遠い昔の長良川での鮎釣りと郡上の思い出
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遠い昔の長良川での鮎釣りと郡上の思い出 甲斐鐵太郎
郡上市の中心地は昭和40年代初頭の民家がそのまま残されていた。民家の玄関先を山から引かれた水路が流れている。
郡上市の旧八幡町役場近くの新町の本屋。お盆休みのための合併号なのだが、ここを訪れる観光客は週刊文春に関心を示していない。スクープ記事になのに。
郡上市の旧八幡町役場近くの新町の本屋の店先には週刊文春と週刊新潮がそれぞれ四冊、手つかずに残っていた。
高さ12メートルほどの「新橋」は橋脚がなく、夏になると地元の子供たちが橋の上から川へ飛び込んで遊ぶのであったが、現在はこの様子は見られない。
郡上市の街中を流れるのが吉田川である。長良川の流れの一部だ。吉田川の両岸には宿と民家がつらなる。
写真は2026年8月16日(日)の郡上おどり。徹夜おどりは撮影時刻から30分すると空が白み、終幕を迎える。お蕎麦の名店前の広場にて撮影。
[屋台では笛、太鼓、三味線をお囃子に「三百」が。晴れて暑い夏も明け方には涼しさが漂う8月16日(日)の郡上おどり。
(タイトル)
遠い昔の長良川での鮎釣りと郡上の思い出 甲斐鐵太郎
(本文)
遠い昔、鮎釣りをするために夏が来るのを待ち遠しくしていたころがあった。郡上市を流れる長良川とその幾つかの支流の川面の煌(きら)めきに鮎を求めて夢中であった。郡上市にある民宿の奥美濃荘を宿にして上流から下流への鮎の付き場と思われる所を駆け回った。そのころは名の知れた瀬をあちこちと駆け回るだけであり、落ち着いた釣りができなかった。
宿の夕食の折りに奥美濃荘の親戚の40代の男性が来ていて、昭和40年ころの長良川の話が出た。高校卒の初任給が1万5千円ほどのときに、盆休みで長良川の実家に帰って、一日鮎釣りをすると2万円の稼ぎになることがあったという。長良川の漁協が鮎を買い取っていて京都や大阪の料亭に出荷していたのだという。養殖鮎がない年代であり、ブランド鮎となっていた長良川の鮎には高値が付いた。
それから20年以上も経過した現在は長良川の鮎の様子をそれなりに知るようになり、どこの瀬、あるいは支流のどの場所で竿をだせば、どのくらいの釣果がでるか想像できるようになった。そのような事情のもと、2026年8月のお盆に訪れた長良川の有名な支流の吉田川で同行者が竿をだしたら2時間ほどで10尾ほどの鮎を掛けた。小ぶりでまだ若い鮎であったが、当人は20何年ぶりかの鮎釣りだと興奮していた。
釣った鮎を炭火で焼いて皆で食べた。盆踊りのころの郡上八幡への旅行であった。
郡上に出かける直前に週刊文春は、ある重要な事件のスクープ記事の第一弾を出していた。世にも奇妙な、しかし犯人がほぼ特定されている事件であるのに、検察庁長官がわざわざ事件性がないと発表していたのであった。スクープ記事は事件に関係した重要人物の証言を掲載していて、日本の刑事コロンボと思いたくなるような警視庁捜査一課の元刑事や同事件を捜査していた刑事たちの想定通りの事実が明らかになりつつある。
そのスクープ記事が載った週刊誌を住まいの近くのコンビニで買って、むさぼるように読んだ。そのコンビニには四冊だけ配送されるようであり、私は発売から二、三日後三冊あった中から一冊を引き抜いた。店員に残しているのですね、と声を掛けたら何のことか知らない様子であった。
それから更に数日後、郡上市の旧八幡町役場近くの新町の本屋の店先には週刊文春と週刊新潮がそれぞれ四冊、手つかずに残っていた。お盆休みのための合併号なのだが、ここを訪れる観光客は関心を示していない。私自身も新刊の図書を読むことは滅多にないのであるが、この事件には大いなる関心を抱いている。
晴れて気温が30℃を超える郡上八幡の昼下がり。それは2026年8月17日(月)のことであった。街裏の古い民家を転用した宿に泊まって周囲を散策してみると、郡上市の中心地は昭和40年代初頭の民家がそのまま残されていた。民家の玄関先を山から引かれた水路が流れている。どの家も少しの花を玄関先に植えている。庭があるお家は少ない。小さな空間に大勢の人が住むようにつくられた街が郡上市であった。
