって決まり、行われるのです。お金もインターネットの上を流れます。インターネットに築かれた情報によってお金が産まれ、インターネットの上をお金が流れて決済をします。

 このような状況の理解と仕事のインターネットを組み込んでいくためにも情報とインターネットとパソコンの3つの能力を身につけておかなければなりません。この能力がなければ情報社会がみえてきません。ごく簡単なことではパソコンを使って文章を作成できることは基礎的な能力であります。高校生などが通学の途中でパソコンを操作していない日本の状況ではこの先が危ぶまれます。

 文章を読んだり書いたりする能力は人の基礎的能力の一つです。だから古来から読み、書き、ソロバンと言われていたのです。いまの人々は読み、書きということでは、インターネットを利用できる能力が読みであり、パソコンで文章をつくって電子メールができる能力が書きです。そして情報全般を扱い使いこなし、ビジネスその他に利用できる能力がソロバンに対応します。

 だから私たちは学校で教わることがなかった情報とインターネットとパソコンの3つの能力を「私の大学」のように自ら進んで学び獲得して行かなくてはならないのです。

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