私はリポビタンDを飲みながら「オリンパスペンD3」を磨いていた
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ある記憶と記録 2006年06月19日(月) 私はリポビタンDを飲みながら「オリンパスペンD3」を磨いていた 森夏之
ある記憶と記録 2006年06月19日(月) 私はリポビタンDを飲みながら「オリンパスペンD3」を磨いていた 森夏之
ある記憶と記憶 2006年06月19日(月) 私はリポビタンDを飲みながら「オリンパスペンD3」を磨いていた
日本人が心に描くうるわしき田園風景としての安曇野。フィルムカメラ風の写真。
安曇野の風景。向こうは常念岳など北アルプスの山々。2026年6月16日撮影。やっと夏になった。フィルムカメラ風の写真。
白のニコンSPにF1.4のレンズ付き。文中にある「黒塗りのニコンSPにF値が1.2か1.0かのレンズが付いている」品ではない。
(タイトル)
ある記憶と記録 2006年06月19日(月) 私はリポビタンDを飲みながら「オリンパスペンD3」を磨いていた 森夏之
ハーフサイズの「オリンパスペンD3」というカメラと私
(本文)
1、写真を撮るべき場にカメラがないのはつらいです
写真を撮るつもりで出かけたのですがカメラを忘れました。デジカメを持っていくつもりだったのです。写真を撮るべき場にカメラがないのはつらいです。そんなときにはどんなカメラでもいいから欲しくなります。
2、「オリンパスペンS3.5」を綿棒で磨いて過ごしました
数日前の金曜日の夜には「東京光学研究所」という会員制の「カメラ喫茶」でリポビタンDを3本飲んで、ハーフサイズレンズシャッターカメラ「オリンパスペンS3.5」を綿棒で磨いて過ごしました。このカメラはファインダーが曇っていたので気乗りはしませんが価格次第で手に入れるつもりだったのです。研究所の閉店時間になったのでやむなくこの案件は持ち越しになりました。私はこの日、研究所をでたあと高松宏之氏とそば屋で11時近くまで話しをして、帰宅したのです。
「東京光学研究所」は中野駅の南口すぐ傍にあったカメラ販売店です。一家の生計はこの地域に所有している不動産経営で十分に賄われていたのでした。住まいは中野駅の北口から近いところに一軒家としてありました。形の上ではカメラ販売店とはいえ、気に入った客だけを店にいれるという風変わりな経営あるいは運営をしていたのは、このような事情によることになります。あるとき「東京光学研究所」の店主が、その娘が飼っているウサギを誰かに譲れないかと持ちかけられ、私の知っている移動動物園を紹介したことがありました。
私は通勤の途中で中野駅で下車してこのお店の顔を出していたのです。「東京光学研究所」の店主は私が顔を出すと「森さん、もうカメラはあるじゃない」と何時でもいうのでした。
ここ「東京光学研究所」には風変わりといいますか、変ったカメラ愛好家が幾人か立ち寄っておりました。なかにはカメラの修理を趣味にする人がいて、入荷したカメラのチェックと補修をしておりました。ある修理趣味の人の手さばきは迅速でした。それは職業からくる高率性にもとづくことのようでした。少しはカメラを楽しんで、眺めて、そして手を入れたら良いのになと私は思って見ておりました。修理をすると出来高払いのように幾ばくかが渡されているのを目にしました。店主は修理趣味の人が他所の店で自分の悪口を言ったのを聞いたということで、お店から締め出してしまいました。誰が悪いのか私にはわかりません。
このお店には解体工事などで出てきたカメラほかを持ち込む人がおりました。店主は値打ちがないカメラにもお金を払っていたのでしたが、それは思いもよらない「黒塗りのニコンSPにF値が1.2か1.0かのレンズが付いている」という出物を安く買い取るための下工作でした。店主はそうした人々を「お拾い屋さん」という言い方で私に小さな声で教えるのでした。事情があって古物商に持ち込めないようなのでした。黒塗りのニコンSPのF値が1.0のレンズ付きは当時でも50万円ほどの値が付いていたいたはずです。幾らで引き取ったかは知りませんが、一万円札を引き出しから無造作に取り出して数枚渡しているように見えました。そうしたカメラはキャノンなどに勤務する独身のカメラコレクターに渡っておりました。店主はそうしたコレクターの保有状況を良く知っておりました。驚く金額のボーナスが支払われていた時代のキャノンの社員が店に顔を出していたのでした。店主はその人のカメラコレクションは二千万円にはなっていると私に耳打ちしました。
3、リポビタンDを3本飲みながら「オリンパスペンD3」を磨いていたのです
その後の日曜日、同じように訪れてリポビタンDを3本飲みながら磨いたのがハーフサイズの高級カメラ「オリンパスペンD3」です。「オリンパスペンD2」も同時に磨いて金曜日の夜に磨いたハーフサイズレンズシャッターカメラ「オリンパスペンS3.5」と並べて、比べてどれにするか考えて、「オリンパスペンD3」に決めたのです。
4、「オリンパスペンD3」のレンズはF.Zuiko 32mm F1.7です
このカメラ「オリンパスペンD3」の性能を表す数値は次のようなものです。つくられたのは1965年~1969年です。ハーフサイズレンズシャッターカメラでレンズはF.Zuiko 32mm F1.7です。明るさ1.7は最大級です。「オリンパスペンD2」のレンズはF.Zuiko 32mm F1.9、「オリンパスペンS3.5」のレンズはD.Zuiko 28mm F3.5です。
5、距離計連動ではないので壊れないのです
