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「夜に書いたものを昼になって読み返すとロクなことはない」という(執筆 横田俊英)

「作家にとって体調を保つことはスポーツ選手にとってと同じくらい大事なこと」だという

(副副題)
「夜に書いたものを昼になって読み返すとロクなことはない」という(執筆 横田俊英)

(本文)

 『すばる』2月号(08年)の古井良吉氏の講演文書を面白く読んだ。古井氏は71年に芥川賞と受けている。大学教員が文学賞を受賞するというのは何だか詐欺のように思えるのだが、その後の作家家業は決して平穏ではないと察しは十分につく。古井氏は午前10時に起きて馬事公苑を散歩して、午後5時まで嫌だ嫌だと思いながら書き仕事をして、その後散歩にでて晩酌をして本を読んで午前1時か2時に寝る。大学のドイツ語の教員をしていれば大きな業績を残そうとしなければもっと楽に過ごすことができたことだろうから。

 「夜に書いたものは、書いている時はたいそう高揚して感じられるけれど、昼になって読み返すとロクなことはない。そういうことに何度かこりているわけです。だから夜はたいてい読んで過ごす。これこそ悠々自適の閑暇の時です」と述べている。

 私たちのアイディアも少し間をおいて考え直してみないと地に足が付いたものかどうか判別しがたいことがある。

 話しが飛ぶと「作家にとって体調を保つことはスポーツ選手にとってと同じくらい大事なこと」だという。そして「同じ文学でも詩と小説とは違って、詩人がやっていることは細き手の技だけれど、小説はいわば土方仕事」だともいう。小説は「なにしろ手続きが多い。たちまち読んで過ごしてしわまれるようなことでも、その経緯などを踏んでおかなくてはならない。物を積んだり、地面を掘ったりするのと、同じこと、つまり肉体の力が要るのです」ということだそうだ。

 私たちにとって大変な仕事はテープ起こしである。経済のこと、技術のこと、その他さまざまな知識があることによって、話し手が言わんとすることを何とか文章にすることができるということだからだ。また録音を聞き取る作業のときにはほかのことを考えることはできないし、テレビやラジオが鳴っていてもそれを聞いてはいられないからである。自分の思考を抜きにして話し手の思想に従わなくてはならないからである。ことに天才と思われる人の話は概念の連なりを勝手につくりだして文章にする訳にいかないからなおさらである。

 馬事公苑を散歩する古井良吉氏と同じその場所を犬を連れて毎日散歩する知人がいるということも興味深いことではあるものの、私の知人は古井良吉氏のことは知らないことであろう。

(執筆 横田俊英)



(書き殴って読み返しておりません。誤字、表現の不適切さなどについてはご容赦を)


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