海から遠く離れた郡上市は、豊かな森林から流れ出る水が川となって、豊富な水量を維持して流下する。地域の経済は林業、農業、川にまつわる漁業などが主体となる。郡上市になった白鳥(しろとり)町の白鳥駅前が賑わったのは昭和30年代であった。林業などに従事する人が多く、白鳥駅前の商店街に人々は買い物に訪れた。自然と折り合う産業が栄えたのは昭和30年代までであった。その後は工業としての工場による産業が栄えるようになり、工業は臨海部に集積した。郡上市を流れる長良川は濃尾平野をつくりだし伊勢湾に注ぐ。濃尾平野の工場で作られた自動車は埠頭から海外に送られる。自動車のための鉄は港湾部の製鉄所から供給され、また化学コンビナートが湾を取り巻くように林立する。
人は沿岸部に集積し、山のほうの地域は過疎になる。やっとのことで引っ張ってきた工場は中国に移る。残るのは第一次産業にまつわる経済である。日本のどの地域でも産業比率として一位にあるのは第三次産業従事者である。放っておいても第三次産業の従事者は増える。コンビニ、喫茶店など飲食店に雇用が集まる。郡上市は郡上八幡を中心地として観光業の比率が相対的に高まっている。夏季の「郡上おどり」は期間中延べ30万人を超える観光客が訪れる。高鷲、白鳥、明宝、大和地域にスキー場がある。
あえて古い資料を持ち出す。2000年国勢調査は次のような数字を記録している。郡上八幡町の産業人口は第一次産業就業者数1,495人(6.2%)、第二次産業就業者数9,963人(41.4%)、第三次産業就業者数12,624人(52.4%)である。2004年3月1日、郡上郡7町村(八幡町・大和町・白鳥町・高鷲村・美並村・明宝村・和良村)が合併して郡上市になった。2019年2月1日現在の郡上市の人口は4万2千人である。
川と水の文化を象徴するのが宗祇水(そうぎすい)だ。文明3(1471)年に連歌師・宗祇が古今伝授を終えて京に帰るときに、この湧水で喉を潤し歌を詠んだことが伝えられる史跡である。昭和60(1985)年に環境庁の第一回「日本名水百選」に指定された。小さな社の下からこんこんと水が湧き出す。郡上八幡の象徴である。水がきれいな町として知られる郡上八幡には、町中に玉石が敷き詰められ、柳が揺れる「やなか水のこみち」がある。吉田川や長良川で取った玉石を8万個敷き詰めてある。爽やかな水の流れは旅人をなぐさめる。
郡上八幡の水利用、つまり「水舟」はおもしろい。水舟とは、二槽または三槽の水槽のこと。湧き水を竹やパイプなどで水舟に引き込む。上段の水槽では飲用や食べ物を洗うのに使用され、下段の水槽では汚れた食器を洗うために使う。八幡町には観光用の水舟が10ヵ所ほど設置されている。
郡上市の街中を流れるのが吉田川である。長良川の流れの一部だ。吉田川の両岸には宿と民家がつらなる。高さ12メートルほどの「新橋」は橋脚がなく、夏になると地元の子供たちが橋の上から川へ飛び込んで遊ぶのであったが、現在はこの様子は見られない。
郡上市は長良川の流域である。東端は飛騨川の支流域、北端は九頭竜川の支流域である。八幡町と白鳥町に人口が集中する。八幡町は郡の中心であり、白鳥(しろとり)町は福井県への玄関口であり交通の要所。美濃地方の中濃地区に属し、地元では北濃や奥美濃と呼ばれる。
郡上市の名産を拾いあげる。
郡上八幡サンプル工房は郡上の名物だ。日本全国の大半の食品サンプルをつくりだす。サンプルが先にあるため、出来上がったカツ丼が見本に劣ることはよくある。
郡上八幡の名産には「清流のしずく」「郡上地みそ」がある。「郡上地みそ」は、大豆がそのまま残っているのが特徴の豆味噌。大粒大豆に郡上の銘水を仕込み水に用いて、木桶で1年から1年半かけて熟成。しっかりとした塩味のなかにも、国産大豆ならではのまろやかな甘みと香りがある。
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