吉村順三の山荘とクロスカントリー四駆
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吉村順三の山荘とクロスカントリー四駆 森夏之
初夏の別荘地に、新しい形なのか、古くて懐かしい形なのか、不思議なクロスカントリー四駆が停まっていた。
ある別荘地域(3,000所帯)の山荘。下の吉村順三の軽井沢邸を模した一階部分となっている。斜面を削って平らにならしている。道路が一階の軒より高い位置にある。
吉村順三の軽井沢山荘。一階部分のテラスでは小さな音楽会が開かれることがあった。
[参考]馬場家住宅(ばばけじゅうたく)は長野県松本市内田にある江戸時代の民家。松本市立博物館の分館の重要文化財馬場家住宅として公開されている。江戸時代末期の長野県西南部を代表する民家建築として、平成8年(1996年)に国の重要文化財に指定された。 主屋棟の正面に「雀おどし」の棟飾りを付けた本棟造りを特徴とする。馬場家の伝承によると、先祖は武田信玄の家臣、美濃守信春の縁者である馬場亮政とされ、天正10年(1582年)、武田氏の滅亡を機に当地を開発、この住宅の前身を建立したとされている。馬場家は、江戸時代には広大な田畑を持ち、農業を営み、当地の領主である諏訪高島藩藩主と親密な関係を持つ特別な地位にあった。馬場家住宅 - Wikipedia
愛の名住宅図鑑21:名手・吉村順三が“緻密な愛”で生み出した癒しの空間~「軽井沢の山荘(吉村順三別荘)」(1962年) | BUNGA NET
設計は吉村順三。吉村順三軽井沢邸。軽井沢の山荘
玄関扉にはもう一つ小さな扉がついている
吉村順三の軽井沢の山荘
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吉村順三作品集―1941-1978 (1979年) 新建築社 (1979/03) 『この樹の上で、鳥になったような暮らしのできる家をつくろうと思いついた』(吉村順三)
(タイトル)
吉村順三の山荘とクロスカントリー四駆 森夏之
(本文)
初夏の別荘地に、新しい形なのか、古くて懐かしい形なのか、不思議なクロスカントリー四駆が停まっていた。ニュークラシックと誰かが言った。このような車は良いなあと思う人と、こういうのならイギリスのレンジローバーに限ると決め込んでいる人もいる。知り合いは何時壊れるか心配になるレンジローバーを駆って岐阜県の馬瀬川の民宿・老田屋にひと月以上逗留してアユ釣りをする。その自由さが羨(うらや)ましくてならない。
ニュークラシック・クロスカントリー四駆の車庫がある山荘は吉村順三の軽井沢のそれを模していた。湿気を避けるために一階部分を鉄筋コンクリートで構成して、二階部分を主な住まいに当てる。吉村順三は帝国ホテルを設計したアントニン・レーモンドの下で働いており、吉村の日本建築の手法は意識のどこかでレーモンドに影響していたようだ。レーモンドは軽井沢の聖パウロカトリック教会や東京女子大学など、日本の風土や構造技術に合わせたモダニズム建築を手掛け、それはまた日本のモダニズム建築の発展に作用した。
長野県松本市内田にある江戸時代の民家である馬場家住宅(ばばけじゅうたく)のような勾配の緩い建物が吉村順三は好きであった。こうしたことが知らぬ間にアントニン・レーモンドに影響した。二人とも軽井沢の山荘を幾つも設計している。吉村順三の一階部分を鉄筋コンクリートで構成する手法を、屋根の上の物見台と共に、その後に多くの建築家が真似ている。物見台は直ぐに腐るから、その後にはこれを造る人は減っている。鉄筋コンクリート造りの一階部分は経年による劣化に対応して、つっかえ棒をすることが少なくない。吉村順三の軽井沢の自邸は、鳥になったように樹上に住む感覚を求めたものである。
吉村順三の軽井沢の自邸と同じような建物を建てても、その場所が窪地であっては吉村が求めたそれとは違う。ある別荘地の吉村順三を模した山荘は窪地にあった。湿気除けには作用しても、鳥のように樹上に住まうことはできない。土地と建物の関係は難しい。瀟洒な建物が藪山(やぶやま)の中にあるのでは、さまにならない。小さくても清潔感がある建物が似合う場所は多い。
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