オリンパスペンD型とリポビタンDとは言葉が似ていますが、それだけのことです。ファインダーには視野枠しかありません。近距離撮影用の枠が補助的に簡単に示されております。焦点調整はレンズ横の繰り出しノブを操作して行います。0.8、0.9、1.0、1.2、1.5、2、3、5、∞がメートル表示され、1.2、3のところにクリックがあります。繰り出し量は頭で考えて決めます。距離計連動という方式はこの測距機能に支障をおこしがちですが、オリンパスペンのこの方式は適当ではありますが、壊れない方式でもあります。ファインダーの方式はアルバダ式ブライトフレームといい0.5倍です。
6、表示値が9であればシャッター速度と絞り値のリングを操作して組み合わせて9の値をだします
「オリンパスペンD3」に露光計はついています。当時、登場してきていたCdS方式を採用していたのは画期的でした。3から17までの表記がカメラ上部にあり、背面のボタンを押すと値が表示される。表示値が9であればシャッター速度と絞り値のリングを操作して組み合わせて9の値をだします。9になるのはシャッター速度125、絞り2であり、その比例値である60と2.8、250と1.7を撮影環境に応じて選定します。
7、シンクロ接点はX接点だけストロボを付けるシューはありません
フィルム感度対応範囲は、レンズのリングに付いていてASA10、16、この中間、32、50、この中間、100、この中間、200、400である。シャッターはコパル#000でB.1/8~1/500秒まで。シンクロ接点はX接点だけ。ストロボを付けるシューはない。「オリンパスペンD2」にもこれはありません。「オリンパスペンS3.5」にはこれがあります。フィルム巻き上げはボディー背面に付けられたリングを回して行うワインディング式。電源:1.3Vの水銀電池が開発時のものですが、メーカーでこれを今一般に販売されている小さなボタン電池を使えるように改良してありました。HDのボタン電池は入手困難だからこの改良はありがたい。
8、裏蓋はニコンFやニコンS2やコンタックスと同じ方式です
「東京光学研究所」にあった「オリンパスペンD2」はHDタイプのままであったのです。電池室は裏蓋を下に引いてごっそり外してからでないと現れません。この裏蓋はニコンFやニコンS2やコンタックスと同じ方式です。ヒンジで裏蓋を留めてパカパカ開くものに比べると強度は強いのです。ボディーサイズは108×67×50mmで重さ(質量)は420g。発売当時の価格は16,300円でありました。ハーフサイズカメラとは35mm判のフィルムの縦の部分を横にして使う方式で、24枚撮りのフィルムは48枚(以上)、36枚撮りは72枚(以上)の撮影ができます。佐貫亦男さんの言葉の通り画質はフィルム面積が半分になるぶん落ちてしまいます。
9、値段は私の予想より高かったのですが満足です
私が入手した「オリンパスペンD3」は外装に少し傷がありますが、ファインダーは綺麗です。レンズにもカビはありません。値段は私の予想より高かったのですが、満足もしておりました。
10、「オリンパスペンD3」(1965年~1969年)は16,300円は大卒の初任給と同じ程度でした
1960年代普通の人が買えるカメラは6,000円ほどのオリンパスペンでした。「オリンパスペンD3」(1965年~1969年に発売)の販売定価16,300円は大卒の初任給と同じ程度か、それを少し超えているかというほどです。「オリンパスペンS3.5」は1965年~1967年の発売で発売価格は7,500円です。「オリンパスペンD2」は 1964年~1965年で発売価格は15,800円です。
この時代のカメラも工業製品も勤め人の給料に比べるとウンと高かったのです。1959年に発売された「オリンパスペン」は6,000円ほどでした。「オリンパスペンEE3」(1973年~1986年)はD.Zuiko 28mm F3.5レンズ付きで固定焦点・セレン光電池利用のプログラムEE方式で発売価格15,800円でした。初代のこのモデル「オリンパスペンEE」は1961年~1966年で、発売価格は10,000円でした。
11、写真家の大石芳野は大事な時にはフィルムで撮影するとNHKラジオで話していました
1965年~1969年に発売されていた「オリンパスペンD3」(販売定価16,300円)などのフィルムカメラを買っては楽しんでいた2006年06月19日(月)という夏至のころの記憶と記録です。すでにデジタルカメラで撮影する時代にありましたが、中学生や高校生の時代に憧れていたカメラを2006年という、随分と後になって手に入れて悦に入っていたのです。カメラ・ボディーがプラスチックで覆われている時代になっていたこともあって外装ほかが金属製のカメラに哀愁を覚えていたのでした。それにしても「オリンパスペンD3」や関連のカメラに熱意をもって語っていたのでした。以上のことは2006年06月の記録であるのですが、それから20年経過したフ2026年6月25日現在、フィィルムカメラが写真愛好家にどのように使われているか知りません。そしてフィルムカメラがどのような価格で取引されているかも知りません。ただし次のようなことがNHKラジオから聞こえてきたのでありました。
2025年秋に写真家の大石芳野がNHKラジオで大事な時にはフィルムで撮影すると話していたのを八ヶ岳山麓をドライブしているときに聞きました。私には現代においてフィルムで撮影することの意味は深くは理解できませんが、そのようなものかなと心に留めております。
2026-05-25-i-was-polishing-my-olympus-pen-d3-while-drinking-lipovitan-d-